第21話

21 はじめての苛立ち


「それではトニー、こちらをどうぞ」


 ワットの白手袋の上には、細身のナイフがあった。

 美しい装飾が施されたそのナイフに、トニーはうわぁと歓声をあげる。


「これ、もらっていいの?」


「もちろんです。先ほどは大変助かりましたから、わたくしからのお礼です」


「やったぁ! ありがとう、ワットさん!」


 大喜びのトニーに、「よかったな!」といっしょになって喜ぶショーン。

 その様子を遠巻きに眺めていたロックは、話に加わることはしなかった。


 胸のなかで、不思議な苛立ちを覚えていたから。

 今日はずっとイライラしっぱなしだったが、そのいつも感じているものとはぜんぜん違う何か。

 腹の底が燃えあがるような怒りではなく、胸の内を針で刺されているような、些細なのに確かなる痛み。


 トニーの頭を笑顔で撫でているワットの横顔を見ていると、胸がチクチクする。

 いますぐそばに行って「やめろ」とその手を掴んでやりたい衝動にかられた。


 なぜそんな気持ちになるのか、まだ青年と少年の狭間にいるロックにはわからない。

 ただその困惑を握り潰したくて、拳をきつく固めるばかりであった。


 鈍色の空から、水銀のような雫がぽつりぽつりと降ってくる。

 いつの間にかショーンとトニーはいなくなっていて、目の前にはワットだけがいた。


「さて、それではロック、ドストレート警部に連絡しましょうか」


「なんでだよ?」


「なぜって、マルコの首筋にマイクロチップが埋め込まれていないか確かめてもらうんですよ。

 どうしたのですか、そんな怖い顔をして? なにか嫌なことでもあったのですか?」


「テメェのツラを丸一日見てりゃ、こんな顔にもなるさ」


 ロックはふてくされた様子で背を向け、「明日には目から反吐が出てるだろうな」と通りに向かって歩きだす。


「どちらに行かれるんですか?」


「テメェがさっき連絡しろっつったろ、電話を探すんだよ」


「ロックはセマァフォンを持っていないのですか?」


「そんなの持つくらいだったら、犬の首輪でもしたほうがマシだぜ」


「おや、珍しい。今時の人類とは思えませんね」


「そう言うテメェは持ってるのかよ?」


「セマァフォンですか? わたくしは持っておりませんよ。

 必要性を感じないものを持つことは、愚の骨頂だと思っておりますので」


 つまるところふたりともセマァフォンを持っていなかったので、本降りとなった通りで電話を探す。

 すると古代ロンドンの名残のような、赤いボックス型の公衆電話を見つける。


 治安の悪い立地のせいか扉は外されていたのだが、そこには先客がいた。


「な……なにをするんですかぁ!?」


「へへっ、そう言うなよ姉ちゃん、雨が止むまでこうしてればいいじゃねぇか。ついでにイイことしようぜぇ」


「や、やめてぇ! やめてくださいぃ!」


 全身が金属でできた男女が、中で揉み合っていた。


 男の身体は角張っていて、ボックスの屋根に頭が突くほどの巨漢。

 鉛色の素肌に、オールレザーの衣服を身に着けている。

 女は青銅の像のような色で、丸みを帯びた身体をセーターとタイトスカートで覆っていた。


「テメェら、フェッルム族か。舌を噛みそうな名前しやがって。

 電話を使わねぇんだったらどけよ。迷惑なのはテメェらの名前だけでじゅうぶんだ」


 ロックが声を掛けると、「あぁん?」と男は振り返る。


「なんだボウズ、俺たちゃ仲良く雨宿りしてるんだ。重酸性雨は俺たちの身体にゃ毒だからな。

 ネクストは敬えって学校で教わらなかったのかよ? お前らサルに文明をもたらしてやったんだからな」


「あいにく、おれは学校には行ってねぇんだ。

 先公なら散髪くらいの頻度でぶちのめしてるけどな」


「そうかい、どうりでサルのままのわけだ。傘の使い方も知らねぇんだからよ」


 男の視線は、ワットが手にしている傘に移る。


「そういえば、テメェはなんで傘をささねぇんだよ?」


 ロックがそう問うと、ワットは濡れた肩をすくめた。


「傘は英国紳士のたしなみですが、さすことはしません。

 傘というのは、たたんでいるときがいちばん美しいですからね」


「なら俺がさしてやるよ、その傘をよこしたら、俺はここから出てってやるぜ。

 傘がありゃこの姉ちゃんと、もっといいところにシケ込めるからな」


 女は、男の太い腕で折れんばかりに腰を抱きすくめられていて、「た、助けて……!」と怯えている。


「もしかしてボウズ、イイ女の前だからってイキがってんのか?

 なら、デカいのをガツンと一発カマしてみたらどうだ、おい?」


 ワットは「まさかとは思いますが」とロックにささやきかける。


「こんなわかりやすい挑発に乗ったりしませんよね? 相手はセマァ合金ですから、手の骨が折れてしまいますよ」


 しかし、ロックは答えない。

 無言でワットの手から傘をひったくると、何のためらいも感じさせない動きで、男めがけておおきく振りかぶった。


「傘も、デカいのも、どっちもくれてやるぜ!」


 それは、ガツン! と衝撃音が通りじゅうに鳴り渡るほどの一撃だった。

 柄で頭を横薙ぎにブン殴られたフェッルム族の男は、埋め込み式の眼球が飛び出すほどの勢いで「ぎゃはっ!?」と崩れ落ちる。

 大の字に倒れたあと、全身がショートしたような電流に包まれる。

 降りしきる雨が身体に当たるたびに、バチバチと火花が散っていた。


「鉄の身体を持つフェッルム族も、頭だけは弱いんだよな。

 脳震盪ですらこんなになっちまうんだんて、強いんだか弱いんだかよくわからねぇぜ。

 そんなこと、学校じゃ教えちゃくれねぇだろ?」


 うつ伏せのまま、「ギギ……!」と軋む音をあげる男。

 男の頭は脳震盪どころか、側頭部が陥没している。


 そして傘のほうは、くの字に曲がっていた。

 変わり果てたその姿に、ワットの困り眉も、いつもよりいちだんと深くなっている。


「ああ、お気に入りだったのに……」


「そんな顔すんなって、傘なんてのはなぁ、こうやればすぐに……!」


 ロックは片脚をあげると、折れ曲がった傘の鋭角側を太ももにあてがう。

 逆方向に力をかけて、元の形に戻そうとしていたのだが……。


 ……パキーン!


 澄んだ金属音とともに、傘の軸は真っ二つに折れてしまった。

 すると、ワットは今まで見たこともないような虚無の表情となってしまう。


 ロックとワットの間に、先ほどのクスクス追跡を巡っての仲違い以上の、微妙な空気が流れる。

 電話ボックスの女は気まずくなったのか、


「あ……あのぉ……! ありがとう、ございましたぁ!」


 ペコッと一礼して、雨の中を走り去っていった。

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