第28話

28 真実


 動画を早送りで観ていくと、以前、ビクトリア・ストリートのパブで聞き込みをした少年たちが登場した。


「なに? 幻聴が聞こえるだって?」


 「うん」と映像が縦に揺れる。


「なんて幻聴なんだよ?」


 「それは……」と言い淀むマルコ。


「ちょっと……よくわからないんだ」


「そっか。でもそういう事なら俺に任せろ。

 放課後、俺たちの行きつけのパブに行こうぜ、幻聴なんてすっ飛ぶものをやるからさ」


 それからマルコは、例の精神科医の診療を受ける。

 精神科医は、気持ちが悪いほどの猫なで声でマルコに語りかけていた。


「幻聴が聴こえる? それはどんな声で、どんな内容なのかな?」


「それは……」


「ああ、心配しなくてもいいよ。医者には守秘義務というものがあるんだ。

 ここでキミから聞いたことは、他の誰にも話さないから安心して」


「はい……僕の声で、『ママを殺せ』って……」


「ほう? 幻聴はキミのフリをして、ママを殺せと言っているんだね?」


「はい。それがだんだん酷くなってきて、『ママを殺したい』になって……。

 最近だと無意識のうちに、ノートに『ママを殺したい』って書くようになっちゃったんです……!」


 打ち明けたせいで抑え込んでいた感情が爆発したのか、マルコは頭をかきむしる。

 声は悲痛そのもので、映像は激しく揺れていた。


「こんなこと、ママには言えない! ママに知られたら、僕は捨てられちゃう!

 先生! 僕、頭が変になりそうです! いや、もう変なんです! なんとかしてくださいっ!」


「ああ、不安だったろうねぇ、怖かったろうねぇ。

 でもこの私のところに相談しに来た以上、もう大丈夫だよ。

 まずはこの、精神安定剤を……」


 そして映像は切り替わる。

 マルコは自室の机に座り、うつむいていた。


「先生からもらった薬を飲んでも、幻聴はひどくなるばっかりだ……。

 このままじゃ……僕は本当に、ママを……」


 マルコは机の上に置いてあった包丁を手に取ると、胸にあてがう。

 曇りひとつない包丁の刃には、マルコの顔が映り込んでいた。


 その顔がくしゃくしゃに歪み、雨粒を受けたレンズのように、視界が滲んでいく。


「ごめんね、ママ……。ママを殺さないためには……こうするしか、ないんだ……」


 涙の向こうで、凶刃が閃く。

 映像は、プツンと途切れるように暗転。


 真っ暗な画面には、見慣れぬ文字が浮かび上がっていた。


 「なんだこりゃ?」とロック。

 「これは、ロシア語ですね」とワット。

 「BIOSバイオスの制御画面ンゴ」とペドロ。


 ペドロの気だるそうな声が続く。


「チップの制御を、サイコトロニクスモードからネクロマンシーモードに切り替えます、って書いてあるンゴ」


「ってことは……」


 ロックがゴクリと喉を鳴らしたのと同時に、映像が復帰する。

 しかし先ほどまでの鮮明さとはうって変わって、モノクロなうえに劣化した画質になっていた。


「被術者の体内電流が無くなったから、チップの蓄電で動作してるンゴ。

 低電力で高圧縮の録画になってるから、解像度が低いうえにノイズも多いンゴねぇ」


 マルコは自室の机に座ったまま、微動だにしていない。

 机の上にある鏡に顔が写り込んでいたが、その顔色はモノクロでもハッキリわかるほどに白く、血の気を感じさせなかった。


 背後にあった部屋の扉がノックされ、サロメが入ってくる。


「マルコ、どうしたの? 朝ごはん、食べないの? 昨日の夜も食べてないんだから、朝くらいは……」


 ギギギ、と椅子を軋ませて振り向くマルコ。

 我が息子の変わり果てた姿に、サロメは息を飲む。


「ま、マルコ!? その顔……!? それに、胸に刺さってるのは……!?」


「ご、め、ん、ね、マ、マ」


 マルコの声は、機械で作り出されたように不自然。

 そして喋っているというよりも、口から漏れ出しているようだった。


「ぼく、しん、じゃっ、た」


 マルコはガクンと首を折ると、胸に突き立っていた包丁を引き抜く。

 灰色の鮮血が吹き出し、画面の向こうで悲鳴がおこる。


 マルコは手にした包丁を、なんのためらいもなく胸に、腹に突き立てていた。

 ドスッ! という肉を抉る音に合わせて、映像が小刻みに揺れている。


 不意にその手が掴まれる。

 マルコが顔をあげると、そこには血飛沫を浴びるサロメがいた。


「や、やめてマルコ! やめなさいっ! いますぐ救急車を呼ぶから、じっとして……!」


「すて、ない、で、マ、マ……」


「す……捨てる!? 捨てたりなんかするもんですか!

 あなたは私の、大切な……!」


 その言葉は、心まで失ったような冷たい刃によって断たれる。

 包丁は、サロメの胸に突き立っていた。


「ご、め、ん、ね……」


 血の雨に打たれる母子。

 母親は息子の頬に、手を当てていた。


「マルコ……謝るのは、母さんのほうだわ……。

 あなたが、そんなにまで追いつめられていたなんて……。

 血が繋がっていなくても、あなたは私の本当の息子だと思っているわ……。

 私が事故でこんなになって、あの人に愛想を尽かされてからは……。

 あなただけが、私の生きがいだったのよ……」


「マ……マ……」


「マル……コ……」


 ふたりは手を取り合い、抱きあうようにしてくずおれる。

 崩壊するようにヒザをついたあと、床にごとりとマルコの頭が落ちた。


 マルコの目は閉じることもなく、広がっていく血だまりをずっと映し出している。

 その視界の片隅には、目を見開いたままのサロメの顔が。

 彼女も瞬きすらせず、光を失った瞳でマルコを見つめていた。


 それはあまりにも、無情な空間であった。

 そしてそこからは、無常であるかのようにいつまでも同じ風景のままだった。


 部屋に差し込む陽の光だけが、その空間に時が流れていることを告げている。

 早送りで観ていくと、映像は明滅を繰り返す。


 母子が死んで何度目かの夜を迎えたあたりで、部屋の扉が開いた。


 何者かが入ってきたことで生体センサーが反応し、部屋の明かりが自動的に点灯する。

 そこに立っていたのは、貫禄のある初老の男だった。


 床に転がる死体を見ても眉ひとつ動かさない。

 男は、右腕にはめていた腕時計のバックル部分を耳元まで持ってくると、


「ああ、ワシだ。なんか久しぶりに家に帰ったら、できそこないの女房と息子が死んでおった。

 はは、そうそう、『超ウケる』ってやつだな。

 そういえばこの前ちょっと遊んでやっただけで、女房と別れないと殺してやるって喚きだした女がいたから、ソイツの仕業かもしれんな」


 その話の内容からして、男はジェロムだというのがわかった。

 妻と子供の死体を前にしているというのに、ニタニタ嫌らしく笑っている。


「だから、ちょっとほとぼりがさめるまで、そっちにかくまってくれんか。

 なあに、心配はいらんよ。死体を見る限り、死んでからはけっこう時間が経ってる。

 ワシはここのところずっと出張だったから、アリバイはあるからな。

 もしワシが通報せんことがバレても、死体遺棄くらいだろうから、簡単に揉み消せる。

 それよりも、通報して警察どもに付き合わされるほうがずっと面倒だからな」


 どこかと通話していたらしいジェロムは、そのまま部屋から出て行く。

 バタンとドアが閉まると同時に、画面にはクモの巣のような亀裂が走っていた。


 ロックがジェロムの映っていた場所に、パンチを突き立てられたからだ。

 その拳は、ワナワナと震えていた。

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