第3話 新学期

入学前の記憶が遠ざかって眠りにつき、数時間後、ギターのタッチノイズが、誠の耳の奥をくすぐった。

起床時間を知らせる音楽、1970年代のフォークソングが寮内に流れている。起床当番はまだ決まっていなので、音楽は橘教官が選んだのだ。


「もうちょっと目覚めのいいやつがあるだろう」

誠はベッドの中で大きく伸びながらぼやいた。

隣の居室から、ばたばたと床を歩く音が響いた。

『落ち着けよ、斉藤』

『落ち着けっていったって、そうもいかないさ。だって新学期だろ』 

太い声が返った。

思考波というものは不思議なものだ。僅かに高いとはいえ、声帯から発せられる声と同質の音に聞こえる。

人は自分の声で考え事をしているからだと習った。去年卒業した聾唖の先輩は、初期のボーカロイドの声に似た、文字を棒読みするような独特の思考波をもっていた。


誠は、壁を通してピクピクと突き出す友人の波動を見て苦笑いした。斉藤の固有波動はエメラルドのような緑色。十分に濃い。春休みにじっくりと休息をとったようだ。


立ち上がって、窓際にある水道の蛇口をひねった。

二週間あまりの留守に空気を溜め込んだ水が、不規則に手の平を打ちつける。すぐにも勢いよく流れ始めた水で、叩くように顔を洗い、ざらついたタオルで拭く。はっきりと目が覚めた。ロッカーを開けて、ワイシャツと制服を取り出す。上着とズボンは二年の時と同じもの。少しでも小さくなっていることを期待したが、サイズはぴったりだった。

「身長は一七二どまりか。まあいいや。隣の彼にならないように気をつけよう」

くすりと息を漏らしながら、窓の外を覗いた。


外には、広大な自衛隊の基地が広がっている。今にも一台の小型ヘリが着陸し、中からスマートな女性自衛官が降りたところだった。激しい風にあおられながらも、よろめきもせず、こちらに歩いてくる。

列を組んで走っていた自衛官たちのスピードが僅かに遅くなったようだ。様々な色の波動が、舌なめずりをするように女性に向けられた。

「ということは、かなりの美人。国を守るおじさんたちも、時には目の保養をしなくてはね」

つぶやきながら、長めの髪をとかして部屋を出た。


隣の居室のドアが、勢いよく開いた。

「よう、おはよう!」

太った体を揺らしながら、斉藤さいとうひとしが飛び出してきた。

「おはよう。新学期だからって、そんなに慌てるなよ」

「だってさ、今日、朝食の前に、新しく入寮したやつらの挨拶があるじゃん。それを思うと、焦っちゃってさ」

「それをいう前に、髪の毛をといとけよ。だいぶ、はねてるぞ」

「え、うそ。まずい」

池の鯉のように、口をぱくつかせて、斉藤は部屋に引っ込んだ。


階段を降り、風呂場と洗濯場を過ぎたところに食堂がある。

アルミの格子の入ったドアを押した誠は、三年生用のテーブルについた。ぺこりと頭を下げた二年生たちの向こうに、真新しい紺色の制服を着込んだ一年生たちが座っていた。


まさに年度始めの新学期だ。緊張、期待、互いの探り合い・・様々な色の固有波動が複雑に重なり合っている。


壁の時計をちらりと見た長身の篠田しのだ圭吾けいごが、テレビを消して隣に座った。

「すごい衛星が五月に打ち上げられる。通信業界に革命が起こるぞ」

ぶつぶつと独り言を言いながら、色白の細い顔を向けた。

「それで三井、いつ帰ってきた」

「夕べ遅く。家で晩ごはん食べてから来たんだ。おまえは?」

「もう三日も前だよ。家にいても、何もすることないし」

「おまえはいいよ。教官から送られる暗号思考波は、どうせ、すぐに解いただろうしな」

「まあな、休みの初日に」

篠田は当然のように鼻をならした。

「くそう、僕なんか半分しか解けなかった。おかげで毎晩、教官の声を聞かされるはめになった」

「ある意味、それは羨ましいことだぜ。遠く静岡の実家でも、いつも教官の愛情を確認できてたってことだからな。それに去年までは、全然できてなかったじゃないか。それを思えば、格段の進歩さ」

「ああ、しょっぱなから慰められちまった」

がっかりしたように頭を下げた誠に、冷ややかな笑い声が聞こえた。


顔を上げると、向こうのテーブルについているスポーツ刈りの新入生が、見下したような視線を送っていた。気持ち悪い蛍光がかったピンク色の波動が、目の前まで伸びてきている。と、急にゴムが切れたかのように、体の周囲に戻っていった。顔は青ざめている。

「すみません、先輩」

か細い声でつぶやき、同時に篠田がイスにふんぞり返った。

「新入生のくせに生意気だよ。あいつ、おまえの思考を読もうとしていただろう。腹が立ったから、テレビでやっていた心霊写真を見せてやったよ」

「まずいよ、篠田。ルール違反だ」

確かにまずい。悪意をもって、思考波をぶつけたり読み取ったりしたのが、教官にばれれば、注意どころか能力に鍵をかけられてしまう。まだ、規則を教え込まれていない一年生は仕方ないにしても。

「大丈夫さ。俺はただ、おまえの波動の前に、お化けの念像を乗せた思考波を置いただけだ。あいつが勝手にそれを読んだんだよ」

淡々とした口調で色白の若者は言った。

誠は舌を巻いた。そんな思考波の利用法があったなんて。篠田のセンスの良さは相変わらずだった。


「ん、どうした。何かあったのか」

誠の横に、斉藤がどっかと腰を下ろした。ぐいと向けた頭の後ろ、髪の毛のはねは収まっていた。が、水で濡れて平らになり、かえっておかしくなっている。

「いや、なんでもない。また、おまえたちと会えて嬉しいってことだよ」

「ごまかすなって。あいつか、生意気な新入生は?」

小さな目が、テーブルの向こうを睨んだ。例の新入生の波動は、硬く縮こまっていた。他の四人の新入生たちの波動は、この無言のやりとりに動揺したように揺れている。二年生たち五人の波動は、興味深げに伸びたり縮んだりしている。


「まあな、いろいろあるけど・・少ない人数だ。仲良くやっていこうぜ」

斉藤が立ち上がって、新入生たちに笑顔を向けた。食堂にクスクスと笑い声が漏れた。

「無理するなって。おまえの波動、緊張してガチガチだぞ」

誠は笑いながら言った。

「ふうー、これだから、能力者の友だちはもちたくない」

首をすくめて斉藤は座った。隣の篠田はにやにや笑っている。

また、この全く特殊な学校に新学期が訪れたのだ。誠は実感した。


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