第4話 動き出した、新しい人生

来てしまった。またこの劇場に。

今日は、私の、小川夕日としての人生全てを変えた舞台「笠原親子の一日」の千秋楽日。

本当ならばもう二度とここに来るべきではなかった。

私がこの舞台を観劇し、フゥーシェ様と再会したことで前世の記憶が戻ったように、もしまたフゥーシェ様が私と会ってしまったらフゥーシェ様も前世の記憶が戻ってしまうかも知れない。

私はこの小川夕日としての人生になにも執着がなく、くだらないものだと思っていたからこそ記憶を取り戻すという事でやっと生きる意味を見いだすことが出来たにすぎない。

だけど、フゥーシェ様は恐らく違う。前世の記憶を取り戻すことが良いことだとは思えない。

前世の記憶。それはフゥーシェ様にとって幸せな記憶だったとは決して言えない。

光の巫女として自由に生きる事は許されず、自分の人生を懸けて人々を守るため祈りを捧げる事、それがフゥーシェ様に課せられた運命。広い世界を知る事もなく、青空の下で自分が思うまま歩くことも出来ず、もちろん好きな事も出来るわけがない。

フゥーシェ様はそんな自分の運命を静かに受け止め、それどころか世界の人々の幸せを守る事が自分の誇りだと常々おっしゃっていた。

そのお言葉通り、フゥーシェ様はいつだって強く優しくそして美しく光の巫女としてその運命を全うなさった。でも私は知っている。時折どこか遠くを見つめ寂しげな顔をされていたことを。私はきっとあの表情を忘れる事はないだろう。

だからこそ、平和で自由になった今世でフゥーシェ様としてではなく別の一人の女性として生きている今、あのような記憶を取り戻して何になるというのだろうか。

フゥーシェ様の事を一番に考えるなら、私は今すぐにでもこのまま引き返すべきなのだろう。

だけど、どうしても最後にもう一度フゥーシェ様にお会いしたかった。

このどうしようもない人生、未来に何も希望を持てない人生において一生の心の支えとなるように。何も望まない。一目見られたらそれでいい。

もしかしたら、今日はこの劇場で会う事はないかもしれない。

だったらそれはそれでいい。それも運命だ。

私のわがまま、エゴ。どうかフゥーシェ様の記憶は戻りませんように。

大きく深呼吸をついて私は一歩一歩かみしめながら階段を下りた。




「あ。貴女は…」

ロビーにはフゥーシェ様の姿はなく安心したのも束の間、受付へ向かうと今日も美男美女コンビが担当しており、前回の騒ぎで私の事を覚えていた美男子に声をかけられてしまい心臓が飛び出そうになる。

「この前はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

落ち着いて、とにかく失礼のないように。私は深々と頭を下げた。

「そんな!顔を上げてください!それよりも体調の方は大丈夫ですか?」

美女が慌てて気遣ってくれる。

「はい。もう、すっかり。…すみません、ご迷惑をかけたのにまた来てしまって」

「いやいやいや!むしろまた来ていただいて本当に嬉しいです!あ、そうそう、二回目以降の観劇はチケット割引となるので…えっと…」

あぁ、本当嘘みたいに眩しいな、この美女。

私の今の悩みや汚いものを吹き飛ばしてしまいそうな笑顔でテキパキと受付を進めてくれる美女を見つめながらしみじみと感じる。

無事に受付が終了し、とにかくこの場を早く離れたい私はお礼した後、そそくさと会場へ向かった。

それにしても、美女のにこやかな対応の横で、美男子の視線をずっと感じた。一体何だったんだろうか。…まぁ、前回来た迷惑客がまた何か起こさないように見ていただけということにしてあまり気にしないようにする。これ以上心労は増やしたくない。

気を取り直して会場へ進むと、前回と同じく会場内は静かだったが千秋楽という事もあって前回よりも席は埋まっているようで心なしかすでに熱気も感じる。

あぁ、みんな舞台が始まる事を心待ちにしているんだ…そういう、私もだけど。

そう。もちろんフゥーシェ様の事が一番にあったが、もう一つ私がここへ来た大きな理由、それは純粋にもう一度この舞台を観劇したかったからだ。

前回の成り行きで観劇ではなく、今度はきちんと自分自身が望んでこのお芝居が見たくてここにいる。

既に私自身早く見たくて少し興奮しているのがわかった。

席に着き、置いてあるパンフレットを回収し、前回はカバンが小さくて折って入れてしまったのでちゃんと今回は大きめのトートを持参した。家に帰ってからたった見開き二ページのパンフレットを穴があくほど何度も目を通しこの舞台に想いを馳せた。

今回は保管用として綺麗に持って帰らなくては。

まさか自分がこんな行動をするようになるなんて、少し恥ずかしい気もするがそれはこの舞台がそれほど素晴らしいものだという事で。

受付の時だって本当は出演者の二人を観ただけで実はめちゃくちゃテンションが上がっていたのはここだけの話。

そうこうしているうちに会場アナウンスともにステージに灯りがつく。

前説だ。自然に体が前のめりになる。私はもう舞台に夢中だった。

「皆様~こんばんは~!本日はようこそおいでくださいました~開演に先立ちまして私からいくつかお願い事がございます~」

き…きたぁ!!前説を見てみたいと思っていた意中の相手が登場し顔が熱くなる。

この方は前回私がときめいた母親の恋人を演じていた、泉川要さん。

パリッとメリハリがある東山さんの前説とは違い、泉川さんらしくゆるゆるとして雑談も多く交えた独特の言い回しをいた前説が続く。

同じ内容を言っているのにここまで変わるもんなんだな…プロってすごい…。

前説があっという間に終わり私はすでに一本のショーを見たような気分だった。

そして今度から好きな芸能人は泉川さんって答えよう。と心に決めた。




受付美女こと前島聖さん。

私がまず心を奪われた東山美早子さん。

受付美男子こと貴水怜吾さん。

そして泉川要さん。

この四人が繰り広げる母娘二組のカップルのドタバタ人情コメディ。

前回よりもたった数日の間でパワーアップされているようで今回の日替わりネタも冴えわたり、同じものを観ているはずなのになぜか違うものを観ているような、あっという間の最高の時間。

この時間だけは前世の事だとか難しい事を全て忘れられた。

割れんばかりの拍手と共に物語は終わりを迎え、本日もカーテンコールが続いた。

千秋楽という事もあり、今回は最後のカーテンコールではそれぞれから一言ずつ挨拶があったのだが泉川さんがボケ倒しさらに天然であろう貴水さんがさらにボケを拡大し東山さんが鋭くツッコミつつも場をまとめ前島さんの笑顔でしめるという、

素の状態に戻っても四人のチームワークの良さが伝わってくるものだった。

また、それは今の私では決して感じる事が出来ない温かさと優しい空間で、いい舞台を観る事ができて幸せなはずなのにどこか心がチクリとした。

そして、何事にも終わりは来るもの。

夢のような時間は幕が完全に降り、拍手が自然に鳴りやんでいく様にそのまま消えるように終わりを告げた。

幸福感と虚無感。

私は自分でも今回は自覚していた。止める事のない涙が溢れていることを。

本当はもう少しこの場に浸っていたい気持ちでいったぱいだ。

だけど、前回のように迷惑をかける訳にはいかないのだ。

私はたまらない涙を強引にぬぐいロビーへ急ぐ。

しかし、そんな私の背にある声が届いた。

それは忘れる事が出来ないあの声。

私の動きが止まる。

「今日の涙は、前回の涙とは違うみたいですね」





ここにいるべきではない。

早く立ち去れ。

そんな事、頭ではわかっていても体がいう事を聞かない。

なんとか無理やり笑顔は作っているものの、心の中は焦る気持ちでいっぱいだった。

「ごめんなさい。急に話があるから待って欲しいだなんて。

 あ!そうだ自己紹介が遅れました。私、岡田章といいます。…貴女は?」

「…あ、えっと…小川…夕日と申します…」

会場から出ようとしたとき、私はフゥーシェ様…もといこの岡田章さんに呼び止められたのだ。

話したいことがあるからここに残ってくれないか。

その言葉を聞いた私は混乱の余り立ち尽くしてしまった。

一体何が起こっている?まさか記憶が戻ったというのか?

それとも前回の事を気にしてくれているのか?

どちらにしても、深く関わってはいけない、この方のために。

断ろう。そう心に決めた私に飛び込んこんできたのは私が一番弱いフゥーシェ様のおねだり顔。あぁ、無理。無理だって。

「…少しだけなら…」

「本当!?よかった!」

私の、馬鹿。

こうして他の観劇客が撤収するのを待って今に至るのだが…一体、話ってなんなんだ…。

お願いだから、前世の事ではありませんように。

精いっぱい平常心を保ち、不自然に失礼にならないように彼女の次のことばを待つ。

「この舞台。気に入ってくださったんですね」

「あ。…はい、凄く、面白くて」

「そっかぁ、よかった」

まるで我が子を褒められたかのように嬉しそうに笑う。

あぁ、その笑顔は私が大好きだった笑顔…。

「実はね、この舞台の脚本私が書いたんですよ」

「…え?」

思いがけない言葉に耳を疑う。

「でも、パンフレットには名前が…」

「パンフレットまでちゃんと読んでくださったんですね!ありがとうございます」

「あ、いえ…ってそうじゃなくて」

「作家名です。岡田章は本名で、空田章夫は岡田章のアナグラムなんです」

「じゃあ、貴女が、まさかこの劇団の代表の…?」

「そう、私がこの[劇団集団きなりいろ]の代表兼脚本担当の空田章夫です」

「…そうだったんですね…」

「まぁ代表って言っても出来たばっかりで今回が旗揚げ公演だし他のメンバーに支えてもらってばかりの名ばかり野郎なんですけど」

「はぁ…」

「で、今回のお話なんですけど。単刀直入に言います。

 …貴女、[演劇集団きなりいろ]に入団しませんか?」

「え」

待て。待て待て待ってくれ。もう何もかも追いつかない。どういう事!?彼女の真意が読めない。

急にこんな話をされてもよくわからない!

「私、ですか?」

「そう」

「何かの間違いでは?」

「ないですね、残念ながら」

「…どうして?」

「はい?」

「どうして、私なんでしょうか…」

「あぁ、それは」

「それは?」

「貴女のお芝居を観てみたいと思ったの」

その言葉を聞き頭が真っ白になる。

今、なんと、おっしゃった?

「貴女は…」

「ん?」

「…貴女はフゥーシェ様なのですか!?」

まるでトリガーをひかれてように、もうダメだった、何も考えられない!

「フゥーシェ様、どうして…」

何度も何度も恨み言のように泣き叫びながら肩を掴み問い詰める。だってその言葉は、貴女が、フゥーシェ様が…!

突然の出来事にフゥーシェ様はひどく困惑している、無理もない。

あぁ。こんな事になってしまうなんて、自分自身もうどうしていいのかわからない。

しかし次の瞬間フゥーシェ様は私の様子をみて何かを悟ったのかなだめるように優しく抱きしめてくれた。大好きな、優しい温もり。

「…ごめんなさい。私は貴女が呼ぶフゥーシェ様ではないし、フゥーシェ様という方は知らないの、ごめんね」

私を諭すように静かに応える。

フゥーシェ様ではない。

そうか、この方は、フゥーシェ様ではない。もうフゥーシェ様はいないんだ。

ここにいるのは岡田章さんなんだ。

わかっていたけれど、この気持ちはなんなんだ。

湧き上がる感情の名前が分からず、そのあとも私は章さんの胸の中でひとしきり泣いた。

そして私が落ち着くまでただただ章さんは優しく抱きしめてくれていた。

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