meの感性にダイレクトにConnectしたプリミティブな言葉使い「エッセイ」

目が辛い


焼きそばが食べたくて、たまねぎを細かく切っていたら目に沁みました。


この刺激を何と例えようかと思ったら、冒頭の言葉に至った訳です。


はい、そうです。目に辛味を判断する機能はありません。

そもそも、味覚は甘味、塩味、酸味、苦味、うま味って話なのですが、本題はそこじゃありません。


目に感じた刺激をなんと例えよう、似ているものは何だろうという無意識下に近い思考の中で出た言葉が「目が辛い」だったのです。


この無意識下の思考ってのが曲者なのだと言うのが今日の主題です。


目に刺激を感じてから、数秒としない間に知識や経験から、類似するものをピックアップして妥当と思える答えを無意識が推挙した物を言語化したわけです。


ここで常に清く正しい日本語警察みたいなものが頭に住んでる人は、「目が辛い」訳が無いと、上記の味覚の話等を根拠に「目が痛い」「目に沁みる」とかに変えるんでしょう。


きっとそれは正しいと思うのですが、今回言語化した「目が辛い」割と馬鹿に出来ないなって思ってるところもあるんです。


今回、目に感じた刺激の「強度」は、まさに辛いと同等程度であり、少しの「時間経過」があれば消えてしまいます。そうなんです、これは「辛い」と同じ傾向をもった刺激だったんです。


結果としては日本語として不適切ではあるが、一部分だけ見れば正解に近い言語を抽出しているんですよね。

 そして、ここに注目しだすと、他人の何気ない一言をバッサリと「それ正しくないから」と言って切り捨てる事の危うさが見えてくるような気がします。


その人は間違えた発言をしているかもしれないけど、何を思い何を基準にその答えを導きだしたのか?ここをきちんと見極めないと、局所的には正しい物も大局的には間違いな事だったり、短期的には長期的には、みたいな事象や事例が出ちゃうかもしれないです。


人によっては本人も何でその答えと結論か分からないけど、そう思うんだよね。って人も居るでしょう。本人すら気付かない部分に気づけとか無茶を言いやがるって言うのは、たしかにそう思いますが、短絡的に否定したりせずに気を付けて考える。これだけで変わってくるものもあると思います。


今回は言語化した時点で休日である為に気が抜けていた。お腹が空いていたので脳があまり活発ではなかった等、正解を導くにあたって悪い条件が重なったので「目が辛い」なんて言語選択になりましたが、こんな選択をするのも私っぽいなと思ったりもしてます。


すごく緻密に物事に取り組む事もあるし、ガーっとやってバーッとなってプチュンですわー、な時もあります。その時の自分にあった言語で感性が見えて来るって思うともうちょっと自分を知れたり、他人を知れたりするきっかけになると思いますので、趣味人間観察とかいうタイプの人は試してみてもいいかもしれません。


とりとめのない話なので、ここらへんで。

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