第23話 幽霊文字

 “幽霊文字”、聞いたことがない単語だった。

 そのまま受け取ると、幽霊が使用する文字──という意味だろうか。


「やっぱり、知らないよね。私でも昨日調べるまで、何か分からなかったし。端的に言うと、この“彁”って漢字の部分が幽霊文字って言われている物なんだ」


「お、おう」


「で、その幽霊文字は何かっていうと、元は海外のゴーストワードって言葉から来てて……あぁ、これはどうでもいいか。幽霊文字っていうのは言葉の通り、実体が存在しない文字。要は意味が不明の漢字なんだよね」


「……意味が不明の漢字?」


 俺は御子に、そのまま聞き返す。


「今のパソコンとか電子機器の変換にはJIS漢字コードってマルチバイト文字が大体使われているんだけど、その中には過去に使われた形跡のない、謎の漢字がいくつか紛れ込んでいたんだよね」


「これが俗に言う“幽霊文字”ってやつ。通説だと、打ち込む時に元の文字が潰れてたり、書き間違いがあったせいで、こんな現象が起こってしまったって言われてるよ」


「そ、そんな物があるのか……何か不気味だな」


「うん。でも重要なのはこれから。さっきも言った通り、幽霊文字はこの“彁”だけじゃなくて、いくつか存在するんだけど……まあそんな文字を放っておくのもちょっと問題があるんじゃないかってことで、改正の時に徹底的にありとあらゆる文献から幽霊文字を探し出そうっていう動きがあったんだ。日本の学者も優秀だったみたいで、“ある一つ”の漢字以外は偶然的にも、使われた形跡を発見することが出来た」


「……それって」


「そう、その唯一どこにも使われた形跡がないのが……この“彁”って文字」


「マ、マジか……」


 少し“ゾクッ”とした。

 確かに、見慣れない文字だったが──まさか、そのような逸話があるとは。

 幽霊文字とはよく言ったものだ。

 どこにも意味が存在しない、透明な文字、それこそ、まさに幽霊のような存在と言える。


 あの時、御子に初めて“窯神”の風習を聞いた時のことを思い出す。

 『窯神』は結局『彁混神』と無関係の存在だったが、その意味が失われてしまったという点に関しては共通点があった。

 今では全く使わなくなった言葉のことを“死語”というが、本当の意味で“死”を迎えてしまった文字は恐らくこの『彁』のみであろう。


 そう考えると、なぜこの像は彁混神と名付けられているのか、疑問が残る。


 幽霊文字の『彁』に、混ざる神と書いて、カマカミ。

 一体、どういう意味なんだ。これは。


「この『彁』って文字については分かったけど、じゃあ彁混神って……どういう意味になるんだろうな」


「うん、やっぱり気になるよね、それ。一応ネットで検索したけど、一件もヒットしなかったんだよね」


 どうやら、御子も俺と同じことを考えていたようだ。

 ふと、半分程残っていたポテトに目を移す──さっきの話の最中に全て食べ終わってしまったようで、皿は空になっていた。


「彁は意味が分からないからとりあえず無視するとして、先に混神マカミの方を解読しようか。考えられる可能性としては……“何か”に混ざった神か、“何か”を混ぜることによって神になるのか」


「…………」


「混血の神ってのはどこの神話にもいるからそういう意味かもしれないし、混沌の神を略して混神、って呼んでるのかも。そうそう、中国にはそのまま“渾沌”って名前の神がいたはず。まあこいつは目鼻がない、のっぺらぼうみたいなやつだったから、関係ないか。どちらにしても、この像、ちょっとあの婆さんが一人で作ったとは考えられないんだよね。意外ときちんとした作りで、頑丈だし」


 コンコンと、像の頭部を拳で叩く。

 確かに、彁混神の像はそこら辺の土産屋に売っているような作りではなく、もっとこう本格的な、まるで寺に飾られている銅像のような風格があった。


「ってことはつまり……いや、これは私の考え過ぎか」


「……ん?」


「ううん、何でもない。もう終わったことだし、気にしなくていいよ」


 御子が言い掛けた“考え過ぎ”と言った内容が気になる。

 何を──言おうとしたんだ。


「それより、蓮くんはどう思う? 彁混神に込められた意味について」


 話題を逸らすように、彼女は俺に尋ねる。


「……そうだな。俺はやっぱり“死”なんじゃないかなって、話を聞いて一瞬思った」


「死? どうして?」


「ほら、使われなくなった言葉って死語って言うじゃないか。だから……何となく、そう思ったんだ。幽霊文字ってのも、死を連想させるし」


 率直に、俺は先程感じたことを御子に伝える。


「……成程。死、か。つまり、彁混神は……“死”と何かが混ざった神になった存在、ってことになるね。ちょっと、面白いかも」


「……面白いか?」


「うん、面白い」


 ニッコリと、御子は微笑んだ。


「じゃあ彁混神についてはこれで終わりね。あの悪霊の影を操っていた婆さんは自殺したし、もう私達には無関係のことだよ」


 そう言うと、彼女は像を鞄の中に仕舞った。

 よく、あんな気味の悪い物を持ち運べるな。俺には無理だ。


 『彁混神』

 結局、この言葉の意味はあの老婆が自殺してしまったせいで、闇に葬られてしまった。

 だが、まあ御子の言う通り、もう俺達には関係のないことだ。全ては終わった。

 だから、もう忘れよう。こんなこと。俺はただの大学生なのだから。

 これ以上、あんな恐ろしい目に遭うのは御免だ。俺はやっと、平穏を手に入れた。


 終わった──はずだ。

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