第34話

 熱の所為で意識が朦朧としていたらしい。

 気が付いたら電車に乗っていた。

 時刻は昼前。

 俺がこんな状態じゃ観光なんて出来ないし、早めに帰ることになった……らしい。

 ハッキリとそう言えないのは昨日寝てから――と言っても熱にうなされて――あんまり良く眠れなかったけど今日電車に乗るまでの記憶があやふやだからだ。

 今は薬が効いているのか自分の状況を普通に考えられる程度には回復している。

 車内にアナウンスが流れ、電車が動き出す。

 流れてゆく景色をぼんやりと見つめながら、俺は今回の旅行を振り返った。



 最後の最後でこんなことになってしまったけど、まあそれなりに楽しかったと思う。

 今だからそう思えるんだろうけどね。

 実際は緊張しっぱなしだったしな……主にアリサさんの所為で。

 春から一緒に暮らしてるのに今回初めてアリサさんのメイド服以外の私服を見た。

 それだけでもかなりドキドキなのに『樹君』なんて呼ばれて、さらにアリサさんとは思えないフレンドリーさで会話して……手なんか繋いじゃったりもした。

 ……思い出すだけで恥ずかしい。

 恥ずかしかったけど、それだけじゃない気もする。

 ……それが何なのかはわからないけど。

 他にも恥ずかしいイベント盛り沢山だったな。

 『あ~ん』だったり間接キスだったり……その他色々。

 何て言うか傍から見れば恋人にしか見えない行動だったと思う。

 アリサさんが彼女とか、つり合わないって……勿論俺がアリサさんにね。

 そう考えると恋人っていうより仲の良い姉弟に見られてた可能性も高いな。

 それから、ナンパな人たちにも遭遇した。

 アリサさんを助けようとしたら殴られて気絶。

 結局そいつらを追い払ったのはアリサさんだった。しかもその後数時間、アリサさんの膝の上で眠った。

 これも相当恥ずかしかった。


 この旅行中のアリサさんは半端じゃなく可愛かった。

 いつも美人だけど可愛いという感じではないので驚いた。

 話し方から仕草までいつもとはまるで違っていた。

 いつものアリサさんだったならあんな連中に絡まれたりしないはずだ。

 なんというか……美人でキリッとしてて、ナンパしていい雰囲気じゃないからだ。

 されたとしても普段のアリサさんなら完璧な対応をしていたはずだ。

 それほど今回のアリサさんは違っていた。

 仕事とプライベートの差……とも違う。

 演技だっただろうし。

 演技……だよな?

 俺はメイドの仕事をしてるアリサさんしか知らない。

 もしかしたら俺には見せないだけで、本当のアリサさんは今回のような人物なのかもしれない……と考えてみたけど、それは有り得ない気がする。

 でも……今回のアリサさんのキャラが何割かぐらいは本当だったらいいなぁと思う。

 まあ、例えそうだったとしてもそんな面を俺に見せる事なんてないんだろうけど……とここまでで考えるのをやめた。

 四月から一年の四分の三近く一緒に暮らしてるのにアリサさんのプライベートとか全然知らないことに気付いてなんだか嫌な気分になった。悲しいような寂しいような……なんでそんな気持ちになるのか理解できないけど……。

 そう言えば、出会った頃……まだ俺がアリサさんを追い出そうと思ってた頃に一度だけ女の子らしい悲鳴を上げた事もあったっけ、と思い出す。

 いつか仕事でも演技でもない素のアリサさんを見てみたいものだ。

 そんなことは置いておいて旅行の事だ。

 気絶して起きて旅館に帰って風邪を引いて……今に至る。

 終わり方は最悪。終わりよければ全て良しって言うけど、じゃあ終わりが悪かったら全部悪かった事になるのかと言えばそれは違うと思う。少なくとも俺は今回の旅行、来てよかったと心から思うことが出来ている。

 なんとなく……そう思う。

 

 暫く考え事をしていると喉が渇いているのに気が付いた。

 風邪で熱があるときはこまめに水分を摂ったほうがいい。

 車内販売が来る気配は今のところない。身体はだるいけど買いに行こうと思って俺の隣、通路側に座っているアリサさんに声をかける。

「あの、アリサさ――」

 途中でやめた。

 何故なら、隣に座るアリサさんは、すぅすぅと寝息をたて寝むっていたからだ。

 もしかしたら……一晩中看病をしていてくれたのかもしれない。でなきゃ、あのアリサさんがこんなに無防備な姿を見せるはずがない。

 起こすのも悪いし動けない。

 車内販売が来るのを待つか……。



「……て…………起き……」

 体が揺すられている。

「…………んあ?」

 目を開ける。

 横を見ると、俺の肩に手を置いているアリサさん。

 どうやら俺は車内販売を待つうちに眠ってしまっていたらしい。

 もうすぐ目的地に着くとアナウンスが流れていることから、随分と長い時間寝てしまっていたようだ。

 寝たせいか、はたまた薬が切れてしまったのか、ぼーっとする頭を振って意識をハッキリさせる。が、どうにも良くならない。

 なんか悪化したかも……。

 段々と速度を落とす電車。

 アリサさんは立ち上がって荷物を棚から下ろす。

 俺も立ち上がる。

 アリサさんが自分と俺の荷物まで持って歩き出す。

 俺も後に続く。

 悪いと思ったが、このまま好意に甘えさせてもらおう。駅から出たらタクシーでも捕まえればいいし。

「あの、アリサさん。俺このまま病院行くんで先荷物持って帰ってもらってていいですか?」

 改札を出たところでそう切り出す。

「……なら一緒に」

 振り返るアリサさん。

「いや、いいよ。病院なんかついてきてもつまらないだろうし」

 さすがにそこまで付き合うことはないと断る。

 アリサさんは分かったと頷いて荷物から何かを取り出した。

「じゃあ先に帰るから、これ保険証」

 差し出されたのは保険証。

 俺はそれを受け取る。

 

 タクシー乗り場でアリサさんと別れて病院へ向かった。

 一時間ほど待たされて診察。

 薬を貰ってタクシーで帰った。

「…………ただいま」

 玄関で靴を脱ぐ。

 アリサさんが穿いていたブーツは見当たらなかった。今までも見たことがなかった物なので部屋にでも置いてあるのだろう。仕事以外の面を見せないことは徹底していた。

「おかえりなさいませ、樹様」

 出迎えてくれたのはいつも通りの……本当にいつも通りの無表情なメイドさんだった。

 ひどく落ち着くと同時になんだか残念に思ってる自分がいた。

「食事はお部屋にお持ちしますのでごゆっくりお休みください」

 俺のコートを受け取って言う。

「うん、ありがと」

 キャラのこととか色々言いたいこともあったけど、今はアリサさんに言われるまま部屋に行くことにした。

 

「はい、あーん」

 部屋に食事を持ってきてくれたアリサさんが無表情のうえ抑揚のない声で言った。

 勿論手には差し出された箸、それの先にはアリサさんの作った料理。

「あの……アリサさん?」

「あーん」

 ずずいっと箸を近づけてくる。

「…………あ~ん」

「………………」

 俺が口を開けてそれを受け入れた瞬間、アリサさんがニヤッと口の端を少しだけ吊り上げた気がした。

 もしかしたら……旅行中の俺の反応が面白かったのかもしれない。

 いつもの毒舌に加えてこういった感じの攻撃もこれからは追加されるのかも、とそう思った。

 そしてそれは高確率でそうなるんだろうなぁという確信めいたものまで感じたのだった。

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