ブラック・スワン~黒鳥の要塞~

深山 驚

第1話 ある夜のできごと It Happened One Night

 アラビア湾に護衛船団と共に停泊する旗艦空母リチャード・ローズは、アメリカ中央統合軍の司令塔である。

 現大統領リチャード・ウォーカー・ローズ、通称ローズ三世の祖父で、同じく合衆国大統領を務めた人物にちなみ、USSリチャードHローズと名付けられた。

 全長百五十メートル。ホバー型戦闘機全盛時代を象徴する高速空母で、最高巡航速度は五十ノット(時速九十三キロ)に迫る。


この夜、広々としたラウンジでは、欧米連合軍のパイロットと空母乗員たちがつるんで、陽気な祝勝パーティが続いていた。

 しかし、アキラ・ミヤザキ海軍大尉はパーティを早めに切り上げ、士官用の個室でベッドにあお向けになり、頭の後ろに両手を組んで天井を見つめていた。

 整った怜悧な顔立ちは、一見したところ冷静沈着な戦闘機パイロットにいかにもふさわしい。

 だが、この日本人初のトップガン・パイロットは、かの国特有の控えめな性格と繊細な感受性に加えて、ある種の霊感の持ち主だった。

 憂い顔で眉をしかめてじっと宙を睨みながら物思いに耽っていた。

 今日の「ブラック・イーグル作戦」は、圧倒的な戦果をあげた。味方には負傷者さえ出なかったのである。

 北米連邦軍にとっても歴史的な快挙だったが、アキラにはどうしても腑に落ちない。


「あの作戦が成功するはずはなかったのに・・・」


 ミヤザキ大尉は、作戦に使われた最新鋭に、試験飛行から搭乗してきた数少ないパイロットの一人で、電撃攻撃に使用した最新鋭偵察機と同型の戦闘機を知り尽くしている。

 欧米連合チームの誰もが気づかなかった事実を胸に秘め、勝利に酔いしれる仲間たちを残して、パーティを密かに抜け出したのは、混乱した頭を整理したかったからだ。


 支援部隊として参加した有人戦闘機チームのリーダー、クーガーことビリー・コーテル大尉から作戦の概要を聞き知った時、愕然として危うく叫びかけたが、必死で抑えたのをありありと思い出す。

「いくらブラックスワンが天才でも、あのレーザー砲を手動でかわすのは不可能だ!」

 なぜなら、クーガーはスワン機が自動操縦で妨害電磁波の圏内に突入すると勘違いしていたからである。

 世界最高峰の人工知能プライムの回避プログラムを使って・・・


 クーガーに限ったことではない。

 中央軍司令官で空母の艦長でもあるジャーディアン海軍中将をはじめとする中央軍司令部の上層部も、慌ただしく空母に着艦した政府や諜報機関の高官たちも、全員がそう思いこんでいたはずだ。

 アキラの父親は、量子コンピュータの専門家である。世界最高峰の人工知能プライムの設計にも携わった超一流のエンジニアだ。

 アキラ自身、運命の気まぐれでトップガン訓練生に抜擢されるまではエンジニア志望だった。それ故、ミッションの関係者たちが見落としたプライムのシミュレーションの決定的なミスに気づいていた。


 だが、プライムがそんなミスを犯すはずがないんだ!

 それは確かだ。

 だから腑に落ちない・・・


 考えを巡らせていると、誰かが部屋のドアをノックした。ベッド脇のホログラムで訪問者を確認すると、素早く起き上がってドアを開けた。

 ぽつねんと立っていたのは、アキラと同じ士官用のカーキを身に纏った若い女性だった。


「グース、ちょっといい?」

「スワン、どうしたんだ?君がパーティの主役なのに・・・」

 アキラは言葉をのんだ。

 ビアンカの顔が不意に苦悩に歪み、褐色の目から涙がこぼれ落ちたのである。

 と、突然わっと泣き伏してアキラの肩にすがりついた。

 アキラはひどく驚いたが、無言で彼女を抱きとめて部屋の中に戻った。ドアが自動的にスライドして閉じた。


 日本人特有の繊細な感性に加えて、母親譲りのHSPで感受性が鋭いため、人の心の機微が手に取るように分かる。

 ミッション後、スワンの様子がおかしいと、とっくに気づいていた。

 栗色の髪をシニヨンにまとめた頭を抱き止め、泣きじゃくるに任せているうちに、ビアンカはアキラの肩に顔をうずめ嗚咽をもらしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。


「わ、わたし、民間人を殺してしまった・・・いったい何人殺したの?」

「バンカーバスターを使うなんて知らなかったの・・・許して!」

「しかたがなかったの・・・だって、だってあの諜報員は・・・」

 そこでビアンカは我に返って言葉を呑んで、再び激しく泣き出した。

 落ち着くまで話は出来そうにない。

 アキラはビアンカを抱きとめたまま、気持ちが静まるのをひたすら待った。


 しばらくしてようやく泣き止んだビアンカは、何ごとか決意したように涙に濡れた顔をあげた。

「アキラ・・・」

 アキラはビアンカの瞳をじっと見つめて、無言でうなずいた。

 屈んで両膝にそっと手を廻し、身を任せた彼女を抱き上げベッドまで運んだ。


 この日本人パイロットには、役得という想いは微塵もなかった。

 ビアンカを苦しめている激しい罪悪感を、一時いっときでも和らげてやりたい。その一心だった。

 このままでは、彼女は壊れてしまうかも知れない・・・

 それが何より怖かったのである。


 この夜、気丈で無鉄砲で陽気なビアンカは、別人のように乱れに乱れた。

 泣きじゃくりながら何度もオーガズムに達しては、「許してッ!」「ごめんなさい!」と泣き叫ぶ。

 それは、非業の死を遂げた非戦闘員に許しを求める血を吐くような叫びに聞こえた。


 そして、全身で必死でアキラにしがみついて「サマエル、サマエル!」と声を振り絞った・・・

 その瞬間、ビアンカへの秘めた想いはかなえられない、とアキラははっきり悟った。

 それでも、苦悩を少しでも癒せればと、やるせなく切ない想いを振り払い、ひたすら慰謝を求める彼女に応じたのだった。


 真夜中を過ぎ、泣き叫び疲れて死んだように眠りこんだビアンカを抱きしめ、しばし唇を噛んで自らの心の痛みを堪えているうちに、アキラもいつしか深い眠りに落ちて行った。


 不思議な夢を見る。

 いつも日本語で「姫」と冗談交じりに呼んでいるビアンカが、中世の王国の王女になって姿を現わした。

 王女は白馬にまたがり、弓兵部隊を率いて高台で息をひそめている。

 そこへ、味方の騎馬部隊が一目散に谷あいを抜け、こちらに疾走して来るのが眼下に見えた。

 最後尾につけた大柄な騎士が、兜の隙間から青い目を爛々と輝かせて、逞しい黒馬を疾駆させ味方を叱咤激励している。

 後方から、数で勝る隣国の騎馬部隊が、砂ぼこりを巻き上げながら追いすがるのが目に入った。

 凄まじい蹄鉄の音が響き渡り、舞い上がる土埃が谷間を薄っすらと白く覆った。


「兄上よ!プロスペロ、伏せるよう合図を!もっと引きつける!」

 ビアンカは素早く馬から降り立って木の陰に白馬を隠すと、振り返ってアキラに命じた。

 アキラは谷の反対側の高台で待ち伏せる弓兵たちに、弓を振って合図を送る。弓兵たちは一斉に腹ばいになって、攻撃の時を待った。


 十数秒後、激しく土埃を巻き上げながら、蹄の音を谷に響かせながら味方の騎馬部隊が谷間を一目散に駆け抜ける。


「今よ!牽制攻撃を!」

 ビアンカの声にアキラはすくっと立ち上がりざまに、前方上空に向かって矢を放った。周囲の弓兵たちも一斉にアキラに習う。

 立て続けに十数本を射ちつくすと、素早く新しい矢筒に取り換えた。


 敵の騎馬部隊は待ち伏せに気づき、慌てて速度を落とした。放物線を描いて上空から降り注いで来る矢に、皆が気を取られている。


「攻撃開始!」

 ビアンカが叫んだ。

 アキラは谷の反対側に待機する弓兵に向かって弓を振り上げた。弓兵たちが一斉に立ち上がり、騎馬部隊目がけて立て続けに矢を放つ。

 アキラたちも狙いを定めて攻撃を開始した。


 峡谷の半ばに達していた敵の騎馬部隊は、引き返そうとして背後の味方と交錯する。鎧兜を身に着けているため矢の被害はさほどでもないが、上方と左右から同時に飛んで来る矢に怯え、馬たちがパニックを起こしたのである。

 にわかには馬たちの動きを制御できずに、隊列が乱れて大混乱に陥った。

 それを待っていたように、いったん谷を抜けたオパル公国の騎士団は、一気に反転して疾風のように攻撃に転じた。

 先陣を切るのは黒馬に跨ったあの大柄な戦士だ。見る見るうちに味方を引き離して、猛然と疾駆した。

 大剣を振りかざして、一瞬の躊躇もなく、敵軍の真っただ中へ単身切りこんだ。


 繰り出された槍を大剣で薙ぎ払い、黒馬が敵の馬に体当たりして横につけると、大剣の一撃で騎士は馬上から転がり落ちた。

 凄まじい打撃に兜が裂けて首が半分ちぎれ、埃まみれの地面が噴き出た血で見る間に赤く染まってゆく。

「サウロンだッ!ヤツを仕留めろッ!」

 怒号が猛然と湧き上がって、四方から敵の騎士が迫った。

 サウロンの動きは、しかし、野生の虎のように敏捷で獰猛だった。

 振り向きざま、後方から体当たりしてきた騎士が振るう剣を上体をかがめて避けると、大剣で横に薙ぎ払って馬上から叩き落した。

 馬で容赦なく騎士を踏みにじって方向転換するなり、前方から突き出された槍を巧みにかわして、小脇に挟みこんだ。敵の頭を剣で一閃して兜ごと叩き割る。

 無残なむくろとなって転がり落ちた騎士の馬が後ろ脚で立ち上がっていななくのを尻目に、黒馬は素早く向きを変え、サウロンは易々と包囲網を抜け出した。


 素早く軍馬を反転するや、対峙する騎士団に向き直り、大剣を軽々と振りかざし、凄まじい雄たけびを発した。 

「次に死ぬのはどやつだッ!」

 地鳴りのような咆哮に、敵騎士団はたじろいで後ずさりした。

 兜の狭間からのぞく爛々と青い眼光に射られて、身がすくんだのである。

 重武装の騎士三人をあっさり屠り去るとは、聞きしに勝る狂戦士だッ!・・・


「国王に続け!」

 敵がひるんだところへ、側近のトロセロ将軍が大音声を発して、後続の味方を率いて突入した。

 両軍は激しくぶつかり合い、怒声と剣戟の音が谷間にこだました。


「射ち方止め!敵の援軍が追いつく前に、奴らを国境の外に追い返すッ!行くわよ!」

 ビアンカは白馬に跨るなり、先頭を切って高台の上を国境へ向けて走り出した。

「ニムエ様に続け!」

 ダニエル・プロスペロは、弓兵に向かって叫んだ。谷の反対側の弓兵たちにも弓を振って指示を送った。

 弓兵部隊は背後の森に潜ませていた馬に跨り、一斉に王女の後を追った・・・


 

 アキラはハッと目を覚ました。

 摩訶不思議なほど鮮明な夢だった。顔形ばかりか人名まではっきり覚えている。

 オパルのニムエ王女は、なぜビアンカにそっくりなのか?

 奇妙な偶然にぼんやりとした頭を捻った。

 けれども、前例のない困難なミッションの後、ビアンカと思いがけず一夜を伴にした挙句、打ち砕かれた自らの想いを持て余して、アキラは心身ともに疲れ切っていた。

 もう何も考える気力もない・・・

 ただ、ビアンカの充実した裸身の重みと温もりを感じながら、この瞬間が永遠に続いて欲しいと願う。

 ビアンカはアキラの肩に頭を載せて、しどけなく眠っていた。涙の跡が残る顔を乱れた髪が半ば覆っている。

 時おり何やら寝言をつぶやいては、首に回した手でギュッとアキラにしがみつく。

 うとうとしていたアキラは、ふと耳に入った言葉にビクッと目を見開いた。


「プロスペロ・・・」

 確かにそう聞こえた!まさか、同じ夢を見ているのか!?

 驚いてビアンカを見やったアキラは、信じ難い光景を目にしたのである。


 ビアンカの全身がほの白い光にすっぽり包まれ、暗がりの中で淡く輝いている。

 その光はアキラの身体にも温かく感じられ、得も言われぬやすらぎを覚えた。心のわだかまりが、スーッと静まるようだった。

 この光は、夢でも目の迷いでもない!


 アキラは呆然と目を見張った。

 ビアンカ・スワンは、不世出の天才パイロットというだけでない。想像を絶した謎を秘めていると気づいた瞬間だった。


 その時、昨日の電撃作戦を思い返したアキラは、ふと思ったのである。

 不可能なはずのミッションが成功したのは、運や偶然ではなかったとしたら?

 ビアンカだから成功したのでは?


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