第17話 辺境伯遭遇イベントと変な第一王子

 風は生ぬるく、日差しはまぶしい。ニワトコの白い花が咲き、甘い匂いがする。ファナとエルアがその縁に腰かけている噴水の水が涼しげに揺れている。もう夏も近い。


「5月が終われば『夏至祭り』ももうすぐですね」

「ええ。早いものね」


 日の出から日の入りまでの太陽が出ている時間が一念で最も長くなる夏至の日。女神ユノベールの力が一番強くなる日だと言われている。庶民はかがり火を焚いて、大いに騒いで過ごす。


「ファナ様達も、特別なお祝いをしたりするのですか?」

「社交シーズンのピークになる日だから、舞踏会とかがあるけれど。今からこんなに暑かったら、もし参加するとしてもドレスが億劫ね」

「そういうものなんですか? きっと素敵ですのに」


 『春祭り』の舞踏会はファナも参加したが、『夏至祭り』の方には出るのだろうか? ファナも公爵にはまだ何も言われていない。暑い時期にきついコルセットなんて締めたら貧血か熱中症で死んでしまう。願わくば、参加などしたくないものだ。

 夏至祭りの日の前後は少しの間休みになる。連休になるのであれば、出来れば屋敷でだらだらと過ごしていたい。


「エルアは修道院に一度帰るのよね。お祭りには参加するの?」

「いいえ、特別礼拝の手伝いがあるので」

「そうなの」


 エルア達特待生達は王都出身や富裕層以外は貴族のようなタウンハウスなど無い。普段は学園内の寮の中で暮らしている。エルアの修道院はそこまで王都から離れていないから3~4日以上休みがあれば1日くらいは帰れるが、ほとんどが長い休みにならないと地元へ戻ることは出来ない。

 王都から一番離れたところにあるアルミタ領などから来た学生は、夏と冬の長期休暇に帰るくらいになるだろう。


(噂をすれば。ヒロト、機会が来たわよ)


 テラスから庭への階段を下りてくる影が見える。遠くからでも分かる。ハーゼルだ。この時間にここを通ることは一昨日確認済みだ。今は午後の授業がとっくに終わった時間帯とあって、庭には他の生徒の影が無い。

 ここ2週間、この機会をずっと待っていた。

 何しろ、エルアとハーゼルが二人きりになるように仕向けるのがとても大変だったからだ。他に少しでも生徒が居れば、ハーゼルはエルアに話しかけない。何度ファナがやきもきしたことか。


「あら、いけない。忘れてたことがあったわ。エルア、少々ここで待っていてくれるかしら?」

「ええ、分かりましたわ」


 少し棒読みになってしまったが、エルアはにこにこと承知してくれる。ちょっと騙すようで気が引けるが、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。万が一テラス側へ行ってハーゼルに避けられたら目も当てられない。ファナはハーゼルの進行方向を邪魔しないよう、薔薇の咲く庭園の方へ歩を進める。

 庭園に入る前、ちらりと後ろを振り向くと、ハーゼルがエルアに話しかけているのが見えた。


(やっとだわ! 最高よ!)


 あとは、二人が話し終わるのを待つだけ。

 これで、めでたくハーゼルのルート解放である。


(この2週間に比べたら、なんてことないわ。1時間でも2時間でも待つわよ!)


 ファナは飛び上がりそうなほどの解放感と共に、薔薇の香りに満ちた空気を吸い込んだ。

 もうすぐ5月も下旬。薔薇も満開をやや過ぎている。そういえば薔薇をゆっくりと鑑賞するなんて、ファナにとっては去年の秋ぶりだ。学園の中にも薔薇は咲いているのに、全然気づきもしなかった。

 今年は平日は学園に通っているから、各家自慢の庭でのお茶会に御呼ばれする機会もない。領地にも戻っていない。今頃、王都より北にあるグランテラー領ではちょうど花盛りくらいだろう。

 領地のマナーハウスの広い庭に思いを馳せながら、ゆっくりと庭を歩く。品種ごとに植えられた薔薇。その存在に今まで気が付かなかったが、学園の中には植物が多い。きっとお抱えの庭師がいるのだろう。

 赤、ピンク、ときて白い薔薇に差し掛かった時。その茂みの中から声がかかった。


「おや、今日はだ」


 エドワード、そこはカントリーツインテールと言って欲しい。と思ったが、創作の資料として画像検索したこともない普通の男にヘアアレンジの名前なんて分かるはずもない。

 白薔薇の垣根の向こう側。芝生の上に、エドワードがかなりリラックスした体制で本を読んでいた。なるほど、常時王子様で居続けるなんて息苦しいだろうとは思っていた。どうやって家臣を撒いたのかは知らないが、こうやって上手く息抜きをしているらしい。

 しかし、この姿をファナに見られてもいいと判断したのは意外だ。

 エドワードがのそりと起き上がり、ファナに笑いかける。


「珍しいね。君が一人でいるなんて。最近はネジブランカ嬢といつも一緒に居るのを見るのに」


 ネジブランカ嬢、とエドワードの口からエルアの名前が出てきたことに違和感を感じる。そういえば二人きりで最後に話した時には、エルアとエドワードは出会っていなかったのか。

 エルアとべったりなのは、想像以上にまずいのかもしれない。ハーゼル以外の攻略対象もファナと一緒のエルアに話しかけづらいと思っているということになる。

 なぜならこうやって気軽に話しかけてくるエドワードですら、ファナの姿を見ても遠慮して話しかけていなかったということだ。


(殿下もしばらくエルアと話もしていないのかもしれないわね)


 考えたくはないが、話を聞く限りはあり得そうだ。

 それとも、エルアをハーゼルに会わせたいが為に授業などの時間以外も連れまわしていたのが祟ったのか。次からもし万が一に今回のような事があったら、エルア無しで攻略対象の行動パターンを把握してからにしよう。


「……少し席を外していたら、エルアとアルミタ卿が話していらっしゃったので、戻るに戻れず」


 エドワードのエルアへの好感度はどれくらいなのだろう。ファナはエドワードの嫉妬心をあおろうとしてみるが、エドワードは微笑みを崩さない。暖簾に腕押しだ。


「こっちに来て座りなよ」


 エドワードが自分が座る横の芝生をたたく。まあ、時間はある。断る理由もないので、指定された場所から離れてはいるが、側に座る。ファナの警戒は依然解けない。

 それをエドワードは嬉しそうに笑った。そういえば春先の舞踏会では『おもしれー女』として好感度が上がったのだ。王子さまはやはり、なびかない女が物珍しくて好きなのだろうか?


「まだハーゼルと話しては?」

「いませんわ。同じ学年ですから、よく顔は合わせますけれど」

「ハーゼルは君に興味を持ってると思うよ。『例の件』について、私はハーゼルから聞いたのだからね」


 『例の件』とは、この間のつるし上げか。それがエドワードの耳にも届いているという事実に、ファナの顔がぼっと熱くなるのが分かる。

 そういえば、講堂の外にはハーゼルが居たし、エドワードとハーゼルは従兄弟同士だった。どこかでそういう話をしたのかもしれない。

 なるほど、それはエドワードのリラックス姿なんて霞むくらいの恥ずかしさだろう。


「凄まじい女だっておっしゃっていたでしょう?」

「いやあ」


 エドワードの微笑みがやっと崩れた。否定も肯定もせず、けらけらと声に出して笑う。


「私が君に頼まれて、というところを開口一番に確認してきて。驚いていたよ。お前が尻に敷かれているのか、ってね」


 はっとする。そんな風にエドワードが舐められる要因になるとは思っていなかった。権力欲の強いハーゼルのことだ。そのあたりは誰よりも敏感だ。もしかして、他の男子生徒も心の中ではそう思っているかもしれない。


「殿下の件、お話ししてしまって申し訳ございません」

「いいや、おかげで『ちゃんと耳を傾けて下さる方だ』とかで私の株が上がったくらいさ。特に特待生の子たちにね」


 なるほど。庶民出身のエルアを庇ったという時点で特待生達のことは分かるが、ファナのお願いで実際に調停に乗り出したのは統治者的な正しさや寛容さとも取れるのか。

 優しさについて、尊敬と軽視、どちらを抱くかの決め手は受け手次第だ。


「君の評判も上がったようだよ?」

「まさか。私はあの時は癇癪を起していて……」

「噂に聞く君の怒った顔というのも、見て見たかった」


 エドワードはひどい奴だ。エドワードから見れば、きっとファナの顔は薔薇と遜色ないくらい赤くなっているだろう。


「そして、私が親しくする人は私自身にしか決められない、本人にしか決められないことを他人は強制するべきではない、と言ったとか」

「ええ、まあ?」

「例の男子生徒の恋人に『もしも私が恋に落ちていたら、きっとそうだった』と言ったとも」


 エドワードは何が言いたいのだろう。

 確かにそんなことを言っていたが、だからどうしたのだろうとファナが不審に思う。


「お陰様で、君が私に気が無いことが、全生徒に知れ渡ってしまったよ。君には面前でも、噂でも、2回も振られることになるとは思ってなかった」


 エドワードが芝居がかった嘆き方をして見せる。


「そ、そんなつもりは……」


 ファナの顔から血の気が引いていくのが分かる。

 ついうっかり、とは口が裂けてもファナは言えないだろう。あの時、ファナはあの泣いていた女子生徒の気持ちをあの場に居た誰よりも理解出来すぎたのだ。

『もしも私が恋に落ちていたら、きっとそうだった』

 あの言葉は、ファナがエドワードを好きになっていたら、同じことをしてしまっていただろう、同じ気持ちだったろうと共感して出てきた言葉だ。エドワードを振ろうなんて思って言った言葉ではない。

 どう返していいか迷っているファナをエドワードの青い瞳がじっと観察してくる。


「まあ、だから君は安心できるんだけど」


 どう言う意味の言葉かは分からないが、これだけやらかしていても、エドワードはやはりファナを悪くは思っていないようだ。

 ああでも、とエドワードは眉を寄せた。


「でもそのせいで困ったことがあってね」

「何ですの? 私に出来ることでしたらおっしゃって下さい」


 自分のせいでエドワードにどんな迷惑が、とファナが素直にそう言う。しかし、ファナも気楽に言葉を使いすぎる。いい加減学習したほうがいい。エドワードは結構食えない奴だ。


(ええ?)


 ファナの言葉に、エドワードが困り眉を元の位置に戻す。ほら、来るぞ。


「じゃあ、夏至の時の王宮の舞踏会で私とまた2回踊って貰えるかな?」

「え? ええ、分かりましたわ?」

「助かるよ」


 エドワードが本を片手に、さっと芝生から立ち上がる。


「君のような方をハーブ扱いするのは気が引けるけど、君が春に言っていた事は間違ってないんだ。ああいう場で、『虫除けとしてご入用』だっけ? 実はそうなんだ」


 でも君だってそうだろう?

 エドワードは去り際にそう言い残していった。

 夏至の休暇では真っ白なスケジュールを思う存分楽しむつもりだったが、これはどうも無理そうだ。







「完璧な王子様に設定した、って貴方が言ってたけど。どこら辺が完璧なのかしら? 何だか殿下って変わってらっしゃるわ。やっぱり、貴方の設定なんか当てにならないわね。私の思うように行動した方がマシだわ」


 皆がみんな、設定からどんどん外れていってしまっている。特にエドワードは顕著過ぎる。

 しかし、『虫除け』とは! ファナは虫除けにしたって高級品だぞ。お相手が公爵令嬢というのは、そんなに絶大な効果があったのだろうか? そしてファナに気がないと分かってから、他のご令嬢にアタックされて辟易したのか?

 ファナに何も害が無かったのは、エルアと居たからか、例の件で怒り狂う様子で怖がられたからか。

 エドワードは、完璧『主義』な王子、としたのが悪かったのだろうか?


「それは言葉遊びとどう違うのかしら?」


 まあ、なんとも言えない。

 エルアはハーゼルとかなり長く話していたようだ。ちょうどファナが噴水のところに戻ると、ハーゼルがエドワードとテラスへの階段を登っていくのが見えた。

 エドワードはハーゼルも回収して行ったらしい。


「エルア、待たせてしまって申し訳なかったわね」

「大丈夫です。待っている間に、ちょうどアルミティア卿が通られて、お話ししていたので」


 エドワードから一撃をもらったファナの心にとって、エルアの安心感は麻薬のようだ。


「アルミティア卿って、良い方ですね」


 エルアが嬉しそうに言う。もう今日の収穫はこの笑顔だけだ。これが見れただけでよしとするしかない。


「学園でつらい思いをしていないか、って慮ってくださって。でも、ファナ様が庇って下さったので大丈夫ですと。実力を隠す方が恥って言って下さったって。そう言ったら、頑張れって笑顔で言って下さったんです」


 ハーゼルの笑顔!

 流石はエルアだ。あの仏頂面の心をもう溶かしたのか。エドワードが変なことになっている現在、ハーゼルのルートに期待ができるのは心強い。

 しかし、何故だかエルアがふふっとおかしそうに笑う。


「たぶん、あの方、ファナ様とお話ししたいんだと思いますわ」

「まさか。私、あの人と喋ったことも喋りかけられたこともないわよ」


 エドワードと似たようなことを言うエルアにどきっとする。


「そうでしょうか?」


 そう言ってエルアはにこにこと笑った。

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