最終章 8.その使い道は

 今、私の目の前でゼファーが素早く腰からハサミを抜いたかと思うと、その裁ちばさみ二丁で振り落とされた長剣をしっかりと受け止めていた。

 見事なハサミの交差で、鉄と鉄が激しくガツンと音を立てて。


 ただの縫製士が剣を持った兵士とハサミ二丁で戦うだなんて誰が想像したのだろう。その細い体を小刻みに震わせながら剣の重みに必死に耐えている。

 なぜそこまでして私を守ってくれるのだろうと思った。彼が真面目で優しいから? 私が王妃だから? 一緒にあのミシンがある部屋でたくさん仕事をして過ごしたから――? 

 

 今思えば彼はいつも私の傍にいた。いつも「リニア様」と言って付いて回って、その見た目からも仕草からも、まるで小さな可愛い王子様のようだった。

 

 仕事をたくさん手伝ってくれたり、私より体が小さいのに重たい反物を持ってくれて、なのに重みに耐えられず、転んだりしてあなたの父親に「布を汚すな」と怒られたりしていたわね。あと「リニア様の前だからといって無理してカッコつけるな!」とも。


 そんな彼が今私の目の前で、再び私を助けれくれている。そんな後ろ姿を見ていると、私より大きくなってしまったその背丈をふと感じた。いつの間に私の身長を抜いてこんなに大きくなってしまったのだろう。4つ下の可愛い男の子。私にもし弟がいたらきっとこんな感じなのかも、そうずっと思っていた。けれども、今その背中がとても広く感じられる。あなたはいつの間にか私を頼もしく守ってくれる大人の男性に成長していたのね。


 レスミーと婚姻をした後、彼から言われた。「ゼファーは、君のことが好きだったんじゃないかな」って。その時は「何言ってるの? そんなことあるわけないわ」と笑い飛ばしたの。でも、もしかして……。ダガーに対して「恋的」と言ったのはそのような意味なの? ずっとその気持ちを秘めていたと言うの? 私がレスミーに惹かれていると知ってでも……?


「ゼファー、私、あなたのこと……」

「まさか、好きだった、とかじゃないですよね。……冗談ですよ。分かってますよ。あなたはレスミー様一筋だと言う事ぐらい。……そんなところが好き、なんですよ……!」


 横目で私を見ながら苦痛で顔を歪ませ、必死にその重みに耐えている。だけど、いつもの口調でさらっと真っすぐに、照れる事もなく言葉をつぐむゼファーがとてもあなたらしいなって思う。

 そんな彼は長剣によって、押し切られそうになりながらも、必死に耐え続けていて。やはり裁ちばさみ二丁なんかで押さえられるわけないわ。それにあなたは縫製士。華奢な体型だし、筋力も目の前のたくましい兵士に比べるととても少ない。それに日頃の鍛練や訓練量なども桁違いなはず。兵士とのその差は歴然すぎるぐらい分かりきっていた。


「ゼファー、今まで気が付かずごめんなさい……」

「今まで必死に、黙って、いたのに……、こんな時に、伝えて、しまうなんて、ね……!」


 ゼファーが歯切れ悪くそう答えてくれた。どんどん押しきられる彼が今にも倒れてしまうんじゃないかと思ったその時、突然、彼と敵対する兵の脇腹に凄まじい勢いで木の杖での突きが入った。


「ファイガーー!!」


 女性の声だった。ふいをつかれたその敵兵は横に飛ばされるように倒れ込んだ。一点集中で突かれたようで、激しい苦痛の色を顔に浮かべ、わき腹を押さえてとても痛そうにのたうちまわっている。


 彼女の持つその長い木杖の先端には炎が燃え盛っていた。


「おい、実久! あぶねーって! 何やってんだ!?」

「ゼファーの大ピンチ! 火属性の上位魔法だ、このやろう!」


 のたうち回っている敵兵に対して危ないと言っているのか、火の杖が危ないのか、何を危ないと言っているのか分からないけど、息子が慌ててミクちゃんの背中のローブ引っ張り、それ以上の攻撃をやめさせようとしている。先程横腹を突かれた敵兵がうめき声を上げながら立ち上がったけれども、ミクちゃんに突かれた部分から火が燃え始めていることに気が付き、慌てて周囲の仲間兵士へ助けを求め「消してくれ!」と大騒ぎしている。その騒ぎに騒然とし、敵兵の統治がどんどんと崩れていく。


 未だに火の棒をぶんぶんと振り回しているミクちゃんに、ゼファーが「ありがとう、助かったよ」と一言述べるとこちらへ振り向いた。


「リニア様、大丈夫ですか?」


 いつもの真っ直ぐな青く澄んだ眼差しを私へ向けてくる。長剣をずっと押さえ込んでいたゼファーのハサミはもちろんボロボロで、彼の大きな手にも傷が何ヵ所もあり、赤く腫れ上がっていた。ハサミはもう仕事道具としては使い物にならないように見える。縫製士にとって、ハサミは一番の仕事道具。それに決して安い代物でもない。大事に幾度も研がれながら世代を越えて受け継がれていくハサミだってある。私はシスルト工房で働いていた頃から知っていた。彼が持っているその裁ちバサミもその一つだったことを。生前のゼファーの両親がずっと昔から使っていたそのハサミ。大切に大事に、彼へ受け継がれていたものだった。


「ええ……、ありがとう。ゼファーこそ……。その裁ちバサミ、あなたの大事な物だったんじゃ……。両親から受け継いだものでしょう……?」

「リニア様、物は使いようなんですよ。僕はこの大事な道具を、僕の大事な人の為に、いつものように使っただけです。気になさらず」


 当たり前だといった表情でそう告げると、二丁のハサミをまた腰元に差し込んだ。


「あなたはいつまでも変わらない。でも……、いつの間にかこんなにも大きくなっていたのね」

「……やっと気が付いてくれたんですね」


 いつものようにふと笑いながら暖かな眼差しをくれるゼファー。けれど、少しだけ潤んだようにも見えたその青い瞳。でも彼があまりにもいつもと変わらないままだったから私も思わず同じように微笑んだ。


 あなたと共に過ごし、あなたが私に与えてくれた暖かな時間は決して今後も忘れることはないでしょう。それが例え別々の道だとしても、決して消えることのないかけがえのない輝き。それは何一つ無駄なことなんてない、今に続いている暖かな時間だった。


「ゼファー、ありがとう」

 

 彼の大きくなった傷だらけの右手を取り、頬にそっと当てると、その優しい体温を感じながら、呟いた。



「何をやってる! 火が付いたぐらいであわてふためくな! はやくそいつらを捕まえろ……!! 奴らは黒魔術を使うこの世界に闇を落とす者ぞ!」


 マーヴィス法王が再度大声で叫び始めた。


「闇を落とすのはどっちだ! このやろうめ!!」


 その時、堂々とした仁王立ち姿でミクちゃんが立ちはだかった。

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