2 outward

 千広が死んだ。私の神様が消えた。ありえない。


 私と千広が秘密を共有した放課後。柱の陰に隠れていた清子に、勝ち誇った笑みを向けた。千広と別れたあと、廊下から清子の怒りに震えた声が聞こえてきて、なんと胸のすく思いがしたことか!

 上機嫌で帰路に着いた私。千広の訃報が届いたのは、まだ夕食も食べきらぬ宵の口だった。

 車に轢かれた? 事故で死んだ? ありえない。

 小秋千広は神様なのに。そんなことが有り得ていいはずがない。

 翌日、教室の誰もが信じられないという表情をしていた。突然空っぽになった千広の席を、呆然と眺める事しかできなかった。喪失の穴を埋める方法を誰も知らなかった。私たちは困ったことがあれば、なんでも千広に聞いていたからだ。私たちは彼女に依存していた。当然だ、神様のいうことは絶対なのだから。

 放課後、クラスメイトと千広の葬儀に向かった。みんな、抜け殻のように彼女の遺影を見上げていた。泣く、という行為すらすっかり忘れ去ってしまった。そのうち誰かひとりが思い出したようにしゃくりあげはじめ、さざ波のように泣き声が広がって行った。

 私は泣いていなかった。頭の中を疑問が埋め尽くしていたから。

 神様がうっかり、偶然、事故なんかで死ぬわけがない。そんな、『ふつうの人間』みたいなこと、千広に限って起こり得ない。

 朗々と響く読経と木魚のなか、ひとり周囲と異なる反応をしている人物が目に留まる。名越清子だ。

 アイツは自分の体を抱きかかえ、震えていた。口の中で小さく何かを呟き、俯いて前後に体を揺らしていた。泣いているわけじゃない。悲しんでいるわけでもない。青ざめた表情は、なにかに怯えているようだった。明らかに様子がおかしい。

 気付かれないように清子の背後にまわり、彼女がなにを呟いているのか、聞き取ろうとした。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 どうやら千広に対して、頭を下げているらしかった。

「私が、私があんなことを言わなければ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」

 怒りに視界が赤くなった。間違いなくこいつのせいだと思った。

 放課後、私のあとに千広と一緒に居たのはこの女だ。

 私に嫉妬して、千広に危害を加えたに違いない。

 その場で殴り殺さなかったのは、それがこの女に対する相応しい痛み、正しい罰ではないからだ。名越清子には苦しみを与えなければならない。私の神様を穢した、私の喪失を埋め合わせるだけの苦しみを。


 私は千広の事故について徹底的に調べあげた。

 警察さながらに現場付近を歩き回り、目撃者の話を聞きまわり、SNSアップされた事故の写真や動画を拾い集めた。すると、どうだろう。真相は意外にもあっさりと判明した。千広はあいつにはめられて、殺されてしまったのだ。

 対向車線に写るクラスメイト、相野隆。千広があいつに見繕ってやったものと同じ服を着て、不敵な笑みを浮かべている。『私があんなことを言わなければ』と、あいつはそう言っていた。そう、言っていたのだ。嫉妬に狂い、相野隆に対して命令を下したのだ。千広の分け隔てなく、誰でも救おうとする姿勢を逆手にとって殺した。誰にも殺人だとばれない方法を使ってまで!

 葬儀でのあいつの態度を思い出し、胸糞悪くなった。いまさら謝罪をしようだなんて。自分の手も汚さず、もっとも汚いやり方で千広を貶めておいて。ごめんなさい、だと?

 千広も私も油断していたのかもしれない。千広の革命が上手くいったから、このまま千広に任せておけばすべて万全だと。私はいくつかの神話で神が死ぬことを知っている。過ちを犯したりすることも。

 相野隆、女王の近衛兵の存在を完全に失念していた。彼は革命以降、息を潜めていた。もちろん、これまで通り、名越清子の言うことは何でも聞いていた。しかし、清子が千広にべったりになってからは、命令自体がなくなっていった。故に、自然と女王の近衛兵は、存在自体が希薄になり、私たちの視界から外れていた。清子はその盲点をついて、千広を殺した。

 葬儀で謝罪をしていたということは、清子自身は突発的な感情で命令しただけかもしれない。ただ、近衛兵である相野隆は違っていた。おそらくずっと狙っていたのだろう、女王の復権の機会を。息を潜め、表面上は千広に従う振りをして、水面下では殺害計画を練っていたに違いない。

 神は全能だが、それゆえに失敗することもある。私が千広の身代わりになれば、もっと支えていれば。悔いは尽きないが、今さら私が犠牲を払うことに意味はない。必要なのは血の贖いだけだ。

 私は名越清子を殺すことに決めた。ただし、あいつと同じやり方ではない。社会的に抹殺するのだ。徹底的に、存在を殺しつくして、罰と苦しみを与え続けるのだ。死ぬまで殺しつくす。音をあげることすら許さない。


 手始めに、私は事故の証拠をもって、名越の家を訪れた。

 アイツが寝静まり、両親はまだ起きている時間にチャイムを鳴らす。私は勇気を振り絞ったか弱い女の子のふりをして、どうか清子ちゃんには内緒にして、と前置きする。

「あの、先日、私たちの友達が死んでしまった事故は知っていますか?」

 私は努めて冷静に、しかし体を震わせて、自分だけが抱える恐怖の真相を話し始める。

 悪逆非道の暴君であった名越清子の実態を。

 女王の近衛兵で、あいつに心酔しきった奴隷の暴走を。

 卑劣な手段で私の友達かみさまを陥れた手口を。

「これは、あの子のお気に入りの服よ……」

 清子の母親が私のみせた写真におののく。

 私の推理には決定的な証拠に欠ける。実際にあいつが、相野隆に指示した確証はない。もし指示していたとしても、それが直接殺人に繋がるわけじゃない。子供の癇癪として捉えれば、殺人教唆にすらならない。

 しかし、相野隆の女装姿をみた途端、名越夫妻は動揺した。彼らには明らかな物的証拠にみえたことだろう。自分の娘が、しかも溺愛していたはずの娘が、悪事に加担していたかもしれない。私は疑いの芽を植え付けるだけでよかった。都合がいいことに、千広が死んでから、あいつの様子は見るからにおかしかった。他人との関わりを避け、人前では一切喋らず、別人のようにふさぎ込む。夫妻にはそれが、罪悪感からくるものだと思ったに違いない。溺愛していただけに落胆は計り知れぬものがある。

「まさか、うちのきよちゃんに限って……」

「いや、なにかの間違いかもしれない」

 そういった父親の瞳は揺れていた。自分の娘を信用できなくなっているのが、手に取るようにわかる。

 大の大人が私の言葉で揺らぐさまは、言い知れぬ快感を私にもたらした。なにか、途方もない力を手にしたような。言葉によって心を縛り付ける。いま、この場の絶対的な支配は私にあるのだと、確信できた。

 最後に、名越夫妻へ助け舟をだす。

「このことは誰にも、清子ちゃんにも言わないでください。私が勝手に思い込んでいるだけかもしれないから。清子ちゃんが逮捕されちゃったら、どうしようって。でも、でも……どうしても、ひとりじゃ抱えきれなくてっ、こ、怖かったから……!」

「た、逮捕って、そんなことは」

 失望、保身、秘密。そう、すべては胸のうちにしまえ。

 自分の娘が罪人かもしれない、という恐怖と疑念を抱え続けろ。

 終わりのない、苦悩の始まりだ。

 私が望んでいるのは名越清子の罪が公に暴かれることじゃない。第一、正当に裁かれたとしても大した罪にはなるまい。罪にならない可能性のほうが大きい。少年院で服役したとしても、いずれは出所する。刑期を与えることで、罪に終わりを与えることになる。そんな簡単に償った気になってもらっては困る。それに、私が、あいつに罰を与えることに意味があるのだ。

 なんせ、私は千広の特別な友達。千広と名前で呼び合う仲。

 親友――神様の代理人、なのだから。

 これから私が正義をなすよ。神様にかわって、千広に成り代わって、悪魔のこどもを退治してみせるよ。

 小学校高学年から、中学に至るまで。

 クラスメイトから教師に至るまで。

 名越清子の悪評を広め、嫌悪を誘い、罰を与えた。苦しみを与えた。痛みを与えた。

 足りない、足りない、足りない。

 そんなんじゃ、千広の受けた苦痛には遠く及ばない。

 これは私の使命だ。崇高なる神の与えし、私だけの役目。最近ではそう思うようになった。きっと、千広が私を救うために、自分の身を犠牲にしたのかもしれないと思うことすらある。

 私にはなにもない。ひととして意味をもたない。

 代わりに、神の言葉を知っている。なすべき力をもっている。

 千広、私の神様。どうか、見ていてください。きっと、成し遂げてみせますから。


 でも、ひとつだけ疑問に思う。

 あんなに賢くて、素晴らしい神様である千広が、姿を見間違えたなんて本当にありえるだろうか。

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