第16話








「……くっ。可愛い。可愛いわ。ねえ、この子のお名前を教えてくれるかしら?うちでこの子を養うのかしら?こんなに可愛い子なら大歓迎よ。離乳食だっていっぱい作るわ。そうよ。それがいいわ。ねえ、あなた私のところにおいでなさい。美味しいご飯を用意するわ。」


 女性の先ほどまでの怒りはどこへやら、目をキラキラと輝かせて男に尋ねる。どうやら女性はヒューレッドの存在にはまだ気づいていないようだ。女性はフワフワを直接勧誘している。


「あれ?そういやなんて名前なんだ?」


「あら。あなたもわからないの。それなら、私がとっておきの名前をつけてあげるわ。あなた女の子かしら?男の子かしら?」


 女性はひょいとフワフワを抱き上げると性別を確認する。フワフワは驚いて固まっているようで、反応がない。


「うふふ。女の子ね。じゃあ、あなたの名前は今日からアンジェよ。天使って意味なの。可愛らしいアンジェにぴったりよね。」


「おお。アンジェか。とても良い名だな。」


 女性は嬉しそうにフワフワに名前をつける。


「みゃ、みゃ、みゃー?(え?え?なに?)」


 フワフワは突然の展開に頭の中が混乱しているようだ。助けを求めるようにヒューレッドに視線を向ける。


 ヒューレッドはヒューレッドで、女性のあまりの変わりようについていけないようだ。それでも、フワフワの困惑する鳴き声を聞いて、ヒューレッドは回らない頭を回し始めた。


「あ、あの……。その子にはすでに名前が……。」


 意を決してヒューレッドが女性に話しかける。


「あ、あら?あなたは誰かしら?」


 女性はヒューレッドの存在に今ごろ気が付いたようだ。


 不思議そうな顔をして尋ねる。


「えーあー。その子の保護者です。その子にはフワフワという名前がすでにあります。」


 このままだとフワフワを連れて帰りそうな勢いの女性になんとかヒューレッドは話しかける。そして、フワフワの保護者は自分だと控えめにアピールをする。


「あらあらあら。あなたが保護した子なのね。あなたの格好を見ると旅をしているみたいじゃないの?冒険者……かしら?そんなあなたが可愛いアンジェを連れて歩くだなんて、アンジェを危険にさらしているようなものよ。大丈夫よ。アンジェは私がちゃんとに大切に面倒をみるわ。だから、あなたは安心して旅を続けるといいわよ。」


 女性の方が一枚上手のようで、ヒューレッドの小さい主張などまるで気にしない。それどころか、旅は危険だからフワフワの面倒を見るとまで言ってきた。


「いえ。フワフワは……。」


「遠慮することはないのよ。こんなに可愛いのですもの。側から離すことに不安があるでしょう。でも、安心してちょうだい。私はアンジェを大切に大切に育てると約束するわ。」


「いえ。そういうことではなく……。」


 フワフワはセレスティアからヒューレッドに与えられた魔獣だ。セレスティアの許可もなくフワフワを誰かれ構わず譲渡することは戸惑われる。それに、ヒューレッドもフワフワのことはとっても気に入っているのだ。今日会ったばかりの人にフワフワを渡すことなんてできるはずがない。


「ねえ、アンジェ?アンジェはどうしたいのかしら?私のところでずっと幸せに暮らしたいでしょう?」


 女性はフワフワと目を合わせながら訪ねる。ヒューレッドと言い合っていても埒が明かないと思ったようだ。


 フワフワは丸い目を大きく見開いて、首を傾げた。


「にゃー?にゃにゃにゃにゃにゃ~ん?(ずっと……?このご飯は美味しかったの。でも、ヒューはそこにいるの?)」


 フワフワは不安そうに、チラリとヒューレッドに視線を移す。ヒューレッドはそんなフワフワの頭にそっと手を伸ばして、緩やかに撫でた。


「……彼女と一緒に暮らすなら、オレはフワフワの側にはいられない。でも、オレは、フワフワを手放すなんて考えていない。」


「にゃー。にゃんにゃにゃー。(なら、ヒューと一緒にいる。ヒューと一緒にいたいの。)」


 フワフワは少し考えた後、ピタッとヒューレッドに寄り添った。


「あら、ま。私といた方が幸せになれると思うのに……。」


 女性は残念そうにつぶやく。その方に、職員の男性の手がポンッと乗せられた。


「他人の物を欲しがってはいけないよ。確かにあの可愛い子がうちの子になるとしたらとても喜ばしいことだけどよ。でも、フワフワちゃんはこの兄ちゃんと一緒にいたいんだとよ。諦めな。せめてフワフワちゃんと兄ちゃんに気に入られれば、この街に立ち寄ったときに家に寄ってくれるかもしれないぞ?」


 職員の男性は女性をなだめ始める。


 それに追従するように女性の背中の赤ん坊が「おぎゃーーーっ。」とけたたましく泣いた。


「あら。ごめんよ。お腹が空いたんだよね。今、離乳食を……。っていけないわ!離乳食作り直さなきゃいけないんじゃない!!もう!!ああ、でも私の作った離乳食が可愛いアンジェのお口の中に消えたというのならば、仕方ないわね。すぐに帰って作らなくっちゃ。あんた、私は帰るわね!でも、アンジェに言い聞かせておいてちょうだい。うちに寄るようにって!絶対よ!絶対だからね!!」


「はいはい。早く我が子にご飯を食べさせてやってくれよ。」


 女性は来た時と同じように、慌ただしく小部屋から出て行った。


(……いったいなんだったんだ。)


 ヒューレッドは心の中でため息をついた。とんだことに巻き込まれたと。


「まあ、あんなやつなんだが、悪い奴じゃないんだ。ちょーっとばかし自分の欲望に正直なだけで。でも、フワフワちゃんに無理強いはしないはずだから、嫌ならきっぱりと断ってくれたらいい。寝ればすぐに忘れるやつだから。」


「は、はは……。」


 職員の男性はフォローしているようでフォローしていないのではないかと思うことをヒューレッドに告げた。そのうえで、自宅に遊びに来いと誘ってきた。


「今日の宿は決まっているのか?見たところ旅をしているんだろう?しかも財布をすられたんじゃ持ち金もないだろう。どうだ、オレの家に泊っていかないか?」


「それは、ありがたい申し出ですが……。」


「にゃーーー♪(さっきのご飯また食べたいの!)」


 男性の家に泊れば先ほどのやっかいな女性とまた会うことになる。ヒューレッドとしては気が乗らないことだったが、財布を無くした身にとっては渡りに船である。手持ちがないとなれば宿も取れないのだ。


 すぐに換金できるような代物も持っていない。


 気が乗らないヒューレッドを他所に、フワフワが元気よく返事を返した。


「よし!決まりだな!今日はオレの家に泊っていくといい。17時にはオレの仕事も終わるから、17時にここに集合な。それまでは好きに街をぶらついていればいいさ。まあ、疲れたから休みたいっていうんだったら、オレの家に先に案内するが……。あいつと一緒だと逆に疲れると思うぞ?」


「は、はは。そうですね。ありがとうございます。」


 先ほどの女性はちょっと厄介ではあるが、フワフワはそこまで嫌がっていないようなのでヒューレッドは男性の提案を受け入れることにしたのだった。










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