30、ようこそ、堂下町に
「どうしたんだよ、3連休の朝にそんなしょっぱい顔しちゃって。なにか深刻な話?」
リフはジロリとエシルバを見て言った。
「まだ見せていなかっただろう?」
「見せるって、なにをさ」
カヒィが眉をひそめた。
エシルバは説明するより見せた方が早いと、右手のあらざる手袋を外した。
「これって」リフは言葉を失い、やがてまじまじと見ながら「鍵の文様?」と言った。
「そう、これがブユの鍵だよ」
リフとカヒィは博物館に飾られている貴重な化石でも目にしたように目を丸めた。
「今どうやった。急に現れた」
カヒィは好奇心に駆られたのかにんまりして尋ねた。
「あらざる手袋っていうんだ。ジグがくれた」
「へぇ」リフは感心して言った。「やっぱり君は特別な人間だ!」
「特別なんて言い方はよしてよ」エシルバは肩をすくめた。「最初は黒っぽい単なるあざだった。それが、急にこんなふうになった」
「俺にはさっぱり、どうしてだろう?」
「分からない。でも、ここにやって来てからいろんな変化があった。ジュビオとけんかしたときも」
「それで、あいつ顔が青く腫れていたのか」
「リフ! 僕はジュビオのこと殴ってないよ!」エシルバは抗議した。「ぐったりしていたから、屯所の医務室に連れて行こうとしたんだ。そしたら口論になって、ん? でもやっぱり変だな。あんな傷、誰かに殴られでもしないとつかないよ」
「あの性格だ。自分からなりふり構わずけんか吹っ掛けるタイプだろ? 兄弟げんかでもした後だったんじゃないの?」カヒィはペラペラしゃべった。
「彼、兄弟がいるの?」
「確かいるはずだよ、上に男が2人」リフは指を折って数え始めた。
「実を言うと、気絶したとき変な感じがした。里でも何度か気絶したことはあったさ。でも、うまく言えないけど妙な感じがする。鍵の文様が現れたのはその後だったし。もしかしたら、この街にはなにか不思議なエネルギーが宿っているのかも。もしくは大樹堂に」
「君が言うことは一理あるかもしれない。なぜって? そりゃあ大樹堂ってのは摩訶不思議な建物だからね! 俺、面白いこと知ってるんだぜ。知りたい?」
エシルバはもったいぶるリフを小突き、カヒィは大きな耳を傾けた。
「大樹堂七不思議。深夜12時にモンテ=ペグノ大広場の噴水前に行くと死者の霊が話し掛けてきたり、あるはずのないマンホベータが存在したり……まぁ、人によって言っていることが違うからうわさ程度なんだけどね」
「ねぇ、リフ。その他に石板に関するうわさなんてあったりする?」
「石板だって? 残念! そんなのはないなぁ。でも、どうして?」
「ブユの石板だよ。教えたがりのナジーンから聞いたんだ。それには古代ブユ人の予言が書かれてあって、アバロンを阻止するための方法も書かれてあるらしい。ジリー軍がありかを探すために血眼で、古代ブユ人を拷問にかけてしまったんだ」
「俺、それ知ってるよ」
「君って天才だ。石板のありかを知っているというんだね!」
「いや、俺が知っているのは事件の方だよ」
エシルバはがっくりした。
「いつだったか忘れたけど、古代ブユ人の何人かが行方不明になったらしいよ。それで、歴史的な墓も荒らされたって。なにか貴重な財宝も盗まれたみたい。誰の仕業かは分かっていないみたいだけど、多分ジリー軍だよ。なぁ、まさかそのやばそうな石板が大樹堂にあるだなんて君は言うのか?」
「そうだよ、リフ」エシルバはハッキリ答えた。「石板は大樹堂にある。ジリー軍は、もう既に古代ブユ人から石板の在りかを聞き出しているのかもしれない」
「もしかして! 君がここに来るのを待っていたってこと? ブユの石板って、間違いなく君と深い関係があるはずだ。アバロンの騎士である君が大樹堂に来るのを待ち構えていたとしても、なんら不思議なことじゃない。俺、君のボディーガードにでも転身しようか」
「ありがとう。もしかしたら、石板が僕に影響を与えているのかも。それで、こんなにはっきりと鍵が浮かび上がった? だとしたらつじつまが合うよ。僕はブユの石板に呼ばれているんだ。そうとしか考えられないよ」
「石板に意思があるのか?」
カヒィはおかしそうに笑ったが、エシルバとリフの方はいたって真剣だ。
「石板にはアバロンを阻止するための方法だけが書かれているとは限らないし、ブユの暴走を起こすための方法だって書かれているはずだ。もしくは――そのヒントとなるものが」
「ジリー軍がブユの暴走を起こす方法を手にしてしまう?」リフは心配して言った。
「そんなこと起こるわけない。もし起こっても、それは君の責任じゃないだろう? 大樹堂側の責任だよ。それに、女王ブユ=ギィが敵の侵入を許すとは思えない」
カヒィは必要以上に心配する必要はないと言いたげだった。
「とにかく、ジリー軍よりも先に見つけ出そう」エシルバは言った。
そのとき、後ろでガサッと物音がしたのでエシルバは「誰?」と声を尖らせた。
「ごめんなさい、立ち聞きなんて悪趣味なことして」
ポリンチェロは弾かれたように部屋から出て行こうとした。
「待って!」エシルバは呼び掛けた。「別に聞かれても困るようなことじゃないよ、君にならね」
ポリンチェロはごくりと唾を飲み込んだ。「アバロンのことを話していたのね? あの、恐ろしい巨大な隕石のことを」
「うん、そうだよ」エシルバは言った。
「本当なの? 石板が大樹堂にあるって」
エシルバとリフは顔を見合わせて、それぞれうなずいた。
「でも、アムレイたちは急ぐなって」エシルバは言った。
なんだか気まずくなっていると、ポリンチェロがニコッと笑ってポケットから3枚のチケットを差し出した。
「ねぇ、せっかくの休みなんだし一緒に空中散歩に行かない?」
3人はキョトンとしてチケットをのぞいた。
「もちろん! おい、行くだろ?」
カヒィの圧力にリフはうなずいたがエシルバの横腹を肘でつついてきた。エシルバは理解するのに数秒固まった。
「エシルバ? あなたも一緒に行きましょうよ。たまには仕事のことも忘れて楽しむのよ。せっかくあなたの師であるジグが誘ってくれたんだし」
「ジグが?」リフが途端に目を輝かせた。
「チケットは6枚しかないから、好きな子を誘っていいって言われたの」
カヒィはポリポリ頭をかいた。エシルバは彼が自分と彼女しか見えていないんじゃないかと心配になったが、予想通り彼は好きな子と聞いてむふふと笑っていた。
「本当にごめんなさい、サプライズしようとしたのよ。チケットの整理をしようと思ってこの部屋にいたら、なんだか深刻そうな3人が部屋に入って来たものだからタイミングを逃して」
「気にしないで。僕らも行くよ」エシルバは答えた。
「じゃあ、決まりだ」カヒィが指を鳴らした。
「それで、いつ行くの? まさか、今日じゃないよね?」
「今日よ」
エシルバは急にがっくりきて頭をかかえた。
「なにが問題なんだよ?」リフがムッとなった。
「空中歩行は、ガインベルト高度技術集第3の実習内容だ。僕、まだ基本技術もちゃんと習得していないよ。今日は大樹堂で自主練習の予定だし――」
「エシルバ、空中歩行じゃなくて空中散歩なのよ。しかもこれは実習なんかじゃなくて、娯楽。思いっきり楽しめるわ」ポリンチェロが言った。
空中散歩? うん? 空中歩行――一体何が違うというのだろうか。エシルバはわけが分からなかった。
「行けばすべて分かるわ。さぁ、あと15分で準備して!」
エシルバたちはポリンチェロに促されるまま身支度を済まし、集合場所のリビングに向かった。
「朝早く悪いね」
ジグが私服姿でソファに座り、のんびり雑誌を読みながら待っていた。
「知り合いから空中散歩のチケットをもらったものだからね。チケットは6枚ある。今回行けなかった子たちには別の日に堂下町散策にでも繰り出そうと思っているよ」
「楽しみ!」ポリンチェロが目を輝かせた。
「ブルウンドは行かないの?」
エシルバがキッチンの方に声を掛けるとブルウンドが中腰で手を上げた。
「すまんなぁ。今日は仕込みに追われていて行けないんだ」
「大丈夫だよ、ブルウンドの分まで楽しんでくるからさ」
寝起き顔のエーニヒィがそう言って登場した。その後ろには弟子のムレイもいた。そして、なんだか場違いではないか心配しながらキョロキョロするスピーゴの姿もあった。
「エーニヒィも来るの?」
「も、ってなんだ」
エーニヒィはカヒィをひっつかまえて頭をグリグリした。
「心配すんな、俺とムレイはチッケット不要! 残り1枚はスピーゴに渡した。な? スピーゴ、パーッと楽しんでこいよ」
「ありがとうございます」スピーゴは恥ずかしそうに言った。
さて、早朝の大樹堂はシーンと静まり返っていた。ジグを先頭に一行はマンホベータでエントランスの第一炎の間まで行き、大きな門をくぐって地下へ続く階段を下りた。【この先大樹堂地下鉄道】――大きなホームが現れた。大樹堂地下鉄道の5番ホームで9時発の列車を待つことにした。大樹堂に地下鉄があるなんて驚きだったが、リフやカヒィ、ポリンチェロは初めて訪れたわけではなさそうだった。数分後、5番ホームに【堂下町南通り行き・普通列車】が到着した。列車は線路の上に浮かんでいて、物音一つしなかった。列車の中でこれから行く堂下町の話になった。
「堂下町はとにかく広い。北通り、西通り、東通り、南通りに分かれているんだ。それで、これから僕らが向かう場所は空中散歩館という所だ」ジグはみんなに説明してくれた。
エシルバは迷子にならないか心配だった。しかし、ジグは別のことを心配しているようだった。
「君たち、サバサンド専門店って知ってる?」エーニヒィがエシルバたちを見下ろして言った。「あそこはねぇ、ぶっちゃけブルウンドの料理よりもおいしいんだ。人気店だからきっと昼前から行列ができているに違いない」
おいしいものに目がないエシルバは、エーニヒィの話を聞きながら期待を膨らませていた。はっきし言ってブルウンドの料理よりもおいしいなんて信じられなかった。
「ジグはロラッチャーの運転とかしたことあるの?」リフが質問した。
「あぁ、もちろん。どうして?」
「ルゼナンが言っていた」リフはルゼナンの声色を真似て「……あいつの運転技術はピカイチだが、とんでもねぇスピード狂だ――って」と言った。
ジグはおかしそうに喉の奥で笑った。
「若い頃はよくルゼナンとロラッチャーでレースをしたものだ」
「友達なのね」ポリンチェロが気になって言った。「親友?」
「あぁ。10年も顔を合わせていなかったけど、久々に会っても彼の根本的なものはなに一つ変わっていなかった。互いに老け込んでしまったけどね」
すると、急にポリンチェロがソワソワし出してこんなことを言った。
「あなたとシィーダーはなぜ仲が悪いの?」
「随分ストレートに聞くんだね」
ジグはおかしくて声を出し笑った。
「ジグとシィーダーの不仲説は有名だもん」リフも加わって言った。
「僕は彼のことを嫌いだなんて思ったこと一度もないよ」
エシルバは目玉が飛び出るかと思った。それはリフもポリンチェロも同じだった。
「むしろ、そう思っているのは彼の方かも」
「なんだか意外ね。ってことは、言い争いの発端はたいてい、シィーダーの逆恨みなのかしら?」ポリンチェロが腕を組んだ。
「単純に、彼とは相性が合わないんだろうね。いつも顔を合わせるたびにけんかになっちゃうんだ。シィーダーはいつも僕にお説教さ。それで、たいてい僕の方から身を引くんだけど、たまにそうならない時がある。――で、雷が落ちるんだ。いつまでけんかをしているんだ。実習に行きなさいって……」
ジグはずっと昔の光景を頭の中に浮かべながらおかしそうに笑った。
「でも、そう言ってくれる人はもういない。あぁ、いたかな……ブルウンド。彼はいつも仲裁役に回ってくれる」
ジグはフフッと笑った。話し込んでいるうちに列車は堂下町南口に停車した。
「みんな、くれぐれも僕から離れないこと、いいね?」ジグは言った。
ご乗車ありがとうございました、堂下町南口、降り口は左側です――アナウンスが流れる中、ジグは地下鉄の自動改札口を通り抜け、噴水のある大広間にみんなを連れ出した。風船を売る道化師が視線を向けてきたので、エシルバは慌ててみんなについて行った。
すると、なにやらジグが噴水の前で立ち止り、エシルバたちに笑顔を向けてきた。そこでエシルバはあることに気が付いた。
「あれ? ジグ……ここ、階段がないよ。どうやって地上に上がるっていうの?」
ジグは薄汚い天井を見上げていた。
「他にご乗車の方はいないね? まぁ、見ていてごらん」
ご乗車? ジグが噴水のスワシとレシンの像に近付き、牙の辺りを手でなで始めたので、エシルバはわけが分からなかった。突然、ガクンときた。噴水部分がエシルバたちを乗せたまま、天井に上り始めたのだ。天井に押しつぶされる! エシルバはそう思ったが、次の瞬間には天井にポッカリと大きな穴ができ、晴れ渡る青い空が見えた。
よじれた3階建ての店が通り沿いにずらっと並んでいた。巨大な電飾の看板が目立つ【堂下町劇場キャンバロ=ナナ】では午前11時からキャンバロフォーン妖精の泉が演劇予定らしい。すぐ隣の肝試し館前には怪しい光の玉がプカプカ浮かんでいるし、路上では演奏団が朝早いのにもかかわらず、愉快なメロディーを奏でている。どこまでも長く続く道の上にはワイヤーにつるされたアマクの国旗が風でなびいていた。
「ようこそ、堂下町に」
ジグはそう言ってエシルバに極上の笑顔を見せた。
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