小池の成長

「てか、少しからかっただけじゃん」

「なにマジになってんの? 超きもいんだけど」

「落ちこぼれの白戸と仲良くなって調子乗ってんの?」

「明日からもっとキツイことして……、え、な、なんだよ……、お前ら何見てんだよ」


 先生がいなくなると、生徒たちの態度が変わる。

 多分、彼女らは状況を理解していない。

 周りは白い目で彼女らを見ている。自分の身を守るように悪態を付くしか無い。


 私は九頭竜君ほど優しくない。

 それに、白戸さんの事を馬鹿にされるのも嫌な気持ちになる。

 悲しい気持ちが湧き出してくる。


 私を嫌がらせをしていた一人の男子生徒が立ち上がった。

 彼は柔道部で非常に体格が良い……、あれ? あんなに小さかったっけ?


「おい、小池。べ、弁護士なんて嘘付くんじゃねえぞ。お、俺たちマジで遊んでただけだろ? なあ、バレたんなら謝るぜ。わりいな」


 頭の中で何かがミシリと軋んだ音が聞こえた。

 全然気持ちがこもっていない。


「あのね、私ずっと我慢していたんだ。私が我慢していれば誰も傷つかないと思ったの。だけどね、あなた達は九頭龍君の事を傷つけたんだよ」


「あん? 九頭竜? あの男がどうしたってんだよ。んなもん、どうでもいいだろ。ていうか、マジでこの状況どうすんだよ? お前のせいで俺たちが停学にでもなったらどうすんだよ。そりゃよ、俺たちが悪い事をしたって分かってるけど、たかが生徒同士の軽いいたずらだろ?」


 ――軽いいたずら……。

 血管が切れたような音が聞こえてきたけど、私は九頭龍君のベストの匂いで心を落ち着けた。

 それでも――

 軽く深呼吸しても悲しさは止まらない。

 彼の身体は少し震えていた。多分いじめていた事の罪悪感というよりも、いじめが発覚して自分がどうなるか不安になっているだけ。この人たちは自分の事しか考えていない。


 多分、これでもう嫌がらせは無くなると思う。

 こそこそ陰で嫌がらせをする程度の小さい人たちだもん。おとなしくなる。私が証拠を残しているってわかったと思うし。


 私は爆発しそうになる自分を抑えて、特に何も言わずに自分の席に着こうとした。もう関わらない方がいい。




「お、おい、ちょっと待てよ! 証拠ってなんだよ! マジで全部バレてんのかよ……。こ、小池、聞いてんのか、こっち向けよ!」


 振り向くと、彼が私の服をつかもうとしていた。

 クラスメイトから悲鳴が上がる。

 彼は――私が着ているベストに――触れた――




「汚い手で触らないで――」



 こんな低い声を出したのは初めてであった。

 反射的に掴んだ彼の腕を握りしめていた。力の加減が出来ない。九頭龍君の大切なベストが伸びたらどうするの?


「あ、い、い……、――――っ」


 嗚咽がこみ上げてきた。無意識に心の叫びを解き放っていた――



「なんで自分の事しか考えないの? なんでグループになると人の目をばっかり気にするの? なんで一人の時とは違うの? 本当はすごく悪いことをしたって分かってるでしょ? いじめられた人の気持ちを考えた事あるの? 本当に楽しんでいたの? 人として最低だって理解してるの? いじめられている人の家族や大切な人の事を考えたこと無いの? 自分の家族が嫌がらせを受けたら悲しくならないの!? 私、あなた達の事が意味わからないよ! なんでそんなに悲しい事ができるの――」





「――――――……」


 私は子供みたいに泣き出してしまった。

 だって、分かんないんだもん。なんで人に嫌な事ができるか意味がわからないんだもん。


「おい、や、やべえぞ……」

「……あれ、折れるんじぇねえか? って、白目じゃね!?」

「だ、誰か止めろよ」

「いや、別にいいんじゃね? クズは苦しめばいいだろ」

「え、っと、女子が手を抑えているだけだろ……、だ、大丈夫だろ……」

「田代って柔道部だろ?」


 クラスメイトの声が耳に入ってくるけど、どうでもいい。

 ただ、今は悲しみが押し寄せている。

 涙が止まらない、あっ、ベストが汚れちゃうよ……。

 せっかく、九頭龍君と楽しくお話できて清々しい気分だったのに……。

 白戸さんが本当はすごく優しい子だって分かって嬉しい気分だったのに……。


 私の腹の奥から暗い感情が生まれてくる。

 そんなものが生まれてくる自分が嫌だ。

 何かに八つ当たりしたい。


 手に持っている何かに力を入れようとした。








 ……だけど、力が入らなかった。

 だって、授業中なのに……、なんでここにいるの?



「よう、なんか小池さんが困っている予感がしたから来ちまったぜ――。ほら、何かあったらいつでも飛んでくるって言っただろ? 今がその時じゃねえか」



 私の前に立つジャージ姿の九頭竜君。

 何故か、私の視界に黒い太い糸……というよりも綱みたいなものが見えた。

 それが九頭龍君と繋がっている。


 クラスメイトがざわついているけど、私の耳に入らない。

 ……白戸さんたちの声だけが届いた。


「はうっ……、や、やば……、マジもんの漢だ」

「リリー、恋は戦争じゃん。てか、授業抜け出すってすごいじゃん」

「超助かったっしょ。怪我されたら小池が罪悪感感じちゃうっしょ」


 私は九頭龍君に何かを言おうとした、だけど――

 九頭龍君がいることの安心感が私の身体を包み込む。安心感で身体が脱力する。

 手に持っていた何かを捨てて、私は泣き顔を隠そうとした。

 動こうとしても足が震えて動けない。

 九頭龍君……。



「ひっぐ、く、九頭龍君……、わ、たし、頑張ろうとして、でも、悲しくなっちゃって……。よくわからなくて……――えっ!?」


 九頭龍君はいきなり私を抱きかかえた――

 私の足を持って、身体を支えて、私は自然と九頭龍君の身体に腕を回す……。

 ――え、なにこれ? お、お姫様抱っこ?

 さっきまでの悲しい気持ちが吹き飛んでしまった。

 九頭龍君の温かさが私の悲しいを消してくれた。



「ま、ま、まって、お、重いよ!? わ、私、ダイエット途中だし!? そ、それに筋肉ばっかだから見た目よりもすごく重くて――」



「ん? 心地よい重さだぜ。……てか、てめえらも黙って見てないで、泣いて傷ついて震えて動けない女の子がいるんだから保健室へ連れてってやれや。ったく、おい、白戸リリー、そのペットボトルくれ、後で買ってやっから」


 突然呼ばれた白戸さんは「な、名前覚えてくれたんだ……、ふ、ふん、あーしの飲みかけ……だぞ……」と言いながらも机の上に出していたペットボトルを持ってこっちに向かってくる。少し嬉しそうだ。


 白戸さんは照れながら九頭竜君にペットボトルを手渡す。


「あ、後で本当にちょうだいよね! や、約束よ……、そ、それと――」


 白戸さんはすごく心配そうな顔で私に言った。


「あ、あんたやればできるのよ! はっきり言った方が絶対いいから。……えっと、あとはどうにかするから休んで来て……ね」


 うまく喋れないけど、心がいっぱいになる。私は小さく頷く。

 白戸さんが笑顔で答えてくれた。


 九頭龍君が床に気を失って倒れている柔道部の彼を見ていた。

 あれ? いつの間にか倒れていたの? わけ分かんないよ。


「しゃっ、とりあえず俺はこいつの気付けとして水をかけるからな! 面倒な誤解されたくねえから予め説明しとくぜ? それに、さっきこいつは非常階段の踊り場で俺にバケツ投げて来やがったからな。一瞬だけど顔が見えたんだよ。おら、そこの女子もいただろ? 俺は目がいいからわかんだよ」


 視線を向けられた女子は身体をびくつかせて顔をそむけた。


 九頭龍君は私をお姫様抱っこしながら、気絶している彼にペットボトルの水をかけた。

 彼はゲフゲフ言いながら意識を取り戻す。

 彼は状況が理解出来ないのか、ぼうっとしていた。

 だけど、九頭龍君と目が会った瞬間、凄まじい勢いで床を移動した。

 教室の隅で震えて縮こまってしまった。


「おお、あいつは確か前に不良に絡まれていたのを助けた奴じゃねえか。結局俺が不良とグルだって事になって悪者にされたけどな。まあどうでもいいや」


 クラスがざわめく。


「え、不良グループをボコったって自慢してたよね?」

「ちょ嘘つきじゃん」

「怪我した所を自慢したね……だっさ」

「えっとさ、あいつの事なんてどうでもいいけど、九頭龍君って小池の事助けに来たんでしょ? 超ヤバくない?」

「うん、マジでかっこいいわ」 


 九頭龍君はクラスのざわめきを気にせず、白戸さんたちに手を振って教室を出た。






「じ、自分で歩けるよ……、く、九頭龍君……」


 九頭龍君はゆっくりと歩く。本当はまだ足が震えて歩けない。

 少しだけ恥ずかしい気持ちがあるけど、

 時折、私をお姫様抱っこしている姿を見かけた先生が声をかけてくるが、ちゃんと説明をしたら納得してくれた。



「ん? いいんだよ。詳しくはわからねえけど、小池さん頑張ったんだろ? 今は休んでなよ」


 いつも優しいけど、いつもよりももっと優しさを感じられる。

 こんな風に抱きかかえられたのって……、子供の頃以来。

 力強い九頭龍君の腕に包まれていると、安心感がどんどん湧き出してくる。

 ……あ、甘えてもいいのかな?


 そう思った時、九頭龍君の手の力が強くなった。



「――こ、小池さんは泣いてるよりも笑っている方が……『可愛い』からさ。俺がいつでも力になるぜ」



 少し照れくさそうに前を向く九頭龍君。

 私は思いっきり、九頭龍君の胸に顔を押し付けた。


 もう悲しみなんてどこにもない。

 あるのは……温かい気持ちだけであった。

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