第7話 あの日の俺は

この人は本当に何を言っているんだ。

投げられた言葉の意味の真意がわからない。

にこやかな笑顔もなんだか不気味だ。

これ以上、この場に留まるのは嫌な予感がする。適当にあしらって立ち去ったほうがいいだろう。

しかし、俺が行動を起こす前にその思いは打ち消されることになる。

「え?え?え?それってスカウトって事ですよね!?嘘!?本当に!?マジでそういう事あるんだ!!本当に!?」

急激にテンションが上がった彼女の目はギラギラと輝いている。

これは、面倒な事になりそうだ。

「っていうか怜吾ヤバいじゃん!言った傍から役者になれるってもうこれ運命って奴じゃん!?本当にヤバイんだけど!」

「…は?」

「いや、だから、さっき言ってたじゃん!芝居に興味持ったって!そんで私が役者を勧めて、すぐにスカウトがあった!こんな事ある!?よかったじゃん!」

彼女のテンションが上がれば上がるほどに余計気持ちが萎えていく。

「いや、お前なに勝手にテンション上がって、話進めようとしてるわけ?俺は役者になりたいなんて一言も言ってない。それに…」

俺は一連の様子を楽しそうに眺めていた白尾璃緒という謎の男に視線を移す。

「いったいなんなんすか?意味の分からない事を言うのやめてもらってもいいですか?見ず知らずの相手にいきなりこんな話されても怖いだけなんですけど」

ところが、腹立らしい事に俺のその言葉に反応したのは白尾璃緒ではなかった。

「え!?何!?まさか白尾璃緒の事知らないとか!?それはヤバいって!」

「…何がだよ?」

こいつ、マジで…。都合がいい性のはけ口だったが、今日で終わりだな。本気でウザい。

俺が別れを決めた事なんて思ってもいない彼女はご丁寧に白尾璃緒について説明を始める。

「白尾璃緒って言えば、元々舞台で凄く人気があったんだけど、最近ドラマにもよく出ててね、最近は自分で色んなイベントとか舞台のプロデュースとかもやってて、とにかく今すごい人気なんだって!」

「おぉ~ちょっと恥ずかしいけど嬉しいね~俺の事すごい知ってくれてるんだ~」

彼女はここまで調子に乗ってペラペラと喋っていたくせに白尾璃緒に話しかけられた途端、面白いほどしおらしくなる。

「それは…亜樹が…あ、じゃなくて…あの、私、宮岳亜樹君のファンで、白尾さんと共演したりイベントにも呼んでもらったりしてて、それで…」

「あ~!亜樹のファンの子か~そっか!そっか!なるほど!それでこの舞台にも来てたわけね。うんうん。亜樹いい子だからさ~これからもよろしくね~」

「は、はい!」

いや、何俺を置き去りにして楽しそうに話してるわけ?結局だから何だというのか。

「…あの、もう帰ってもいいですか?」

「え!?なんでその流れで帰るってなるの!?意味わかんないんだけど!」

「意味が分からないのはお前と白尾さんの方だけど?悪いけど俺行くから」

「は!?なんで!?もったいないって!話だけでも聞いた方がいいって!」

「じゃあ、お前だけ聞いていけば?俺には関係ない話だし」

「何を言ってんの!?これはあんたへのスカウトでしょうが!?っていうか何その態度!!」

ウザい。うるさい。もういい。

俺は無言のまま無駄に騒ぐ彼女を残してその場から足早に立ち去る。

少しずつ背に受ける不愉快な彼女の声が小さくなる。一体何だったんだ。悪ふざけにもほどがあるだろう。もういい、もう忘れよう。俺が歩くスピードをさらに早めようとしたその時だった。

「怜吾君」

それはまるで音の塊がそのまま飛んで来たような感覚だった。

ずっと聞こえていた彼女のうるさいだけの金切り声ではない。決して大きな声を出している訳でもないのに明瞭としていてはっきりと俺に言葉そのものが届くように発せられた声。

思わず足が止まり、声の方へ自然と向いてしまう。すると白尾さんがこちらに手を振っている。

「ごめんね、急に名前を呼んで。合ってるよね?怜吾って呼ばれてたもんね」

「…なんですか?」

「俺の話、やっぱり意味わからない?」

「当たり前じゃないですか」

「まぁそうだよね、俺めちゃくちゃ怪しいもんね~」

少しずつせっかく離した距離が縮まっていく。このまま無視して立ち去ればいいのに、俺は何故だかその場から動けない。

白尾さんは出会った時から変わらずにずっと笑みを絶やさずにいるが、今俺に近づいてくる白尾さんの笑みは先ほどまでとはまるで違う。大きな目が俺をしっかりと捉えて離さない。

「でもさ、怜吾君もさ、少しはわかってるでしょ?自分の顔の良さとその恵まれたスタイルについて。それで、それを自分の都合のいいように利用しちゃったりしてない?違う?」

「あの、何がいいたいんです?」

「だってこの舞台ってさ女の子のお客様がほとんどだからそもそも男の子ってだけでも目立つのにそれでいてこんな格好いんだもの、そりゃあざわつくよね?周りも~…。まぁおかげで俺も怜吾君の事、知る事が出来たんだけどさ~」

「はぁ…」

気が付けばあっという間に目の前まで白尾さんに詰められていた。

「さて、怜吾君、改めて言うね。俺は、この世界に怜吾を誘いに来た」

「いや、だから、それは」

すぐに反論をしようとしたが、白尾さんに笑顔で制されてしまう。

「うん。わかる。そうなるよね。でもね、きっとすぐに俺の誘いを受ける事になるから」

「は…?」

いや、本当に何なんだ、この人…!?

このままだと本当にヤバい気がする。どうにかしてこの場から逃げ出さないと…!

頭をフル回転させ打開策を練る。

そんな俺を全て見透かしたような白尾さんの笑みと馴れ馴れしく俺の肩に手をのせてきた事にせめてもの反発だと手を払おうとしたその時だった。

「ちょっと!璃緒さん!!」

遠くから白尾さんを呼ぶ声。

いや待ってくれ、これ以上ヤバい奴が増えるのは勘弁なんだけど。

うんざりしながらその声のする方へ向け、その姿を確認する。

しかし、その声の主を見た瞬間、それは起こった。

目の前が一瞬にして真っ暗になり一気に全身の力が抜ける。

頭に強烈な痛みが襲う。その場に立っていられず俺はその場に倒れ込む。

寸前のところで白尾さんが俺の体を支えてくれたおかげで地面に直撃することはなかった。

「あの!?大丈夫ですか!?顔色めちゃくちゃ悪いんだけど!璃緒さんあんた何したんだよ!?」

声の主が急いで俺の元へ駆け寄る。

「え、俺が悪いって決めつけるの早くない?そもそも話してたら、なんか体調悪いっていうから、じゃあ休める場所に移動しようかってところだったのに、お前が急に大声出すから、驚いて倒れちゃったじゃん」

「え?あ、そうだったんですか?…それはすみません。ん?でも大声倒れるっておかしくないですか?」

「あ~!そんな事よりも早く彼を休ませてあげないと!大丈夫?怜吾君!」

近くにいるはずなのに、二人の声が遠く感じる。

そしてこの苦しみと共に同時に蘇ってくる大切なもの。

恐らく現実では数秒の出来事、でも俺にとっては長く、長く感じたこの時。

それは俺の全てを一瞬で書き換えていった。

やがて強烈な痛みが少しずつ和らいでいき力も戻って来る。

本当は、息をするように嘘をついた白尾さんに文句の一つでも言いたいところだが今はそれどころじゃない。

「もう、大丈夫ですから…すみません…」

俺は白尾さんにとりあえず謝罪をし、彼の腕をほどいた。

「けど、まだ顔色よくないし、とりあえずまだ休んだ方がいいね。とりあえずこの場から移動しようか!話もすごく中途半端だし」

「いや俺は、本当にもう!」

そう、俺はとにかくここから逃げないといけない。そうしなければいけない理由もたった今増えたのだ。

しかしその願いは空しく、強い力で白尾さんに肩を組まれ、俺の声は彼の音圧にかき消されてしまう。

「そうそう!和澄!彼ね、めちゃくちゃ興味持ってくれたよ!夕日さんの劇団について!」

「え…?本当ですか!?」

白尾さんの言葉を聞いて[和澄]さんは一瞬心底嬉しそうに喜んだ。が、すぐに訝しげな表情に戻る。

「…あんな怪しい話なのに…?」

「怪しいってお前がいうなよ~、まぁ、その通りだけど…。とりあえず!詳しくは後でゆっくり話すとしてさ、…怜吾君一人で歩ける?」

[和澄]さんが一瞬だけ見せた笑顔。その笑顔に心を奪われていた俺は、もう頭が上手く回っていなかった。本当はもうここから立ち去るべきなのに。

そしてこれが、俺の人生の本当に始まる合図だった事も知らぬまま、気が付けば首を縦に振っていた。




小川夕日が入団したあの日。

第二回公演に向けての話し合いの前に小川夕日と親睦を深める時間が設けられた。

「怜吾君も、夕日ちゃんと同じでスカウト組なんだよ!しかも年も近いし何だか雰囲気も似てるし~!なんだか不思議な縁があるんだろうね~」

「はぁ…」

小川夕日からの自己紹介もそこそこに今度は俺達が自己紹介も兼ねて各々がこの劇団に入団した経緯などを話していく。まぁ聖が全員分話してしまっているだけだが。

小川夕日は聖特有のテンションについていけず困惑していた。

「聖、ステイステイ。夕日ちゃんちょっと引いてるから。もう少しギア落とそうか」

「いやぁ~同い年の女子が入って嬉しいんだねぇ~聖ちゃん~」

美早子さんと要さんがやんわりと聖に一旦ストップをかける。

「ごめんなさい!私、つい…いきなりいっぱい喋られても困るよね」

「あの、謝らないでください。すごく緊張しているので前島さんがお話してくれるのはすごくありがたいです」

「そんな…っていうかそんなかしこまらないで!同い年だしため口で!あと私の事は名前で呼んでいいから!!」

「は、はぁ…」

「こらこら~聖、ステイっていったんだけどな~」

「あ、そうだった」

喜怒哀楽。コロコロ変わる聖の表情に小川夕日は圧倒されているようだった。聖には裏も表もない、ありのまま、純粋な混じり気のない綺麗な心の持ち主だ。俺みたいに汚い人間には少々眩しすぎる。きっと、小川夕日も同じなんだろう。彼女からは聖が言うように俺と同じ匂いがする。

さて、ここからどうしたものか。少しでもいい、小川夕日について探りを入れたい。

そう考えた俺は、リスクも承知の上で大きく出る事にした。

「因みにさ、聖と同じく俺も敬語じゃなくていいし、名前で呼んでいいから」

「…でも、年上の方にそれは…」

「気にしないで。そもそも二歳しか変わらないし、その方が俺も楽」

「そう…言うなら…」

「っていうかさ、一つ気になるんだけどいい?」

「…はい?」

「俺と同じスカウトって事はさ、どこまで聞いてこの劇団に入ったわけ?」

「え?」

「実は俺、スカウト組って言うけど、夕日さんから直接受けたわけではなくて、別の経由からこの劇団に入ったんだよね」

「そう、なんですか…?」

「うん。で、事前に俺はその俺をスカウトしてくれた人からこの劇団の事について色々教えてもらった。その上で入団を決めた」

「色々、ですか?」

「そう、色々。でも章さんの話を聞く感じだと小川さんはそんなにしっかり話を聞いたわけじゃあなさそうだし…どこまで知って入ったのかなぁって」

「どこまでって…」

「今度は、怜吾ステイステイ。あんた、目力強いし声が低いから変に威圧感でちゃうんだよねぇ」

「いやぁ~可愛い女子が入ってお前も嬉しいんだなぁ~怜吾」

今度は美早子さんと要さんがやんわりと俺にストップをかける。

しかし、聖の時とは違う。

俺が隠していた小川夕日への猜疑心に気が付いたのだろう。

美早子さんと要さんの前に小賢しい芝居は通用しない。

「すいません、つい…」

「でも、ほら、怜吾の気持ちもわかるからさ」

「そうだね」

事実、この劇団はとある大きな問題を抱えていた。

だからこそ、俺が新入団員について不信に思うところがあってもおかしくない。二人とも俺の気持ちを慮ってくれた。聖も俺を心配そうに見ている。

まぁ、まさかその猜疑心が前世の記憶が関係しているだなんて誰も想像していないだろうが…。

「あの…えっと?」

小川夕日は俺達の様子を察知し、戸惑っていた。

「あぁ~ごめんね~夕日ちゃん、置いてけぼりにしちゃって~」

「いえ、でも、一体…?」

「ん~その感じだと、あの件については話していないみたいだし…。俺から話しちゃってもいい?どうせ、いつかは知ってもらわなきゃいけない事だし~。ね、周多?…代表?」

俺達の様子を黙って見守っていた周多さんは深いため息を漏らす。

「お前、話してなかったのかよ、それ」

周多さんに呆れ半分に睨まれ同じく黙っていた章さんが苦笑する。

「いや~訳アリ劇団って事は伝えましたよ?事情は追々って…」

周多さんは再度深いため息を漏らす。

「で、小川さんはその訳アリ内容も聞かぬまま入団を決めたって事ね…それは、それは…」

「なんか、すみません…」

「あ、いや別に責めているわけじゃなくて…。うん。…要さん、お願いできますか?話。それから小川さん、ちゃんと聞いておいて。この話を聞いた上でもう一度聞くから」

「…何をですか?」

「この劇団に入団するか、しないか。をだよ」

「え?」

「もちろん断ってくれてもかまわない…いいよね?代表様?」

「…はい」

章さんは怒られた子犬のようにしょぼんとしており、小川夕日も状況が読めず不安そうにしている。

これは、いい方向に転がったかもしれない。

この話を聞いて小川夕日がどう出るか、大きな情報になるだろう。

「んじゃま、話しますかね、この劇団、[演劇集団きなりいろ]が抱える大きな問題について」

要さんはそう切り出し。静かに話し始めた。

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