第1話 異世界への招致

 流石は先輩。途中経過を相談してよかった!

 日没後の少し冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んで吐く。少し強めの風が、考えすぎてたくさん汗をかいた脳みそにほどよい刺激を与える。背中を捻ると凝り固まった節々がバキバキと音をたてた。

 いつのまにか先輩は自分の席に戻っていたけれど。それに気づかないくらい作業に集中していたと言うことだ。

 あれから先輩の指摘に従って、主人公を無個性からキャラ付けありに変更し、見た目を具体的に設定した。女神の目の色という設定を付け加えたから、それに連動して他キャラの目の色や髪の色や描写で特定できる身体的な特徴を練り直した。攻略対象については基本の性格以外はほぼ練り直しになる。悪役令嬢に無理矢理動かせていた設定も、攻略対象にトリックスターを入れる方向性で一旦は保留だ。

 しかし、先輩の言うしっかりした主人公の設定や攻略対象同士のエモい関係とやらはなかなか難しい。しかも没になる可能性も含めて、攻略対象候補をもっと増やせとのアドバイスだ。


「いやあ。にしても、女性がかっこいいと思ってくれるような男のキャラは作るの大変だわ」


 先輩は退勤する前、『君が創作した最愛のウチノコちゃんを嫁や婿にやっても惜しくないキャラを作れ』なんて言っていたけど。やっぱり主人公がちゃんと決まらないと難しいのか。

 駅に向かいながら、考える。

 今いるのは、悪役令嬢の婚約者予定だった完璧主義な王子、悪役令嬢の家に養子に入った皮肉屋な次期公爵、権力欲の強い辺境伯、チャラい大商人の先輩、飄々とした騎士。先輩の言う通り、悪役令嬢がいじめると庇ってくれたり興味を持ちそうなタイプばかりだ。ここに加えるとしたら、優等生キャラとかだろうか。

 ここら辺は、流行もあるだろうし、女性向けのゲームや漫画やアイドルの研究が必要なのかもしれない。これから家に着くまでに本屋にでも寄ってみようか。

 駅にかかる陸橋を登りながら、うっかり首からかけたままの社員証をカバンに入れる。と、その中のクリアファイルが目についた。俺は中身をつい取り出して、にやりと笑う。

 修正の書き込みで真っ赤になった設定書。

 他の仕事を抱えているのに無茶ぶられた時には正直殺意しかわかなかったが、今はこれに書き加えるのが楽しくて楽しくて仕方がない。設定を作るノウハウやら『正解』は、先輩の頭にはたくさん詰まっているはずなのに、こうやって素人同然の俺に考えさせよう経験させようなんて、本当に酷い。勉強してみました、ともう一度先輩に出す時はもっと感心してくれないと割りに合わない。

 パラパラとめくる手元にびゅうっと風が当たる。ちょうど陸橋の下を電車が通過したのだ。

 電車を追いかけるように、より強い風が吹く。


「――わっ」


 A4用紙の束。そのうちの一枚が手から掠め取られて飛んでいく。俺は思わず追いかけて、鉄柵の上によじ登ってそれを掴んだ。

 その瞬間、体が、傾く。


「うわぁあ!」


 気がついた時には、陸橋の通路の外に俺の体はあって、足が空を向いていた。

 『その瞬間』に向けて、認知がゆっくりになっていく。こういう時に、人は走馬灯を見るのだろう。空へ手を伸ばそうにも、手にはしっかりとくしゃくしゃになった紙が握られていて。

 ……これ、書き切りたかったなあ。

 こんな状況だけど、先輩だけは自殺じゃないって分かってくれるだろうな、と俺は冷静に思い、これからの衝撃に耐えれるよう目を瞑った。






「――やあ、また一つの世界が終わったんだね。今世はお疲れ様、サトウヒロト君」


 サトウヒロト? ああ、俺の名前、か。

 明るいの声に名前を呼ばれて目を開けると、真白い空間に俺がスーツのままぼんやりと立っていた。

 目の前には、白いローブに長い髪の毛の性別の分からない子供があぐらをかいて座っている。声から考えれば、少年だろうか。何人とも断定できない褐色の肌に、カラスの羽ような青黒い髪。不気味なほど線対象な顔と体つきで、だからといってバランスの良い美形という訳ではない。

 無表情で、なんだか、鳥や爬虫類を思わせる顔つきだ。


「僕の見た目のことはいいからさ。ねえ、君は次はどんな『君の世界』で生きたいかな?」


 じろじろと見入っている俺を嗜め、少年は問いを投げかけてきた。不躾な視線を向けていた事実と、それを面と向かって指摘された事実に、バツの悪さが込み上げてくる。


「す、すまない」


 乾いた口で、少年に非礼を詫びた。

 久しぶりに声を出した気がする。

 そうやって、俺はやっとこの状況に対する困惑を抑え込み、その答えを持っているだろう少年と話をしよう、少年が話していることを理解しようという姿勢になった。


「……ここは死後の世界なのか? どこの宗教の? きみ、は誰?」

「ああ、サトウ君はそういや世界の企画のお仕事もしてるんだっけ。ここの世界設定とか気になっちゃうよね。やれやれ、同じ『世界を作る』よしみだ。教えてあげるよ」


 少年は肩をすくめて見せる。その目が瞬きや角度を変えるたびに色を変えるのに気が付き、俺は思わず後ずさった。


「僕は世界を作る神性存在なんだ。その人の記憶やすでにある世界を使って新たに世界を練りだせるんだよ。君の思うがまま、完全完璧なオーダーメイドさ」


 顔は無表情なまま、えっへんと少年が胸を張る。

 俺はその姿と少年が言う『神性存在』とやらが結び付かず、口を開けはするもの、コメントできない。


「うーん、なら、もっとそれっぽくしようか?」


 少年が体を振ると、その背の後ろから身長の3倍はありそうな大きな翼が生えた。バサバサと猛風を起こして羽毛を散らす。

 一瞬にして半分開いていた口に羽毛が入り込み、まつ毛や髪の毛やネクタイが逆だって顔がぐちゃぐちゃになった。腕で目元口元を守り、口の中のものを吐き出す。


「僕は君が僕をどう思うかなんてどうでもよくて。僕は君が次はどんな『君の世界』で生きたいか、知りたいだけだよ」

「分かった、分かったって! というか、俺の世界、ってことは、今までの世界は全部嘘だったってわけか?」


 とりあえずは、少年――カミサマの言葉を信じてみることにする。

 それが伝わったからか、背中の羽根が小さくなり、カミサマはルネサンス期の天使のような姿になった。俺はあぐらをかいているカミサマの目の前に正座する。


「『水槽の脳』ってわけじゃないよ。世界は確かにあるんだ。厳密には、サトウ君が死んだ今現在、サトウ君の周囲の人はサトウ君がいない世界を生きてるのさ。誰を中心に見るかってだけのことだよ」

「それってつまりは、俺の世界じゃなかったってことだろ?」

「言葉が悪かったかな。『君の世界』ではあるけど『君だけの世界』じゃないんだ」


 それは言葉遊びとどう違うのだろうか。


「まあ、なんとも言えないよね。僕がその人のためだけに世界をかき集めてハーレム世界や逆ハーレム世界を用意しても、チャンスを生かせず、努力しない人も多いし。自分が主人公だって忘れちゃう人も多いんだよね。人生は選択次第。世界の選択は僕ら神様じゃなくて人の意思でなされるのに」

「製造者責任として、干渉はしないのか? 俺の生きてきた世界は、戦争も犯罪も憎悪もあって……お世辞にも綺麗なんて言える世界じゃなかったぞ」


 カミサマは首をこてんと傾げる。


「十分でなくとも、友情も、愛情も、楽しいことや美味しいものもあったでしょう。魂はすべてめぐっているわけじゃないし、僕は作った世界には物理的な干渉はできない。いや、違うな。したことがないだけかな」


 カミサマは今までを振り返るように、虹色に変化する目が上の方を探る。そして色を変えながらぐるりと俺の方へと視線を戻す。


「例えばその世界に入れば、見守ったりちょっかいかけたり、僕なりにその世界を楽しむとかはするかもしれないけど。その世界の僕にそういう設定がないなら、病気の人を奇跡で治したり、飢えた人にパンを与えたり、不運にも陸橋から転落した青年を助けたりはしないタイプかな」

「まあ、お前がそういうタイプのカミサマだったら、俺がここにいるわけないもんな」


 カミサマがうなずく。

 嫌味を言っても表情ひとつ変わらない。

 これは確かに、助けてくれるタイプではない。


「でも、だからってわけじゃないけど、こうやって生物が死んだときには、たまにリクエストを聞いているんだよ。贖罪なんてものじゃないけど、僕にはそれが出来る能力があるんだから、出来るんだったらした方がいいよね。だから、もう一度聞くけど、君は次はどんな『君の世界』に行きたい?」


 カミサマはあぐらを組んだ体を左右に揺らして、言葉を続ける。


「元の世界も良い選択だよ。だけど、君は別個人として生まれ変わっちゃう。ペットだった動物は、それでも元の飼い主の元へ戻りたがったりするけどね。人間だって、遺してきた大切な人が気になって戻ることだってある。

 一応、前世に基づいた僕なりのアドバイスも必要ならするよ。環境ゆえに悪人になった人にはいい人ばっかりの世界を勧めたり。『もしも』が叶う並行世界や歴史ifの並行世界だって用意できるし」


 カミサマがつらつらと説明する。


「サトウ君の心残りは何だい?」


 心残り。ああ、俺は本当に死んだのだと胸がちりりと痛む。

 突然の最期だった。家の冷蔵庫には昨日買った食材が残っていたし、今日帰れば通販で買った荷物が着いているはずだった。来月には楽しみにしていた漫画の続刊が読めたはずだった。気になる人だっていた。会いたい人や行きたい場所もあった。やり遂げたい仕事もあった。

 ――飛び降りてまで掴んだあの物語は、今世を生きた『俺』が書き切ることはもう出来ない。


「ああ、君の作った『世界』が完成しなかったのか。それは残念だね」

「…………」


 同情しているのか分からない、いや同情はしていない声のトーンでカミサマが言う。それからカミサマはしばらく無言で羽根をパタパタ動かした後、不意ににこりと笑った。

 ここで出会ってから、初めてカミサマの表情が変わった。線対称なその微笑みと、虹色の瞳にまぎれる悪戯っ子じみた光にぞくりと鳥肌がたつ。


「君の次の『君の世界』はきっと楽しくなるよ」


 カミサマの手には、いつの間にか紙の束が握られている。


「君は『君の作った世界』で、製造責任を果たすんだ」

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