再会と秘密と (2)

 翌日から、アシュレイの護衛の職務が始まった。彼女はダリルの傍につき、周囲に彼に害をなす変化がないか、常に注意を向けていた。

 ダリルはどことなく落ち着かない気分でいたものの、変わりのない、平和な一日だった。

 アシュレイは職務に集中していた様子だったから、見張りの邪魔にならないかと、ダリルはなかなか彼女に話しかけることができなかった。

「お勤めありがとう、アシュレイ」

「いいえ。当然の責務です」

 簡潔に言葉を交わし、アシュレイはパットと見張りを交代した。職務初日にアシュレイがダリルを護衛する時間は、夕食までだった。


 パットとダリルは私室に戻り、眠る支度をする。

 食事の時も、移動の時も、アシュレイはどこか緊張した雰囲気を纏っていたと、ダリルは思い出していた。

 魔物の襲撃や犯罪で騎士や魔法士たちが出動することはあっても、父の治世で戦争は起こっていない。平和な世だ。毎日をこうして平穏無事に過ごせているのだから、彼女が気を張る必要はない。

 しかしながら、彼女との約束は、自身の専属魔法士になることに過ぎず、それ故か、あくまで彼女は「友達」でなく「従者」としてダリルに接している様子だった。けれども、そんな王子と従者の立場の壁に、ダリルは居心地の悪さを感じていた。同様の理由で、パトリック、もといパットにも、立場や口調を気にしないよう念を押しているし、それを彼は承知している。

「あの頃みたいに、戻れないのかな」

 ダリルは、思わずため息をついた。

「どうしたのさ、ダリル?」

 傍に控えていたパットは目を丸くする。

「彼女、アシュレイのことだよ」

「ふられたのかい?」

「そんな訳あるか!」

「冗談だよ」

 顔を赤らめながら怒るダリルに、パットは悪戯に笑っていた。

「たちの悪い冗談はよしてくれ、パット。ただ君のように、彼女とも身分に関係ない関係を築きたいって思っただけだよ」

「どうしてだよ? 俺は俺だし、彼女は彼女だろ?」

「そりゃそうだけど……なんというか、あの人が下手に出てるのがなんかむずがゆいんだ」

「君の立場ならそうだろ」

「でも、彼女とまた仲良くなりたいんだ。……別にやましい理由じゃないからな?」

「へーえ」

 怪しげに、パットは頷いた。

「パットにはよく話してると思うけど、子供の頃の話。あの時みたいに遊ぶわけにはいかないだろうけど、またお互いに楽しかったって感じられる思い出を作っていきたいんだよ」

「この王子様、純粋なのかバカなのか……」

「何か言った?」

「いや別に。なら、雰囲気を変えればいいんじゃないか?」

「それはいいね! よし、決めた! 明日、彼女を散歩に誘うよ!」

 ダリルはこぶしを強く握って、パットに宣言する。

「頑張りなよ」

「断ってくれなかったらいいけど」

 少しばかり心配な所はあったが、親友従者と話をして、ダリルの心は軽くなっていた。


  ***


 翌日、執務の合間の、ひとときの休憩時間。ダリルは深呼吸をした。このまま黙っていても、時間だけが過ぎていく。

「アシュレイ、ずっと気を張っていても疲れるだろう? 気分転換してみたらどうかな?」

 心を決めたダリルは、思い切ってアシュレイに尋ねた。子供の頃は気兼ねなく言えたことでも、勇気が必要だと感じながら。

 アシュレイは、紫の目を見開き、不思議そうに首をかしげた。そして、

「お気遣いありがとうございます。ですが、私のことはお構いなく」

 と、至って冷静に答えた。

「うーん……それであなたがしんどい思いをしたら、僕が困るのだけど。……また、庭で散歩でもしてみない?」

 考えたのち、ダリルは率直に、アシュレイの目を見て尋ねた。

「仕方ありませんね……お付き合いいたしましょう」

 アシュレイはダリルと目が合うと、ややあって、困ったように微笑んだ。

 彼女があまり気乗りしない様子であっても、誘いを断らなかったことが、ダリルをほっとさせるのだった。


  ***


 宮殿の庭に向かう道筋で、アシュレイはダリルの後ろに控えていようとした。けれども、

「せっかくだし、こっちに来てよ」

 と屈託のない笑顔を浮かべて彼は言う。

「それはとんでもないですよ」

 折衷案として、アシュレイはダリルの斜め後ろを歩いた。

「アシュレイ、覚えてる? 小さい頃、一緒に遊んだことを」

 庭に到着すると、懐かしそうに、ダリルは語った。

「忘れるはずもありません。この思い出を胸に、私はあなたに仕えるため、精進して参りました」

 アシュレイの声色も、心なしか弾んでいた。

 目の前に広がるチューリップは、真っ赤に、紅色。桃色に、黄色。色とりどりの花が並ぶ景色を二人は散策した。

 丸や円柱状など、綺麗に切りそろえられた植木。植木が並ぶ道の中央では、噴水が、放物線を描いていた。

 ひとしきり庭の景色を眺めたあと、ダリルは芝生が広がる場所で足を止めた。

「じゃあ、ちょっと休もうか」

 ダリルは芝生を踏んで足早に駆けると、大の字で寝ころんだ。普段着とはいえ整ったお仕着せも、髪飾りで留められた三つ編みも乱れるのをお構いなしに。

「ダリル様? せっかくの衣装をどうしてくれるのですか!?」

「細かいことは気にしないの。アシュレイも、こっちに来てよ」

 アシュレイの唖然とする様子にもかかわらず、ダリルはひょいと起き上がり、彼女に向けて手招きをする。

「私は、木陰で休めば十分です」

「だめだって、それじゃ。寝ころんだほうが、心が安らぐよ」

 ダリルがそうせがむので、アシュレイは、否応なしに彼の傍で寝ころんでみることにした。

 宮殿のさらに天上を見上げると、澄んだ青空が広がる。こんな良い天気だからダリルははしゃいでいるのだろうかと、アシュレイは考えた。

 流れる雲に、そよ風。少し風は冷たかったが、一方で降り注ぐ陽の光は身体をぽかぽかと温めてくれる。ダリルの言う通り、とても心地よい。

「……たまには、悪くないかもしれませんね」

 アシュレイは、そっとつぶやいた。

「ね?」

 ダリルは、アシュレイの方を向いて、満面の笑顔を浮かべた。

 アシュレイも声のする方向に首を向けると、ダリルと目が合った。

 夕焼けのような瞳はきらきらと輝いていて、その笑顔は真昼の太陽のように眩しい。アシュレイは、ただただ見とれていた。それが気まずくて、また、天を仰ごうとしたその時。

「アシュレイ。こうしていると、昔のようだね」

 天に向けて手をかざしながら、ダリルは口を開いた。

「はい。まさか、お昼寝に付き合わされるとは思っていませんでしたが」

「またあなたとこんな風に一緒に過ごすことができて、僕は嬉しいよ」

「私は、あなたがまたこんな風に接してくれるとは思いませんでした」

 ダリルと別れてから、十年の時が経った。その間に彼は多くの人と出会い、様々な経験をしたことだろう。だからこそ、ダリルの態度に、アシュレイは少しばかりの戸惑いを感じていた。

「え、嫌だった!?」

 アシュレイの思いに反して、ダリルは目を白黒させる。

「違うのです。あなたはいつも、私と同じ目線に立ってくれる。それが、不思議なのです」

「アシュレイは従者である以前に、僕の友達だ」

「友達……今でも、そう受け取っていいのですか」

「もちろん。だから、言葉も気にしないでいい。これからまた、仲良くやっていこうじゃないか」

「さすがに、公衆の面で言葉を崩すわけにはいきません。ですが、また仲良くしましょうね」

「アシュレイがそう言ってくれて嬉しいよ。じゃあ、散歩の続きをしよう」

 ダリルとアシュレイは再び起き上がると、まだ行っていない奥の庭に向けて、歩き始めた。

 奥の庭の入り口は、淡い色の薔薇のつぼみたちが目印だった。二人が足を踏み入れると、開放的な表の庭とは一転、木々が密に茂る中に、ネモフィラやアジュカといった青い春の花たち、ラベンダーやローズマリーといったハーブが密になった、淡い色が広がる景色が広がっていた。

「綺麗ですね……」

 アシュレイが花たちに見とれていると、そよ風が木々や花たちを揺らす。

 不意にダリルは、腕をアシュレイの髪へと伸ばした。

「ほら、木の枝が」

 風で飛び出した木の枝が、髪に絡まっていたらしい。彼は枝を、アシュレイの髪から丁寧に外していった。

「まあ、いつの間に。不覚ですね」

「それぐらい、気にしないでよ」

「ダリル様!」

 空から小鳥のような魔物がダリルに近づいたため、アシュレイは即座に警戒態勢に入った。小鳥は、どこからか迷い込んだようだ。脅威にはならないだろうが、用心するに越したことはない。

「痛いって、この」

 ダリルは小鳥の魔物につつかれている。けれど、その声色に苦しみは見えなかった。

「初めて出会った時も、迷い込んだ魔物がダリル様にじゃれついてましたよね」

 小鳥が飛び立つ様子を眺めながら、アシュレイは言った。

「そうだったね。懐かしいな」

「この子はまだ可愛いものですけれど、いつ魔物がダリル様に襲ってくるかはわかりません。その時は、私にお任せください」

「アシュレイがそう言ってくれると、心強いよ」

「それは何よりです」

「あなただから、安心できるのかな? けれど、あなたに任せきりにはしたくない。僕

だって一緒に戦うよ」

「ありがとうございます。けれど、あなたは尊き命を持つ方。それだけは忘れないでくださいね」

「わかってるよ」


 一通り庭を巡ったあと、ダリルは自室への帰路を辿った。アシュレイも側で控えている。

 今日は楽しかった。明日から執務をまた頑張ろう―。ダリルがそう考えている矢先。

「ダリル。何をへらへらしている」

 すれ違いざまに、鋭い目線が突き刺さった。ダリルと同じ金髪に、夜空のような深い青色の瞳。眉間にしわが寄った、二十代半ばほどの男性だった。

「兄上」

「オスカー様」

 ダリルとアシュレイは、背筋を伸ばし、男性に向けて礼をする。彼こそが、ダリルの兄にしてソルシア第一王子オスカーだった。

「専属魔法士がアシュレイ・アークライトである故、浮かれてはいまいな」

「浮かれてるのは、その後の執務を真面目に行うためですよ」

 兄の警告に負けるまいと、ダリルは彼の目をしっかり見て、明瞭に答えた。

「これだからお前は……くれぐれも彼女を振り回さないようにな。アシュレイ、こいつが羽目を外さないか、どうか見張っていてくれ」

 オスカーはダリルとアシュレイ、それぞれに対して懇願した。

「兄上に言われなくたって」

 ダリルが反論を口にしようとしたところで、オスカーはくるりと背を向け、去ってし

まった。

 剣も魔法も勉学も、自分よりずっと出来の良い兄。おまけに性格も実直で、周囲からの信望も篤い。そんな彼が次期国王であることには納得がいく。

 それでもダリルは、彼の生真面目さに、苦手意識を持っていた。兄もまた、人の話を聞かず、手のかかる弟だと思っていることだろう。

「僕は兄上とは違う。兄上みたいにしてたら、息が苦しくなるよ」

 心の中で悪態をつきながら、またダリルは歩き出した。

「オスカー様は、あなたの様子を心配しているのでしょう。ですが、ダリル様はダリル様です。あなたが責務を全うするために必要なことはしてほしいし、そのために私も協力します」

「……そうだね。ありがとう、アシュレイ」


  ***


 翌朝、ダリルは目覚めようとしたところで、急に身体を揺さぶられた。

「おはよう。起きろ、ダリル」

 聞こえたのは、パットの声だ。どうやら、起こしに来てくれたらしい。

「おはよう、パット」

 眠い目をこすりながら、ダリルは起き上がる。

「ところで、昨日はどうだった? アシュレイさんとは仲良くなれたのか?」

「楽しかったよ。変わったところもあるけど、なんだかんだ、昔と変わらない所もあるんだなって」

「ふーん……そうかい。まあ、楽しかったら何よりだ」

 パットが話している所に、ノックの音が鳴った。

「ダリル様。アシュレイです」

「待ってくれ」

 アシュレイに寝起きの姿を晒すわけにはいかない。ダリルは慌てて着替え、身支度をしてから扉を開けた。

「おはようございます、ダリル様、パットさん」

 アシュレイは、王国魔法士の制服をきっちり着こなし、笑顔を浮かべる。

「あ、噂をすれば。おはよう、アシュレイさん」

 パットは、アシュレイに向けて軽く右手を上げた。

「おはよう、アシュレイ」

「私の噂とは、感心しませんね」

 続けてダリルも挨拶をしたが、アシュレイは笑顔のまま、ダリルに詰め寄った。

「いや、昨日は楽しかったなーって思ってただけだよ……?」

 目線を宙にそらし、ダリルは乾いた笑いを浮かべた。

 挨拶を交わし、何気ない話をする。こんな日々がいつまでも続けばいい――。そう思いながら、ダリルは執務へと向かう支度を始めた。

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