第1章 『獄門島狂想曲』 3話 「獄門島の洗礼」

「ところで……」

 事務作業をしていた看守が、周りを見渡す。

「メビー副所長は、まだ来ていないんですね」

 事務員は、メビーというもうひとりの副所長の姿を探す。


「来てるわけないだろ、これからいつもの茶番がはじまるんだよ。前々回あたりから、登場演出まで考えるようになってきたからな、あの人。絶対向こうで、そのタイミング見計らってるんだろうよ」

 キャラヘンが指さした方向には、橋らしきものが見える。


「ああ、なるほど……」

 事務員が納得したようにつぶやく。

「毎度毎度同じことばっかやって、よく飽きないもんだなぁ」

 キャラヘンが、明らかに不快感を表す。


 同じ副所長のポストに就く人物への批判をするキャラヘンに、苦笑いするしかできない部下たち。


「でもまあ、刑務所の看守ですからね、第一印象は大事でしょう。特にあの方は、舐められるわけには、いけない立場ですからね」

 ヌーナンがそんなことをいって、もうひとりの副所長を擁護する。


「なんだい、そのセリフは。僕なら、舐められてもいいってのか?」

 不満そうにいうキャラヘンだが、別に怒ってもいない感じだった。

 その場で軽く笑いが起きる。

 彼らの人間関係には、それなりの信頼が成立しているようで、軽口をいい合える仲でもあるのだ。


「キャラヘン副所長には、信頼を自然と得る人徳がありますからね。それは、メビー副所長の厳格さとの対比も、大きく関係しているわけですよ。おふたりは、互いにそれぞれの役割を、きちんと担っているわけですよ。案外、管理システムとして、今の状態は最良なのかもしれませんね」

 事務員が急にそういいだす。


「おいおい、冗談はよしてくれ」

 不服だといわんばかりに、キャラヘンが事務員にいう。

「もちろん、冗談ですよ」

 事務員が即答すると、囚人が船から次々降りてくる。



「おっと、おしゃべりは、ここらにしておきますか。第一印象は、大事でしょうからね」

 ヌーナンが緩んでいた表情を、キリッと締める。

 他の看守も、口を真一文字に閉じたり、深呼吸後目付きを鋭くさせたり、自分の頬をぶって気合を入れる看守もいる。

 船から囚人たちが降ろされだすと現場が一気に緊張するが、キャラヘンだけはタバコを吸って、虚ろな目で関係のない方向を見つめていた。



 降りてきた新入りの囚人を、銃を構えた看守たちが整列させる。

 先ほどまで談笑していたヌーナンも、囚人たちの前では、厳格な老看守として立ち振る舞っていた。


 港の事務員のバークがいうには、今回は数こそ多いが、詐欺や窃盗等の比較的小物な罪人ばかりらしい。

 以前は、そういった小物はこの獄門島には来なかったのだが、ある時を境に、やたら罪状の軽い囚人も増加しだしたのだ。


 キャラヘンは、さっきまで事務員が見ていた囚人ファイルをチラりと一瞥すると、すぐ地面に放り投げた。

 キャラヘンにとっては、こんな形式的な面倒な仕事はさっさと片づけて、自分の今やるべき作業に戻りたくて堪らないのだ。


 彼自身とても大事な作業があり、それの締め切り時間がけっこう逼迫してきていたのだ。

 彼がここのところ、まともに眠れていないのも、その作業の追い込みのせいだったのだ。


「ってか、メビーはまだかよ!」

 珍しくキャラヘンが声を荒げる。

「もうそろそろ、いつもみたく……」

 部下の看守が、キャラヘンをなだめようとしたら、遠くからエンジン音が聞こえてくる。


 そっちを見ると、一台のバイクを先頭に複数のバスが、港の先にある陸橋方面から土煙を巻き上げてやってくる。

 仰々しい登場の仕方を見て、舌打ちするキャラヘン。

「第一印象は、ほんと大事なんでしょうね」

 事務員が苦笑いしながら、キャラヘンにいってくる。



 こちらに向かってくるバイクとバスの集団を見て、港に降り立ったばかりの新入りの囚人たちは、露骨に狼狽している感じだった。

 港をでた先にある、禍々しい彫刻が新入り囚人たちの興味の対象だったのだが、今やすべてをバイクとバスの集団が、掻っさらっていった感じだ。


 港にやってきたバイクが止まると、バスから集団の武装した看守がでてきて、バイクの男の後方に整列する。

 バイクから降りた男は、黒人の大男の部下から帽子をもらい、それを被る。

 そして、警棒をこれみよがしにパシパシと叩いて、囚人たちに歩み寄る。


 彼が、この刑務所のもうひとりの副所長、メビーだった。

 百八十センチほどのたくましい男だった。

 制服の上からでも筋骨隆々の肉体を持っているのがわかる。

 左腕にあった赤い腕章が、黒い制服姿によく似合っていた。


 到着したメビーはキャラヘンと目も合わせず、整列された囚人たちに歩いていく。

「ようこそ獄門島に!」

 囚人たちの前につくより先に、大声で発言するメビー。


「新しい絶望に満ちた新生活を、我らジャルダンの同士一同、心から歓迎しよう! わたしが、ここの副所長メビーだ! だが、今すぐ名前など覚える必要はない! これから嫌でも貴様らの記憶に、その名を刻みつけていってやるからだ!」

 囚人たちを睨みつけながら、メビーは前列の囚人ひとりひとりの顔を確認していく。

 いきなり現れた強面の看守に、目も合わせられない新入りの囚人たち。


 そんな中、メビーはひとりの若い新入りだけが、つまらなさそうにしている態度を見つける。

 しかし、あえてそれを無視してメビーはつづける。


「最初に宣言しておこう! わたしたちは、貴様らにとって別に敵ではない。貴様らが、いわれたことをやり、しろといったことをして、やるなということをやりさえしなければ、よき協力者でもあり友にでもなりうる……。友だち作りの好きな、腑抜けたクソ看守も中にはいるからな」

 そういってメビーは、チラリとキャラヘンを見る。

 キャラヘンは、挑発には乗らず無視することにしているようだ。



 そんなメビーの演説を、船から一緒に降ろされたリアンが、最後列で聞いていた。

 しかも何故かリアンだけ、目だけくり抜いた麻袋を被せられている。

 頑丈な手錠は重く、自分のだけ他の囚人たちと別物だというのはすぐわかった。


 しかし視界には入らないものの、船で一緒だった「あの男」がすぐ後ろに立っている気配は、リアンには感じられた。

 確実に自分を監視している、無言の圧力が背後からビリビリと伝わってくる。


(いったい、この人なんなんだよ……)


 何度、この疑問を頭の中で繰り返したのか、リアンはもう覚えていないほどだった。

 船に乗る前から何故かリアンにだけ、ベッタリ張りついて、行動を監視しつづけているのだ。


 周囲の看守や囚人は、リアンという子供がその場にいるということに、誰も気づいていない。

 リアンは、この状況がおかしいということに、誰かが気づいてくれないかとかすかな望みを託していた。

 しかし、メビーという副所長の威圧的な演説に萎縮した全員が、誰もその異変に気づかない。



「貴様らが、自分の立場が犬同様だと認識した時点で、ここでの暮らしが本格的に始まるわけだが! その点でいえば、君たちは早い段階でここの住人にふさわしい……。なかなかいい順応ぶりだ。賢しい人間は信用ならんが、賢い犬は好かれるものだ」

 メビーは歩きながら、後列の新入りの囚人たちの顔をひとりひとりチェックする。



 このままいけば、メビーは最後列のリアンに、気がついていたかもしれない。

 しかし、途中で足をピタリと止めるメビー。


「ただし……。君、以外を除いてな……」

 メビーは、終始態度の悪かった若い男の前に立つと、見下すような視線を投げつける。


 それでも若い男は、反抗的な態度を一切崩さない。

 周囲の新入りたちが、固唾を呑んでいる。


「あんたよぉ、話し長いんだよ……。っていうかよぉ。俺、ションベンがしてぇ、あんたの足元にしていいか? 俺、立派な犬なんだろ? 仲間外れにするなんてこと、ないよな?」

 若い男のメビーへの言動に、その場全体の空気が凍ったようになる。



「はぁ、今回はかなり、荒れそうですなぁ……」

 キャラヘン一味のヌーナンたちが、不穏な空気を察してため息をする。

 隣に座っていたキャラヘンが、何も知らないという顔つきになる。



「もちろん、構わないさ」

 メビー副所長の口角がニヤリと上がる。

「君が自分の立場を、よくわかってくれていて、うれしく思うよ。いったろ、賢い犬は大好きだと」

 メビーが、若い男の言動に笑顔で応える。


「へへへ、そうかい、じゃあっと」

 態度の悪い男がズボンのチャックに手をかけると、性器をボロンとだしてくる。


 その刹那、メビーの警棒が若い男の胸を強打する。

 一切躊躇のない一撃で、若い囚人はその場で飛び上がると、前のめりに倒れこむ。

 崩れた男の背中に、さらに容赦のない警棒を振り下ろす。

 聞いたこともないような、鈍い音が港中に響き渡る。


 地面に倒れこんだ男の背中に、何度も警棒を振り下ろし、トドメとばかりに脇腹を蹴り上げるメビー。

 若い男は、その場で失禁して悶絶する。

 地面に広がる小便をゆっくり歩いて避けると、男の頭を踏みつけるメビー。


「頭はいいが、躾がなっていない犬なのが残念だ。君には、熱烈な指導がこれからは必要なようだ、良い資質を持っているだけにな。フフフ、ジャルダン刑務所にようこそ! 改めて歓迎するからな、糞野郎ども!」

 冷笑しながらメビーは、その場に響き渡るような大声で宣言する。

 そして、手招きで部下たちを呼ぶメビー。


「この犬が、まずは医務室の見学をしたいそうだ! 首輪をつけて案内してやれ!」

 メビーがそういうと、部下の看守たちが男の襟首を乱暴に引きずっていく。

 小便でできた汚い道が、バスまでつづく。


「車内は、絶対汚すなよ! こいつは、死体袋にでも入れておけ! 汚い服も、脱がして捨てておけ!」

 メビーが部下に大声で怒鳴り、敬礼で応える部下の看守たち。



 その一部始終を見せつけられた他の囚人たちは、自分がとんでもない場所にきたということを、改めて認識したように震えていた。

 一方メビー副所長にとっては、最高の自己紹介的初顔合わせだったようでとても満足気だった。


 帰り際、だらけてタバコを吸っているキャラヘンを、無言で一瞥して去っていく。

 メビー副所長の左腕には、見せつけるように赤い腕章が、これ見よがしについていた。


 その腕章は、キャラヘンを含めた他の看守たちにはついていないものだった。

 しかし、不運な若者を丸裸にひん剥いて死体袋に詰め込んでいるメビーの一派は、全員同じ赤い腕章を装着していた。

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