第47話 王家の狩猟小屋 Casino di Caccia

 オパル国王サウロンの軍馬ランポは、勇猛果敢な王に劣らず有名だった。目を爛々らんらんと光らせ騎兵部隊の先陣を切って迫り来る逞しい黒馬と、凄まじい雄叫びを上げ、大剣を軽々と振りかざす馬上の狂戦士サウロンの姿は、敵軍勢にとってはさながら凶悪な悪夢そのもの、目にするだけで身体は凍りつき、魂が萎えるほど恐ろしい存在なのである。


 昨夜からの大雨が上がり太陽が顔を出したものの、初春の肌寒い空気に村人たちが焚火に薪をくべる傍で、デビアス伯爵家の従者たちが暖を取っていた。

 そこへ、いきなり森の中から姿を現わした黒馬が、村の前を走る広い道をぬかるみをものともせず疾風のように駆け抜けて行く。村人たちはあわてて、地面に片膝を着いてこうべを垂れた。サウロン王の愛馬を知らぬ者は国中に一人もいない。二人の従者が泡を食って地面に膝をついた時には、ランポはすでに村を走り抜けて、その先の三叉路さんさろへ向かっていた。


「おい、見たか?あれはランポだったな?だが、乗っていたのは国王様じゃないぞ!」

「ああ、見た!あの白い上っ張りと金髪は、アトレイア公爵じゃないか?なぜ、公爵様がランポに乗っておられるのだ?」

「ここは公爵領じゃないのに、なんだってここを通るんだ、あの臆病者は?」

 従者のひとりは、国防軍に入らずヒーラーの道を選んだ公爵を容赦なくこきおろした。

「バカっ!そういう問題か?ランポに乗れるのはサウロン様だけだぞッ!ニムエ王女でさえ振り落とされて、危うく首を折りかけたんだからな!」 

「違えねえ!近づくのだっておっかねえ暴れ馬だ。なぜ、公爵はあの馬に乗れるんだ?」

「わからん。わからんが国王様が気になる。おい、屋敷に戻るぞ!カルデロン様に報告だ」

「なんだよ~?せっかく息抜きに村に来たってのによ~」

「同じこった。どうせ村の女たちに相手にされずに、すごすご引き上げるのが関の山だろう?おい、ランポがどこへ向かったか確かめるぞ。幸い、雨で蹄の跡が残ってらあ」

「ちぇッ、あの公爵めが、お楽しみを邪魔しやがって!」

 二人の従者は村を離れて三叉路の方へ向かって歩き出した。

 分かれ道でランポの蹄の後は西へと向かっていた。行先の見当がついた従者たちは、意気揚々とデビアス伯爵邸へ戻って行った。


 この日の昼過ぎ、アトレイア公爵は薬草を採りに森に分け入り、そこで意外な知り合いに出会った。王のお気に入りの大柄な軍用馬が鞍を付けたまま、森の小道を小走りにやって来たのである。

 公爵のそばまで来ると立ち止まり、鼻を鳴らして顔をり寄せた。その光景を見ていた者がいたら、腰を抜かすほど驚いたに違いない。この馬は気性が激しく、サウロンしか乗りこなせない。そのサウロンでさえ、この牡馬ぼぼを手なずけるには散々苦労したとこぼしていたぐらいだ。

 だが、子供の頃からなぜか動物たちと相性が良い公爵は、この馬を恐いと感じたことはなかった。


「どうしたんだ、ランポ?サウロンはどこだ?」

 漆黒しっこくのたてがみを撫でながら、ビロードのような感触の顔に頬を寄せて話しかけた。ランポは鼻を鳴らしながら、顔をしきりに上下に動かしている。何かを訴えるように落ち着きがない。周囲を回ってじっくり見たが、馬にも馬具にもこれと言っておかしなところはない。

 しかし、手綱たづなが鞍の前橋に掛かっている。

「手綱を結わえていなかったのか、サウロンは?」

 ふと、国王の身に何か起きたのかもしれない、と公爵は胸騒ぎを感じた。

「わかった。それじゃ、連れて行ってくれ!」

 ランポに乗るのは初めてで、手綱をつかんで鞍に跳び乗った、と言いたいところだが、馬も大柄な上に王も大男だからあぶみの位置が高過ぎた。少しでももたつけば振り落とされてもおかしくない。馬は乗り手の技量を敏感に感じ取るし、この馬は特にプライドが高いのだ。

 しかし、ランポは公爵が鞍に這い上がるまで大人しく待ち、いそいそと向きを変え小道を疾走し始めた。素晴らしく安定した力強い走りで森の小道を一目散に駆け抜け、デビアス伯爵家の領地に入って近くの村に通じる広い道に出た。村の前を通り過ぎると、村人たちは一斉に頭を垂れた。

 ランポとばったり出会う前に、鞍だけの姿でこの村を通ったならちょっとした騒ぎになったはずだ。だが村人たちの様子にはそんな気配は微塵みじんもない。


「すると、ランポは森を抜けてまっすぐ屋敷に向かって来たのか?偶然出会ったのではなく、僕を迎えに来たか?」

 公爵は頭をひねった。国王は度々たびたび公爵の屋敷を訪ねているから、ランポも場所を知っている・・・

 公爵の胸騒ぎは、不吉な予感に変わった。

 この黒馬は熾烈な戦闘を共に潜り抜けてきた王とは、切っても切れない絆で結ばれていた。後々、思い返して見れば、王の異変に最初に気づいたのは、他でもない彼の愛馬だったのかも知れない・・・


 ランポは村外れの三叉路を西へと向かった。この道は王家の狩猟小屋へ続いている。オパル国境の東西南北にある砦と検問所の近くに、それぞれ建てられた狩猟小屋の一つである。

 小屋に着くと、公爵は手綱を止まり木に巻き結びして、落ち着かない様子のランポを撫でてやった。正面の扉に近づいた時、中から争っているような音と、くぐもった悲鳴が聞こえた。

 この数年、付近の村落から年頃の娘たちが何人も失踪している。奴隷商人の仕業が取沙汰されていたが、娘たちの消息はようとして知れず、犯人の目星もついていなかった。


 ランポがいる以上、国王が来ているのは間違いないのだが、小屋の外には警護の衛兵も従者の姿も見えない。不審に思った公爵は、忍び足で小屋に歩み寄った。採取した薬草を入れた麻袋を小屋の壁際に置き、肩に掛けていた鞄も袋の脇に置いた。鞄には薬草のサンプルが詰まっていた。

 扉をそっと押してみるとかんぬきはかかっていなかった。中を窺うと、寝台の上で男が女の口を押さえてのしかかっているのが目に入った。


「何をやってるんだッ!」

と、声をかけると、男はあわてる素振りもなく、悠然と振り向いた。公爵は驚いて立ちつくした。


 男はサウロンだった!


 相手がアトレイア公爵と分かるとサウロンはニンマリ笑った。目が異様にぎらつ いている。女は背中を向けてぐったりと横たわったまま動かない。

 その時、公爵は一連の失踪事件の犯人はサウロンに違いないと直観したのだった。

「何てことだ!でも、そんなことがあるはずがない!」

 小屋の入り口で立ちすくんだまま、アトレイア公爵は自分に言い聞かせていた。



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