第16話 双子たちと怪盗の短くも長い夜⑧

「——撤収リリース!」


 人形遣いパペッターと人形との間には、魔力のかよった見えない“糸”が繋がっている。強盗の懐に潜入したぬいぐるみの頭とその総指揮を執るアンの人差し指。その間にも同様の見えない糸が繋がれていた。


 アンは強制回収リリースの詠唱を口にすると共に、その糸を一気に引き上げた。ぬいぐるみの方もまた、その糸に釣り上げられる形で空で待つアンの元へと帰って来る。

 そして、宙に差し出したアンの手のひらに、ぬいぐるみはポフンと収まった。

 

「おかえりなさい、よく頑張ったね」

『——ミィィィ、チュゥゥ』


 アンは、賢者の石を持って帰ってきたぬいぐるみを胸にぎゅっと抱きしめる。


「ナイスアン! あいつから石を取り返しちゃうなんて、さっすがあたしの妹だよっ!」

「えへへ、流石にちょっとドキドキしたけど……上手くいってよかったよ」

「ドキドキしたのはこっちの方だよ。そーゆー作戦なら先に言っておいてよね」


 メアリは口を尖らせながらも、沸き上がる興奮を抑えられないようだった。ルーサーの背中におぶさったままで、アンの髪をわしゃわしゃと撫でている。アンはくすぐったそうにしつつも、「えへへ」と頬が緩んでいた。


 だが、勝利の快感に浸るにはまだ早い。

 強盗はその場でバイクを停め、ヘルメット越しにこちらを見上げていた。


「あっちはまだ負けを認めるつもりはないみたいだな……来るぞ、お前ら!」


「喰い荒らせ、ナノボット!」

『——ミュィィィィィイイインッ!』


 強盗が左手を振り下ろすと同時、シロアリの群体が空に向かって飛翔んで来た。

 幾千もの蟲の軍勢が、間欠泉の如き勢いで迫って来る。


「ぴゃ……! もしかしてあの蟲さんたち凄い怒ってるんじゃ!」

「怒ってるとしたらそれはその主人だろうな。……だが、ここで終わらせるぞ」


 奴の従えるナノボットの全てがそこに結集していた。ありとあらゆる物を瞬く間に解体する鉄のあぎと。その脅威は今日だけでも嫌というほどに味わっている。

 だからこそ分かる。あの全てシロアリこそが奴の最大にして、最後の武器だ。

 

 ルーサーは、メアリの頭をぽんと叩いて言った。


「メアリ、お前の出番だ。あの蟲共を全部焼き払ってやれ」

「よし来たっ! メアちゃん、ぶっ放しまーす!」


 メアリは待ってましたとばかりにやる気をみなぎらせ、すかさず詠唱に入った。


峻険しゅんけんなる隼よ。天に頂く雷鳴を呼び覚まし——」


 メアリはルーサーの背中に寄りかかるようにして、正面に両手を突き出す。眼前でバチバチと魔力がスパークをし始める。眩しくてなにも見えやしない。

 だが、奴らの羽音が迫って来る音だけははっきりと聞こえた。……速いっ!


「大地を穿つくッ、ちゃ——あだっ!」


 ルーサーは詠唱の途中で、双子を抱えたまま急転回した。そのすぐ横をシロアリの群体が通り抜ける。予想を上回る勢いと速度だ。連中が「怒っている」と言ったアンの感覚はあながち間違いでもなかったのかもしれない。


「ちょっと、おじさん! こんな激しく動かれたら詠唱する暇ない!」

「メアちゃん、舌噛まないようにね」

「もう遅いよ!」


 メアリは涙を浮かべながら、舌を「べーっ」と出していた。

 こうしている今もシロアリの群体は追って来ていて、ルーサーはいま出せる最大速度と操舵技術を以てやり過ごしているのが現状だ。プラントのジャングルジム的な地形を利用して撒こうにも、シロアリたちは進行ルート上にある物を根こそぎ解体しながら襲い来るために大した足止めにもならない。相手がこちらの詠唱を待ってくれない以上、彼女には酷だが、このまま逃げながらに詠唱する他ないのだ。


「それに、こんな状況で狙って撃つなんて無理だって……ビリビリ弾ならまだしも」

「だったらアン、メアリと場所を代われ。メアリ、お前は前に来い。俺が後ろから支えてやる。それなら多少は狙いもつけやすくなるだろ」

「んー、それなら……」


 シロアリの攻撃を一旦やり過ごし、減速したタイミングで双子たちは場所替えを始める。アンはルーサーの背中に回っておんぶされる格好になり、メアリはルーサーに後ろから抱きかかえられる形で正面に向き直った。双子抱っこ紐状態だ。


「…………おじさん、今……あたしのおっぱ——」


「っ、苦情ならあとで受け付けてやる……! 今は俺たちがシロアリ共に喰われちまう前に奴らを一掃することだけ考えてくれ、いいな?」

「……しゃーない。今だけは許してあげる。でもその代わり、ちゃんとあいつら誘導してよね。まとめて一網打尽にしてやるから」

「ああ、お前はなんも考えずにただ撃つだけでいい。タイミングも角度も全部こっちで調整してやる。だから、フィナーレはド派手に頼むぞ」

「まっかせてよ! びっくりしすぎて腰抜かしちゃわないようにね!」


 こんな状況でも軽口が叩けるとは大したものだ、とルーサーは微笑する。

 ……しかし、一応手の置き場には注意しておこう。


「——じゃあ、行くぞ。十秒後に詠唱開始だ!」


 そう言うなりルーサーは、急降下した。


「——わっ!」

「きゃっ……!」


 十、九、八、七……。

 頭の中ではカウントを始めつつ、背後に迫る羽音は耳で捉える。地面に激突しに行くくらいのつもりで急降下し、墜落直前のところで姿勢を戻して低空を飛行する。


「後ろから追ってきてますっ!」

「分かってる、喋ると舌噛むぞ!」

「あたし今からめっちゃ喋るんだけど!?」

「さっきの威勢はどうした、噛まないように喋れ!」

「噛んだらあとで噛んでやる!」


 そうこう言っているうちに十秒が経過した。ルーサーはそのタイミングで急上昇し、真っ直ぐ夜空を目指した。シロアリの軍勢もまたそれを追って急上昇する。空に逃げ場はない。ここから先はメアリ次第だ。


峻険しゅんけんなる隼よ」


 彼女は祈るように、両の手を胸の前で重ねていた。

 詠唱に応えるように、電気を帯びた魔力が両手を中心に集まっていく。

 

「天に頂く雷鳴を呼び覚まし」


 彼女は目を閉じていた。呪文の一言一言を噛みしめるように、あるいは詠唱の途中で噛まないように、意識をただ一点に集中させていた。

 鼓動の高鳴りに合わせて、彼女はそのうたを口ずさむ。


 その時、足元を振り返ったアンが声を上げた。


「——もうすぐそこまで来ちゃってるっ! メアちゃん、早く!」

「急ぐな、詠唱の時間は俺が守ってやる!」

「……っ、大地を穿つくさびとなれ!」


 あと一節。そこでルーサーは宙で立ち止まった。もうじき雲にも手が届きそうな中空で立ち止まり、真下を見下ろした。


 そこには、

 ——巨大な蠕虫ワームが口を開いて待っていた。

 

 空へと逃げた三人分の餌を追って天に放たれた白銀の機械蟲ナノボット。柱のように直線状に寄り集まったシロアリの群体は、それを巨大な蠕虫ワームの姿に空目してしまうほどに膨大で、強大で、おぞましい様相をしていた。

 この光景を街から眺めたならば、きっと誰もがこう思うことだろう。


 真っ白な蠕虫ワームが天に昇り、空に浮かんだ月をもうとしているのだと。


 そして、


『——ミュッギィィィイイイイ!』


 獲物を呑まんと蠕虫ワームが開いた大口は、ルーサーたちのすぐ足元まで迫っていた。


 あと数秒、あと数センチ。

 目前に迫った死から逃れるためには、その僅かばかりの時間と距離が必要だった。

 それさえあれば必殺は叶う。

 

「……泥棒さん、信じてますから……!」


 耳元でアンがそう囁くのが聞こえた。

 勝利も敗北も共に目前。全ての時が止まったように感じられたこの瞬間、ルーサーはいつか止まってしまった時計の針が、ガチリ、と動き出したのを自覚した。


 ……ああ、これだ。この感覚。俺は今あの時に戻ってきたんだ……。


 そして、ルーサーは勝利のための一節を、今叫んだ。


「——D4D、その場凌ぎの大脱出ファントム・エスケープ!」


「ゲイル・ラ=ボル――!」


 メアリは最期の第一節を呟き、瞼を開いた。

 その次の瞬間——。


 三人の姿は真っ白な蠕虫ワームに呑み込まれ、この世界から消え去った。

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