第4話 お金が貯まらない

「今日のお悩みは、ペンネームリバースアザレアさんから頂きました。『お金が貯まらない』だそうです。シンプルですね」

 ある日の放課後。桔梗は懲りずに誰ともしれない悩み相談を持ち込んでいた。

「貯金したら」

 一言で済まそうとする華薔薇。

「いや、それができないから困ってるんでしょ。貯金できたら相談なんてしないよ。いわゆる貯金のやり方を教えてほしい、っていう相談だろ」

 華薔薇が貯金の方法に思い至らない訳がない。だが、相談の内容には一切貯金の方法が知りたいとは一言も触れていない。

 聞かれてもいないことを語るのはお節介だ。教えてほしいなら、相応の態度が必要だ。いきなりやって来て高圧的な態度で話しかけられて『はい、わかりました』とはならない。

 少なくとも丁寧な言葉とお願いしますがないと聞く気にならない。

 そもそも華薔薇が相談に乗る理由がない。雑談部は面白おかしくお喋りする部活。赤の他人の相談に乗る部活ではない。

「桔梗は深読みしすぎよ。お金が貯まらない、という事実はあっても、貯金したいかどうかは別の話」

「誰だってお金はほしいだろ」

 お金がいらない人は確かに少ない。でも貯金は別の話。稼いだ分だけ使う、いわゆる宵越しの金は持たない性格の人は一定数いる。

 残念ながら天国だろうと地獄だろうと、お金は持っていけない。持っていけないなら使った方が有益だ、と考える。

「なんだよ、刹那的な生き方じゃん。稼げなくなったら、一気に破滅まっしぐら。何かあった時のために貯金はした方がいいだろ」

「死ぬまで稼ぎ続けたら問題ないわね」

 亡くなる直前までお金を稼げるのなら何も問題はない。

「年老いたら体は動かないし、怪我だってするかもしれないだろ。死ぬまで稼ぎ続けるのは無理だろ」

 だから貯金は大事、と桔梗は貯金の有用性を念押しする。

「だったら、桔梗は貯金しているのよね?」

「ぎくっ!?」

「あれあれ、貯金は大事と散々語っておいて、まさか自分は貯金してない、なんてことはないわよね。自分がやってないことを、恥知らずにも堂々と推奨してたなんて、あってはならないことよ」

 本当に大事なら実践しているはずだ。桔梗も高校生である、分別がつくくらいには大人だ。

 自分が行ったことのないお店を、誰かが素晴らしいと絶賛していたと語るようなもの。信憑性は低い。

「いいだろ、まだ高校生なんだし。いくらでも機会はある」

 何も問題はないと開き直る桔梗。

「バカね、今できないことは未来になってもできないのよ。心の痛みは時間が過ぎれば直るけど、貯金のような行動が伴うのは時間がいくら経っても解決しないわよ」

 高校生だから貯金しなくていい理由にはならない。高校生でも貯金している人はいるし、なんなら自ら稼いでいる人もいる。

「嫌だ、貧乏は嫌だ。華薔薇、どうしたらいいんだ」

「貯金したら」

「それだと解決になってないよぉ」

「じゃあ、ファイナンシャルプランナーにでも頼んだら」

「そんな金があるわけないだろ。貯金の仕方を教えてください、お願いします華薔薇様」

 桔梗が誰かの悩み相談を持ってきた段階で雑談部の活動内容は決まっていたも同然。華薔薇は貯金について雑談を始める。


「まず始めにするのは引き出せない口座にお金を送ることね」

 物理的に隔離することで使えなくする。一定の期間、もしくは一定の金額まで貯めないと引き出せないシステムを活用する。

 使いたくても使えないようにしたらいい。

「リバースアザレアが高校生なら、銀行口座も作れるでしょ。はい、解決」

「えっ? それだけ」

「お小遣いか、バイト代か、給料かカツアゲか知らないけど、勝手に貯金するシステムにしたら、後はやることなんてないわよ」

 優秀なシステムを活用して、自動的に貯金する。貯金を意識せずに貯金できるのだから、考える必要がない。

「でもさ、いきなりそんなことして大丈夫か? 使える金が減ったら大変そうだけど」

「大丈夫でしょ。お金がないならないで、なんとかするのが人間よ」

 後からお金がないと言われるのでなく、最初にお金がないと言われたら、使い道を吟味する。むしろ本当に必要なものだけにお金を使うので、いらないものを買わなくなる。

 お金が貯まって、余計なものを買わなくなる、一石二鳥だ。

「1ヶ月を、1万円で乗りきるテレビがあったように、工夫すれば生きていくのに、そんなにお金はかからないのよ」

 華薔薇から見たら同級生は無駄遣いばっかりしている。もっと他のことに使ったらいいのに、と常々思っている。

「そうは言っても、友達付き合いとかあるし、簡単にはいかないだろ」

「何それ、桔梗はお金がないと友達できないの? 本当に友達ならお金がなくても友達でしょ。金の切れ目が縁の切れ目なら、お金を使う前に切りなさい。無駄な交友関係は害悪よ」

 華薔薇と桔梗の間に金銭のやり取りはない。放課後に面白おかしくお喋りする友好的な関係だ。

 華薔薇が桔梗から相談料を巻き上げたり、華薔薇が部員確保のために袖の下を送ったりすることもない。それでも両者の関係は友好的だ。仲良くなるのにお金は必要ない。

「断れないかもしれないし、友達と遊ぶの楽しいじゃん」

 簡単には引き下がらない桔梗。また主張も一理ある。

「そうね、先輩からの誘いを断るのは失礼かもしれない。だったら、最初から誘われないようにしたらいいのよ」

「そんなことできるのか?」

「とっても簡単よ。先に宣言したらいいのよ、貯金していることを」

 貯金していることを宣言すれば、お金がかかることには誘われなくなる。もし誘われたら、誘った方が貯金を邪魔する悪者になる。

「言いたいことはわかる。確かに金欠の奴を誘うのは抵抗がある。でも断ってばっかだと、印象悪くなるぞ」

「別に全部断る必要はないでしょ。お金がかからない誘いは乗ればいい。なんなら自分から提案したらいい」

 お金のかからない付き合いというのが桔梗には思い浮かばない。

「あるでしょ、学生には。定期的に訪れる試験が。勉強を教え会う名目で家にでも誘えばいい。勉強会という大義名分があれば、遊ぶことができない」

 自宅なら予想外の出費も起こらない。勉強していることを怒る親もいない。

「なるほど、勉強なんて嫌だから、脳裏を掠めもしなかった」

「それにお金のかからない娯楽は現代には溢れかえっているし、工夫次第で楽しめる」

 桔梗の頭の中には楽しいことがイコールでお金がかかると紐付けられている。カラオケ、ボーリング、遊園地などの施設がパッと思いつく。

「何を呆けた顔をしているの。桔梗は睡眠不足になるくらいに、楽しいことを知っているじゃない」

「うぐっ!」

 無料のゲームで楽しめるものはいくつもある。その中には協力プレイできるものもある。繋がりを保つには十分だ。

 多少付き合いが悪くなってもすぐに縁が切れることもない。毎日挨拶していれば忘れない。ご無沙汰になったら旧交を暖めればいい。存外人と人の縁は切れない。

「意外にお金がかからないのはよくわかった。他にさ、貯金をブーストするような方法も教えて。華薔薇なら知ってるだろ、なあなあ」

「なんだかんだ言っても、使っちゃいそうだしね、桔梗とかは」

「ソンナコトナイヨ……」

 説得力のない言葉ね、と呆れる。図星なのが丸分かりだ。もらったお年玉を貯金すると宣言したはいいが、欲しいゲームがあって手をつけた経験でも思い出したのだろう。

「お金との距離を離すと判断が変わるという研究を紹介しましょう」

「距離を離す、って何? 遠くの銀行に預けるのか」

「その通り、正解よ」

 2013年、社会心理学者サム・マグリオの調査より。

 人がお金の判断を下す際に、お金が物理的に近いか遠いかで判断に違いがあるかを調べた。

 ニューヨーク居住者に意識調査のアンケートを実施した。そのお礼として宝くじを進呈した。

 宝くじの当たりの確率は100分の1。賞金は50ドルで、当選したら特別口座に振り込まれる。

 宝くじに当選しても賞金を受け取らなくてもよくなっている。

 当選者の半数は居住地のニューヨークの銀行で口座を開くと言われ、もう半数は約4000キロメートル離れたロサンゼルスの銀行で口座を開くと言われた。

 さらに当選者は50ドルをすぐに受け取るか、3ヶ月口座で眠らせた後に65ドルを受け取るかを選べる。(お金を受け取るのは地元の銀行)

 結果はニューヨークの口座に振り込まれますと言われたとき、3ヶ月待って65ドル受けとるのは全体の49%だった。

 しかしロサンゼルスの口座だと3ヶ月待つ人は全体の71%になった。

「わざわざ現地に行く必要なく、地元で引き出せるのに、お金をほったらかしにする人は増えるのよ」

 地理的な距離が心理的な障害になる。距離が遠いと感じると手をつけにくくなる。オンライン化でどこにいても引き出せるのに、お金そのものが遠くにある気がするのだ。

「遠い銀行の口座にすれば、引き出し難くなるかもね」

 あくまで心理的な障害が増えるだけ。絶対に貯金が成功する技ではない。

 技術の進歩で物理的な距離は感じにくくなっている。これから先、どこまで効果があるかは保証できない。

「そんなことでいいのか。今すぐ口座を変更した方がいいかな。どれくらい離した方がいいのかな」

「さあ、そこまでは知らないわ。離しすぎて困るものでもないでしょ」

 気にすべきは手数料だ。口座を移管して増える金額よりも、手数料の額が大きいなら意味がない。

 手数料負けするなら、本末転倒だ。

「宇宙銀行とかないかな、宇宙だったらめっちゃ遠いし」

 距離が離れている場所にあると思えればいい。ただし貯める場所が実際に存在しないといけない。

「なあなあ、他にもないのか、貯金の方法」

 人類とお金は切っても切れない関係だ。お金にまつわる実験や調査は無数にある。

「そうね、新しく口座を開こうとしている桔梗にアドバイス。口座は複数持つより一口にしたほうがいいわ」

「うっそだー。俺は聞いたことがあるぞ、複数の所に分けたらリスクの分散になるだろ。知ってるぞ」

 普段なら頓珍漢な答えなのに、珍しく真っ当な答えに目を見開いて驚く華薔薇だった。

「驚いた。珍しく、間違っていないわ。リスクの観点からすると資産の分散は正しい。ひとつがダメになっても、残りがカバーしてくれる。ただし」

 資産が巨万の場合だ。

「万が一金融機関が破綻しても預金は預金保険法と預金保険機構で一定額まで保証される。その額を越えていないなら、資産の分散化は害悪よ」

 桔梗にはそんなお金あるのかしら? と挑発的に華薔薇が詰め寄る。

「……です」

「えっ、聞こえない」

「ないです!」

 高校生だから貯金はしていないと豪語したのだ、資産があるわけない。

 いくら正しい知識を持とうとも、全体の一部なら意味がない。関連する知識を塊で持って始めて活かせる。無知はダメだが、中途半端もダメだ。

「複数の口座を持つと、それぞれの数字を正確に把握しないの。数が多くなると吟味しないで、大まかに計算してしまう。大概は実際よりも大きく見積もってしまう。するとお金が残っていると勘違いして、余計に使ってしまう」

 そして、実際の貯金額を確認して絶望する。

 特にクレジットカードなどが当てはまる。後払いだから使った金額と残金に一時的に差が出る。何にどれだけ使ったか、正確に覚えることはできない。

 商品の金額はおおよそで計算して低く見積もり、残高はこれくらいは残っているだろうと高く見積もる。

 明細が送られて来て始めて真実という名の絶望を知る。

「使いすぎを後悔して、来月は節約すると誓う。誓うのはいいけど、実際には来月も同じように使いする」

「いやいや、誓ったんなら実行するでしょ。気を付けたらなんとかなるっしょ」

 気を付けるだけで、何かを成せるなら苦労はない。お菓子を食べようとして、つい手を伸ばした後、太るからと止めることができるのか。

 面白いゲームをしていて、明日寝不足になるとわかっていて、途中で止められるか。

 人間は誘惑に弱い。気を付けるだけでは効果はない。

「桔梗は新年の豊富は立てたかしら? そして、その内容は覚えているかしら? さらに、その内容を実行しているのかしら?」

「…………です」

「えっ、聞こえない」

「……覚えてないです」

 新年の大事な豊富でさえ簡単に忘れる。つまり実行できていない。なら貯金もできない。

「貯金のスタートは資産の把握から」

 口座を一口にまとめて、自分の持ち合わせの総額を知ることが大事だ。一口だと比較が容易だ。先月からの増減が一目瞭然だ。

「貯金に決意は必要ない。やるのは自動化と明確化よ。自動的に貯まる仕組み作りと貯金が成功したか失敗したか明瞭にすること」

 これで十分よ、と華薔薇は不敵な笑みを浮かべる。

 貯金に限らずコツコツやる必要があるものは自動化してしまえば、大体問題ない。

「くかぁ、なんだよそれ、そんな簡単なことでよかったのかよ。俺も貯金して、将来ウハウハだ」

 薔薇色の未来を想像してにやける桔梗の顔が気持ち悪い。だから華薔薇は水を差す。

「貯金だけじゃ将来ウハウハは無理よ。精々生活に苦労しないレベルよ」

「なんじゃそりゃぁ、貯金が意味ないじゃん」

 銀行の金利は低いので、真面目にコツコツ貯金したところで将来ウハウハになるまでは貯まらない。

 将来ウハウハしたければ、お金をたくさん稼ぐか、お金を増やす必要がある。

「どうしたら、将来ウハウハになれるんだ。教えてくれ華薔薇様」

「リバースアザレアはどうして貯金したいのかしら? 何か買いたいものでもあるのかな」

「露骨に話題を逸らした。俺は一生貧乏なのか」

 桔梗が貧乏になるかは置いておく。華薔薇は嫌がらせでお金を稼ぐ・増やすことは一切触れない。

 機会があれば、いずれ雑談されるだろう。

「それとも貯金が目的かしら」

 世の中には預金通帳の残高が増えることに喜びを覚える人がいる。

「しくしく、俺は聞いてない。お金が貯まらないこと以外は聞いてない」

「あら、そうなの」

 関心のない返事だ。道端に落ちている段ボールの切れ端くらいの関心しかない。

「気になることでもあったか? 何をしようと関係ないを貫く華薔薇さん」

 ひどい言い草だが、事実である。華薔薇にとって関係ない・興味ないことに時間を割く理由はない。

「貯金の目的が知りたかっただけ、知らないなら別にいいわ」

「ふーん。ちなみに俺は貯金があったら、服か靴が欲しい」

 最近買ったものを紹介している動画を見て、感化されたらしい。

「それはオススメできない買い物ね」

「なんで、欲しいものを買うのに何がいけないのさ」

 欲しいものを買えば満足するだろう。ただし幸福は長く続かない。

「服も靴も大事に使えば1年以上使えるぞ。1年使えば十分だろ」

「確かにモノは長く使えるわね。半年、一年、もしくはそれ以上だって可能。でも、幸福かどうかは別問題よ」

 モノを買って得られる幸福は、買った時を最大値にして、急激に減っていく。新品の商品をいくら綺麗に保管しようとも、新品ではなくなる。

「慣れてしまえば、感動はなくなる。感動がなくなれば、幸福も感じない。当たり前を当たり前じゃないと感じるのは、無理。だから服も靴もオススメしない」

 趣味ならいいけど、と続ける。何も華薔薇は全て買う必要がないと言いたいわけではない。生きていくのに必要な分は買うべきだし、個人の趣味として買うのも否定しない。

 ただ無闇矢鱈に買い物しても幸福にはならないから、オススメしていない。時間とお金の浪費は無駄である。

「だったら、何を買えばいいのさ」

「オススメは経験よ」

「敬虔……?」

 桔梗の脳裏に教会で手を合わせて祈る姿が思い浮かぶ。全くの見当違いだ。

「経験よ、経験。旅行だったり、スポーツだったり、新しい人間関係とかね」

 楽しい旅行の思い出はいくつになっても覚えている。思い返すごとに幸福も蘇る。

「桔梗は中学生の時に買った服や靴は思い出せる?」

「えーっと、かっこいいシャツを買ったぞ。それがどうした」

「それじゃあ、中学生の時の修学旅行はどこに行った?」

「それなら、北海道だ。スキーと食べ歩きをした。蟹よりラーメンの方が上手かったのは今でも思い出せる」

「それよ」

 モノを買った思い出は思い出すのに時間もかかるし、曖昧だ。対して旅行の思い出は鮮明である。

 たった数年で思い出の濃さに違いがある。さらに時間が経過したときに鮮明に覚えているのが、どちらかは明白だ。

 これがモノと経験の違いだ。

 コーネル大学の心理学者チームの調査もある。

 経験をする前の準備段階でもたらす喜びも大きいことが判明している。旅行が計画している時から楽しいのは周知の事実だ。

 対してモノを買う前の検討段階には幸福感はない。

「モノを買う前には幸せはなく、買った後も幸せは長く続かない。だからオススメできないのよ」

「そんなのあんまりだよ」

 自分の好きなものを全否定された気分の桔梗が落ち込む。

「楽しい経験に繋げたらいいの。たとえば靴を買うだけは意味ないから、買った靴を履いて出掛ける姿を思い浮かべるのもいい。実際に出掛けるのもっといいわ」

 モノを買うことに執着しても意味はない。買ったモノで何をするかが大事だ。

「よっしゃ、じゃあ買う。あの服はちょいと派手目だから、パーっと遊ぶときに着た方がいいな」

 結局買うのね、と呆れた視線を送る華薔薇だった。

「これで俺は貯金と幸福の両方を手に入れた」

 知識は知っているだけでは意味がない。あくまで実際に行動して、実行しないとお金も幸福も手に入らない。

 桔梗が現段階で手に入れたのは知識のみ、実際にお金と幸福が手にはいるのは先になる。

「お金は経験に使うのも大事だけど、他人に使うのも大事よ」

「華薔薇が俺から金をせびろうとしている。ダメだ、俺の金は華薔薇にはやらん」

「いらないわよ。どうして私が桔梗の小銭をせこせこ集めないといけないのよ。非効率よ。やるなら大人数から継続的に集金できるビジネスモデルを構築するわよ」

 桔梗から巻き上げても雀の涙。

 ビジネスの基本はたくさんのものをたくさんの人に売る、薄利多売か。高いものを少数売る、厚利少売のどちらか。

「桔梗からちまちま小銭稼ぎするような、せせこましい女に見えるか! 舐めるなっ!」

 雑談部は面白おかしくお喋りする場所。決して小銭を稼ぐ場所ではない。

「桔梗からお金をもらうなら、桔梗も得するサービスを提供するに決まっている。決して詐欺まがいの行為はしない」

 金銭が発生するなら、華薔薇も支払い額よりも得したと感じるサービスを提供する。その場合は雑談部の枠を大きく越えている。

「私を見くびらないように、わかった」

「は、はい」

 直立不動の姿勢で返事をする桔梗。

 もう少し言い方があったとあったと反省する華薔薇。

 雑談部に数秒の沈黙が流れていた。

「言い過ぎたわ、ごめんなさい」

「いや、大丈夫だ。いつも助けられてる、問題ナッシング」

 どちらも嫌なことを引きずる性格ではない。信頼関係もあるので、重い雰囲気はすぐに吹き飛ぶ。

「ともかく、他人にお金を使うのも大事よ」

「他人にお金を使うってなんよ。奢るのか」

「いいと思うわ。心理学者エリザベス・ダンの実験を軽く説明しましょう」

 カナダの都市バンクーバーのある朝、街を歩く人から実験の参加者を募った。応じた人には封筒が渡された。中には5ドル札か50ドル札のどちらかが入っている。

 お金以外に指示書が入っており、お金を自分のために使うか、他人のために使うか、という内容である。

 実際にお金をもらって使ったところ、自分のためにお金を使ったグループより他人のためにお金を使ったグループの方が幸福度か高かった。

 さらに金額の大小は幸福度に影響を与えなかった。

「つまり、少額でも誰かのためにお金を使うと幸せになれる、という結果ね」

「面白い結果だとは思う。たとえ少額でもずっと続けてたら破産する。塵だって積もりに積もったら山になるぞ」

 幸福のために破産しては本末転倒だ。

「バカね。余裕があればの話よ。自分に余裕があって始めて人助けができるのよ。ガリガリに痩せ細った風が吹けば折れてしまいそうな人から食べ物をもらっても困惑しかない。あなたの方がやばいじゃない、は願い下げ。助けるのに覚悟はいらないけど、助けるだけの余裕は必要」

 借金している人からお金をもらうのと、お金持ちからお金をもらうなら、お金持ちからの方がいい。お金の価値は同一でも、感情は全く違う。

「優先するのはあくまで自分」

「なんだそれ。華薔薇が俺を助けるのは華薔薇が余裕だからか?」

 華薔薇と桔梗は考え方も価値観も違う。桔梗は華薔薇が自分に時間を割り当てるのは施しではないかと心配する。

「物覚えが悪い、ここに極まれり。何度だって言うわ、ここは雑談部。面白おかしくお喋りする場所。私が一方的に桔梗に施す場所じゃない。私は雑談をしているの」

 ちゃんと覚えなさい、とチャリティでもボランティアでもないと強調する華薔薇だった。

「わかった? 雑談部では雑談をするのが正解。変なことは考えないように、雑談の邪魔よ」

 余計なことに気を取られて雑談に集中できないのは困る。全力で雑談に取り組むのも、また雑談部だ。

「なんだかんだで華薔薇も相談気に入ってたのか。よかったよかった」

「はぁー、もうそれでいい」

 華薔薇は相談を気に入ってはいない。雑談のネタとして利用しているにすぎない。桔梗の誤解は解けなかったが、問題ない結論に辿り着いたから、結果として訂正しないのだった。

「今日はこれくらいにしましょう」

 華薔薇の雑談のストックはまだまだある。せっかく桔梗に新しい知識を教えたのに詰め込みすぎても仕方ない。無駄にダラダラ続けるても何の生産性もない。短時間に圧縮するのも大事だ。

「よっしゃ、明日から貯金するぜ」

「決意は天晴れね。ちゃんと私の話は覚えてるの?」

 決意しても行動が伴わないと意味がない。行動にはまず知識が必要だ。

「ふっはっはっ、ちゃんと覚えているに決まっている。まず勝手にお金を貯めるシステムを作るだ」

 引き出せない口座に送金することで自動的に貯金する。

「おお、正解。他には?」

「貯金することを宣言する。これで余計な出費がなくなる」

 宣言すると自分だけでなく、周りも意識するから目的に近づく。

「さっきは言わなかったけど、宣言したのに目標達成しないと恥ずかしい。これが原動力になるのよ」

 恥をかかないためには達成するしかない。進んで恥をかきたい人はない。だから頑張る。

「ここに来て新情報! 前の情報がこぼれ落ちる」

「そんな簡単に忘れないわよ。他には、まだまだあるでしょ?」

「あれだろ服や靴を買うより、旅行した方がいい」

 モノを買うより、経験を買った方が幸福が長続きする。過去の楽しい思い出は簡単には忘れない。

「まあまあ覚えているね。あとは実行あるのみ」

「おう、任せとけ。ちゃんと貯金が貯まったら、華薔薇に上手い飯でも奢ってやるぜ。俺の幸せのためにもな」

「あらそう、期待しないで待ってるわ」

 華薔薇は桔梗に奢られても奢られなくても、どっちでもいい。時間が空いていれば、誘いに乗るかもしれないくらいの関係性だ。雑談部の部員以上の役割は求めていない。

「桔梗がちゃんと覚えているのも確認できたし、今日は帰りましょう」

「もし覚えてなかったら、どうなってた?」

「せっかく私の雑談を聞いたのに覚えていないなんて許せると思う?」

 教師が一生懸命授業をして、生徒が一切覚えておらず、テストの点数が低い。それでは教師の面目丸潰れだ。

 教師が不甲斐ないのか、生徒の態度に問題があるのか、それともどちらも悪いのか。

「ハ、ハハハ、華薔薇に迷惑はかけないぜ」

 桔梗は少なくとも生徒が悪いと考える。

「ありがたいわね。だったら雑談の甲斐もあるわ」

「いつでも雑談に付き合うぜ」

「いつでもはいらない。桔梗は放課後だけで十分よ」

 つれないな、と言うものの、桔梗は放課後以外で華薔薇のプレッシャーと戦う覚悟はない。

 華薔薇の口撃は放課後だけでお腹一杯。キャパシティは悠々に越えている。

「有意義な雑談をしたわ。桔梗、さようなら」

「ああ、また明日な。バイバイ」

 体力を大幅に削られた桔梗は雑談部を後にするのだった。

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