第19話 捕食者の痕跡

 高度8200mの高空を飛ぶ輸送機からHALO降下したウィリアムとイリアは、パラシュートを操縦して木々の隙間を縫うように滑空し、風に流されて樹木に激突しないよう常に注意しながら、着地可能な地点を目視で探した。


 すると、イリアが1時の方向に着地出来そうな開けた場所を発見し、ウィリアムにそれを目で合図した。

 二人はそこを着地地点とし、パラシュートやバックパックなどが木に引っ掛からないよう慎重に滑空した。


 着地地点まで無事にたどり着いた二人は、両足をそっと地面に着けるようにして着地し、念の為に周囲を軽く見渡した。

 周囲の安全を確保すると、地べたに広がった森林迷彩柄のパラシュートを畳んで収納し、続いて酸素マスクを取り外した。



「はぁ、久々のHALOジャンプだったけど、思った程気持ちの良いもんじゃ無かったね……」

「今回の降下は、あくまでミッションの一過程に過ぎないからな。

スポーツとしてのスカイダイビングとは訳が違う。

最も、俺はスカイダイビングもスキューバダイビングも、そこまで好きでは無いが……」


 いつものように軽口を叩きながら、二人は脇に固定していたライフルを手に取り、折り畳んでいたストックを展開した。

 そしてマガジンポーチから弾薬の詰まったマガジンを取り出して銃に差し込み、チャージングハンドルを引いて薬室に初弾を送り込むと、自分達の“仕事”に取り掛かった。


「行くぞイリア、状況開始だ」

「ラジャー」


 ウィリアムとイリアは念波塔を守る6つのフォースフィールド発生装置の破壊を目指し、銃を構えて周囲のクリアリングを行いながら、林の中へと慎重に進んでいった……




 二人は木々が生い茂り、どことなく不気味な雰囲気を漂わせる林の中を、警戒しつつ進んでいた。

 夕暮れということもあり林の中は薄暗く、視界は決して良好とは呼べない。


 太陽が完全に沈んで周囲が闇夜に染まれば、ナイトビジョンや暗視魔法を使用しない限り、真っ暗な闇の中を突き進む羽目になる。

 しかし、夜間での作戦行動に慣れているウィリアムとイリアにしてみれば、夜の闇よりも夕暮れの薄暗がりの方が恐ろしい存在であった。


 陽の当たる場所は明るく目立ち、反対に陽の当たらない場所は暗くて目立たない。

 当たり前の事ではあるが、その性質が最も顕著に現れる時間帯、それが夕暮れなのである。

 しかも夕暮れの場合、まだ陽が沈みきってない分、ライトを使用した暗所の索敵が困難な場合もある。

 そういった状況を上手く利用出来れば、危機を脱する事も出来るかもしれないが、反対に敵に利用されれば非常に危険かつ厄介である。


 二人は林の中に魔物やゲリラ兵が潜んでいないかいつも以上に警戒しながら、念波塔が設置されている市街地を目指して、足音を立てずに前進した。



 夕暮れ時の林の中をしばらく進んでいると、ウィリアムが左手を頭の高さまで挙げて“止まれ”のハンドサインを出した。

 それに合わせてイリアが足を止めると、彼女は11時方向で何かが蠢いているのを発見した。


「あれは何だ……?」


 小声で呟くイリアの手前で、ウィリアムは双眼鏡を覗き込んで、蠢いている“何か”の正体を確かめた。

 その正体は、林の中に放置された死肉を一心不乱に貪っている、野生の狐だった。

 ウィリアムは腹を空かした狐が死肉を喰っている事に関しては何も思わなかったが、その狐が一体何を喰っているのかは調べた方が良いと、彼の野生の勘がそう告げた。


 ウィリアムは自身の勘に従うことに決め、イリアに着いて来るように合図すると、狐のディナータイムを邪魔しないよう慎重に接近し、何の死骸なのか確かめる為より近距離から観察を行った。

 何者かに腹を食い破られ、見るも無惨な死骸と成り果てたそれは、全身が黄緑色の美しい鱗で覆われており、セルリアンブルーの目と黄金色の棘を有した、全身約6mの巨大なトカゲの魔物だった。


 ボルトリザードという名を持つその巨大トカゲは、体内で稲妻を発生させ、それを口から直線状に放射したり、背中の棘から放射状に放ったりして攻撃する魔物だ。

 頑丈な鱗と高い生命力を有しており、対物ライフルや爆発物が無ければ撃破が困難とされている強力な魔物であったが、今そこにあるのは、捕食者に貪り喰われた無惨な亡骸だけであった。



 ウィリアムがボルトリザードの死骸を更に注意深く観察していると、ある3つの事に気が付いた。

 胴体に捕食者がつけたものと思われる巨大な4本の爪痕が残されている事と、首にはいくつもの牙で咬み付かれた痛々しい咬み跡が存在する事。

 そして、頭部には王立魔界軍のシンボルである大悪魔のエンブレムが刻まれている事だ。


 これらの事から、コイツはサタリード軍の所属で、念波塔周辺の警備にあたっていた所を、強大な捕食者に襲われ、ここまで運び込まれて捕食されたんだろうと、ウィリアムは推察した。

 そしてそれが事実であれば、今頃ガディークの市街地内は警戒態勢になっている筈だ。

 面倒な事をしてくれたなと、ウィリアムは心の中で毒づき、顔をしかめた。



「良いかイリア、俺の推察が正しければ、あれはガディークで警備にあたっていた、サタリード軍のボルトリザードの死骸だ。

奴は市街地を巡回中、強大な捕食者に襲われて死亡し、そのままここに運び込まれ、体内に溜め込んでいた魔力を肉や内臓もろとも貪り喰われた……と俺は見ている」


 ウィリアムから推察を聞かされたイリアは、その“強大な捕食者”の事がどうにも気に掛かった。

「ボルトリザードは50口径の徹甲弾で急所を狙い撃つか、ロケットランチャーなどの重火器を用いなければ、撃破が困難とされるタフな魔物だ。

そんな奴を襲って、しかも肉や内臓ばかりか、身体にある魔力まで喰らい尽くす捕食者となれば……

私は“奴”の事しか思い浮かばないね」

「奴? その奴とは誰の事なんだ?」

「私らの古巣、アルティミール国防軍が生み出した究極の生物兵器……

XD-777、通称“ドラゴン・プレデター”の事さ」


 その言葉を耳にした瞬間、ウィリアムは愕然として目を見開いた。

「何だと……!?」

「根拠ならあるさ。

ここガルターレスで、同様の特徴を持った巨大なドラゴンの目撃例が、何件も存在している。

それに、血肉や臓物だけじゃなく、体内の魔力まで喰い尽くすような捕食者は、そいつ以外には非常に限られてるからね」


 イリアの衝撃的な意見を聞いて動揺を隠せない様子のウィリアムだったが、すぐに本来の冷静さを取り戻し、本題へと移った。

「もしかするとそうかもしれないが、問題はそこじゃ無い。

そんな恐ろしいドラゴンが連中を襲撃したとなれば、今頃あそこは厳戒態勢が敷かれている筈だ。

それなら、俺達は早急にこの林を抜けて市街の様子を偵察しなければならない。

違うか? イリア」

「それもそうだね。

今の私らに、こんな所で推理ゲームを楽しんでる暇は無い。

私らのミッションは潜入調査じゃなくて、敵の防御設備の破壊だからね」



 ウィリアムとイリアは自分達の仕事を続行することに決め、食事を楽しむ野生の狐を大きく迂回して、ターゲットの破壊を目指して林の奥へと更に進んだ……






 ガルターレス共和国東部ガディーク、念波塔付近の市街地。

 そこで警備にあたっている2体のハイゴブリン(ゴブリンの上位種)が、警備の為街中を巡回していた。


 灰色の鎧と長さ3m弱のロングスピアを装備した彼らは、多種多様な魔物が混在している王立魔界軍において、最も一般的な兵士である。

 戦闘能力は個々の練度によって大きく異なり、練度次第で雑兵にも強戦士にも成りうる存在であった。


 彼らは数時間前に正体不明の巨大なドラゴンの襲撃に遭ったばかりで、まだ平静さを取り戻せてはいない様子だ。

 殺し殺される戦争の狂気には慣れている彼らであったが、未知なる強大な捕食者に目の前で仲間や同胞が次々と殺され、挙げ句には捕食されるという、全ての世界における唯一絶対の理“弱肉強食”が、どれほど無常で残酷なものなのかという事を、まだ思い知らされたばかりである。

 そんな彼らが、今すぐ落ち着いて平静になれと言われても、それは無理な注文だった。



 2体の内の1体、ハイゴブリンのゴヴォドが、仲間の血で紅く染まった瓦礫の中から、一本のロングスピアを取り出した。

 槍の柄の部分には彼らの言葉で“ゲルダス”という文字が刻まれていた。

 それは、彼らと同じ部隊に所属していたハイゴブリンの名で、彼はゴヴォド達の同胞であり、そして戦友であった。


 ゴヴォドはゲルダスが生前、否、ほんの数時間前まで愛用していたロングスピアを強く握りしめ、一人瓦礫の上に座り込んだ。

「……つい昨日まで、故郷の恋人の事で惚気けてた野郎が、今日は正体不明のドラゴンのエサか……

クソ……クソッ! クソッタレが!

なにが『生きて帰ったらプロポーズしたい』だあの野郎! 手本みたいな死亡フラグ立てやがって!」


 ゴヴォドはもう生きてはいない戦友に対して怒鳴り散らし、隣に居たもう1体のハイゴブリン、ガーダスが彼をなだめた。

「アイツはきっと、無意識の内に自分の死期を悟ってたんだろうさ。

せめて最期くらい、故郷の愛しい恋人の事で惚気けたかったんだろうぜ……」

「分かってるさガーダス。

けどよ……あんな最期なんてあるかよ……

敵弾に倒れる訳でも無く、正体不明のデカくておっかねえドラゴンに捕食されて……

それも、何の脈絡も無く、唐突に……」


 ゴヴォドは戦友ゲルダスのあまりに呆気なく惨たらしい最期を嘆き、瓦礫の上に戦友の遺品をそっと置いて、一人頭を抱えた。

 ガーダスの方はゲルダスの死そのものは受け入れられている様子だったが、今この状態のゴヴォドに対してどう接したら良いかが分からず、ただその場に立ち尽くした。



「まだ、彼らが喰い殺された事実を受け入れる事は出来んか?」


 頭を抱えるゴヴォドに対して、先程の襲撃によって破壊された箇所の確認に来た1体のウェアウルフソルジャー、ヴォルフェンズが、物腰柔らかな口調で尋ねた。

 ゴヴォドは重たい頭をゆっくりと持ち上げ、ヴォルフェンズの方を向いて返答した。


「ヴォルフェンズ……

ああ、まあな。

俺もアイツも兵隊やってる身だから、戦場で死んじまうのは仕方の無い事かもしれない。

だけど……だけどよ! あんな死に方無いだろ!」

「ゴヴォド……今回の襲撃で戦友を失った連中は、皆お前と同じ事を思っているさ。

『敵軍に撃たれて戦死するならばともかく、あんな化物に喰い殺されるなんて』とな……

俺も同じだ、俺も同胞を一人喰われた」


 何故あんな風に死んでしまったんだと思っていたのは、自分だけでは無いと分かったゴヴォドは、幾分かは気持ちが楽になったように感じたが、その程度で塞がる程彼の傷は浅く無かった。



「それと、俺からお前達に一つ頼みがあるんだが、聞いてはくれんか?」

「頼み? 何だ?」


 ゴヴォドがそう尋ねると、ヴォルフェンズが5m先の瓦礫の上で悲しみに暮れている、1体のボルトリザードを指差した。

「彼を……慰めてやってくれないか」


 彼は襲撃の際、現場から50m程離れた位置におり、騒ぎを聞きつけ現場に駆け付けた頃には、そのドラゴンによって多くの仲間が捕食あるいは惨殺されており、彼の同族も既に咬み殺された後であった。

 彼はドラゴンに応戦しようと試みたものの、その余りに異様な威圧感と殺気に思わず怖気づいてしまい、ドラゴンが同族を咥えながら飛び去っていく様を、追撃も出来ずただ眺めている事しか出来なかったのである。


 ゴヴォドは酷く傷心している彼に対して強く同情し、ガーダスと共に彼を慰めに行くことにした。



「同胞を目の前で殺されて……辛いか?」


 ゴヴォドが黄緑色の鱗をしたトカゲの魔物に話し掛けると、彼は頭は持ち上げずに目だけをゴヴォドの方へ向けた。

 ボルトリザードのように人型でない魔物は喉の構造上、声帯から声を発して言葉を話す事が出来無い為、彼はテレパシーを使って返答した。


『お前は……?』

「俺はゴヴォド、見ての通りハイゴブリンだ。

お前、名前は?」

『……エレークだ』

「そうかエレークか、良い名だ。

……さっきの襲撃で捕まっちまったボルトリザードは、お前の友達か?」 


 ゴヴォドが柔らかな口調で尋ねると、エレークが鼻から大きな溜息を吹き出して答えた。

『ああ、そうだ。

ライコブって奴でな、少し馬鹿正直な所はあったが、良い奴だったよ。

なのに俺は……その友達を助けられないばかりか、そのドラゴンに一矢報いる事さえ出来なかった……

攻撃しようとしても、あまりの恐怖で身体が凍り付いちまって、一歩も動けやしなかった。

それもあって、今俺はご覧の有様さ……』


 彼の話を聞いたゴヴォドは何度も何度も頷き、溢れ出そうになる涙を必死に堪えながら言った。

「そうか……それはさぞかし辛かっただろうな……

俺も、目の前で戦友を喰われたよ。

一応応戦はしたが、ほんのかすり傷一つさえ奴に負わせられなかった……」

『そうか……

だが、お前はそれでもあの化物相手に果敢に立ち向かっていったんだろう?

あの場で一歩も動けなかった俺より、ずっと立派じゃないか』

「なぁに、お前だって立派さ。

多くの仲間達と同じように、お前は今戦場という“死地”にこうして立っているんだ。

それだけで十分立派だよ、お前は」


 ゴヴォドのその言葉を受け、今の今まで自身を卑下し続けていたエレークは、気持ちが少しだけ晴れたような気がした。

『そうか……ありがとうゴヴォド。

お陰様で、気分が少し軽くなった』

「それは何よりだエレーク。

それじゃ、俺達は持ち場へ戻る、幸運を」

『ああ、お前達もな』



 多種多様な魔物達で構成された魔界の軍隊、サタリード軍は、互いに支え合い、時にはいがみ合ったりしながら、今日も銃火器を操る人間達と対峙する。

 彼らは、念波塔の防御設備を狙う二人の亡霊が忍び寄っているとも知らずに、今日も占領地域にて警備を行うのであった……

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