第8話 【疑問】真に痛みを理解できない人間が、誰かに寄り添いたいと願うのは悪ですか?

※今回の夢日記には、かなり強い暴言が出てきます。しかも、その暴言を吐くのはまんごーぷりん、私自身です。苦手な方はご注意を。




「相手が悲しんでいるときに寄り添ってあげたいと願う者は、真の友人である」

「相手が苦しみを抱えているときに、少しでもその苦しみから解放してあげたいと願う者は、貴重な仲間である」


 基本的に異論は無いかと思います。……無いですよね、たぶん? まあ、どんなことでも、「100%」とか「完璧」とか、「例外は無し」ということはあり得ないと思うので、「例外はあれど、概ねそうだね」くらいの同意でも全く問題ありません。「全く同意できない! そんな人間は仲間なんかじゃなくて敵じゃん!」というご意見がありましたら、差し支えなければ是非その考えの道筋を教えてください。友情、仲間意識、人間関係をネタに創作を行うのが大好きなまんごーぷりん、世の中のいろんな人々の考えにかなり興味があるのです。ちょっぴり過激なご意見も問題ありません。

 ここではとりあえず、上記2つのフレーズを「公理」として扱っていきます――というとなんだか大げさですが、とりあえず、「わりかし誰もが納得できる大前提」として扱いたいと思います。


 さて、ここで質問です。


【仲間が抱えている苦しみ・悲しみを真に理解することはできない場合であっても、貴方はその仲間に寄り添うことが適切だと思いますか?】


 上記公理をもとに考えると、答えはYesになると思います(ここにもきっと例外はある)。――しかし時として、傷ついた人間はこう言うのです。


「お前には俺の気持ち/痛み/苦しみが分からないだろう!」


 小説や漫画等の創作物でも、現実世界でも、頻繁に耳にするフレーズですね。このフレーズを聞くたびに、私は「それはそうだが? それとこれとは何の関係があるの? 突然当たり前なことを言い出してどうしたの?」と疑問に思ってしまうのです。不快に思うわけではありません。単純に、どういう論理なんだろう? と気になるって感じです。多分、私の精神年齢が低いみたいです。


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 さて、そろそろ夢の話に入りましょう。ここは夢日記ですから。


 内容は大したことありません。過去に何度か述べたとおり、現実の私は女子中高出身なのですが、今回の夢の舞台はなんと共学の高校でした。どうやら私が書いている新作の物語に強く影響を受けているみたいですね。

 共学だ、ということが分かったのは、そこにいる生徒の顔ぶれから。現実には大学で知り合ったはずの男性の友人が、ちらほらと学ランを着て教室に存在するのです。ちょっとシュールですね。ちなみに校舎のレイアウトは、私の出身の女子校と全く同じ。芸がないですね。

 朝8:30、私の隣の席の男子(A君としましょう)がシクシク泣いています。クラスメイトは皆優しいので、「どうしたの?」と様子を伺います。――どうやら、彼の飼っていた猫が、昨晩亡くなったとのこと。とてもショックだったかと思います。私は悲しんでいる人に寄り添うのが下手な自覚があるので、A君に直接声をかけることはせず、ただ黙って見守っておりました(というと聞こえがいいが、シンプルに冷たいな……)。

 1限目は世界史の授業だったのですが、A君は泣き続け、周囲の友人も心配すぎて放っておけません。授業が始まっているというのに、彼の周りの席の生徒たちは授業そっちのけで一生懸命その男子生徒を慰めています。私は世界史の授業には興味がなく(!)、正直授業が聞こえようが聞こえまいがどうでも良かったのですが、A君と特に仲の良いわけでもない他の生徒たちは、授業中の騒がしさにいささかイライラし始めているようで、こちらもちょっぴりソワソワしてしまいます。

 そんなときでした。――A君は、前の席に座る心優しい女子生徒(Bちゃんとしましょう)にこう言い放つのです。


「お前はペットを飼ったこともないんだから、俺の悲しみなんて理解できるわけないだろ!」


 それを聞いた私は、驚いてしまいました。Bちゃんは(現実でも、夢の中でも)私の大親友。確かに犬猫ウサギみたいな、ある程度長く生きる哺乳類のペットを飼ったことはないと聞いていましたが、熱帯魚を大切に育てていたことは知っています。だから、A君の言葉に強い違和感を覚えてしまったのです(いくら短命だからといって、魚類だって大切な命だし、Aちゃんにとっては大切な仲間だったんじゃないか……とか、そういう感じ)。

 おまけに、その女友達は決して「あなたの気持ちはわかるよ」なんて言っていないんです。せいぜい、「辛かったね」と同意してあげていたくらい。共感にも満たない「同意」すら、Bちゃんには許されなかったのでしょうか。

 疑問に思った私は、口を開きます。


「理解できなかったらなんなんだよ!」


 夢の中の私は大立ち回りをするのが癖になっております。


「Bちゃんに感謝しろとまでは言わないけど、慰めてもらっておいて的外れな怒りをぶつけるのってどうなんだよ、それは八つ当たりって言わないのかよ! 理解できなくても、どうにか少しでも寄り添ってあげたいと願うのは悪いことなのか? それはそんなにも傲慢なことなのか? 今は人と話したくないっていうんだったら、シンプルに『ひとりにさせろ、今はほっとけ』って言えばいいじゃん、それが何? 自分とは境遇が違うからって親切な他人を撥ねつけるなんて、もはや卑怯の域。一番深い悲しみを背負ってる僕ちんが一番偉いんだって思ってるんでしょ。ある種の選民思想だよねえ」


 すごい暴言ですねえ。現実ではこんなこと言いませんし、思いもしません。夢日記を読んでくださっている皆様は信じられないかと思いますが、私、どちらかというとかなり穏やかな性格なんです。ちなみに、現実ではA君もBちゃんも、同じくらい大切な仲間です。2人とも、私に比べてよくできた人間ですし。

 さて、目一杯暴言を吐いてスッキリしたクズなまんごーぷりんですが、ふと前方に目をやると、Bちゃんが厳しい顔で首を横に振っています。

 そして、口パクで。


「少なくとも、今じゃない」


 おっしゃるとおり。今はA君だって、悲しみに打ちひしがれているのです。多少の理不尽な言動は大目に見るのが、人道ってものでしょう。私の暴言は、狭量どころかオーバーキルです。

 そして、教室を見渡します。――クラスの皆の視線が痛いです。


「お前が一番うるせえんだよ」

「そうだ! 出てけ」

「まんごーぷりんさん、うるさいです。授業を受ける気がないなら教室を出て行ってください」

「出てけ! 出てけ!」


 生徒と先生による「出てけコール」に背中を押され、クズなまんごーぷりんは教室を出ていきましたとさ。勧善懲悪、これにて一件落着。



 ……という内容の夢です。このあとすぐに目が覚めて、会社に行く時間だったので準備を始めましたが、まあまあ気分が悪かったです。留年する夢なんかよりずっと気分が悪い。


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「お前には俺の気持ち/痛み/苦しみが分からないだろう!」


というセリフの是非について。――辛い場面において、人間は誰しも八つ当たりをする可能性はある、という点は一旦おいておいて、とりあえず「安易に慰めに走った人間は非難されて然るべきか」という観点で考えていきたいと思います。


 私としては、慰める側(夢の中でいう、Bちゃん)の言動にもよると思うのです(それはそう)。


(1)Bちゃん側が安易に「あんたの気持ちはわかるよ。私も前にペットが亡くなって……」と自分語りを始めた場合

 これはBちゃん、一発退場です。今、話を聴いてもらいたいのはA君。もしも私の周りでそんなことが起きたら「Bちゃん、貴方の話をするんならちょっとこっちにおいで、私が聴いてやる」って言いながら引きずり出します(話くらいは聞くと思う。きっと、自分語りを始めてしまう子は、自分の話を聴いてもらう機会に飢えているのだろうから)。

(2)Bちゃん側がA君の悲しみを矮小化するような発言をした場合

 例えばBちゃん側が「ペットが自分よりも先に死ぬなんて元々知っていたでしょう?」とか、「そんなことで悲しんでいたら、これからの人生やっていけないよ。社会に出たらどうするの?」みたいな発言をした場合。これも一発退場です。もしも私の周りでそんなことを言う人間がいたら、何も言わずに引きずり出します。「サイテー」とすら言わない。ため息のみ。


 (1)(2)はシンプルに害悪なので分かりやすいです。でも、(3)(4)の場合がちょっと厄介だな、と感じるのです。


(3)Bちゃん側がA君の悲しみを「分かるよ」と言うことによって、寄り添おうとしているのが明らかな場合

 確かにBちゃんはA君の悲しみを本当の意味で理解することはできないかもしれません。……というか、ほとんどの場合において無理だと思います。仮に似たような境遇に置かれたことがある! と思ったとしても、まったく同じ状況かというとそんなわけはないし(ペットの話で言えば、どれくらい世話をしていたか、ペットの年齢はどれほどだったか、病気で亡くなったのか、事故で亡くなったのかetc)、そもそも全く同じ状況下に置かれたとしても、我々人間は皆固有の遺伝子を持ち、異なる生育環境で育っているため、受けるストレスの大きさや質は変わってきます。それでも、大切な仲間が悲しんでいる場合、その悲しみを慮る意味で、自身の似た境遇を思い出し、痛みを想像することはある意味自然な心の動きだと思うのです。そこまでこちらの痛みを慮ってくれたのか、と思うと、私だったら「お前と私は違う」なんて撥ねつける気にはなれないのです。

 ただ、その心の動きをもって「分かるよ」というのは、ちょっぴり安易で、傲慢なのは事実。「分かるよ」という言葉それ自体が腹立つ、というのであれば「分かるよ、は腹立つ」と相手に伝えるのは納得の範疇……なのかな。「じゃあどう言えば良いの?」という声もあると思います。その疑問、めっちゃ分かる(傲慢なまんごーぷりん)。

(4)そもそもBちゃん側が「分かるよ」「理解できる」なんて一言も言っていない場合

 今回の夢の内容のような場合ですね。せいぜいA君の悲しみに同意する程度の相槌。「それは悲しかったね」みたいな。「そもそも分かるなんて言ってないけど大丈夫?」となってしまうのです。

 誰かに悩みを相談する人って、多くの場合同意と共感を求めているっていうじゃないですか。共感が傲慢だというのなら、もう同意するしかないじゃないですか。そんでもって、「お前には俺の痛みが分からない」って言われるじゃないですか。……え、同意すらダメなの? それってもう、痛みが分かる分からないの話じゃなくて、「放っておいてください」「今は人間と話す気分じゃありません」「悲しむときは一人で悲しむ派です」ってことなんじゃないの? それならそう伝えた方が分かりやすいし、簡単だし、早いし、正確だし、正直だし、角も立たなくない? (ちなみに、私は悲しいときは一人で悲しむ派です。だから、「もう放っておいてくれ」という気持ちそれ自体は身に覚えがあります。でも、その場合は正直にそう伝えるまでです。)

 現実でも、創作物でも、意外とこの(4)の場面ってあると思います。


 さて、ぐだぐだと書いてみましたが、結局A君側には余裕がないんですよね。だから「Bちゃんに悪意がないか」「Bちゃんの慰めは、共感なのか同意なのか」なんて考えている暇はないかと思います。だから簡単に「お前には俺の痛みが分からない」で片づけてしまう。ここまでは仕方のないことです。


 しかし、心に一生残る傷もあれば、そうでもなく、上手に風化され、ある種良い思い出になるような傷もある。――多くの場合、人は痛みを乗り越え、通常の精神状態に戻るようにできています。そして精神状態が回復したとき、多くの場合はA君側とBちゃん側は、元の関係に戻るか、はたまたそれ以上に絆を深めるか、の二択だと思うんです。

 ……Bちゃん、心広くない? 私だったら、A君が回復したっぽいタイミングを見計らって「でもあのときのあの言い草は理不尽だよ」って言いたくなっちゃうと思うんですよねえ。

 少なくとも、創作の世界ではA君側が回復した後にBちゃんがA君を責めるシーンなんて見たことがないです。まあ、それは分かるんです。Bちゃんは聖人でないと話が成り立たないから。ただ、A君側がBちゃん側に(自分から)謝るシーンは見たことがない。別に、ガチ謝りをする必要はないと思います。「あのとき俺も余裕がなかったんや、ごめんごめん」くらいのかるーいノリで全然いいと思うのですが、実際にはそんなシーンが放送されることはない。

 ということはですよ。A君は、Bちゃんにひどいこと(「お前には俺の痛みが分からない」っていうセリフ、なかなかキツイと思うんです。なんか、根本から二人の友情を揺るがしているというか、「苦しいときに寄り添ってほしいのはお前みたいな能天気馬鹿じゃない」っていうニュアンスすら含まれているように感じる)を言っているにもかかわらず、Bちゃんに謝らなくても良い正当な理由があるってことかと思うんです。それはA君が(例えばペットの死などの)深い悲しみを負ったから、では片づけられないですよね。だって、仕事がうまくいかなかったからといって、それとはなんの関係もない家庭で、配偶者や子に対して八つ当たりをし、虐待を働いたらダメじゃないですか。そこに情状酌量の余地とかないじゃないですか。

 A君がBちゃんにひどいことを言い、かつそのことについて謝らないというのは、「Bちゃんのした行為が、何の疑いもなく悪であった場合」「Bちゃんの行為が、A君を深く傷つけるものである場合」のみ許されることだと思うのです。


 ……そして、最初の質問に戻るわけです。


 仲間が抱えている苦しみ・悲しみを真に理解することはできない場合であっても、貴方はその仲間に寄り添うことが適切だと思いますか?



 本当は「今はA君がBちゃんに貸し(借り?)を作っている状態で……」とか、「A君の悲しみはBちゃん由来ではないから、A君がBちゃんを傷つける正当な理由にはならない」とか、「Bちゃんの行為は正当だったのか?」とか、そんな妙ちきりんなことを考えずに素直に人間関係を結べばよいとは思うのですが、上記のような状態だとBちゃんみたいな親切な人間が損をして、私みたいにただ弱った人を放置しておく人間が安全圏に居られるというパラドックスというか、変な状態が発生してしまうな、と思っていろいろ考察してみました。

 楽しかったです!



 皆様からもぜひ、いろいろとコメントをいただきたいです笑



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