否定と自覚-3《3》

 視線を向けると、優しい笑みを浮かべる少女がいた。身軽な服に身を包み、癖毛の茶髪を揺らしながら俺を見つめている。


 俺が一ヵ月ほど前まで所属していたパーティ【銀の宣帝】。俺が知っている限りそこの最後の入団者。それがレニス・フリルという少女だった。


 装備も雰囲気も俺がパーティを抜けた頃から随分と変わっている。以前見た時よりも強くなっていると、この距離で彼女を見るとそれが良く伝わってきた。


 たった三ヵ月という時間の中で、もう彼女は変わっている。俺が思っていた通り、彼等は前に進んでいるのだ。俺がパーティの面接に落ち、ダンジョンにも入れずギルドの依頼と睨み合っている間に、俺では進む事のできないスピードで彼等は冒険者の道を進んでいる。


 俺よりも後から冒険者になった筈の後輩が、もう手の届かない所までいっているという事実に心が揺れたが、それをなるべく表には出さないようにと表情を隠した。


「何の用だ」


 俺の口からでた言葉はまるで溜息と一緒に漏れ出したかのような声色だった。意識したわけではないが、お前と話すのは疲れるのだとよく伝わるような声をしていただろう。


 だがそんな俺の態度を気にも止めず、レニスは人受けのよさそうな笑みを浮かべニコニコと笑っている。


 パーティにいた頃からこの子は苦手だ。表情や仕草、それらは全て自分を好んでいる様に見える。いや、そう見せているんだろう。冒険者の中でもこの子の事を嫌っているという人間は少ない。人を欺く事に長けているのだ。人には自分の本性を見せないが、人の心の中には入ろうとする。何人の冒険者が彼女に喰われたのか俺は知らないが、パーティでの交渉はレニスが全て任されていた事を思い出した。


 人心掌握のスペシャリスト。そして、人の心を弄び精神的苦痛を与える事に悦びを見出しているサディスト。それが俺の知っているレニス・フリルだ。


 だが別に俺はその事を否定するつもりもなければ拒絶するつもりもなかった。俺がこの子を苦手としているのは、同じパーティの仲間であった俺に対しても、否定という感情を遠慮なくぶつけてくるからだ。


「いえ、久しぶりに懐かしい顔を見たので声をかけたくなりまして。まだ冒険者を続けて

 いるんだなぁと思ったんですよ。無価値で弱者のハイド先輩」


 まるで機嫌がよさそうに、だがその内心ではまったく別の感情を抱いているであろう後輩の言葉を俺はそっと受け流す。


 レニスが俺を嫌っているのは、俺が弱いからだ。


 冒険者の中で強者は正義、弱者は悪という極端なまでの実力主義思想者は多く、彼女もまたその思想に染まっている。


 冒険者になると少なからずそうなるのは仕方がない。人は周りの人間に影響される生物なのだから。だが彼女は、冒険者になる前からその考えを持っていた珍しい部類の人間だった。

 優しい笑顔の下で人を評価し分別している。その分別の結果、俺はレニスが最も嫌悪する部類のタイプになってしまったようで、この子に投げかけられた負の感情は数えきれない程だった。


「別にお前には関係がないだろ。どうしようと俺の勝手だ」


「そんなことはありませんよ。私も冒険者ですから。冒険者としてゴミ掃除ぐらいはしておかないなと思いまして」


 レニスは俺の正面にある椅子に座ると俺をじっと見つめた。相変わらず人を評価する目は変わっていないなと思いながら、俺はその目から視線を外さない。


 しばらく俺を見るその目を見つめ返していると、レニスはいつもとは違う疑うような視線を向けてきた。


「……なんか先輩、変わりました?」


「は? いきなりなんだ」


 突然のレニスの問いに俺は反射的に返したが、そういえば俺がこうしてレニスと真面に視線を合わせているのは久しぶりのことだと気が付く。パーティにいた頃はこの目が嫌いで合わせることをしていなかった。


「……いえ。気のせいですね。最近パーティの募集面接また落ちたらしいですし、先輩は何も変わっていないようで安心しました」


 怪訝そうな目で俺を見たレニスだったが、瞬きをして目を開いた時にはいつもの笑顔で顔を包んでいた。


 優しく聞こえてしまう声色で、俺が気にしている事に平然と土足で踏み込み荒らしていく。

 俺が変わっていないというなら、こいつも同じように変っていない。


「お前も、相変わらずいい性格してるな」


「そうですか。先輩に褒められても全く嬉しくはありませんが、一応ありがとうございますと言っておきますね」


「……可愛くねぇ」


「自分より弱い人可愛さなんて出すつもりありませんから。可愛い後輩になってほしいなら強くなったらどうですか? あ、先輩には才能が欠片もないことは十分知っていますので一生見せれないと思いますけど」


 流れる様に出てくる毒。パーティに在籍していた頃は、これを毎日ぶつけられていたのだ。俺が自分の才能の無さと向き合う事になった一番の要因は、間違いなくこの後輩のおかけだろう。


 才能がない、後輩の自分よりも役立たず、あっさりと等級を抜かさせるノロマ。レニスの顔を見ていると過去に言われた言葉の数々を思い出す。

 顔を合わせる度に言われていた。ダンジョンに入るたびに見せつけられた。その度に、俺には屈辱と羞恥と自信の喪失と、自分でも把握しきれない程の感情を抱え、そして最後にはパーティを首にされた。


「冒険者なんて向いてない仕事辞めて、凡人は凡人らしい仕事した方がいいですよ」


「お前は本当に俺の事が嫌いだよな」


「当たり前じゃないですか。才能もないのに頑張れば、努力すれば、何て考えている人気持ち悪いですもん」


「だったら俺に関わるなよ。無視しておけばいいだろ」


「はぁ? 何で私が態々自分の気持を押し殺さないといけないんですか? 弱者は強者のサンドバック。先輩が私の想いを受け止めるのは当然ですよ。悪いのは実力も才能もない先輩の方なんですから」


 レニスは俺に一歩近づき、耳に口を近づける。


「ここは貴方みたいな人が縋りついていい場所じゃない。いいかげん自覚したらどうですか。目障りです」


 心の隙間に入り込むのが上手いこいつは、人の心を折ることも上手い。的確に、容赦なく、人が言われたくない言葉を聞かせてくる。


 レニスの笑顔は深いものに変わっていた。優しい笑みではなく、邪悪、とでも表現することが正しいそんな笑みに。


 下から覗き込むようにその顔を、久しぶりに見た。何度これにビビったのか。その時の自分をまた情けなく思うと同時に──今の自分が、以前とは違っているのだという事にも気が付いた。


「──ああ、そうだな。お前の言う事は間違ってない」


 肯定的な俺の返答に、レニスの笑みが止まる。


 俺がこんな事を言うのは初めてだ。今までずっと、否定したいと思っていたから。自分には才能がないという事実から。目を背け、自分はまだできる筈だという可能性を信じ、他人の言葉に惑わされないようにと耳を貸さなかった。


 本当は最初からわかっていたのだ。才能のある仲間に囲まれて、自分だけがどこか違うと。彼等に出会った最初から、その感覚は覚えていた。


 俺もいつかそうなれると信じて、俺が自分を諦めてしまえば終わりだとそう思い、今まで俺は冒険者を続けてきた。


「俺には才能がない。そんな事はわかってた」


 イルマさんも、レニスも、他の俺を知っている誰もが言う。お前には才能がないと。


「だから、決めたんだよ」


 知っていた。わかっていた。それでも諦められないの理由が、俺にはある。実力主義の冒険者の世界で才能の無さというのは致命的だというのに、それでも尚全てを賭けてでも上に行きたいと望んでいる自分がいる事に今日、気が付けた。


 だから俺は、才能がないまま、可能性に手を伸ばす。


 それは死ぬかもしれない賭け事だ。勝算なんてまるでない。挑戦しても、何も手に入らない可能性の方が大きい。だがそれは、身の丈に合わない結果を求めている俺が挑むには、払うべき代償なのだ。才能のない俺が、他人と同じことをして同じだけの結果を求めるというこの甘い考えが、間違っていた。


「ありがとうな、レニス」


 初めて、レニスに心から感謝を言えた。そんな日は一生こないと思っていたのに、人生とは本当にわからない。


 レニスの顔は見なかった。どんな表情をしていたのか、俺は知らない。


 突きつけられて、自覚して、浮き彫りになった欲を抱え、俺は席を立ちレニスに背を向けた。それは今までとは違う、逃げる為の行為ではなく、挑戦する為の行為。


 レニスをその場に、俺は最上階からフロントに降りる。ギルドにいる冒険者の数は少なくなっていて、昼間とはまた違った雰囲気のギルドが見えた。


 冒険者の多くは朝から夕方の時間にダンジョンに入る。夜の時間に近づくにつれて、アルビスのダンジョンは危険度が増すからだ。夜のダンジョンとは、実力者達だけの時間帯。実力が伴っていない者が踏み入れれば、闇の魔物に容易に取り込まれてしまう。あそこはそういう異界なのだ。


 カウンターに目を向けると、そこにはもうイルマさんは座っていなかった。もう上がったのだろう。時計を見ると、もうそれ程までに遅い時間だった。


 黒塔から出ると、外は夜で包まれている。


 それ見て、笑みが浮かんだ。


「……丁度いい。明日を待つなんて遅すぎる。──今からだ」


 覚悟は揺るがず、想いが燃える。


 今までのハイド・ゴーゴルという男の全てを塗り替える。その為に、俺はダンジョンに向かって歩き出した。


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