「下がれ!ミルコ!」

 爆発音がして、石畳の床に叩きつけられた。

 術師の声がかき消えた。

 口の中が切れている。

「くそ…なぜだ…この階層で会う敵じゃないぞ」

 震える声がする。

 ミルコを巻き込むことを厭わず爆発魔法を連発したのは、石蝿ストーンフライを近寄らせないようにするためだった。

「ミルコ噛まれるな!石になるぞ!」

 魔術師が魔法晶石を握りしめた。

 違う、と言いたかった。ストーンフライを追うのに爆裂バーストの魔法は違う。

 だがもう声は出そうにない。喉が裂けている。

 恐怖で震える。声が出なければ魔法は使えない。

 違う、違うの…と言いたくて、ミルコは喉を絞った。

 違う!今は!


「気がつきましたか」

 薄目を開ける。

「夢…」

「ずいぶんうなされてましたね」

 硬いベッド、白いシーツ、体が温かく感じるのは、治療魔法が効いているからだと思われる。

(生きてる…)

 ほっとした。

 涙が溢れる。

(また、生き残ってしまった)

「あの」ミルコは声をあげる。まだ声が掠れている。

「他の、人たちは」

 綺麗な白を着た治療士は、濡れタオルをミルコの額に当てる。

(また、私だけ)

「状況から見て、ストーンフライの群れに襲われたと想像されます」

 治療士は痛ましそうに言った。

「ミルコさんはうずくまって丸まったまま石化していたので、蘇生は容易でした…でも他の人は」

「私、ダメですね…また…」

 治療士は首を振った。

「運が悪かったとしか」

 濡れタオルが涙を隠すように目の下に当てられた。

「低階層では絶対に出ないストーンフライに遭遇したんですから」

 違う。私たちは倒せた。私がためらわなければ。魔術師に最良の選択をさせることができていれば。私は彼らの正体を知っていた。

 そう心の中で言いながら、もう一つの声が心で響いた。

 私のせいではない。私はパーティーのリーダーではなかった。パーティーリーダーの戦士は真っ先に石にされてしまった。重心を崩して倒れ、粉々になった戦士を見てパニックになった術師が魔法の選択をミスした。それがなければ…。

「いや」

 小さな否定を精一杯の声で出して、ミルコは布団に潜り込む。

 もういい。やめよう。

 私はハンターをやめよう。


 体が動くようになってすぐ、ギルドに呼び出された。

 能面のような顔の事務官に、ここで待つように、と言われた部屋は、大きな机の置かれた会議室だった。

 ぼんやりと待っていると、よく通る声で

「待たせてすまない」

という声とともに、背の高い男が入ってきた。

 あまりに見慣れたその顔を見て、思わず立ち上がり、少しよろめいた。

 ミルコと同じように眼鏡をかけ、短い髪を撫でつけている。よれよれの皺だらけの長衣は、とてもその地位にある者が身につけるのにはおよそ似つかわしくない。

「ああ、そのまま、そのまま」

「ギルドマスター!すいません…」

 攻略省ラームの出先機関でもあるギルドの最高責任者。本当の名前は誰も知らない。ただこう呼ばれている。

 バッシュ・ザ・ギルドマスター。

「すまないね、回復がまだだろう」

「申し訳ありません、また」

「三回目だったか」バッシュはまるで、茶に砂糖を三つ入れるのか、というような感じで言った。「全滅を経験するのは」

「申し訳あ…」

「いやいや、責めているわけではないよ」バッシュは慌てて言った。「君に落ち度がないことは回収班の証言からも明らかだ。君はエラーに巻き込まれた。三度も特異点に遭遇した」

 ミルコは首を振った。私が悪いのだ、と言いたかった。

 だがバッシュは構わず続けた。

「君が遭遇した、低階層では起こり得ない強敵や難易度の高い罠の存在、それを我々は特異点と呼んでいる」

 バッシュは顎髭を撫でた。

「その特異点に三度も遭遇して生き延びた者などいない。君以外はね」

 ミルコは首を振った。「たまたまです」

「謙遜は口当たりの良い毒である」

「…はい」

「タウリスの言葉だよ。聞いたことはないかね」

「タウリス…って誰ですか」

「大切なことはタウリスが2000年前にだいたい言っているからね」

 だからタウリスって誰なんだろう、という問いが宙ぶらりんになって、ミルコは首を傾げたままだ。

「君は特異点の全てで生き延びた。その才能には謙遜は似合わない。だからこそ、君に新しい任務を与えたい。これはギルドの意志として受け取ってくれたまえ」

「それは」穏やかな物言いの中にある意図を感じ取ってミルコは顔を上げる。

「命令ですね」

「そう、君に拒否権はない」

 バッシュは嬉しそうにポン、と手を叩いた。「いいね。知性あるものとの会話は時を稼ぐ」

「それもタウリスですか」

 バッシュはいかにも愉快そうに吹き出した。

「今のは私の言葉だよ」


「ギルドマスターはこう言いました。迷宮に関しては素人だと」

 のびた酔漢を片付けたウェイターがお礼に持ってきた肉料理をつまみながら、ミルコは言った。

「まあ、そうだな」ハックは認めた。

「戦場が長かったからな」

「3年だ」スラッシュが訂正した。「大して長いわけじゃない」

「戦場で3年生き延びるのは、長いですよ」

 ミルコは言った。「大概そこまでもたないです。お二人の若さなら、尚更」

 ハックは意外そうにミルコを見て、再び吹き出した。

「そんなふうに言われたことはないな」

「確かに」スラッシュも微笑んだ。

「あんたも大概若いぜ」

「確かに」ミルコは認めた。「そんなには変わらないかもですね」

 ハンターを二人、君に面倒を見てもらいたいんだ、とバッシュは言った。

 全然新米ではない。私には荷が重い。

 ミルコは心の中でため息をつく。

「とりあえずお二人に前衛に回っていただくとして」ミルコは言った。

「マカリスターの法則セオリーをご存知ですか」

 ハックはスラッシュを見た。

 スラッシュは首を振る。

「なんだそれは」

 そこからか。

「タリスマンの迷宮は、一から九十九階層まであります。深くなればなるほど晶石濃度が増えます。つまり、晶石の影響を受けた魔物も強大化し、危険度が増します」

 ミルコはこぼれたエールでテーブルに丸を六つ描いた。

「迷宮の危険度が増し、死亡率が上がるのは十三階層です。そこを越えるのであれば、六人のパーティー編成が最も効率的だと言われています。これがマカリスター・セオリーです」

「必ず六人必要?」ハックが尋ねた。

「そういうわけではないのですが、いろいろな試行錯誤の結果、これが最もしっくりくる編成だと言われています」


 タリスマンの迷宮に挑んだ初期のハンターの一人、マカリスターは、引退するまでにギルドの編成担当として、多くのハンターに助言を行ってきた。

 マカリスターは最初の王属でないハンターとして、まだギルドが誕生したばかりの時に雇われて迷宮に侵入した。当時のマカリスターの経歴は不明である(野盗の類だったとも言われている)。当時の迷宮探索の編成は、騎士団メンバーが中心で、騎士四人に魔術師が一人という編成が多かったらしい。

 しかし、この編成は迷宮の深部に到達してから、ことごとく失敗した。

 迷宮の通路の広さは騎士三人が並んで戦うのに精一杯の広さである。よってマカリスターは最初、騎士三人魔術師一人の編成が妥当だと考えた。しかし、自分がその編成についていくことで、中距離射撃の武器で後方支援をし、生存率が上がるのではないかと考えた。

 この後マカリスターは治療士の資格を持つ聖騎士を連れて六人で侵入し、成果を挙げた。この、前衛三人に魔術師、治療士、後方支援の六名で侵入するスタイルを、いつの頃からかマカリスターセオリーと呼ぶようになった、というわけだ。

「ですから今、深いところを目指すハンターは、皆この形式をとっています」

「つまり」ハックは言った。「あれか、あと三人は仲間を入れろ、ってことかい」

「そうなりますね」

「分け前は減るけどな」銀髪をかきあげてハックは思案した。「それが安全だというわけか」

「死ねば分け前もないですからね」ミルコは言った。「三人では不意打ちなどに対応できないですし、無茶だと思います」

「どう思う」ハックはスラッシュを振り返った。

「誰かを誘うにしても、実績がいるだろう」スラッシュは言った。

「まずは手っ取り早く名を売らなければ、一緒に行ってくれる奴の腕前も期待できない」

「確かにそうですね」

 ミルコは暗い表情で言った。

「まあ、私の場合、逆の名声が立っちゃってますけどね…」

「あんたはどうなんだ」急にハックが黙って肉を齧っていたエヴァリスに声をかけた。

「ふゃい」口の中にいっぱいに肉を頬張ったエヴァリスが目を白黒させた。

「エヴァリスは聖騎士団ですから」ミルコは慌てて止めた。

「私たちと同行するのは、騎士団からの命令がある時だけです」

 エヴァリスが深く頷いた。肉を飲み込んだらしい。

「先輩を私たちのパーティーに入れることはできます。先輩は教徒ですから」

「なるほどな」ハックはつぶやいた。「面倒臭いな、あんた」

「失礼ですね」エヴァリスが憤慨した。「信心深いだけですわ」

「となると、やはり実績が必要だ」スラッシュが言った。

「そうですね…でも最初から六人である必要は、必ずしもないんですよ」

 ミルコは説明した。

「低階層、チュートリアルレーン、と言われる第一階層は、一人でも侵入可能です」

「三人ならどこまでいける」

「さあ…何もなければ、三階が限度かと」

「なるほど」ハックが言った。

「では、まず潜ることだな。案内してくれ」

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