第2話 佐山御子という女
佐山御子。
あいつと出会ったのは去年の春、大学でのフランス語の授業だ。
偶然、隣の席になり、他愛のない挨拶をした時に初めて言葉を交わした。
彼女と話した時の初対面の印象はとても、落ち着きのある女性だと思った。
そして、徐々に仲が良くなって行ったのだが──段々、彼女がどこかおかしいことに気付く。
まず、最初に違和感を覚えたのは他の授業で俺が他の女子とペアを組んだ時だ。
特にその子とは仲がいいというわけではなく、ただ流れで組んだだけであり、世間話もせずにそれっきりの付き合いだったのだが、なぜか佐山御子はそのことについて異常に詳細を尋ねてきた。
「あの子は誰なの?」
「仲がいいの? もしかして、付き合ってる?」
──正直、怖かった。
彼女の目は雑談をする時の目ではなく、何かを探っているような“眼”だった。
それ以来、少し距離を置くようにしたのだが、彼女はなぜか俺を付回すようになった。
例えば昼休みになると急に待ち伏せをするように現れて、昼食に誘ったり、授業を全て終え、駅に向かおうとしている時にも突然現れ、一緒に帰ろうと言い出してきたり。
だが、間違いなくストーキングされているんじゃないかと確信したのは一カ月ほど前に、偶然バイトに行く最中に彼女の姿を最寄り駅で目撃した時だ。
俺が今住んでいるアパートは大学から数駅離れた場所にあり、それなりに距離が離れている。
そして、彼女は実家から大学に通っていると語っていたのだが、その場所は俺の最寄り駅とは真反対の方向の場所だった。
偶然寄ったという可能性も考えられないことはないが、その時の彼女はキョロキョロと周囲を見回し、まるで──俺を探しているように見えた。
大の男が情けない話だが、俺は彼女に対して、恐怖の感情を抱いている。
なぜ、ここまで畏怖するのか。その理由は分からない。
ただ、彼女はどこか、普通の人間とは違う存在だと思う。
毒虫を一目見ただけで警戒するように、俺の防衛本能は彼女を危険と判断した。
◇
「蓮くん? 大丈夫?」
「あ、あぁ……」
その危険な女が今、俺の部屋にいる。
窓から侵入し、十秒ほど前に俺を襲っていた影のような幽霊を包丁で刺して。
一体──何なんだ。この状況は。
「…………ありがとな」
色々聞きたいことがあったが、第一声に出たのは感謝の言葉だった。
何はともあれ、佐山御子に命を救ってもらったことには変わりない。
「そ、そんな……! 私は当然のことをしただけだよ」
佐山御子は顔を少し赤くして、目を逸らした。
その手に握られている包丁さえなければ、可愛い一面もあると思ったかもしれない。
「なんで、ここにいるんだ?」
答えを聞くのが怖かったが、俺は佐山御子に最初に浮かんだ疑問をぶつけることにした。
助けてもらったことには感謝しているが、冷静に考えると、彼女が俺の部屋にいるというこの状況はどう考えてもおかしい。
最寄り駅を教えても、自宅の場所までは喋った記憶はないし、そもそもここはアパートの2階だぞ。どうやって登った。
「……言っても信じてもらえないと思うけど、私、霊感ってやつがあるんだ。最近、蓮くんから変な気配を感じて、見守っていたんだけど……さっき部屋から変な気配を感じて、思わず飛び込んじゃった。窓割ってごめんね……弁償はするから」
申し訳なさそうに、佐山御子は謝罪をする。
その情報量の多さに、俺は眩暈がした。
「……ちょ、ちょっと待て。霊感があるって本当なのか?」
「うん、信じないよね。こんな話」
昨日までの俺ならそんな荒唐無稽な話は信用しなかっただろうが、実際あの悪霊のような影を見てしまっては霊という存在を認めざるをえない。
──それに、どこか納得した。
佐山御子から感じるこの独特な気配が霊感というものから来ているなら、あそこまで警戒してしまったのも説明が付く。
「……っ。いや、信じるしかないだろ。あんなもん……見たら……」
数分前まで影が佇んでいた位置を俺は睨む。
文字通り、ソイツは影も形もなくなっており、いつも通りの俺の部屋に戻っていた。
「な、なんだったんだ? あいつは……それで、刺し殺したのか?」
俺は佐山御子が握っている包丁を指差しながら、尋ねる。
「多分、殺せてはないかな。撃退した、って言った方が正しいかも。
「の、呪い……?」
“呪い”。
一般的にその言葉から想像されるのは丑の刻参りのイメージだろうか。
夜中に神社で藁人形に釘を打ち込み、憎んでいる相手に憎悪をぶつける。
その対象に──俺がなっているというのか。
「ちょっと話が長くなりそうだね。蓮くんも落ち着きたいと思うし、水持ってきてあげる」
そう言うと、佐山御子は台所へと向かって行った。
なぜ、初めて来る俺の家の台所の位置を知っているのかという疑問が湧いたが、この状況に比べたら些細なことだと感じてしまった。
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