あまみやさんは気がついた


「うががががっ!!! 超恥ずかしいじゃねえかよ!? 俺は馬鹿か!! くそくそくそ!!」


 俺は家に帰って、冷静になってから先程のベンチでの出来事を反芻した。

 あまりにも恥ずかしいセリフを吐いていたので死にたくなった。

 小池さんとの楽しい買食いも忘れそうなほどであった。あっ、小池さんの最後のセリフの「守ってあげる」ってどういう事だ? くそっ、こっちも気になるじゃねえかよ!! 

 超可愛い笑顔でそんな事言われたらキュンとするじゃねえかよ。


「たくっ、なんだよ。俺は誤解するのも嫌だ――少し待ってろよ、って!! 漫画の見すぎだ!! はぁ、はぁ……、落ち着け……落ち着くんだ」


 そろそろ配信の時間である。

 準備をしなくては。

 一つ問題が出てきた。俺がさっきの女の子の前で歌った曲は、俺が作ったものだ。

 ……もし万が一、仮に、若干の可能性として、彼女がリスナーさんだったら身バレすんよな?

 少しアレンジを加えて……、いや、あの曲は俺の現時点での最高傑作だ。

 今日はあれを楽しみにしているリスナーさんがいる。前回の生配信の時にワンフレーズだけお披露目したし……。


「……きっと大丈夫だろ。どうせリスナーさんだったら俺の声でバレてんだろうし。はぁ……、さっさと準備すっか」


 というわけで、俺は家の地下にある音響部屋へと向かうことにした。

 音響部屋にはボブがダンスをして遊んでいた……。


「てめえ何してんだよ!! ここは俺んちだろ!?」」


「はろー、ムサシ。さあ一緒に踊ろうよ!!」


 ……ボブっていうあだ名のハーフの男の娘。まだ若いけどダンスの世界大会で優勝している凄腕。親父がすごく気に入ってる娘だ。

 俺は仕方なくボブのダンスに少しだけ付き合い、その後、新曲の配信の準備をすることにした。





 ************





 私、雨宮優子はベンチから動けないでいた。

 涙が止まらなかった。心の奥からどんどん想いが溢れて止まらない。

 身体の震えも止まらない。

 あんな歌聞いて普通でいられるわけない。

 初めて聞く九頭竜の歌声は、心に……、魂に響く歌声であった。





 初めて九頭竜武蔵と出会った時の事が鮮明に頭に浮かぶ。


『よお、お前も陸上部なんだ。今朝はなんかすまんかったな』

『……ふんっ、お前か。……チャラチャラした男は嫌いだ。話しかけるな』


 夜の駅前でうちの高校の女の子を泣かしているチャラい男だと思った。

 警察官の父親を持つ私は正義感が強かった。私が間に入ったんだ。

 ――後になってわかったが、九頭龍は女の子をしつこいナンパから助けただけだったんだ。


 女の子は安堵して泣いていただけ。それなのに、あいつは私が罵倒しても流すだけで否定もしない――、いや、否定はしていたかも知れない。……私が聞く耳を持たなかっただけだ。

 ……よく思い出せない。



 あいつは登校中に猫をいじめていた、という噂も流れた。

 小さな子猫を木にのせて遊んでいる外道。陸上部の同期が見かけて私に教えてくれた。

 実際は、木に登って下りれなくなった子猫を助けただけであった。

 ……何故か私達は九頭竜から理由を聞いても信じる事が出来なかった。


 それでも、陸上部を通して九頭竜と接していくうちに、とても優しくて良い奴だと考えが変わっていった。嫌な要素が見当たらない。口だけのサバサバした男ではない。非常に話しやすく、思いやりがあって、その、なんだ、見た目は適当なのに時折すごくカッコよかった。


 一緒に遅くまで残って練習をした。

 お互い歌の配信が好きで部室でいつまでも話していた。

 あいつの嫌な噂を忘れかけていた。

 とても良いやつに思えた。正直、誰と話すよりも一番気が楽で、楽しくて……私にとって親友と言える存在になっていた。




 ある事件が起きた。

 それは九頭竜が起こした暴力事件であった。


 九頭竜が大暴れして男子部員を大怪我させた。

 その場にいた女子マネージャー二人も暴力の余波で転んでしまい軽症を負った。


 騒ぎを聞いて、先生と女子部員たちで駆けつけたときはすでに遅かった。

 血だらけで倒れている部員と血だらけの拳を抑えながら肩で息をしている九頭竜が立っていた。


 先生が九頭竜を取り押さえ、男子部員たちから状況を聞く。


『こ、こいつがいきなり殴りかかってきたんだ!!』

『そ、そうだ、お、俺達は悪くない……。くそ……、最後の試合が……』

『あ、足の骨が……』


 九頭龍は冷たい目で部員を見つめていた。ひどく悲しそうな目――その時のわたしはそう感じたんだ。

 女子マネージャー二人は……恐怖で震えていた。


 私はたまらず九頭竜に向かって叫ぶ。


『九頭龍!? お、お前なんでこんな事を! わ、私はいくらお前に悪い噂があったとしても信じていたのに!! 先輩たちの最後の試合だぞ!! この怪我ではもう試合なんて……』


 九頭龍は悲しそうな笑みを浮かべていた。私はその時はわけがわからなかった。

 この時の九頭龍は言い訳もするでもなく、ただ一言私達に告げた。


『わりい、俺、間違ってねえわ』


 全てを諦めている顔であった。なんでそんな顔をするんだ。言い訳をしてほしかった。

 いや、後日、停学明けに理由を聞いたけど、とうてい信じられるものではなかった。

 九頭龍があんなに品行方正で優等生な先輩たちを悪く言うのが許せなかった。

 あの先輩たちは陸上部の誇りだった。そんな彼らの最後の青春を壊したんだ。


『もう二度と私の前に顔を見せるな』


 これが私の最後の言葉。

 今でも後悔している。ちゃんと九頭竜の話を受け入れていれば――




 結果として、先輩たちは怪我が治ったと同時に退学となった。

 夏休みに入る前に、警察から顧問へ連絡があったらしい。

 窃盗で捕まって、色々余罪を調べたら……先輩たちは人間のクズだと判明したんだ。


 改めて顧問が九頭竜の事件を調べるとひどい事実が発覚した。

 九頭龍の証言通り、九頭龍は女子マネージャーを助けようとしただけであった。


 先輩に呼ばれて何も疑わずに男子部室へとやってきた女子マネージャーたち。

 先輩たちは……卑劣にも女子マネージャーに襲いかかる計画を立てていた。

 事前にそれを察知した九頭龍が現場に乗り込んで、事が起こる前に先輩たちを止めようとしただけであった。

 マネージャーたちはいきなり始まった喧嘩におびえていただけで状況を理解していない。


 ……無論暴力は最低だ。だけど……、それ以外どんな方法があったんだ?

 それに先輩たちを止めようとした九頭竜が先に殴られていたのだ。


 私が事件の真相を顧問から聞いたのは夏休みが終わった時の事であった。





 私は……、なんで信じきれなかったんだろう。

 あの時は、九頭龍が罪を犯した事に対しての嫌悪感と、今まで築き上げてきた九頭龍との親愛の狭間に苦しんでいた。

 頭では九頭竜を信じてあげたい。嫌悪感がそれを打ち砕く。


 ……それに、九頭龍は事件の事なんか忘れて幼馴染と付き合い始めた。

 正直、それもショックだったんだろう。

 なんで、幼馴染の日向なんだ。親友である私が一番九頭竜を理解して――


 ……自分の事を醜いと思った。そんなのただの嫉妬だ。


 九頭龍と日向がすぐに別れたと知った時、やっぱりあいつは駄目な男なんだ、と思い込むようにした。


 話したい、でも顔を見ると苛つく。

 会いたい、でもあいつは罪を犯した悪い奴。

 頭がおかしくなりそうだった。



 自分の心境の変化があったのは、夏休みに入ってからだ。

 ずっと心の片隅で、九頭竜の事を考えていた。

 嫌悪感なんてどこかへ飛んでいった。ちゃんと事件の事を話し合いたい、そう思っていた。


 夏休み終わりに九頭竜の冤罪が判明して、私はすぐにでも九頭竜に会いたかった。謝りたかった。

 また一緒に部活をしたかった。一緒に話をしたかった。




 授業時間がもどかしい。こんな時に限って顧問の先生から呼ばれる。

 すでに九頭龍は学校を出ていた。


 トボトボと歩いていると、ベンチに一人座っている九頭竜を見かけた。

 胸が高鳴った。久しぶりに見た九頭龍は、なんだか垢抜けていた。すごく……カッコよかった。


 走り出したい気持ちを抑えて、早く謝りたくて、私は九頭龍の隣に座った――

 でも――


『そうか――』


 九頭竜の態度は冷たかった。仕方ない……。

 胸が締め付けられる思いだった。こんな苦しみを味わった事がない。

 大切な人に無視される。

 ……でも、私はこれよりもひどい誤解をしていたんだ。


 そう思うと、更に悲しい気持ちと罪悪感がこみ上げてくる。


 言葉がうまく紡げられなかった。自分で何を言っているかよくわからなくなった。

 九頭龍がまるで私の事を他人として感じているのがわかった。


 泣きそうになるのを堪える。

 どうしていいかわからなくなった、その時――

 いきなり九頭龍は歌を口ずさんだ。






『わりい、やっぱお前らの事わかんねーわ――』


 九頭竜の歌を聞いたら、九頭龍との思い出全てが頭の中で再生されて何も考えられなくなった。

 そんな時に言われた衝撃的な言葉。

 意味がわからなかったけど、素直に心に受け入れられた。




 九頭龍は『少し待ってろよ――』とだけ言って去っていった。


 私は九頭竜の痛々しい笑顔を見て、この時、この瞬間、自分の本当の気持ちに気がついた。


 九頭竜武蔵は大切な友達。ただの親友……じゃなかったんだ。

 わ、たし、九頭龍の事が……好きで好きでたまらなかったんだ。ずっと気がつかないフリをしていたんだ……。



 その想いに気がついた時――、私は再び子供のように泣きじゃくった。

 泣いているのに、九頭竜の歌だけが身体の中でずっと響いていた。





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