第31話

31 クズを殴りに


 そしてついに、朽ちた壁に文字が浮かび上がる。

 辛うじて残ったヒビ割れだけの壁に殺到する一同。


 そこには、チジックにあるアパートメントらしい住所と、住人の名前と部屋番号がある。

 しかもホームセキュリティのリアルタイムデータまであり、いま現在、部屋にはふたりの男女がいることがわかった。


 「おおっ!?」と歓声がおこる。


「でかした、早口女!」


「ペドロさんならできると思っていましたよ」


「本当に、3日で解析しちゃうだなんて……!」


「おいらにゃよくわかんねぇけど、なんかすげぇってのはわかった!」


 飛び交う賞賛に、ペドロは言葉もない。

 溺れたように全身汗びっしょりになって倒れていた。


「早口女、死んじまったのか?」


「いえ、眠っているだけのようです。ずっと徹夜でしたからね」


 ワットはペドロを抱え上げ、部屋の隅にあったベッドに寝かせる。


「ひとつ、おおきな貸しができてしまいましたね。

 この事件の区切りが付いたら、必ずやペドロさんを孤児院にご招待いたしましょう」


「でも、こんなヤベぇヤツを連れてって大丈夫なのかよ?」


「ペドロさんがこのように振る舞うようになったのは、最愛の弟さんを亡くされてからだそうです。

 表では小児性愛者のように見せかけて、裏ではセマァネット上で子供を食いものにするハッカーと戦っているのですよ」


「そうなのか? それにしたって、普段からこんなけったいなマネをしなくても……」


「ハッカーというのは、取引する相手のセマァネット上の行動履歴を調べるのですよ。

 過去に不自然な言動があったら、それだけで二度と連絡を取らなくなりますから。

 ペドロさんの態度や言動が行きすぎているのは、ロックと同じで照れ隠しが下手なだけだと思います。

 そんなことよりも、そろそろおいとましましょう。

 女性の寝顔をいつまでも見ているのは失礼ですからね」


 ペドロが寝ているベッドからさっさと離れるワット。

 ロックも「そうだな」と後をついていったが、途中ではたとなる。


「おい、ちょっと待て、テメェ、さっきなんつった?」


「なんですか?」


「とぼけるんじゃねぇよ! おれと同じで照れ隠しが下手だと!? このおれがいつどこで照れて、隠したっていうんだよ!?」


「初歩的……いや、それ以前のことですよ。

 普段、ロックの周囲にいるのがどんな方々なのかは存じ上げませんが、みなさんもご存じだと思いますよ?

 おそらくですが、娼婦さんたちから『ぶっきらぼうだけどやさしい』みたいなことを言われたりしていませんか?」


 まるで見てきたようなワットの物言いに、ロックは二の句が継げなくなる。

 否定を求めるようにショーンとトニーを見たが、ふたりの少年はそっぽを向いて口笛を吹いていた。


 ペドロのアパートメントを出ると、表通りはオレンジ色に染まっていた。

 ロックは「ううっ、夕陽が目に染みるぜ……」と涙目で伸びをする。


 ショーンとトニーは地下鉄で帰ると言い、アパートメントに併設されていた地下道への階段を駆け下りていく。

 ロックたちも久しぶりに車に戻ったのだが、ワットは我が家に戻ったようにホッとしていた。


「さて、これからどうしますか? 帰ってひと眠りしますか?」


「なぁに言ってやがる。ジェロムのクソ野郎をぶちのめしに行くに決まってるだろ」


「そう言うと思っていましたよ。それでは目的地に着くまでに仮眠でもしていてください。

 ここからチジックまでは少しかかりますから」


 「そうさせてもらうぜ」とさっさと寝入るロック。

 ワットは高いびきBGMにするように、車のアクセルをゆっくりとふかした。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 チジックはロンドンの西側、郊外にある閑静な高級住宅街。

 大きな公園だけでなく、スポーツグラウンドやゴルフ場が周辺にある、セレブの街である。


 ワットの車が、目的地であるアパートメントの通りに到着した頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。

 ロックはまたしても顔に水鉄砲をぶっかけられて、「うわっぷ!?」と飛び起きる。


 「着きましたよ」とワット。


「テメェ、またやりやがったな!? 普通に起こせって言っただろうが!」


「なんだか顔が汚れているような気がしたので、ついでにと思って」


「おれの顔はフロントガラスじゃねぇんだぞ!」


 差し出されたハンカチをひったくり、ロックは文句を言いながら車を降りた。

 ジェロムがいるというアパートメントは、セレブたちの住宅街でも最高級の部類に入るものだった。


 10階建てで、屋根や壁、柱や床に至るまで過剰な装飾が施されている。

 四方八方からライトアップされていて眩しく、ロックは夜だというのに手をひさしにして建物を見上げていた。


「なんか悪趣味な聖堂みてぇだな」


「古代ロンドンにおいて、紀元17世紀と呼ばれる時代に生まれた、バロックという建築様式ですね。

 この建物はちょっと行きすぎですが、額縁のようなこのデザインは嫌いではありません。

 住んでいる方々が、名画に描かれているモチーフのように見えませんか?」


 ワットはステッキがわりの傘の先で、上階の窓際で優雅にくつろいでいる猫を指し示した。


「よくわかんねぇな。下水道にいる生き物は全部ドブネズミに見える、みたいなもんか?」


「考えうるなかで最悪の例えですが、間違ってはいなさそうです。

 さて、それではドブネズミに会いに行くことにしましょうか」


 ロックはグローブの拳を打ち鳴らし、「おうっ!」と応える。

 ふたりは彫像の並ぶ中庭を通り、小上がりのエントランスからアパートメントに入っていく。


 この手の高級マンションはセマァリンによる強固なセキュリティが施されており、ロックのような身なりの若者が近づいただけで警備員が飛んでくる。

 しかし何事もなくすんなりエントランスに入れてしまったので、ロックは拍子抜けしていた。


「なんだよ、ここの警備は金持ち連中と同じで腰抜け揃いなのか?」


「ペドロさんが警備システムをハッキングしておいてくれたんでしょう」


 するとエントランスの壁にあった、広告を映していたセマァビジョンが切り替わる。

 ペドロのアパートメントで見た顔マークが一瞬現われ、ウインクして消えていった。


 「マジかよあの早口女」と舌を巻くロック。

 「ペドロさんは口だけじゃなく、仕事も早いんですよ」とワット。


 なにはともあれそこからはフリーパスだった。

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