Episode2 お兄様との交流

 あの顔面ダイブ事件から一週間が経ち、額のこぶは完全に完治したが、新たな病を発症している者が現れていた。


「花蓮ちゃん、本当に大丈夫? 今日も安静にしていた方がいいんじゃない?」

「もう平気です、お母様。ほら、ごらんの通りおでこも治っておりますでしょう?」

「でもぉ~」


 頬に手を当てて額を擦るお母様に、安心させるようにニコッと微笑む。


「元気になったご褒美をくださるって仰っていたのは、お母様ではありませんか。約束を破るおつもりですか?」

「そんなことはないわ! でも心配なのよ。外に出てまた躓いてこけたらと思うと」


 そう言うと、およよと顔を両手で覆って泣き真似をし始めたお母様のその仕草に、内心またかと溜息を吐いた。

 お母様が発症した病――過保護という名の病である。


 どうやら感動のあまりベッドの上で飛び跳ねている姿をこっそりと見られていたらしく、「あんな、あんなお転婆なことをするなんて……!」と非常に嘆かれ、またどこかで頭を打ったらと、とにかく部屋で安静にさせようと落ち着かない。


 私は前世を含めて中身は二十九歳の三十路一歩手前のおばさんに近い年齢ではあるが、身体は六歳の子供だ。

 子供は外で元気に遊ぶのがお仕事の筈。


 ゲーム通り親の言うままに従う人形令嬢になる気など更々ないので、今まで通りに振舞いながらも、自分の意見はちゃんと述べ始めるようにしたのであった。

 最初はそんな私に戸惑っていた両親と兄だったが、また情緒不安定になって奇怪な言動を起こされるよりはと、概ね受け入れ態勢に変化している。


 これに関しては私にとって、非常に良い環境になったのではないかと思っている。

 今まで仕事一環で外に出ずっぱりだった父は早く帰宅するようになったし、凛とした淑女であった母もこのように少女めいた態度が増えたし、それに何より。


「それぐらいにしていい加減約束通り、外に出してやったらどうですか?」

「お兄様! お帰りなさい!」


 パアッと表情を輝かせ、入室してきた兄へと抱きつく。

 兄である奏多は現在十一歳で、既に名家や資産家の子達が通う、大学までエスカレーター式の私立の初等部に通っている。

 歳が五つ上とはいえ急に抱きついたので、受け止める時に少しよろけてしまったが、それでも彼は私を離すことなくしっかりと抱き締めてくれた。


「花蓮。抱きついてくれるのは嬉しいけど、走ってくるのは止めような。またこけて大怪我したらどうするんだ」

「はぁい。ごめんなさい、お兄様」


 素直に謝ると頭を撫で撫でされて、それがくすぐったくてまたニコニコ笑う。

 そう、家族の中で一番の収穫はこの兄、奏多である。


 ゲームでは姿が明らかとされていない、名前だけ出てくるだけの存在であった花蓮の兄。

 その奏多はさすが薄幸の美少女である花蓮、後に「白百合の君」と呼ばれる彼女の兄だというだけの容姿をしていた。


 まだ幼いとはいえ線の細い整った顔立ちは、将来はきっと誰もが振り返るイケメンに成長するだろうと予想させる。

 前世を思い出すまでの奏多は妹に対して、今まではどこか他人行儀に接していた気があったが、目を離した隙に私が怪我をしたことに責任を感じているのか、習い事で忙しいのにも関わらずよく構ってくれるようになったのだ。


 これには内心大喜びした。

 だって成長を予想した奏多の姿は、私の好みど真ん中。


 しかも前世で近くにいた同年代の異性とは大きくかけ離れた王子様な対応に、今ではすっかりメロメロになってしまっていた。最早完全なるブラコンである。


「えへへ~。お兄様だーいすきっ!」

「まったく。急にどうしたんだよ」


 すりすり頬ずりして、苦笑するお兄様の匂いを思いっきり吸いこむ。


 あー良い匂いだわぁ、癒されるわぁ。お兄様お日さまの香りぃ~。

 ……うん、子供だから許される行為だって知ってる。いいじゃん中身二十九歳でも外身そとみ六歳児なんだから!


「お兄様おそと~」


 服を揺すって、中々叶えて貰えない約束を催促する。

 ポンポンと背中を優しく叩かれ、頷いたお兄様がお母様を見る。


「心配なら母さんも一緒に出たらいいじゃないですか。でしたら安心でしょう?」


 お兄様は日に当たることを嫌うお母様が、晴れた日は外に滅多に出ないことを分かっていてそう言うのだから、もしかしたらちょっと腹黒性質があるのかもしれない。

 えぇっ嫌だそんなの。お兄様にはずっと王子様でいてほしい!


「……わかったわ。花蓮ちゃんをしっかり見ていて頂戴ね、奏多さん」

「はい。絶対に目を離しません」


 溜息を吐いて諦めたようにそう告げたお母様に、しっかりとした返事をするお兄様。

 あれ? 何か私が問題児みたいな言い方されているのは気のせいだろうか。


「行こうか、花蓮」

「はいお兄様!」


 手をそっと握られて促された私は、お兄様と一緒に元気良く部屋を出る。


「ねぇねぇ、お兄様」

「ん?」

「今日の習い事は何をなされたの?」


 歩きながら尋ねる私に、お兄様はゆっくりと今日あったことをお話ししてくれた。


「そうだね。今日は生け花の先生の日だったよ。先生には出来を褒められたけど、本当は適当に刺しただけの作品だったんだ。面白いことを言うなぁって思ったよ」

「……まぁ。でもそれは無意識に生け花のセンスが光った作品だったからに違いないです! 私もお兄様の作品を見てみたいです!」

「本当に大したものじゃないよ。ダリアを一本真ん中に刺しただけだから」

「……まぁ」


 お兄様、腹黒、確定しちゃう……!?


「お、お兄様ごらんになって! 花があんなに綺麗に咲いております!」


 拭いきれない腹黒疑惑をこれ以上肥大させたくなくて窓から見える庭を指差すと、お兄様はクスクス笑いながら同じ所に視線を向けた。


「あぁ本当だ。ねぇ花蓮、あの花の名前わかる?」

「分かりますよ。チューべローズです!」

「ふふ、正解」


 指差された一角に咲く白い花の名前を、前世の知識を引っ張り出して自信満々に答えると、キラキラしい笑顔で頷いたお兄様。


「なら花言葉は知ってる?」

「いえ、そこまでは……」

「そう」


 流石に花言葉までは知らず首を横に振ると、お兄様はそのキラキラしい笑顔を深めた。


「さぁ、外に出て他の花も見に行こう」

「はいお兄様」


 ……最後のキラキラ笑顔は何だか引っ掛かるな。あとで調べてみよう。


 外に出た私達は早速庭に咲く花を見に足を向けた。


「わぁっ、綺麗……!」


 今の季節は春先で、庭師が丹精込めて世話をしている色とりどりの花が見事に咲き誇っている。

 前世の時から花は大好きで、一時間でも二時間でも見るには飽きないほど。

 早速掛けていこうとして二歩も行かない内に足が進まなくなる。


「こら花蓮。走らない約束は?」

「あっ」


 そうだった。

 お兄様にしっかりと握られた手が掲げられ、まるで現行犯逮捕された犯人のようだ。


「本当に、いつから花蓮はこんなに活発な子になったんだか。それでおでこにこぶを作ったの、忘れたわけじゃないよね」

「ご、ごめんなさい」


 軽く注意されてシュンと落ち込むと、お兄様は仕方がないなぁというように笑った。


「まぁ気をつけようね。元気なのは悪いことではないし、どちらかというと今の花蓮の方が僕は好きだよ」

「えっ」


 驚いてお兄様を見たが、彼は既に先の花へと視線を向けている。

 その横顔はすっきりと整っていて大好きな花と同様、何時間でも見飽きない自信があるが、今はそっと奏多から視線を外し自分の靴先を見つめた。

 

 地面に顔面ダイブした日。

 まだ前世を思い出していなかったあの日は、文句一つ我儘一つこぼさず言われるがまま両親の望む淑女として頑張るご褒美に、お兄様が初めて誘ってくれた外出の日だった。


『連れて行ってあげるけど、どう?』

『嬉しいです、お兄様。ぜひに』


 理想の淑女像通りに言葉を返した私に両親、特に母は満足そうに頷いており、色よい返事に兄も『よかった』と言ったが、前世を思い出す前の私は6歳児ながらに気づいていた。


 兄の目が笑っていないことに。

 兄もまた、“百合宮家の長男”としての振る舞いをしたのだと。


 何でもそつなくこなす兄は花蓮の憧れで密かに慕っていたのだが、それが兄の本心からの言葉ではないと知った時、全身から血の気が引くような気がした。

 まさか、自分も兄の目からはそのように見えているのかと。


 だから運転手が同じ空間にいたとはいえ、花蓮は隣に座る兄の存在にとても緊張していた。

 “百合宮家の長男”として誘ってくれた兄に対して、自分もまた“百合宮家の長女”として応えなくてはと、無意識に肩肘かたひじが張っていた。


 その時だ、運転手の「もうすぐ到着しますよ」の言葉で、窓の外に顔を向けたのは。


 咲き誇る、無垢で純粋な美しい花たち。


 あの時花蓮はどうしようもなく、目の前の花たちに焦がれていた。全てを放りだしたかった。

 だから、着いた瞬間ドアを開けて思いっきり走ったのだ。


 他でもない“百合宮 奏多”に、“百合宮 花蓮”を見て欲しくて。走って、走って、そして。


「お兄様」

「なに?」

「……私、あの時こけて良かったです」


きょとんと目を丸くするお兄様に、私は悪戯が成功したかのように笑った。


「こけて良かったって、何それ」

「えへへ~秘密です~」

「何だよ、変な花蓮だなぁ」


 可笑しそうに笑うお兄様。

 その豊かな表情には、“百合宮家の長男”としての仮面は張りついていない。


 私は目尻に少し涙が滲んだのを誤魔化すように、お兄様の腕を引っ張って花園へと一緒に歩いて行った。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 就寝する時刻二十一時。


 百合宮家の邸宅は、誰かさんが残した疑惑のキラキラ笑顔の意味を究明した人物による、ここ最近では恒例と化した大きな叫び声に見舞われていた。

 手に持った花言葉辞典を片手に、顔を真っ赤にして涙目で叫び声を上げる。


「お、おおおおおおお兄様の破廉恥ぃーーっ!!!! 何で小学生がこんなの知っているのーーっ!!??」



――その頃の夫婦の寝室では。


「……貴方、また花蓮ちゃんが叫んでいるわ! どうしましょう、またあの子の淑女への道が遠くなっていくわぁぁぁーーっ!!」

「落ち着きなさい。何か君を見ていると、花蓮の叫び癖は君譲りだってことが身にしみて分かったよ」

「……え?」



――その頃の長男の部屋では。


「ぶっくくくっ! すっかりからかいがいのある子になっちゃって。でも叫んでるってことはあの花言葉の意味を解っているってことだよね。……一体誰だろうねぇ、僕の花蓮に変なことを理解させた奴は」



――その頃のお手伝いさん住み込み部屋(女性のみ)では。


「今日もお嬢様が叫ばれていますよ」

「そうですね」

「……平和ですねぇ」

「……平和ですなぁ」



 そして百合宮家の一日は、本日も何事もなく終了したのだった。

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