第2話 泥棒に遭ったら頬をつねる前にすねを蹴れ①

 その家は首都ルドーの郊外に建っていた。

 

 文明開化の煽りを受けて近代化という名の改造を施されたプラント染みた街並みが広がる都市部とは打って変わり、時代に取り残された古臭い家屋が建ち並ぶ旧市街。

 雲の合間から差し込む月明りに照らされた夜の風景が、そこにはあった。

 

 時刻は午後十一時過ぎ。

 ルーサーはとある家の屋根の上から、その風景を眺めていた。


「さて、そろそろお仕事の時間だ」


 そう呟き立ち上がったルーサーは、ポケットから引っ張り出した目出し帽を頭に被せた。頭の天辺から足の先まで黒一色のコーディネート。もしも誰かに見られでもしたら即通報間違いなしの不審者ファッションだ。

 昔はもっと見て呉れにも気を遣ったものだが、ここ数年の仕事着といえばこれだ。 


 まあ、世間の目を惹く怪盗ならいざ知らず、これから空き巣に入ろうというコソ泥にはこの程度が分相応というものだろう。


 ルーサーは影から影へと滑り降りるようにして、するりと地上に降りて行く。

 

 目的の家は二階建ての一軒家。古臭くも品のある石造りの家だ。

 広い庭は手入れが行き届いていて、家庭菜園をやっているらしく花壇には色とりどりの野菜が育っている。四十過ぎの男とその娘が二人住んでいるとのことだったが、この庭は恐らく娘が面倒を見ているのだろう。

 父親の方は家を空けていて、しばらくこの家に帰っていないはずだからだ。


 裏庭に回り、二階を見上げる。

 一時間ほど前まで子供部屋には明かりが灯っていたが、今は消灯している。良い子たちはすっかり夢の中だ。


 感心なことにドアや窓は全てしっかりと施錠されていた。だが、番犬はおろか防犯システムの一つも備えていないとあれば、侵入は容易い。ミルコから聞いた通り、この物件はまさにおあつらえ向きだ。


「引退か、はたまた再起のチャンスとなるか……とかくこれが人生最後の空き巣としたいもんだな」


 ルーサーは窓の一つに手をかざし、ひと月ぶりにその呪文を口にする。

 魔術師を魔術師たらしめる、“魔術”の詠唱だ。


「——T4。鍵よ開けムーブ。」


 呟く言葉はたったそれだけ。指の動きに合わせて施錠がカチャリと外れた。あとは手動で窓を開けて、音を立てないよう室内へと身を滑らせる。


 室内は真っ暗だが、家の間取りは頭の中に入っている。手早く済ませるぞ、と一歩踏み出そうとした矢先、キシッ、と床が鳴る。思わず身を固くして立ち止まるが、上の階の住人が起きた気配はない。……焦るな焦るな。獲物は逃げやしない。


「——T2。暗視ナイトアイ消音サイレンス。あとは……」


 本来の魔術であればもっと複雑で婉曲な詠唱を必要とするが、ルーサーが扱う魔術はそれを必要としない。正確に言えば、長ったらしい詠唱は仕事に差し支えるために最適化した、というべきか。これも怪盗業で培ってきた経験の賜物だ。


 暗闇の中を素早く、迷いなく、音もなく。

 一階のリビングを抜けた先、通路の奥に地下へと続く階段があった。地下室は鍵が掛かっていたが、それもルーサーが一言発するだけで独りでに開いた。

 ここに、目的の物はあるはずだ。


 ここまでは難なく来ることができた。だが、ルーサーは内心焦っていた。なにを焦る必要があるのか、と自分では思いつつも、なにか悪いことが起きるのではないか、という予感が頭の中を駆け巡っていた。


 きっと失敗続きの過去の記憶が原因なのだろう。怪盗からコソ泥へと転落し、その後も付き纏う忌まわしき記憶だ。


 大丈夫、大丈夫だ。この仕事が成功したらそんな悩みともおさらばできる。だから集中しろ。なにせこれは俺が再び怪盗に返り咲くためのラストチャンスなのだから。 

 そう自分に言い聞かせ、ルーサーは地下室を物色し始める。


「さあて、お宝はどこに隠しているのかなあ」


 ルーサーが足を踏み入れた地下室は、まるで研究室のようだった。

 暗いのは仕方ないにしても、あちこちに物が散乱していてすでに強盗でも入ったかのような有様だ。テーブルの上には用途不明の機材がごちゃごちゃと置かれたままになっていて、正面の黒板には訳の分からない数式やら文字がチョークで書き殴られている。分厚い本が幾つも無造作に転がっていて、部屋の中を歩くのにも神経を使う。

 

「ったく、本当にここにあるんだろうな? ——って奴は」


 ルーサーは嘆息すると共に、ミルコから聞かされた話を思い返していた。



 * * *



「——ルーサーさんは、フラメールって名の魔術師のことは知ってる?」


 ミルコの問いに、「いや知らないな」とルーサーは答える。意識はすでに仕事の情報をインプットすることに向いていた。新聞記事に混じって記された物件の情報に目を通しながら、ミルコの声に耳を傾ける。


「そうなの? その界隈では結構名の知れた魔術師だって聞いたんだけど」

「生憎と俺は、金になりそうな奴と近付かない方がいい奴の名前しか覚えられないんだ。ところでそれは、フラメールって名がここに載ってることと関係があるのか?」

「もちろん大ありだよ。なんてったってこれからルーサーさんが盗みに入るのは、このフラメール氏のご自宅なんだから」

「そりゃあ、忘れられない名になりそうだ」


 ♢

 ニコラ・フラメール。四十二歳。

 魔術師の家系に生まれ、本人も類まれなる魔術の才を発揮。十歳の頃には魔術協会にスカウトされ、以後は魔術体系の強化と実用化に向け尽力し、魔術の普及に大きく貢献。しかし、産業革命の影響で魔術は衰退。当時、魔術学校の講師として教鞭を振るっていたフラメールは、魔術学校の廃校に伴い塾講師に転身。その後は塾生相手に魔術を教えていたが、今から三年ほど前、ある日を境に塾を辞め、自宅の工房に引き籠り研究に没頭するようになる。

 

 妻のペルラ・フラメールはすでに他界しており、十四歳になる双子の娘、メアリ・フラメールとアン・フラメールと同居している。

 当のニコラ・フラメールは一ヵ月ほど前から自宅に帰っておらず、パラ=ローグの各地を点々としている模様。そして今から一週間前、パラ=ローグの最西端にある街で目撃されたのを最後に消息を絶っている。

 ♢


「魔術講師、ねえ……。科学隆盛のこの時代、わざわざ魔術を習おうとする奴なんていたのか? その気になれば誰にでも扱える科学とは違って、魔術は生まれつきその素質がある奴にしか扱えないし、地道な努力を続けなくちゃまともに使えもしない。そんな気難しい技術を極めようとする物好き、いるのか?」

「お察しの通り、塾はほとんど閑古鳥が鳴いてるような有様だったみたいだよ」

「そりゃそうだ」


 同情するよ、とルーサーは苦笑いを浮かべる。


「それで二人の娘を育てきれずに一人逃げ出した、って感じか」

「どうかな。彼には塾講師以外に副収入があったようだからね。いやむしろそっちが大きな収入源だったというか。とにかく、お金に困ってというわけではなさそうだ」


 羨ましいことだ、とルーサーは鼻を鳴らす。


「さっきも言ったように、彼自身が優秀な魔術師だったのは間違いない。彼は魔術に関してはあらゆる分野に精通していたと聞くし、その中でも特に“物質の創造”に長けていたらしい。ただのヒトには扱えない魔力の物質化。他の誰にも作れ得ない物質の生成。ボクは魔術師じゃないから詳しくは知らないけど、こういう技術を魔術師たちは“錬金術”って呼ぶんだろう? だから彼は、魔術協会の人たちの間でこう呼ばれていたらしいよ。——『稀代の錬金術師ジ・アルケミスト』ってね」


 まるで自分の偉業を誇るかのようなしたり顔で、ミルコは言う。

 

 それにしても錬金術師か。

 なんとなく今回の仕事の全容が見えたような気がした。


「フラメールがその錬金術で生み出した代物は、魔術師だけでなく各国から色んな買い手がついたみたいだ。火であぶっても溶けない氷。水の中でも呼吸ができるようになるキャンディ。ダイヤをバターのように削り取る紙のナイフと、そんなナイフでも傷一つ付けられないガラス製のトレー。それから、魔力を誰にでも扱えるように加工した魔導炉マギアなどなど。……凄いよね。彼はまさしく、お宝を生み出す奇跡の魔術師だよ」

「……なるほどな。ミルコ、お前がなにを言いたいのかようやく分かったよ」

「流石ルーサーさん。以心伝心だね」


 盗みに必要な情報は頭に叩き込んだ。ルーサーは新聞を折りたたみ、ミルコに向き直る。肝心なのはここからだ。

 

「で、そんな偉大な錬金術師様のお宅に眠ってるお宝ってのは、なんなんだ?」

「これだよ」


 そう言ってミルコは、ベストのポケットから一枚の写真を取り出した。その一枚に写ったお宝こそが今回狙うべき標的。それは——。


「手にした者は『全てを手に入れる』ことができるという史上最高の魔導炉マギア。すなわち、——“賢者の石”さ」

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