終章

41、旅の別れ

 グリニア|ソーソが帰って来たというニュースは翌日大々的に報じられた。この10年間彼が何をしていたのかといえば、それは彼のみぞ知る領域だったが、うわさでは山脈の険しい山奥で修行していたとか、新しいビジネスを成功させたとか言われていた。


 一方、使節団ではどうしてこのタイミングで彼が戻ったのかと疑問に思う声がたびたび聞かれたが、かつての指導者を取り戻せたということの方が今後のかじ取りとして歓迎されているようだった。

エシルバが聴取を終えて使節団のしの字も忘れてトロベム屋敷に戻ると、懐かしい団員たちが各々動作を止めて大慌てで駆け寄ってきた。


「心配してたんだぞ」

 真っ先にブルウンドが片手にフライパンを金棒のように抱えて登場し、何度もエシルバの頭をなでた。


「エシルバ! 君が最後だった」


 リフが待ちくたびれたように歩み寄り、お互い苦労を物語ったように笑った。エシルバはリフの顔を久々に見て、もう駄目だった。聴取中は石板の間で起こった恐ろしい事件のことで眠れない夜もあったし、何より身が縮むくらいさみしかった。だから、リフの笑顔を見た瞬間に視界がぼやけて前がよく見えなくなってしまった。エシルバは彼の肩を抱き、何度も背中を優しくたたいた。


「リフ、会ったら言おうと思っていたんだけど、君の操縦は世界一だよ」

 すると、リフは照れたように頰を赤らめた。


「最後の着地でマイナス3判定だな」

 ルゼナンの指摘にリフは「うるさいな!」と言い返した。


「本当に大丈夫なの?」

 ポリンチェロが言った。


「うん、僕は大丈夫」

 それを聞いたポリンチェロは真っすぐエシルバの胸に飛び込んだ。


「カヒィは?」


「自分の部屋で横になってるわ。お医者さんからあと1週間は安静にしていろって言われているの」

部屋を見渡してみると、この輪の中に入らず本を読むジュビオレノークの姿があった。


「あいつ、戻って来てからずっとあんな感じなんだ。誰ともしゃべらないで」リフは言った。


「なんの騒ぎ?」

 いつになく肩をすくめたカヒィが松葉づえをつきながらやってきた。

「エシルバ!」


 カヒィはつえをほっぽりなげてエシルバを強く抱きしめた。エシルバは懐かしい友達の匂いと体温を感じて心が温かくなるのを感じた。


「心配してたんだ。君がどこか妙な施設に連れていかれやしないか。うそじゃない。グリニアが帰ってきたのは新しいプロジェクトが始まるからだって。なぁ、うそだろ? 使節団からいなくなったりしないよな?」


 こんなに心配されていたなんてつゆ知らず、エシルバは自分まで涙もろくなるのに気付いた。リフもポリンチェロも、どこか不安げな顔をしてエシルバの返事を待っていた。


「どこにも行かないよ」

 情けない顔で涙を拭いながらカヒィは崩れた笑顔を見せた。


「グリニアは僕に調査に協力するよう言っただけだよ。それに、君のけががよくなったみたいで安心したよ」

 リフとポリンチェロは肩を寄せ合いながら、カヒィとエシルバのことをほほえましい目で見守っていた。カヒィはすっかり安心したのかやっと一人の力で立ち上がると、照れくさそうに頭をかいた。


「じゃあ! 君はあのグリニアに会ったっていうんだな!」

「会ったよ」驚くリフにエシルバはそう言った。

「どんな人だった?」カヒィは目を輝かせて尋ねた。


「リフが言ってた通りの人だったよ」

 一方、ポリンチェロの前に現れたのはウリーンだった。


「私の言う通りになった」

「なにが?」ポリンチェロは尋ねた。

「エシルバと一緒にいれば不幸になる。これで分かったでしょう? 私のジュビオだって、なんの関係もないのに巻き込まれて、けがまでしてしまったのよ」


 ウリーンは迷惑そうに声を小さくして言った。


「あなたのおかげでいろいろと私、分かった」


 急に素直になったポリンチェロに対し、ウリーンは得意げそうに顎を上げた。


「分かってくれればいいのよ」


「あなたみたいに、友達を便利か不便で選ぶような人にはなりたくないってこと」


 ウリーンは目をしばたかせた。「な、なんですって?」


「エシルバたちは私に、勇気を教えてくれたわ」

 そう言うと、ポリンチェロはパッと輝くような笑顔を見せた。ウリーンは顔を真っ赤にして「もう!」と言い残し、すっ飛んでいった。


 いつもは使節団にいるはずのないオウネイが奥から現れてエシルバの名前を呼んだ。エシルバはドキリとして背筋を伸ばし前に進んだ。彼女の隣にジグがいるのを見て嫌な予感がした。


「まだ心の準備が……」

 オウネイは驚くエシルバにこう言った。

「年末年始の長期休暇ですが、あなたには使節団が所有するトロレルの別荘へ行ってもらいます」


「え? 破門じゃ……」


「今回ばかりは特別な配慮です。むろん、今後決闘などした場合にはあなたを師弟選考委員会の審査にかけ、破門、もしくは配置交換の対象となることを覚えておいてください」        


 オウネイは念を押した。


「寛大なお計らい、ありがとうございます」


 エシルバは恐る恐る顔を上げて続けた。「一つだけ、お願いがあります」

「なんでしょう」


「今年は蛙里に帰らせてください」


 オウネイは手を重ねたまま多少なりとも同情を込めた目で見返した。


「お願いです」


 談笑していたリフやカヒィ、ポリンチェロまでもが心配そうにエシルバとオウネイのやりとりを見守っていた。しかし、オウネイは無慈悲にもこう言い放った。


「団としての方針なのです」

「そんな」


 頭の中にユリフスたちの顔が浮かんでは消えていき、エシルバは絶望にさいなまれた。一体なんのためにこの苦しい日々を乗り切り、ここまで耐えたというのだろう? そうだ、ユリフスやエルマーニョたちにまた会えることを信じてだ。それなのに、こんなのが結果なんてさんざんではないか。


「あなたがここに来てから様々な進展がありました。それも国の方針に直接関わる重大案件なのです。あなたの気持ちは分かりますが、今はまだ、家族がいる場所へ送ることはできません」


「意味が分かりません」

 オウネイは周囲を気にしながらエシルバの耳元でこう続けた。

「国の監視下で行動するのが安全です」


「どういう意味ですか? 僕はただ、家に帰りたいだけです」


「あなたを見張る者がいます。里に帰るということはあなた自身の家族を危険にさらすということ。今はまだ、動くべき時ではありません」


 これ以上話す気力は起きなかった。エシルバは部屋を飛び出して夢中で階段を駆け上がり、自分の部屋にふさぎこんだ。テーブルの上には、家に帰る時に持っていこうと思っていたユリフスからもらった小箱が忘れ去られたように置かれている。ふと通話履歴を見てみると、ユリフスから2件、エルマーニョから1件届いていた。でも今は、電話を返す気にも楽しいことを想像する気にもなれなかった。


 しばらくしてドアの向こうからカヒィの声が聞こえた。

「入るぞ、エシルバ」


 だんまりを決め込んでいると、カヒィが中に入ってエシルバの隣に座った。少し気まずい沈黙が続いていると、彼はエシルバの肩を抱いて言った。


「これも社会勉強だ」


 どうしてそんなことを言うのだろう、とエシルバは少しイライラしながら彼を見返した。顔にはいつものヘラヘラした笑みが浮かんでいるのにどこかもの悲しげにも見えたので驚いた。カヒィは近くにあったクッションを宙に投げて遊びながら言った。


「今はまだ帰るべき時じゃない、オウネイはそう言ったんだろ?」

「君には分からない」

「分かる」


 エシルバは少しむきになった。「なぜ?」


「家族とちゃんと向き合ってるから」


「約束も守れないのに?」エシルバは首を振った。


「だって、君はしょっちゅう家族に電話してるし贈り物だってしてる。僕が見ているだけでこれだけしてるんだ、人が見ていなくたって君は誠実な愛を貫いている。僕らに家族の話をしてくれるのは君が本当に大好きだからだ、違うか?」


 エシルバは傷ついた心を隠すように顔をそむけた。

「なぁ、エシルバ。よく聞けよ。君の大切な人たちは、たった一度約束を守れなかっただけで君を非難するような人なのか?」


 そう言われて、エシルバは心の中で考えた。きっとユリフスはまた「いつでも帰ってきなさい、待ってるから」とでもいうだろう。エルマーニョやアソワール叔父さん、アルだってきっとそうだ。


「違う」エシルバは絞り出すように言って目を熱くさせた。


「だろ?」


 カヒィはよしよしとエシルバを抱き寄せてくれた。

「言葉のまま忠実に行動できたらいいだろうさ。でも、そうできないことだってあるんだ。そんな時は運のせいにしてしまえばいいさ」


 涙で濡れたエシルバの顔を拭きながらカヒィは笑った。


「分かった、そうするよ」エシルバもつられて笑顔を取り戻した。「君はどうするの? 年末年始」

「あぁ、僕? 君とおんなじだ」

「家に帰るんじゃないの?」


 いろんな意味で驚き尋ねると、カヒィはきまり悪そうに頭をかいた。


 そこへリフ登場。

「素直に帰る家がないって言えばいいじゃん」顔がニタニタ意地悪そうに笑っている。


 いつだったか、カヒィは自分から親とけんか別れしてきたって言っていたな。エシルバはそのことを思い出した。

「肝心なのは居場所さ。せっかく家に帰っても肩身が狭かったら誰も帰りたくなんてないだろう?」カヒィはこう付け加えた。「ここが僕の家さ」 


「そりゃあ名案」リフは言った。「トロレル別荘はいいぞぉ。二人とも有意義にすごせよ」


 長期休暇までの間、エシルバはブユの石板やアバロンのことを忘れてしまうくらい仕事や実習に熱中した。入団したての頃は、真っ先に蛙里に帰りたいと思っていたのに、今は不思議と新しい経験がしてみたいという思いが強くなっていた。


 年末が近くなって、エシルバは同じチームメートのウルベータから思わぬことを聞かされた。

「ジグが君にとても感謝していた。無事に帰って来られたのは君のおかげだって」


 それを聞いたエシルバは、本人に直接言われるより何倍もうれしくなった。


 いよいよ出勤最後の日、エシルバはリフから休暇中にテレビ番組を2本も見るように勧められた。それは「爆走人間」という映画と「オレンジ記念レース」というローカルなロラッチャー大会を放送する番組だった。なんでも彼の父親が映画に出ているらしく、レースにはリフが出場するのだという。エシルバが直接旗を持って応援しに行くと約束したら、ぜひ家にも寄ってくれという話になった。


 エシルバが部屋でバドル銃の手入れをしていると、パイロット帽を頭にかぶったルゼナンが現れた。


「今日はいい日だ。あんたをコダンパス船に乗せられるんだからよ」

「コダンパス船って使節団船のこと?」

「そう、俺が長年守り続けてきた大切なロラッチャーさ。こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれない。でも、あんたのお父さんには本当にお世話になったよ。彼もまた、コダンパス船に乗って世界中を飛び回っていた。彼の息子を乗せるんだ。俺にとってはやりがいのある仕事だよ」


 エシルバは思わずルゼナンにこう呼び掛けた。

「ずっと気になっていたことがあるんだ。どうしてジグやブルウンドたちは僕を助けてくれるの?」


「俺たちは助けてなんかいない。むしろ、あんたが周りの人を助けたじゃないか」

 それを聞いてエシルバは驚いた。ルゼナンは帽子を目深にかぶり、ちょっぴり暗い顔になった。


「本当はよ、みんなゴドランのことを救いたいと思っていたんだ」


「うん」エシルバは言った。


「どんな形で救えるのか分からない。もしかしたら、真実を知ることがそれにつながるのかもしれない」


「ねぇ、ルゼナン」

「なんだい」


「ゴドランは、素晴らしい仲間に囲まれていたんだね」


 ルゼナンは心なしかうれしそうに、エシルバの頭にパイロット帽をパフッとかぶせた。


「俺もそん中に入っているのかい? さてと、そろそろ出発だ。俺らの小さな船長さんよ。そうだ、もし破門にされたらいつでも俺んとここいな。1枠空けておくからよ」


 そう言ってルゼナンは笑った。


 ロッフルタフ第一ターミナルで待っていたのはセンクオード100台は収納できそうな巨大ロラッチャーだった。船舶には「コダンパスⅦ」の文字がきらめいている。乗船ゲートに立ったエシルバは道中をともにするリフ、カヒィ、ポリンチェロに笑顔を向けた。


「ここを離れるのはさみしいよ」リフが言った。


 駅には他にも仲間たちとお別れする役人たちが大勢集まっていた。


「ポリンチェロはおじいちゃんの家に行くんだっけ?」

 隣にいたポリンチェロはエシルバの顔を見てうなずいた。


「そうよ。水底にある素晴らしい家なの。今度ぜひ、あなたたちを招待したいわ」

「見てみたいよ」


「……あなたに言いたいことがあるの」

「なに?」

 エシルバは聞き返した。


「変なこと言うかもしれないけど、これからも友達でいてほしい」


 数秒彼女を見つめた後、エシルバは少しずつ笑顔をにじませた。


「もちろん」


「本当? うれしい!」


 そのとき、大慌てで駆け寄ってきたスピーゴがどっこらせと大きな花束をエシルバに押しつけた。目の前に広がったいっぱいのいい香りに思わず顔がほころんだ。9割は咲いていないほとんどつぼみの不思議な花束だった。


「ちょっと早いが新年の祝いだ。来年まで枯らすんじゃないぞ」

 後ろの方から現れたブルウンドが得意気な笑みを浮かべた。


「ありがとう」エシルバは元気に手を振った。

「なんの花? いい香り」


 ポリンチェロが鼻をクンクンさせた。


「なーにしょぼついた顔してる」


 見かねたようにブルウンドが言った。隣のリフとポリンチェロもなんだか名残惜しそうな顔だ。ブルウンドの顔を見ていたら、急にさみしさがこみ上げてきた。エシルバはきれいに咲いている2輪の花をとって2人の髪にそっと差した。


「ほら、僕よりも似合ってる」


 2人はポカンとしていたがやがて笑顔になった。


「さぁ、行ってこい! トロレル別荘はいい所だ。嫌なことは全部忘れてゆっくりできる」

 エシルバは花束越しにブルウンドたちを抱き締めた。


「ルゼナンが出発だって!」

 リフが出てきて叫んだ。


「またね」

 エシルバはそう呼び掛け、リフたちと搭乗ゲートをくぐり、コダンパス船の中に入っていった。


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