第2章 やられる側よりは、やる側のほうが…? ④

 翔真と並んで、始業五分前に教室に着いた。


「はよー」

 あちこちに挨拶してまわりながら、自分の席につく。その途中、目についたもんに首を傾げた。

 今日の一限は科学のはずなんだけど。


「…なんでみんな数学の準備してんの?」


 素朴な疑問に、隣の席の女子が答える。


「明日の一限と入れ替わったからじゃん。昨日先生が言ってたじゃん」

「あ…!」


 忘れてた。予鈴が鳴る中、あわてて教室を飛び出す。

「バカだね、もー」って言う女子達の笑い声が背後で響いた。


 成績は中の下。赤点は取らないけど、いい点も取ったことない。唯一の得意科目は体育。――学校での評価は子供の頃から一ミリも変わらない。


真哉しんや! 真哉いる?」


 隣のクラスに行って声を張り上げる。と、少し離れたところにいた相手がふり向く。


「おはよ、斗和。なに?」


 宇月うつき真哉は、近所に住む幼なじみ。小学校の頃には仲良くしてたけど、中学に上がるくらいからお互い趣味が変わってきて、なんとなく疎遠になった。

 とはいえ今でも、何かあると声をかけ合う程度の仲ではある。


「わり。一限、科学の教科書貸し――」


 教室の中に入りかけた、そのとき。思わず息を呑んだ。

 目についた机に落書きがあったのだ。〈ゴキブリ〉と。赤いビニールテープで、でっかく四文字。


「――――…」


 机に目をやったまま凍りついていると、教科書を持って近づいてきた真哉が淡々と言った。


「〈西系〉のやつの席。もう学校に来ないかもな…」


 受け取ったとたんに始業のチャイムが鳴る。教師が来て、俺もあわてて自分の教室に戻った。

 席についてから、斜め前の空いてる席を見る。落書きはないけど、そこも〈西系〉の生徒の席だった。

 ただし新学期からずっと休んでいる。学校も無理に来させようとはしない。


 うちのクラスには、あともう一人〈西系〉の女子がいた。何とか通学してるものの、いつも生傷が絶えない。前田千春や他の女子が気に掛けているけど、その目を盗んで殴られたり、蹴られたりしてるのを見たことがある。


(いつからこうなったんだっけ…)


 思い返してみる。子供の頃は、こんなに露骨な〈西〉への差別なんかなかった。ひどくなったのは、ここ数年だ。

 去年の今頃、生徒会はまだ存在してなかった。


 去年の今頃、初めて〈西系〉が白昼堂々殺される事件が起きたような気がする。それからはあっという間だった。坂道を転がるように状況が変わっていった。


(ならこの先もっとヤバい事態になることだって、あるかもしれない――)

 いやな予感に胃がぎゅっと縮んだ。


       ※


 平日ほとんど顔を合わせることのない母親は、毎日必ず二人分の弁当を作って置いていく。だから俺は基本、昼に買い物はしないけど、翔真は毎日購買で何か調達する。


 昼休み、そんな翔真にくっついて購買に行くと、いつものように、昼飯を買おうとする生徒で戦場みたいな状況だった。


 その中には前田千春もいた。周りの勢いに負けて、なかなか買えないでいる彼女のパンを、翔真が横から奪い取っていっしょに会計してやっている。一秒でも早く会計をすませようと、ごった返す人混みの中から、ふたりは必死に抜け出してきた。


 後ろで待ってた俺んとこまで来ると、翔真が千春にパンを渡す。


「『次あたしー!』って、ちゃんと言えよ」

「言ってるよ」

「もっとデカい声で、腹から声出して」

「言ってるって! ありがとね!」


 怒るついでに礼を言って、千春は教室に戻っていく。


「あいつがパン買うのめずらしいな。いつも弁当なのに」


 俺が言うと、翔真は肩をすくめる。


「…あげたんだって。うちのクラスのアレが、昼飯をトイレに捨てられてたんで、さっきこっそり自分の弁当譲ったらしい」


 アレ――〈西系〉の女子だ。

 たしかに、もし購買に来たら、またひどい目に遭うかもしれない。


「親切じゃん」

「そうかー? 入れ込みすぎじゃね?」


 翔真がしかめ面で言った、その時。

 廊下の向こうから、〈生徒会〉の制服を着た男女が二人、肩を並べて歩いてきた。


 藤ノ音結凪と同じデザイン。ただしジャケットは黒だ。

〈生徒会〉の連中は、自分の学校の制服を着ない。堂々と〈生徒会〉の制服で登校する。まるで一般の人間とはちがうんだって、着ているもので主張するかのように。


 この学校に〈生徒会〉のメンバーは四人いるらしい。三年に二人、二年に二人。


 目立つ制服に憧れている生徒も少なくないけど、大半は遠巻きにするだけだった。

 常人には越えられない一線を越えてまで、仲間になろうなんてやつはそうそういない。

 けど翔真はそうでもないようだ。


「先輩!」


 溌剌と声をかけると、男のほうがこっちを見て笑顔を浮かべた。


「おう、翔真じゃん。おまえ今夜どうする?」

「俺は行きます。あと…」


 翔真の視線を追って、〈生徒会〉の先輩もこっちを見る。


「あ、こいつは同中でずっといっしょにバスケやってた美陵(みささぎ)斗和です」


 俺の紹介をした後、翔真はこっちに向けて言った。


「斗和、このふたりはバスケ部三年の中井先輩と、マネージャーの美穂子先輩」

「よろしくな。バスケやりたくなったら、いつでも来いよ」


 中井先輩は、俺の肩をたたいて気さくに笑う。とても夜には〈西〉の人間を狩りまわってるとは思えない朗らかさ。

 隣の美穂子先輩は、ポニーテールの活発そうなイメージだった。


「斗和くんも集会に来るの?」


 ポニーテールを揺らして訊ねられ、返事に詰まる。


「あー…、えぇと…」


 はっきりしない俺に、中井先輩はフッとくちびるの端を持ち上げた。

「即答できないならやめときな」


 もう一度俺の肩をたたくと、すれちがって歩いて行く。それを美穂子先輩が追う。

 気がつけば、そんな二人の背中に向けて口を開いていた。


「行きます」


 二人がふり向く。黒い制服姿は明るい廊下でひどく目立つ。

 それを見据え、俺はもう一度はっきりと言った。


「俺も、今夜集会に行きます」

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