第45話 アキラ Akira

 同じ頃、エリア21の森林公園の脇に建つ木造家屋で、アロンダがおぼろ月を眺めながら物思いに耽っていた。


 ベイスギの香りが漂う二階建ての家は、カヤ・コープの所有物件で事務所として登記されている。シティの住民登録も出入記録もなく、市民IDさえ持たないアロンダは、シティでおそらく唯一の違法滞在者である。住民登録や出入記録の必要な住居用家屋や商業用宿泊施設に住む訳にはいかなかった。


 街中に配備された監視カメラと言い、シティ政府の徹底した管理主義にはほとほとうんざりしていた。けれども、今はそんなことより、ミレニアム計画の大詰めを迎えて頭が一杯だ。


「匠は無事に覚醒できるの?」


 しかも、悩ましい問題が重なった。三日間ひたすら待ち続けるのは、活動的なアロンダには耐え難い苦痛だったはずだ。ところが、メンターから意外な指示を受け、複雑な思いに囚われたアロンダは、珍しくとりとめもなく考え込んで時間が経つのも忘れていた。

 

 「あの子、いったい何を考えてるの!?」

 

 いつに増して、メンターの意図を計りかねていたのである。


 軽やかなチャイムの音色に、物思いから醒めたアロンダは窓際を離れて玄関に向かった。シーダ・ハウスには来訪者モニターがない。そればかりか事務所とは名ばかりで、およそデジタル機器らしいデバイスも見当たらない。

 人工機器を排除したアナログな空間は、新人類の能力を引き出す瞑想訓練に適しているらしいのだが、アロンダには判然としない。


 ドアを開けたアロンダは、地味なビジネス・スーツ姿の男を招き入れた。二十代半ばと思しい日本人男性で、アロンダより五センチほど背が高い。戦闘機パイロットとしては上限に近い身長だった。

 アロンダは華やいだ笑顔を浮かべ、柄にもなくはにかんで顔を赤らめた。


「来てくれたのね!」


「ニムエ様、お招きにより参上しました。あッ、違った!アロンダだったね、今は?」


 男性は流暢な英語を返した。優し気な黒い瞳は再会の喜びに輝いている。


「また、冗談ばっかり!」


 アロンダは男の首に両手を回して抱きついて耳元でささやいた。男もアロンダの腰に手を回してしっかり抱きしめた。


「会いたかったよ!でも、いいのかい?最愛の人と再会するために、大芝居を打ってここに来たのに?」


「あなたこそいいの、アキラ?わたしはいずれ別の人と結婚するのに」


「君こそ大丈夫かい?実は、僕もいずれこのシティで運命の人と巡り会う、と母に言われたんだ。誰なのか分からないけれど・・・」


「そうなの?・・・不思議ね。それじゃ、あなたもわたしも今生は別の人と運命を共にするのね・・・」


 アキラが休暇を取って日本に帰省すると知って、シティへ呼んだのはアロンダの本意ではなかった。厳しい監視体制を敷くシティに、自分の過去を知る人物を招きたくなかったが、メンターの指示とあっては逆らえなかった。


「あの子、今回は何を企んでいるのかしら?アキラに頼みたいことがあると言ってたけど・・・肝心の匠が覚醒する夜に、よりによってアキラを呼ぶなんて!」

 

 アロンダはいぶかしく思うと同時に、なぜか波風を立てるメンターに腹立たしい気持ちを抱いた。第三世代として目覚めて以来、感情のコントロールが効かないのである。能力が上がった代償なのか、第二世代だった頃の穏やかな自分を取り戻せないのが悩みの種だった。


「そもそも、ミレニアム計画の中枢に、人類のアキラがなぜ入って来きたの?それにアキラの運命の人って誰なの?」


 不思議なことに、今のアキラは嫉妬も独占欲の欠片かけらもない第二世代そのもので、メンターでさえこの日本人トップガン・パイロットの正体を計りかねている。


「母は時々突拍子もない占いをするんだよ。前に話したよね、僕が将来ネイビーアビエーターになるって言い当てたって?」


 アロンダの苛立ちを知ってか知らずか、アキラは穏やかに話を続けた。


「ええ、よく覚えてるわ。ブラックイーグル作戦の翌日だったから」*

 

 メンターがアキラをシティに呼んだのは、アキラとあの機動歩兵の二人にまつわる謎を探るために違いない、とアロンダは推測していた。

 信じ難いことに、人類のアキラに正体を明かしても構わない、とメンターに告げられたのだが、アロンダは未だに自分が新人類と打ち明けられずにいた。しかし、匠が覚醒したらアキラとの関係はどうなるのだろう、と不安になる一方で、流れに任せれば時間が解決してくれる、という確信めいた予感も抱いていたのである。


「そうだった。あのミッションの後だったね。ところで、君が消えて周りは予想通り大騒ぎだ。君に聞いていたから僕は平気だけどね」


「みんなを悲しませてしまって・・・ごめんなさい」


 アロンダは表情を曇らせて唇を噛みしめる。


「ところがだ。君が生きていると信じる連中が大勢いるんだよ!陰謀論者のせいでね」


 アキラの瞳は限りなく明るい。あのミッションの翌朝から、アキラ自身も驚くほど心境が変わってしまっている。

 アロンダは目を見張って言った。


「あなたね!?あきれた~!生存説を振りまいてるんでしょう?」


「うん、おかげでジャーディアン司令官とミッチェル中佐から、陰謀論者ってレッテルを貼られてる。軍人たるもの現実を直視するべきだ、って説教を食らった。データが揃ってるから、上層部は生存説はバカげた噂と疑いもしてない。でも、いったいどうやって軍用IDのGPSと生体反応を誤魔化したんだい?」


 アキラは白い歯を見せて朗らかに笑った。アロンダはその笑顔に引きこまれるようにアキラの首に手を回した。


「その話は後でね。アキラ・・・今夜はふたりきりよ。わたしとあなただけ。あの夜とは違う・・・」


 二人はそっと唇を合わせて、熱く甘く限りなく優しい口づけをかわした。ややあってアキラがささやく。


「これって、テクニカルには不倫じゃないよね?君はまだアトレイア公爵に再会していないし・・・」


「バカっ!」


 ふくれっ面をしたアロンダが片手で胸を小突くと、アキラは真面目腐った顔で冗談を飛ばす。


「僕はアキラじゃない、ダニエルだよ!君はアロンダ、ニムエ、それとも・・・」


 アロンダの唇がアキラの唇を塞いだから、後は言葉にならなかった。


 アキラはアロンダの秘密を問い詰めようともせず、悩みを察してひたすら温かく見守ってくれるから、この上もなく心強い支えになっていた。


「ふたりともわたしにはかけがえのない存在だわ。ふたりの男を愛したからってちっとも変ではないけれど、これじゃ、まるでメロドラマね。最愛の人と最後の夜を過ごして、別の人と結ばれるなんて」


「それも、よりによって、匠がわたしと結ばれた過去生を追体験している夜に・・・」


 アロンダが珍しく考え込むのも無理からぬことだった。


千年もの長きに渡る人間模様を重ね合わせ、運命の夜は深々しんしんと更けてゆく



* 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」

 

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