08、グノークス病

「ごめんね、私が夢のお話なんて聞いたばかりに」


 メフォー先生は心を選んでそう言ったが、実際は傷口に塩を塗ったのではないかと心配しているような感じだった。


 そう、10歳の男の子って言ったら生意気で言うことなんてろくに聞きやしなくて……3歳くらいのかわいい怪獣とはまるでわけが違う。


 エシルバは自分が多感な男の子だなんて考えやしなかったが、どうも先生の扱いずらそうな顔を見ると違うようだ。


「先生は悪くないよ」


 すっかりしょげ返ったエシルバは弱々しく答えた。メフォー先生はその後もエシルバをフォローするようなことを言ってくれたが、結局は他人の家庭なのだ。エシルバとアソワール叔父さんが変わらなければ根本的解決には至らない。


「これを見てよ」


 エシルバはベッドの下に隠していた大きな箱を取り出すと、中からいくつもの雑誌や本を取り出した。「シブー大解剖」「選ばれた者たちの使命」「シクワ=ロゲンサークル」「英雄たちの片りん」――


 エシルバがこれまで市場の古本市で集めたものがぎっしりと詰まっていた。エシルバはその中から「シブー大解剖」という雑誌を取り、ペラペラめくってメフォー先生に見せた。


「シブーっていうのは、三大必需品っていう特別な道具を渡されるんだ。この銀色のはガインベルト。空中を歩いたり、すごく早く走れたり、高くジャンプしたりできる優れものなんだ。それで、こっちのがバドル銃。銃にもなるし、特別な剣にもなるシブーの象徴。これで悪いやつをやっつける! で、こっちがハイテクな通信機器」


 写真と一緒に説明するのをメフォー先生は親身になって聞いてくれた。


「なんでも知ってるのね。こっちの写真はなに?」


「あぁ、これ? あこがれのシブーを切り抜きしたんだ。僕一番のお気に入りはジグ|コーカイス。もう死んじゃっていないけどね。ずっと前に大きな事件があって、巻き込まれてしまったんだって」


「この人、すごい人気のあったシブーよね。彼が最盛期の頃はすごい熱狂ぶりだったわ」


「先生も覚えてるんだ! 一度でいいから本人と会ってみたかったよ」


 エシルバは隅に貼っていた切り抜きを指さした。


「こいつはすっごーく悪いやつ。いいシブーだったのに……みんなを裏切った。呪われたせいだっていうけど、本当のところはどうなのか分からない」


「ゴドランね。今じゃ恐ろしい王様になっている」


「僕がシブーになったらきっと倒してみせるよ」


「頼もしい」


 メフォー先生はなぜかゴドランの写真だけじっと食い入るように見つめていた。エシルバがパタンと雑誌を閉じると先生はハッとしたように目をしばたかせた。


「ところで、ユリフスは元気?」


「うん」エシルバは答えた。


 ユリフス|アウタジーンはこの家で一緒に暮らしている家族だ。十三歳の読書が好きな女の子で、三歳の時に母親を亡くし、アソワール叔父さんに引き取られた。


 そんな境遇が似ているせいかエシルバはユリフスと仲が良かった。彼女は両親のことをよく分からないのだと言うが、エシルバも似たような境遇なので話は自然と合う。


 エシルバがアソワール叔父さんに聞かされていることと言えば、母親と双子の兄が病気で死に、父親は過去に罪を犯して刑務所にぶち込まれたということだけだった。


「私ね、あの子とあなたには特別な絆があるように思えるのよ」


「どういう意味?」


「あなたにはあの子が必要だし、あの子にもあなたが必要。そんなふうに見えるの」


「ユリフスは僕を必要としてないよ。なんでも自分でできるから」


 嫌な言い方だったかな? と顔を上げると、メフォー先生は親密そうな笑みを浮かべていた。快晴の空に浮かぶまぶしい太陽みたいだ。


「特別なものっていうのは見えない。それに、完璧に見える人だって優しさや愛を求めているものよ」


 エシルバには先生の言葉が難しく思えたが、その笑みを見ているだけで満足してしまった。


「さて、あなたのことを詳しく知りたいわ。エシルバ、体調はどう?」


 メフォー先生は仕事口調で言った。


「大丈夫だよ、先生」エシルバは答えた。


「大丈夫だけじゃ分からないわ」


 メフォー先生は持ってきた医療バックを開きいつもの診察を始めた。エシルバは身を任せて先生の質問に答えた。苦手なのはカフォレナード測定機のエネルギー測定だった。


 これは特殊な光を肌に照射して、体内に含まれているダッド細胞の平均値を割り出す検査だ。フラッシュがたかれると目がくらむし、肌がチクリと痛む。


 メフォー先生は診察を手短に済ませた後、数値を読み取ってデータを入力し始めた。データ解析が進み、いつも通り先生が「今日はこれで終了ね、もう大丈夫」とウインクする。


 でも、今日はいつもと何かが違った。操作キーの上で動く先生の指はいつもより速く、その表情は雲行きが怪しくなっていた。


 真剣な先生の横顔を見つめながら、エシルバはあることを聞かずにはいられなかった。


「なにか悪いものでも見つかったの?」


 返事はすぐに来なかった。メフォー先生は口元で難しい数式をボソボソつぶやいた後、測定機器のボタンを押した。すると、ガガガーッと長い紙が勢いよく流れ出し床に散らかった。


「これはなに?」


 エシルバは真っ白な紙に針で記録された赤色の折れ線グラフを見て気味悪がった。


「あなたの体内を流動しているエネルギー信号を数値化したものよ」


 メフォー先生は驚きを隠せない様子で言い記録を続ける針の観察を続けた。針はペンで紙をこするような音を立てながら恐ろしい速度で動き続け、針先が折れて止まった。


「2カ月前までは平常値だった」先生は珍しく困惑した。


 メフォー先生は2~3カ月の頻度でエシルバの所まで通っている訪問医だ。というのも、エシルバは生まれながらに身体が弱く、しょっちゅう気絶したり熱を出したりするからだ。その原因は不明で、これまで経過観察として定期検診を行ってきたのだ。


 それが今、なんらかの結果が明るみに出ようとしている。


 メフォー先生が一階のアソワール叔父さんの所へ行ってから一時間も過ぎた。エシルバはその間ずっと自分の部屋の中で息を潜めていた。嫌な予感とは、たいてい当たるものだ。今回はそれが外れればいいのにと思った。


 でも、それはかなわなかった。


「グノークス病の恐れがあるわ」


 再び部屋に戻ってきたメフォー先生は開口一文にそう言った。ヒヤッと冷たい汗が流れ、エシルバはその聞き慣れない病名に顔をしかめた。しかし、アソワール叔父さんは覚悟していたように目を閉じている。


「世界的に見てもその発症率は極めて低く、治療法が見つかっていません。しかし、症状は超初期のものですから今すぐ病院に通う必要はないでしょう。グノークス病というのは原因が分かっていない病ですが、進行スピードがゆっくりとしているのが特徴です」


「先生、本当に治療法は見つかっていないのですか?」


 アソワール叔父さんはくぐもった声で言った。


「残念ながら。でも、進行を止めることができなくても遅らせることはできます」

 メフォー先生は誠実な姿勢で三人に説明した。


「風邪だと思っていたのに」


 エシルバは深く失望した声で言った。


「焦らずいこう」


 アソワール叔父さんは優しい口調で言った。さっきまでのトゲトゲした空気はとっくに吹き飛んでいた。


「叔父さん、もしかして知っていたの?」


 アソワール叔父さんは目を丸く見開いた。


「まさかとは思ったが」


「この病気にいずれかかるって分かっていたの?」


「お前のお母さんは同じグノークス病だったんだ」


 その言葉にエシルバは撃沈し、返す言葉も見失ってしまった。


「だが、お前よりも遅くにかかったから進行が早くどうにもすることができなかった」


 アソワール叔父さんは沈痛な面持ちで言った。


「お母さんはその病気で死んだの?」


 しばし沈黙が訪れ、アソワール叔父さんはどこか申し訳なさそうに「そうだ」と言った。


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