第8話 イザークサイド1

 人っ子一人いない森の中、嗅覚も聴覚も視覚も自然に開放する。色んな種族の中でも特に獣性が桁外れて発達している俺ら銀狼の種族は、たまにこうして誰もいない森の深い場所で自分を開放する。森の守護者と呼ばれるのは、人の多い都よりも森を好むせいもあるが、魔物の多く生まれる森の中で絶対的強者であるからだ。身体的能力も魔力においても。


 特に銀狼の種族の中でも最強を誇るシュテバイン伯爵家は、ザルツイード王家の分家でもあるが、当主である父親は森に入り浸りだし、兄達は好き勝手放浪しまくっている。唯一俺だけがザルツイード王立騎士団第七団隊に所属し、副団長なんて堅苦しい肩書きを背負わされている。

 第七団隊は、いわゆる「なんでも屋」で、魔物退治から都の警備まで幅広く駆り出される。つい先日も南の国境で魔物のスタンピードが発生し、討伐に行ってきたところだ。


 そして年に数回とれる(筈の)長期休暇をもぎ取って、王家所有の森でリフレッシュ休暇中という訳だ。騎士団なんかに所属していると、いつ呼び出しがあるかわからないから長期休暇といえど王都からあまり離れられないのがやっかい極まりない。


「うん?」


 上空に一瞬魔力が爆発したような気を感じ、見上げるとカサーギが遥か上空を飛んで行った。カサーギは動物や子供などを襲う魔物だが、目があまり良くない為、木の下などに隠れればやり過ごすことができるし、大人は襲われない。討伐対象にすらならないような雑魚魔物だし、魔力もほぼない筈なのだが。


 今の魔力は?


 上空に目を凝らすと、黒い点が次第に大きくなり……人だ!!

 俺は瞬時に風魔法を展開し、落ちてきた人間を一瞬吹き上げて落下速度を相殺させた。人間は目の前の大木に引っかかったようでホッとする。

 自分の規格外の魔力を初めて感謝した。あの高さから落下したら、さすがに助からなかっただろうから。


 大木のテッペンまで登り、落ちてきた人間を確認する。気絶しているようだが、大きなけがはないようだ。

 十歳前後の男児に見えたその子は、肩に届くくらいの子供らしい長さの艷やかな黒髪をしており、白過ぎる肌や痩せた身体は病弱そうに見えた。上着やズボンは質は良さそうに見えるが、所々かぎ裂きができてしまっており、泥や埃にまみれて薄汚れてしまっていた。

 女児であれば髪は切らない筈だし、ズボンは履かないだろう。女子で男装するのは女騎士くらいしかいないからだ。それにしても……華奢な身体にまるで女のコのように可愛らしい顔つき。目の色は何色なんだろう?


 男児の頬に触れると、身体がズクリと疼いた。心臓がドクドクいい、この子に触れたい抱きしめたいという激しい衝動にかられた。今まで誰にも感じたことない揺さぶられるような激情に、俺は両目をギュッと閉じて拳を強く握りしめた。


 これは俺の番だ!


 俺はなんとか呼吸を整え、喜びに震える身体を抑え込む。まずは番を安全な地面に下ろさないと。

 男児を大切に抱え込み、大木の枝を飛び移るようにして地面に下りる。その男児の軽さと細さに衝撃を受けた。寝泊まりしている小屋に連れて帰り、自分のベッドにそーっと寝かした。乱れた髪を撫でて整えていたら、あるべきものがないことに気がついた。


 獣耳がない。思わず尻も確認したら(もちろん衣服の上からだ)獣尻尾もないではないか。


 欠人!


 獣性の現れない欠けた存在。身体も弱く魔力0、生きて大人になるのも難しいとされる欠人が自分の番……。

 異性婚よりは少ないにしろ、同性婚も認められるこの国だから、番が同性であったということはまだ受け入れられた。今まで同性を恋愛対象に見たことはなかったが、番限定ではあるが同性異性関係なく愛することはできるだろう。

 年齢も、今はまだ大分離れて感じるが、五年十年と年を重ねれば、そんなに違和感はなくなる筈だ。


 問題は欠人であるということ。欠人自体ではなく、欠人が長生きできない存在であるということが問題だ。自分の欲をぶつければ、すぐに壊れて死んでしまうだろう。 

 せめてもう少し頑丈に、健康に育てば……。


 番に会ってしまったら、もう手放すことはできない。でも肉体的に番わなければ、まだ自分の欲は制御できるだろう。

 この子が成人になるまで、番であるということも口には出せない。番だと言ってしまえば、どうしたってその距離は近くなる。近くなれば欲しくなる。俺が唯一の番を抱き殺してしまわないように、兄のようにこの子の成長を見守らなくては。

 運良く欠人は番を認識できないと聞く。俺が言わなきゃ、この子は気がつくことはないんだ。


 ずっと触っていたい欲求を抑え込み、この子が起きた時に栄養沢山のスープでも飲ませないとと、泣く泣くベッドから離れて料理をすることにした。


 スープを混ぜていると衝立の向こうで音がして、あの子が起きたんだ! と俺は衝立に激突する勢いで駆け寄った。衝立の上からあの子を見下ろすと、少し寝ぼけ眼のトロンとした表情のあの子と目があった。


 茶色がかった黒い目。なんて綺麗な目、吸い込まれそうだ。

 とにかく怖がらせてはいけない。食事も取らせなきゃと、なるべく優しい声と表情を心がけて接した。


 あの子はシォリン•キャンザクと名乗った。話を聞く限り、ザルツイードの生まれではなく、しかも獣性のある人間がいない国の出身らしい。未開の小国なら有り得るのか?俺の知っている限りそんな国はないが、番が嘘をついている様子もなく、世界は広いということなんだろう。

 それに、衣服もそうだが喋り口調も穏やかですれたところがない。食事の所作も優雅だ。それなりの教育を受けたことが推測できた。


 この国のことを知りたがったシォリンが、特に食いついたのが「番」についてだった。


「イザークさんは番はいるの?」


 目の前に……とは言えない。ワクワクしたような表情で「番」の俺にそんなことを聞いてくるとは、やはりシォリンは番を認識できていないようだ。番に存在を否定されたようで地味にダメージが大きい。


「……今のとこまだ。イザークでいい。敬称はいらないよ」

「やっぱ、出会ったら最後、離れられないみたいな感じなのかな?」

「まぁ、無条件にひかれるって話。でもある程度距離を置けばなんとかなるらしいけど」

「距離?」


 番に「番」についての詳しい説明をする。これ、拷問?「番」に会えたら、お互いに一瞬でラブラブになって即行子づくり一直線だと思ってたのに。まぁ、年齢的に見てもしばらくは我慢しないとだし、同性だから子供はできないけどさ。でもラブラブには程遠いこの状況、泣いていいよね。覚えている限り泣いた記憶ないけど。


 それから、シォリンの今までの状況とやらを聞いて、俺は初めて人に殺意を感じた。保護しなきゃ生きられない欠人のシォリンを追い出して働きに出させるとか、鬼畜の所業だろ。そんな奴等のとこに可愛いシォリンを帰せる訳がない。シォリンの故郷を探す気も失せて、俺が保護者になることにした。


 保護者特権で、ベッドが一つしかないという大義名分の下、毎日同じベッドで眠った。王都の屋敷に戻る時ももちろん連れて帰り(いつもは辻馬車拾って帰るんだけど、シォリンを抱っこしたかったから歩いて帰った)、こっちではシォリンの部屋もベッドも用意されてたけど、見えないものとしてスルーし共寝は継続中だ。

 シォリンは一度寝るとまず起きない。子供らしく眠りが深いようで、そんなシォリンを一度でも抱きしめて眠ったら離せる筈がない。シォリンが寝た後、頬ずりしてオデコにチューをしているのは内緒だ。これで我慢しているんだから褒めて欲しいくらいだ。


 シォリンの買い物をしようと思っていたのに、騎士団から呼び出しがあり午前中だけ出かけることになった。休みなのに!ほんの数時間でも、離れているのは不安で、こんなんで騎士団勤務がこれからできるのか悩むところだ。やはり辞めるべきか?! 


 そんな話を団長にしたら、絶対に辞めさせないとか、シュテバイン伯爵家の勤めを果たせとか言われた。十一男、しかも末っ子の俺に家を押し付けるなって話だ。家より「番」に決まっているだろうが。


 結局呼び出されたがたいした話はなく(俺の退団申込みの話で吹っ飛んだらしい)屋敷に戻ると、衝撃の場面に出くわした。


 最愛の「番」が、自分より高い脚立の一番上に立っていたんだ。しかも安定の悪いそんな場所で、背伸びして窓を拭いていた。最初、自分の目を疑った。危なっかしいと、すぐに下ろさなくてはと近づいた瞬間、シォリンはバランスを崩して落下した。

 何も考えられなかった。

 無意識に身体が動き、落下するシォリンに飛びつく。間一髪、シォリンをキャッチすることができた。


「何をしてるんだ!」


 あまりの出来事に、心臓がバクバクいっている。欠人は弱い。こんな高さから落ちたって致命傷になり兼ねないんだ。思わず怒声が出てしまった。


「窓を拭いてたら落ちちゃったよ」


 なぜ俺の「番」が窓拭きなど……。


「ゲオルグ!!!」


 窓が震えるくらいの大声に、バタバタバタと使用人達が集まってくる。あまりの怒りに、魔力が無意識に放出され辺りを威嚇する。


「なぜシォリンが窓拭きなぞしている?!」

「窓拭き??」


 ゲオルグは意味がわからないという顔つきをしている。


「脚立なんぞに乗せて、もし怪我などしたらどうするつもりだ!」

「違うよイザーク様、私が自分から……」


 は?

 シォリンは今なんと言った? 俺を様付けで呼ばなかったか?


「イザーク様?!シォリン、なぜ俺に様なんかつける?!」

「えっ、だって、凄い人だって聞いたから」

「イザークだ!様など不要!誰だ、余計なことをシォリンに吹き込んだ奴は?!」


 使用人達は蒼白になり俺の溢れる魔力に身動きもできず、そんな中シォリンだけが俺の魔力にさらされても影響受けることなく、俺の衣服を強く引っ張った。


「イザーク、ごめんなさい!私が悪かったの。ただお世話になっているのが申し訳なくて、何かできることをしなくちゃって。窓も満足に拭けないなんて情けないよ。みんなはイザークのことを褒めただけなの。それ聞いて、私が勝手に呼び捨てなんかしちゃ駄目だって。全部全部、私が考えてしたことだから」


 だから誰も怒らないで!と、俺の首にしがみついてきた。ギューギューにしがみつかれていると、シォリンの無事をその体温で、匂いで、抱きしめた感触で、シォリンの無事を実感できた。すると、徐々に気持ちが落ち着いてきて、無様なまでの取り乱し様や、怒りに任せて使用人達に当たり散らした自分に羞恥した。


「……ビックリしたんだ」

「うん」

「小さなシォリンが真っ逆さまに落ちるのを見て」

「うん」

「死んでしまうんじゃないかって」

「死なないよ。イザークが助けてくれたじゃん」

「俺は……。みんな悪かった。取り乱した。仕事に戻ってくれ」


 ゲオルグがイザークに向かって頭を下げてから道具を片付け始めると、皆が自分の仕事に戻っていった。


「シォリンは何もしなくていいんだよ。うちに……俺のそばにいれば」

「そういう訳にいかないでしょ。働かざる者食うべからずだよ」

「なんだ、それ?」

「私が住んでいたところの諺?格言?働けるのに働かない人は食べたら駄目だよって意味かな?だから私は食べる為に働きたいんだ」

「シォリンが働かなくても、俺が働いてるから大丈夫」


 両手両足尻尾まで使ってシォリンを囲い込む。

 シォリンは何もしなくていいんだ。よく寝て、よく食べて、よく遊んで、健康に大きくなってくれたら、いつまでも俺のそばで健やかに……、それだけが俺の願いなんだ。


「でもさ、やっぱりいつかは……成人したら(もう立派な成人なんだけど)?独り立ちしないとじゃん」

「そんな心配しなくていい。欠人が一人で生きていける筈ないんだから」


 本当は一人で生きていけないのは俺だよ。君を知らなかった前には戻れないんだ。俺の宝、唯一の弱点、もう手放してなんかあげられない。

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