彼は憧れの人だった

 一時期、この世界に生まれられる確率。この世界で友人になれる確率。それを具体的に示し、お涙頂戴する歌が世間に蔓延った。そういう歌が、俺は嫌いだった。そんな天文学的数字で俺達が巡り合わされたわけではないと俺は思っていたからだ。それは別に、運命だったからだとかそんなロマンチックなことを言いたかったからではない。

 人が誰かと出会い、生きることは必然だと思っていた。

 人が生まれる全てには環境があり、境遇があり、現実がある。そういう境遇が似通っているからこそ、人は出会う。そして、そういう境遇が似通うのは大体生まれる前から決まっていること。だから、出会うことはあくまで必然でそんなありがたみのあるものではないと思っていた。


 大友と俺は出会った。

 俺達の境遇は似ていると思った。

 葡萄農家の長男であること。

 同級生の姉がいること。

 勝気な母がいること。

 尻に敷かれている父がいること。

 

 だから俺達は出会ったと思っていた。それはあくまで決まっていたことであり、運命なんかではないと思っていた。あくまでそれは境遇に示し合わせてそうなったんだと思っていた。

 だけど、俺達と周囲の関係、そして人生は、随分と乖離した道を歩んだものだと思った。多分、それこそがその人の運命なのだろうと俺は思っていた。




 大友の父の通夜は、快晴の日に行われた。

 母と姉は、先に斎場に向かっていった。俺は、渚と一緒に斎場へ向かうことにした。大友の父に、最後に渚と一緒にいる姿を見てもらいたかった。日頃そんなことを考えるような性格ではないのに、珍しくそう思った。


 渚に帰省直前に言われて持参したスーツに着替えて、慣れないネクタイを締めた。


「そろそろ行こうか」


「ネクタイ、曲がってるよ」


 喪服を着た彼女にネクタイを直してもらっていると、色々な嫌なことを一時でも忘れられた気がした。


 夕暮れは真っ赤に染まっていた。その光景をもう見れない人がいる。そんなことで涙を流しそうなほど、俺は既に感傷的な気分になっていた。


 何も話すことはなく、渚と斎場までの道を歩いた。

 車の音。

 靴の音。

 下に流れる下水の音。

 聞き覚えのない音なんてここにはないのに、全ての音は今後一切忘れられそうもないと思った。


 斎場は粛々とした雰囲気だった。線香の香りが鼻をくすぐり、花弁の香りが暗くなりそうな気持ちを保ってくれた。それ以外の香りは、何も感じることはなかった。

 

 大友の父の参列客は多かった。その列に交じって、自分達の番が来るのをただ待った。坊主の読むお経は、日頃俺が聞くお経とは違った。そのことが他人の通夜に交じっていることを物語っていて、どうにも気持ちが落ち着かなかった。


 母から香典は家族で払うかと問われたが、俺はそれを断った。後々聞けば、姉も一人で香典を出したそうだ。


 母は、俺が一人で香典を出すことを心配していた。バイト代で自由に遊ぶ金があることを知っているとはいえ、姉と違い就職しているわけでもないからそう思ったのだろう。


「あたしと半分こしよう」


 そんな時にそう提案してくれたのは渚だった。


「ちょっと今月、出費が嵩んでてさ」


 渚がそんな散財家でないことは周知の事実だった。

 フォローまでしてくれて、本当に良きパートナーを持てたと思えた。


 参列客は多かったが、滞りなく焼香の順番は進んでいった。ふと、出口付近を見れば丁度姉と母が焼香を終えて斎場から出ていく姿を捉えた。


 姉は泣いていた。昔から感情的になることが多い人だったから、それは当然であれば当然だと思えた。なのに今回ばかりは、どうしてかもらい泣きしそうになっていた。それくらい、俺も別れを惜しんでいたのだろう。


 震える手を、渚が握ってくれた。

 それで涙を堪えられた。いい歳して惨めだとも思ったが、背に腹は代えられなかった。


 焼香の順番が目と鼻の先にまで迫っていた。

 その時、見つけた。


 親友の姿を、見つけた。



 ……どうすれば。



 どうすれば、あんなに毅然とした態度で振舞うことが出来るのだろう。

 どうすれば、たった二十歳で父の死を受け入れて、喪主として参列客に粛々と頭を下げることが出来るのだろう。


 大友という男と、馬鹿なことをたくさんしてきた。


 境遇が似ていたから。

 だから俺達は出会い、遊び、一緒に年を重ねてきた。


 でも。

 ……でも、毅然と頭を下げる彼の姿は、とても俺と同い年の若輩者には見えなかった。

 彼は俺よりもずっと大人で、俺なんかよりもずっと濃密な運命を辿ってきた。


 昔から彼の後を追っていた。

 口では馬鹿にすることもあった。向こうも自虐交じりにへりくだることもあった。


 だけど根底では……俺はずっと彼に憧れていた。

 

 彼が大人であることはわかっていた。

 俺には出来ない割り切りの良さ。同年代の中でも長けていた処世術。時々見せる相手の心を開かせるような、そんな無邪気な笑み。


 憧れていた。

 ずっと、憧れていたんだ。


 自分は大人になんてなれないと思っていた。二十歳という年齢は成人を迎えるが、それはあくまで形式的なものであり本当の意味での大人になるわけではないと思っていた。

 だけど違った。

 それは、ただの俺の言い訳だった。

 それを俺は、憧れだった親友の振る舞いから教えさせられた。


 大人な親友の姿に、自罰的な思考がダムから放流された鉄砲水のように俺を襲った。

 

 ……でも。


 俺はすぐに、そんな身も蓋もない思考を振り払った。


 大友の顔には出さない、彼の身も裂かれるような悲しみを思うと、やるせない気持ちになったからだった。大人な彼が今あの場で堪えている気持ちを思うと、そんなくだらないことはすぐにどうでも良くなった。


 ただ……俺は大友の心境を思い、自分の気持ちを堪えることが出来なくなってしまった。


 大友と目が合った時、彼は最初驚いた顔をしていた。

 頭を下げ合って、次に大友は渚に苦笑を見せていた。


 ……俺は、スーツの裾で涙を拭っていた。


 到底、今の俺では彼に追いつけない。

 そのことを悟ると同時に、今はまだ彼に追いつけなくても良いと思った。

 

 今はとにかく、お世話になった彼の父との別れを惜しみ……そして、冥福を祈ろうと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る