13、90億人の命

 エシルバはその場に固まった。伝説は真実だった? そんなことよりも、自分が恐ろしい悪者の末裔だという方がもっと信じられない。


「エシルバの右手にあるそのあざが星に選ばれし証し、ブユの鍵なのです」


 アムレイの言葉で、全員の視線がエシルバの右手に向けられた。


「濃く、はっきりと、鍵の文様が浮かび上がってくるはずだよ」

 ジオノワーセンが言った。


「ガンフォジリーの末裔? 僕が?」

 エシルバは動揺を隠せなかった。


「一方的に話されていてはいい迷惑だろうね」ジグが言った。「それに非常に複雑な問題だ」


 エシルバは自分の右手にあるあざを見たが、心は沈没船のように重く沈み込むだけだった。


「妻はガンフォジリー家の子孫です」アソワール叔父さんは白状するように言った。「血をたどればユン|ガンフォジリーという名に結びつくのは確か。しかし、あくまで伝説は伝説だと思っています。考えてもみてください! この空のどこかに、大きな扉が現れるなど、おかしな話ではありませんか。この世界が本当に終わりを迎えるとでも?」


 アソワール叔父さんの問いに対し、アムレイは沈痛な面持ちでうなずいた。


「では、さっきの15年とかいう数字は本当に……」アソワール叔父さんは頭を抱えた。


「その通りです。予言によれば、星に選ばれたアバロンの騎士だけが三つの鍵を集め、扉を開き、隕石の衝突を阻止することができる。アバロンの騎士こそ、エシルバ|スーなのです」

 エシルバは言葉に詰まった。父親の話以降、まったく話の展開についていけないのだ。特に、あざがブユに選ばれた証しだということ、自分が隕石を阻止できる可能性を持っているということ。これらを当然のように「受け入れろ」と言われても対応に困るだけだった。


「本当に、僕なの?」

 そう言ってエシルバは首を横に振った。


「私たちの目を見誤らないでもらいたい」アムレイは静かに力を込めて言った。

「誰もこの子の代わりにはなれないのですか?」

 アソワール叔父さんの問いにジグは首を横に振った。


「ねぇ。扉を開けば、ブユの暴走が起こるんでしょう? どうやって隕石の衝突を防ぐというの?」

 ユリフスが気難しく言った。


「扉には開き方があるのです。開く方法によって……アバロンの衝突を阻止することもできますし、ブユの暴走を起こすこともできます」淡々とアムレイは言った。


「人類の存亡を、イチかバチかの方法に懸けると言うのですか?」アソワール叔父さんは言った。


 突然アムレイが机を激しくたたいたので、アソワール叔父さんは腰を抜かした。

「残された道に懸けなければ、私たちは全員死ぬ! なにも、私たちはあなた方を脅しに来ているわけじゃない。なんの説明もなしに、その子を連れて行くほどわれわれも無慈悲ではありませんからね。ただ、覚えておいてほしい――三大国90億人の命が懸かっていると」


 すっかり縮み上がったアソワール叔父さんは口を閉ざした。

「ジリー軍の目的は世界の破滅だ。アバロンを阻止しようとする者に盾つくんじゃないの?」エルマーニョが言った。

「彼らは抜け目のない獣のような存在。われわれの作戦に乗じ、ブユの暴走を起こそうと目論んでいるのです」アムレイは鋭く言い返した。

 いつもより言葉数の少なかったユリフスが、顔を上げて3人の大人を見た。


「本当にエシルバを連れて行くの?」


「……そうだよ」ジグは答えた。

 現実を突き付けられたユリフスは、エシルバに寄り添ったまま離れようとしなかった。その目には権力への反抗心がありありと映し出されており、悔しさにあふれていた。彼女は何度も首を振った。これまでの話を聞いて我慢ならないと思ったのか、ユリフスはついに強い怒りを口調ににじませた。「エシルバには自分で選ぶ権利もないというの?」


「君にも、私にも、この令状を妨げることはできないのだよ」

 アムレイは彼女に意味を理解させようとゆっくり言った。


「ひどい! 叔父さん、なんとか言って。私たちの大切なエシルバが、連れて行かれちゃうんだよ。本当に、本当にこれでいいの?」

 しかし、アソワール叔父さんは複雑な表情をしたまま歯切れ悪くなるだけだった。もどかしい空気が流れた。いたたまれなくなったエシルバは立ち上がった。


「行く。行くよ」

 アソワール叔父さん、エルマーニョ、ユリフスは一斉に言葉を失った。


「だから、けんかなんかしないで、いつもみたいに笑っていてよ。僕のことであれこれ悩まないで、ここで元気にいて。それだけで十分だ」


 しばらくしてユリフスはエシルバからそっと離れたが、その口は何か言いたげに小さく開かれたままだった。

「誓える? 今、言ったことがすべて本当だと」

 エシルバの不安そうな瞳を見たジグは、顔の包帯を全て外し始めた。それは、かつて全盛期だったジグ|コーカイスの顔そのものだった。包帯で顔を覆っていたのは、大けがをしているからだと思っていた。だが、その秀麗な顔には傷一つない。これには同行者のアムレイとジオノワーセンも一際驚いた顔をしていた。


「僕は一度死んだ。だが、君と会うために力を尽くし、もう一度生きようと誓った。この1回の死を、その証しとしてほしい。君に誓うよ」


「……あんな隕石、どうすればいいのか分からない」

 弱音を吐くエシルバに、ジグは力強い目で訴え掛けた。


「こんなこと、できやしない。私もそう思っていた。でも、誰かがやらなければいけないんだ。アマクの女王でさえ、これは頭を抱える問題だ。でも、できないと言えば、そこで可能性はついえる。国民は戸惑う。例え道がなくても道をつくる。それが、シブーが示すべき姿なんだ」


「私は、このガインベルトに誓おう」

 アムレイは深々と頭を下げ、ガインベルトを外し、それを胸に当てた。ジオノワーセンはバドル銃の刃を額に近づけて目を閉じた。


「君が必要なんだ」

 ジグは言った。


「エシルバ……」アソワール叔父さんは名前を呼んだきり眉間にしわを寄せ、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。エシルバは自分から叔父さんを迎えにいき、そっと抱き着いて離れなかった。

「私はお前にうそをついた。本当のことを何一つ話さずにはぐらかして」


 エシルバは袖で自分の目を何度もこすり、叔父さんの肩に顎をのせた。ドク、ドクと鼓動する心臓の音が耳を通して聞こえ、そばにいると余計に悲しくなった。


「許してくれ」アソワール叔父さんは、心からの後悔につつまれた声を漏らした。「私はなにもかも、知っていた。私たちの命を救ってくれた人が、すべてを話してくれたからだ」

 その声は耳元でささやかれ、エシルバにしか聞こえないものだった。

「それは、誰なの?」

 エシルバは叔父さんの耳元で尋ねた。

「ヴィーラ|アリュード」

 初めて聞く名前だった。

「彼はシブー。今は、どこにいるのかも分からない。だけど、この名前は覚えておいてほしい。彼がいなければ、今の私たちはいないんだ」


 エシルバはゆっくりとうなずいた。そうして少し離れ、弱々しい顔をした叔父さんを見つめた。

「教えてくれてありがとう。叔父さんのうそは……優しいうそだ」


 アソワール叔父さんはパッと顔を上げて目を涙でにじませた。


「お願いです」

 エシルバはジグたちに向き直ってきっぱり言った。


「僕、行きますから。だから、叔父さんたちが今後困ることがないように手を貸してください。僕のせいで、住む場所を追われるようなことだけは、絶対に嫌なんです」


「最善を尽くしましょう」ジグは言った。「ただし、われわれシブーは世論や信ぴょう性に欠けるうわさの火消し係ではありません。いざという時は、最大限の力を用いると約束しましょう」


 エシルバはようやくホッとして胸をなでおろした。


「では、これでようやく本人の明確な承諾が得られたというわけですな」

 アムレイは言った。

「連れて行くってどこへ?」

 エルマーニョが尋ねるとジグがこう答えた。

「シクワ=ロゲン使節団です」


 使節団は三大国の「平和」と「正義」をつかさどる象徴であり、いわば国家の表の顔として任務に就く役人のスペシャリストだ。しかし、父親がしでかしたことで使節団は甚大な被害を受け、世間からたくさんの非難を浴びた。そんな所に、ある日突然息子が入ればどうなるだろう? まさしく、大炎上で袋のねずみではないか。と、ここまで考えたところでエシルバは先が思いやられた。


「なぜわざわざ」

 案の定、アソワール叔父さんは苦悶の表情を浮かべた。

「彼をシブーにするためには避けて通れない道です」

 ジグは明確に言った。


「この子をシブーにする必要があるのですか。使節団に入れる以外にも、方法があるのでは?」アソワール叔父さんは言った。


「エシルバの存在を知った者の中には、排他的な人間がいるのも確かです。外部の力から、どうやってこの子を守るのか? 彼自身にも権力を与えなければ、確固たる土台はつくれないのです」

アソワール叔父さんはジグを長く見つめた後にこう言った。


「では、あなたの言葉で教えてください。それが正しい道だと?」


 2人の間には、途方もない沈黙が流れた。

 やがてジグは表情一つ変えずにうなずいた。

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