2章
第16話 突然の訪れ
大陸の西に位置するヴェスト王国は長い歴史の中で小国から大国へと成り上がった国である。特に戦争に強かったわけではない。国力も相応のものしか持たず、歴代の王には驚くほど野心のない者ばかり。
優れた王程自国の治世に注力した。ただそれだけである。
ヴェスト王国が何かした訳ではない。
周辺の国々が勝手に自滅し、仕方なくヴェストが取り込んだ結果にすぎないのだ。その事実を知る者は意外と少ない。
ヴェスト王国は黒の森と呼ばれる瘴気を発する不吉な森を擁している。
そこには時折旅の巫女が訪れる。
黒い艶やかな髪と黒の瞳が印象的な美しい娘だ。
巫女は数年おきに訪れる。
見せる姿は常に変わる事がない。
老いもせず、代を変わる事もない。
ただ変わらぬ姿形の巫女が荒ぶる地を鎮めて去って行くのだ。
代々の王がした事は有事以外は黒の森には最低限しか手を出さず、巫女の行動は一切制限せず、数年に一度訪れる巫女を歓迎し手厚く
ただそれだけである。
それがヴェスト王国と自滅していった国との違いだ。
現在では巫女は黒の森を鎮めた後に王城で国の安寧を願って地鎮の儀を執り行うのが慣例となった。
それは何代か前の王がダメもとで巫女に請願した結果である。
その地鎮の儀も半年前に終え、旅立った巫女が再び訪れるのはやはり数年先の事だと誰もが思っていた。
その数年先に訪れる筈の巫女様がヴェスト王国の城門前に痩せた少年を連れてやってきた時には門番も驚きを隠せなかった。そして巫女様は開口一番にこう言ったのだ。
「ゴウキに会いたい。あとついでに国王にもだ。頼む」
「えっと、ゴウキ様にですか?」
「そうだ。あとついでに国王」
門番は突然訪れた巫女様に面食らったと同時になんとも言えない顔になった。
ついでにしてはいけない存在をついでにしてしまっている。
巫女様の言葉は絶対である。それは国王に厳命されているから言われた通りにしなければならないのは門番とて重々理解している。しかし、通常は先に王に目通りを願うものではないだろうか。
(これ、上に伝えて俺が怒られないかな)
ふと、門番の胸中に不安がよぎる。かと言って、先に国王の元へ通して巫女様の不興を買うのはいただけない。それが原因で以前、国王直々に呼び出しを受けて、厳しい叱責と減給処分を受けた者がいたという話も聞く。
結局その男は王城に居づらくなり、門番の職を辞したとかいう噂もまことしやかに囁かれているが、真偽のほどは定かではない。
結局門番は巫女様の言葉をそのまま上に伝える事にした。
上に叱責は受けるだろうが、国王からの直の呼び出しを受けるよりかは余程ましである。
§
「ゴウキ殿!」
「うん?」
ゴウキは声のした方を振り返った。
見れば人間の文官が慌てた様子でこちらに足早にやって来る。
立ち止まると文官が僅かに肩を上下させ、こちらを見上げて来る。
人間の男としては標準程度の高さであるが、
「わざわざこんな所まで、どうかなさいましたか? 文官殿」
こんな所、というのは兵士の訓練場である。そこで訓練を受けているのは亜人と呼ばれる人間とは違った特徴を持った者ばかりだ。
同じ国に住む民と言えど、人間の亜人に対する偏見の目は強い。
そうでない者もいるが人間の数からいえばごく少数だ。
特に滅多に接点のない文官などにすればここは決して進んで足を踏み入れたい場所ではないだろう。
文官は自身の二回り以上の体躯の男を見上げた。
その目は赤く、瞳孔は縦長に伸びている。その黒髪から覗く天に向かって伸びる赤く鋭い角に息を呑む。
文官の男は震える身体を叱咤して、ゴウキを呼びに来た用件を伝えた。
「み、巫女様がお越しです。ゴウキ殿を指名しておられます」
「巫女様が?」
ゴウキは首を傾げた。
世界を巡る巫女様がこの地で地鎮の儀を終えて去ったのはわずか半年前だ。
「巫女様とは、あの巫女様で?」
「どの巫女様かは存じかねますが、ここで巫女様と言えばただお一人。半年前に地鎮の儀を執り行われた巫女様です」
「なんでまた突然?」
「私には分かりかねますが、子供を一人連れておりました」
「ふむ……、まあ、お会いしてみんことにはという事ですな」
「そういう事です。ああ、そのままで良いとの事です。巫女様をお待たせするわけにはまいりません」
「承知しました」
ゴウキはひとつ頷くと、副官に「ちょっと行ってくる」と声をかけ文官の後をついて行った。
§
文官に案内され通された部屋には二人いた。
艶のある真っすぐな黒髪の若く美しくも愛らしい、旅の巫女装束を纏った『巫女様』と癖のある黒髪の、前髪で顔を隠したようなみすぼらしい小柄な少年だった。
巫女様はこちらに気づくと穏やかな笑みを浮かべ立ち上がった。隣の少年も一緒に立ち上がるが、口を引き結んだままじっとこちらを窺っている。
そのアンバランスな取り合わせにゴウキはさらに首を傾げた。
「巫女様、お呼びにより参上致しました」
ゴウキは大きな体を屈め、巫女様より角が下にあるように頭を下げた。
「ゴウキ、急に呼び立ててしまって済まぬな」
「いえいえ、巫女様のお呼びとあらば、どんな事態にあっても駆けつけましょうぞ」
ゴウキは頭を上げて巫女様に向けて笑いかけた。
「して、ご用件とは」
「この子供の事だ」
巫女様が隣の子供の頭に手を伸ばし、白い指が癖のある髪を梳くように撫でる。
ゴウキはその行動に違和感を感じた。
巫女様の態度は常に平等だ。ゴウキのような亜人に対してもこの国の王に対しても立場の差こそあれ、態度は変わらない。
子供には甘さを見せる巫女様であるし、請われて触れる事はあっても自身から他人に触れるといった行為は無かったように思う。
少年はと言えば、特に嫌がる素振りも見せず、それを受け入れている。
その少年を見て、ゴウキはおや?と思った。
「巫女様、その子供はひょっとして……」
「お前と同じ、
そう言って子供の額に手を差し込み、前髪をかき上げた巫女様の手にゴウキは内心動揺した。
笑顔の頬が僅かに動いたかもしれない。
前髪をかき上げられた少年の額には赤く色づいた小さな二本の角、その瞳の赤は深く、わかり辛いが確かに瞳孔は縦長に伸びている。
巫女様の手は確かに少年の角に触れた筈なのに少年に嫌がる素振りはかけらもない。
それを知識として知らずとも本能がそれを理解している。
どれだけ人間の血が濃く、鬼の血に勝ろうとも角を持つ以上、その本能に抗う事はできない。
角に意志を持って他者が触れる事は鬼種にとっては敵対行動と同等だ。
触れる気はなくとも触れてしまった場合は別だが、それでも不快である事に変わりはない。
産みの親相手でもそうなのだ。例外はない。
ゴウキが今まで見たどの鬼種とも全く違う反応に純粋な疑問が浮かんだ。
目の前の子供はどう見ても鬼種である。角に触れられても嫌がらない鬼の子などこれまで一度も会った事がない。
「どれ、小僧、ちぃと儂によく見せてくれ」
少年の前に身を屈め、鬼種にしては随分小柄で痩せた少年の額にゆっくり手を伸ばそうとした。
パンッ
勢いよくその手を叩き落とされた。
「気安く触んなオッサン」
鬼の子らしいギラギラと敵意と怒気に満ちたその目にゴウキはようやく安心した。
「すまんな小僧、ところで巫女様」
ゴウキは笑顔のまま巫女様を見上げれば、黒い静かな瞳が返ってくる。
「何か?」
「今、この小僧の角に触れましたかな?」
「…………触れたな」
小さな
ゴウキの頬の筋肉がぴくりと動いた。
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