第38話

朝日が顔を出す頃、コルと少年はようやく本日のノルマを終えた。

冬の朝はこんなに寒いと言うのに、額から汗が止まらない。

早く体の汗を拭かないと風邪をひくな、とコルは思った。


「ふー…ようやく終わったな!ご苦労さん!!」


「………っ…」


「久しぶりの労働は体にきたろ?」


何年も続けているというのに、体は全く慣れてくれない。

鉛のような足。

痺れる腕。

生きている感覚を噛み締めながら、コルは空を見上げて白い息を吐いた。


「飯でも食ってくか?」


「……いら…ない」


「だと思ったよ。気が向いたら、こいよ。あいつの家より少しはマシなもんご馳走すっから」


「………あいつ…」


コルが話す『あいつ』は決まってリブのことだ。

少年と馬が合わないのは知っているが、お互いを分かりあえばきっと仲良くなれると信じている。


「なんであんたは…あいつと一緒にいるの?…あいつ…性格良くないし…嫌いだ」


「言葉に悪意を感じるよなー。わかる、わかる」


「…嫌にならないの?」


「ちょっと前に会ったお前と違ってもう何年も一緒にいるからよ。慣れた」


「慣れ……あんたは…さ、それでいいの?」


「それでってのは?」


「きつい言葉で責められて、ヘラヘラして謝って…」


「ははっ。言えてらー」


幼馴染のリブから発せられる棘のある言葉。

普通の人間なら嫌悪するところだろう。

しかし、コルは彼女の言葉を笑って受け流す。


「俺だって傷つくときはあるぜ。こんな性格だからさ、何言っても傷つかねーだろ、って思われてるだろうよ。ギルドのおっさん連中から陰で『農家の息子が何のようだ』って笑われてることも知ってるさ。でもよ、そう言ってくる奴って、図星しか言ってこねーし、ありのままをそのまま訴えてくるわけだよ」


「辛く…ないの?」


「いんや、逆にありがてーって思うことにしてる。限られた時間の中で、そいつが俺に10分使ってくれた。俺に対する本音をぶつけてくれた。隠さないで、素の感情を表に出してくれた。それって普通できんくない?」


少年の嘲笑が聞こえてきた。

自分の考えは理解し難いものかもしれない。

しかし、コルにとって聞いてもらえることが嬉しかった。

こんな話は誰にも話したことがなかったからだ。


「………あんたは、それが素なの?」


「裏を読もうとすんなって。面接官かよ。裏のない人間も、世の中にはいるんだよ。俺は例えるなら…そう、リンゴ」


「りんご…」


「ちょうど旬の食べ頃になってきた。朝飯を食わんのだったら、これくらい持ってけよ」


コルはそう言って肥料の先にある農園に少年を連れて行く。

ここは父が手がける農園だ。

あんな見た目だが、意外と繊細な考えもできる男で、今では宝石のような果実が育つようになった。

コルは父の農園から一個だけ真っ赤に育ったリンゴをもぐ。

朝の霧で表面は水々しく輝いていた。


「やるよ。安いけど、今日の手伝ってくれたお駄賃な」


「………」


少年は大きなリンゴをじっと見つめていた。


「リンゴはさ、生で食ってもうまいだろ?健康にもいい。育てるのは、ちと繊細で難しい部分もあるけどよ。立派に育てば、毎年うまい実がなる。スパイスを加えたって、不味いもんにはならねーよ。最初っから最後まで、真正面のうまさがある。お前はそれを信じてくれればいい」


「………例えがうまくないよ…だって、ハズレのりんごにはよく当たるし、時間が経てばボケて不味くなる。真正面の美味しさなんて…存在しない。中から虫が出てきたら?市場で売られているリンゴは全部美味しい?裏を返せば腐っているかもしれない。そんな不確かな存在に信用を置けないよ」


「そしたら、お前がうまいと思う部分だけ食えばいいさ。全部がうまいなら、それで良し。まずい部分は捨てればいい。俺はなんでも食えるから、酸いも甘いもどんどこい」


「規格外じゃん」


「けど…全員が全員俺じゃねーからよ。食える部分だけ食う人間もいる。だから、お前みたいな人間がいてもいいんじゃないかって俺は思う。まあ、いつか気が向いたらでいいから、不味かった部分も食ってみ?もしかしたら、うまいって感じるかもしれねーからよ」


「やだよ。その頃には腐ってる」


「例えだよ、例え!」


「……知ってる……」


少年は微かに笑っていた…気がする。

少年なりのいじりだったのだろうか。

コルは少しだけ首を傾げた。


「…僕、そろそろ行かなくちゃ」


「いいじゃねーか。もう少しいたってよ」


「……この時間には…帰ってこないと怒られるんだ…」


コルは「誰に?」と聞き返そうとしたが、タイミング悪く母親に呼ばれる。

朝飯の時間らしい。

すぐ行くと母に返事をし、振り返った瞬間には少年は畑から消えていた。


「あーあ…」


コルはタオルを首に巻き直し、片付けを始めた。

それからコルは汚れた服を一度脱いで、顔を洗い、朝食を食べ、一息休んだ。

朝食の際に両親からあの少年のことを何かと聞かれたが、コルも分かっていることが少ない。

どこで出会ったのか、何歳なのか、名前は何なのか…

答えられることがなさすぎて、コルが困っていたところに、


「コールー!どこ行ってたのよ。手伝って欲しいことがあるって言ったじゃん!」


ドンドンとドアを叩きながら、リブがコルの家にやってきた。


「あれ?今日だっけ?ごめんごめん、忘れてた!」


「あらーリブちゃん。いらっしゃい。上がって、上がって。ちょうどご飯にしてたのよ。リブちゃんは食べた?」


「はい。一応…」


「若いんだから、もっと食え、食え」


コルの両親はリブのことを大変気に入っている。

少年のことなんてすぐに忘れて、リブの話題でもちっきりだ。

リブもなんだかんだと促されて、二度目の朝食を食べ始めた。

少し苦しそうにする彼女の顔にコルは笑いを堪えきれずにいた。


「笑わないでよ。好意は無碍にできないんだし」


「悪い、悪い…」


「もー…あんた、そうやってヘラヘラしながら謝る癖やめなさいよ。まじで反省してなさそうに見えるから」


「まじでー?」


パンの間にチーズを挟みながら、リブはコルのことを肘でつっついた。


「じゃあ、忘れないでよ。今日は無理だったけど、明日、必ず手伝ってよね!」


「了解しましたー」


「なんか…機嫌良いわね。何かあった?」


朝食を終えたリブはコルの調子が少し違うことに気づく。


「顔に出てた?」


「幼なじみだし、それぐらい分かるわよ。傷ついてるのに、傷ついてないフリするとか」


「ははっ」


「マジでどうしたの?頭打った?」


「いや、別に。美味いものばっか食ってたいなって思っただけ」


「なにそれ?まさか…あんた、私に隠れて高級レストランでも入ったの?!だから、私との約束も忘れたんでしょ!!」


リブは首根っこを掴み、コルの体を揺らす。


「違うって!違うって!!」


思いっきり否定した後、コルは今日の出来事を話し始める。


「いや…実はさ、今日は…」


少年との出会い。

少年との会話…

なぜコルの仕事に興味を持ったかは最後まで分からなかったが、朝から少しだけ楽しかった。


ー…


さっきまで朝だったと言うのに、少年が横になる場所は真夜中のように暗かった。

頭上には星々が煌々と光る。


「水、をあげる。あと、肥料…」


少年は言われた通り、根っこに水をあげ、少しだけ肥料を足した。


「…どう…?」


全て燃え果てたと思っていたマンドラゴラ。

しかし、燃え尽きたと思っていた枯葉の中から、もう一度、少年の目の前に以前と同じ見た目の愛らしい彼女が姿を現したのだ。

毒素が抜けたように真っ白な彼女。

少年は彼女との再会を喜んだ。


「…ぷ…」


しかし、かなりのエネルギーを消耗していたマンドラゴラは枯れ果てる寸前で、葉っぱの端っこの方から枯れ始めていた。

どうにかしないとまた彼女が死んでしまう。

そう思った少年は治し方を調べようと歩き回っていた時だった。

偶然、コルに出会い、植物を元気にする方法を教えてもらう。


「きゃ…きゃぷ」


「美味しい?良かった…元気になってね。あと、人は襲っちゃいけないよ。君が傷つかないために、君を守るために…。約束だよ」


「きゃぷ」


マンドラゴラは優しく微笑んだ。

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