6ー1 過去と今

「わりぃ。霜村のスマートフォンのデータを取り出そうとしたら、消えちまった」

 極めて明るく、そして全く悪気がないといった風で、鑑識の切田は稲本の肩を叩いた。許されるべき行動ではないのに、その行動を強く追求できないでいる自分に腹が立つ。稲本はギッと唇を噛みしめた。対して親しくもない先輩である切田のその手を、思いっきり払いのけたい衝動にかられる。

 証拠を採取するのが本職であるはずの鑑識なら、なおのこと。証拠品の取扱いに、十分配慮するのは当たり前のことだ。悪かったという気持ちすら含まない、上っ面の謝罪を浴びせられた稲本はたまらず、鑑識の服に身を包んだ切田にくってかかった。

「……なんでそんな簡単に、言えるんですか!?」

「仕方がないだろ?」

「貴重な証拠を……!」

「わざとじゃないって」

 どんなに稲本が真剣に訴えても、切田は軽率な笑いを浮かべながらあしらった。

「だからって!!」

「うっせぇな。特従は未解決の箱に、ずっと埋もれとけよ」

「!?」

「どうせ、一つも解決する気ないんだろ?」

「……ッ!!」

 切田から投げるように寄越された証拠品のスマートフォンを、胸の前でグッと握りしめる。歯を食いしばり感情を抑える稲本に、切田は鼻で笑いながら背中を向けて去っていった。

 貴重な証拠をなす術もなく、あっさりと失う。まさか、同じ警察組織の一員に証拠を消されるなんて、思ってもみなかった。

 同僚であり先輩であった霜村の事件。全力を尽くして冷たい箱から出したいのに、その瞬間から完全に手詰まりとなった。

(未解決になってしまう……永遠に)

 激しく巻き上がる己の不甲斐なさと後悔、そして怒り。四年前のあの時から、稲本の根底にそれは渦巻いていた。データが消されてしまったスマートフォンは、殉職した霜村の無念と稲本の後悔と共に、角のつぶれた段ボール箱にしまわれる。

 コールドケースは、四年の歳月を経て徐々に溶けない氷と化していったのだ。

(今なら、解析装置にかければ……)

 稲本は、目の前にあるダンボールの箱に手をかけた。四年間、燻っていた後悔と埋もれてしまった真相を明らかにするには、今しかないと思った。稲本自身の過去を今の稲本が、塗り替える。稲本は、意を決したようにスッと息を吸った。

「絶対に、今度こそ! 真相をつかんでやる!」

 稲本は、霜村の携帯を冷たい箱から取り出す。そして、特別専従捜査室の重たいドアを大きく開け放ち廊下を走り出した。


「データを取り出そうとしたら、消えちまったって……軽く言ったんだよ、あの人」

 F県警察本部サイバー犯罪対策課の執務室で、稲本は独り言のように呟いた。その声音は落ち着き払っているのに、暗い感情を乗せている。その証拠に稲本が発した言葉の語尾は、若干震えているように勇刀は感じた。四年前に何もできなかったという、体の中に深く沈む暗い思いが稲本を強く突き動かす。

(いよいよだ……)

 稲本はその思いに決着をつけるべく、深く息を吸った。真新しいUSBメモリを、パソコンの入出力ポートに差し込む。同時に、PDF化したデータをドライブに入れたCDに書き込んでいく。

 勇刀は切田を追跡しながら、稲本の切実な思いを含んだ声に耳を傾けていた。勇刀の目の前には、パズルのように散りばめられた監視カメラの画像。それがパソコンの画面いっぱいに広がり、勇刀は一つ一つ時系列に画像を繋ぎ合わていく。切田を乗せたシルバーの乗用車は、市街地を抜けると、県境に近い山間部の国道を疾走した。滑らかに走る車を、国道に設置された自動車ナンバー自動読取装置がとらえていた。しかしそれを最後に、切田の運転する車の痕跡が途絶えてしまう。勇刀はその結果を、捜査員の佐野へと引き継いだ。結果を受け取った佐野は、他の捜査員が収集した追跡結果をパソコンに読み込ませると、どこかへ電話をかけはじめた。電話口で一言二言、言葉をかわした佐野は、滑らかな打突音を響かせながら、起動したアプリケーションに十一桁の番号を入力する。

 切田の携帯電話を追跡するのだ。携帯電話の電源を切っていたとしても、最後に検知した電波を探知して、切田の居場所を割り出していく。

 佐野の追跡状況が気になりつつも、勇刀は稲本が粛々と行う復元データの取り出しの方が気になり、体を傾けて画面を覗き込んだ。パソコンの情報画面が、かなりのスピードで上から下へと流れていく。その単調な流れを眺めていると、勇刀はその内容に違和感を覚えた。

「霜村さんと……切田さん?」

 驚きを隠せない勇刀の呟きに、稲本がこくりと頷く。

「切田さんはきっと、これを見られたくなかったんだ」

「どういうことだよ……稲本」

「ずっとこれを探してたんだ、俺は。ようやく掴めそうだよ」

「……掴める?」

「四年前の欠けた部分だ」

 画面を覗き込んだ勇刀に、稲本ははっきりとした口調で返した。

「だいだいの概要が見えただろ? 緒方」

 その言葉が、深く抉るように胸に突き刺さる。パソコン画面を流れる内容に、勇刀は言葉を失わざるを得なかったのだ。

 冷水を浴びたみたいに驚愕した。勇刀の体を緊張が固くする。その時、佐野が鋭く声を放った。

「特定したぞッ!!」

 執務室で懸命な捜査をしていた捜査員達が、一斉に立ち上がった。士気が一瞬で上がる。捜査員達の高揚する熱気。その熱気を感じとったのか。椅子に足を投げ出して、隅で仮眠をとっていた遠野の体がビクッと震えた。



「霜村はどの部門に行きいんだ?」

 警察学校に入校し、三ヶ月。早朝の起床も、起きてすぐのランニングにも慣れ、市川たちはだいぶ余裕を持って警察学校の生活を送っていた。次第に打ち解け、警察官としてもプライベートでも、信頼関係を築く。一生の友でありライバルとなった彼らの多くは、当直以外、大体いつも同じルーティンで一日に終わりを迎える。

 市川と霜村そして切田の三人も、例外ではない。就寝前の点呼までの間、三人は寮の部屋で一緒につるんでいた。大体話題にのぼるのは、一日の大半を占める授業の内容。過酷だった逮捕術の訓練や警備実習に花が咲き、そして最後は必ずと言っていいほど、同期の女性警察官の話題となる。同じ釜の飯を仲間ではあるが、男性とちがう華やかな雰囲気は、ストイックな警察学校の生活に、僅かな清涼感と癒しをもたらした。三人は、時間の許す限り思いの丈を語り合うのだ。

 そんな中、切田が徐に口を開いた。

 警察学校を卒業したら、暫くは交番に勤務することが必須だ。その後、約半年。再び警察学校に総合科として入校するまでの間。研修という名目で刑事や生活安全、交通そして警備といった各部門の業務に従事する。警察学校での授業を通して、あらゆる部門に興味が沸いていた霜村は「うーん」と首を傾げながら答えた。

「まだ漠然としてたけど。刑事がやっぱカッコいいなって思ってる」

「あぁ、なんとなくわかるよ。霜村に合ってる!」

 切田は大いに納得して、霜村の肩を叩いて言った。市川は高校生みたいに戯れる二人を、楽しそうに見ていた。肩を叩かれた霜村は、切田の手首を掴むと、慣れた手つきでサッと関節を捻った。

「イテテテ! ちょっとは加減しろよ!!」

「切田はどうなんだよ」

「え?」

「切田は、どの部門が希望なんだ?」

「俺は、鑑識かな? 交通鑑識でもなんでも! 鑑識って名前がつくヤツになりたい!」

「なんだよ、それ」

 切田の真っ正直な答えに、霜村も市川もたまらず噴き出した。

 寮の一室から漏れ聞こえる賑やかな笑い声。その笑い声は、廊下を通り抜け点呼のため寮の階段を登っていた遠野のところまで響いていた。その日の当直教官であった遠野は、楽しそうな笑い声に耳を傾ける。そしてまだ未熟な彼らが、将来どんな警察官になるのかを想像した。ニヤつく顔を我慢しつつ、階段を登り切ると、遠野の目の前に部屋から出てきた市川と出会した。

「遠野教官」

 少し引き締まった表情をする市川に、遠野はニヤけた顔を誤魔化すように無理に真顔を作る。市川は踵を揃え直立すると、深く腰を曲げて敬礼をした。

「随分と賑やかな声がしたな、市川」

「はい。将来のことについて、話をしていたものですから」

「将来?」

 引き締まった表情を少し崩し、市川は柔らかな声で答える。

「はい。霜村と切田と、どの部門の警察官になりたいか、話していました」

「そうか」

「霜村は刑事で、切田は鑑識になりたいそうです」

「市川、おまえは?」

 遠野は一番聞きたかった質問をした。あまり自分を前に出さず、冷静で穏やかな市川。彼はどの部門を目指しているのか、知りたかったのだ。

「私は……」

 市川は、少し照れ臭そうに笑う。

「交番勤務や、少年やサイバーの生活安全のほうもいいなって思っています」

「そうか、市川にあってるかもな」

 一番現場に近い生活安全部門。優しげな雰囲気に柔らかな物言いをする市川の性格は、生活安全部門の警察官に向いているといえる。ニヤつきが止まらない遠野は、その表情を隠さずに市川の肩に手を置いた。

 困難を薙ぎ払う力を、真実を見抜く力を。この警察学校にいる間に培ってほしい、その思いと願いをその手に込める。そんな遠野に対し、市川は真っ直ぐ視線を外さずに言った。

「いつか遠野教官と肩を並べて、第一線で活躍したいです」

 市川の思いがけない言葉に遠野は一瞬、目を見開いた。

 今春、遠野は人事異動で警察学校に勤務することを命ぜられた。犯人を追い詰める警察官から、畑の違う警察官を育てる教官となる。

 人事とは〝ヒトゴト〟だ。ずっと捜査に携わっていた自分に、教官など務まるか不安でしかなかったのだが。目の前の若い警察官が着々と力をつけて、一人前へと成長し大きくなっていく。その瞬間に立ち会えることができたこと。それは遠野は捜査に携わっていた時より、未来へと繋がる希望が見えたようで、非常に満足していた。

 市川の一言が遠野の思いを具現化し、実を結ぶ。そんな気がして、遠野は破顔一笑した。

「そうだな! 待ってるぞ、市川!!」

「はい!」



「遠野係長、大丈夫っすか?」

 覆面パトカーの微かな振動が心地よい。静かな山間の道。真っ直ぐなヘッドライトの灯りさえも飲み込んでしまうほど、進む細い道は、深い闇へといざなっていく。勇刀はその闇に逆らうことなく、静かにハンドルを捌いていた。一方、助手席に座っていた遠野は、シートに深く沈めた体を揺らして座り直す。

「パトカーの運転がなってないな、緒方」

「緩急をつけた、ってヤツっすよね」

「分かってるじゃないか」

 遠野の言葉に、勇刀は苦笑いをした。

「遠野係長が、すごく気持ち良さげに目を瞑っていらしたんで」

「……寝てないぞ」

「大丈夫です。誰にも言いませんから」

「緒方」

「スミマセン」

 遠野の静かな圧。勇刀は、さらに苦笑いして肩をすくめた。

 最近、懐かしい夢ばかり見る。そのたびに過去と今のギャップが、遠野をじわじわと追い詰めた。霜村が、市川が。皆が体に馴染まぬ制服に袖を通していた、懐かしいあの頃の夢。高揚し満たされた気持ちになると過去の幻想と。自分の含め、皆が置かれている今の現状と。同時に押し寄せては、胸が締め付けられるような苦しさに苛まれるのだ。

 遠野をはじめとするサイバー犯罪対策課の捜査員達は、数台の覆面パトカーに分乗して山間の道を走っていた。切田の位置情報を特定した場所へ、分散して道を一つ一つ潰していく。包囲し、徐々に範囲を小さくする。切田を静かに追跡するパトカーは、夜の闇に溶け込むように疾走した。

 前方の座席で勇刀と遠野のやりとりを見ていた、稲本はたまらず笑い声を漏らす。

「特研生って楽しそうだな、緒方」

「おかげさまで。遠野係長がめちゃくちゃ素晴らしいから」

「……おい、緒方」

「遠野係長をはじめ、サイバー犯罪対策課の先輩方に色々教えていただいてるっす!」

 自分がネタにされていることに加え、勇刀と稲本の同期ならでは掛け合いに、遠野は寝起きの頭を抱えた。

「……なんで、そんなに緊張感ないんだよ。おまえら」

「それ、遠野係長も言えないっすよ」

「緒方」

「……スミマセン」

 遠野は、はぁと長いため息をつく。息でくもる窓ガラスが白くなって一瞬で透明に戻ると、窓ガラスは皺が深くなった自分と運転する勇刀をうつしだした。

「……お前ら、似てるよ」

「え?」

「霜村と切田みたいだ。あいつらもよくふざけてたからな」

「……」

 色鮮やかな過去に想いを馳せながら呟く遠野に、勇刀はつい言葉を押し込んだ。対照的に、後部座席に座る稲本は、静かに口を開く。

「仲が良いだけじゃ、なかったんです。あの二人」

「……なんだと?」

「ライバルだったんですよ。霜村さんと切田さんは」

「そりゃ、切磋琢磨し合う、良きライバル……」

「違いますよ、遠野係長」

 稲本は、静かに遠野を否定した。遠野は、顔の見えない稲本の言い知れぬ圧に押し黙る。ふっと、短く息を吐いた稲本は、変わることのない漆黒の景色を眺めながら続けた。

「この四年間、ずっと分からなかった。キツく結びすぎて、固くなった結び目。それがようやく今、解けた」

「……稲本」

 勇刀は、ルームミラー越しにうつる稲本に注視する。普段の稲本は、いつもどこか疲れていて、警察組織に対して斜に構えたところがある。しかしミラー越しの稲本の表情は、いつもの稲本とは違った。強い意志を宿し秘めた決意を表情をしている。勇刀は思わず息をのんだ。

「市川さんを助ける。そして、この事件に決着をつける。いつまでも冷たい箱の中に入れっぱなしにして……たまるか」

 稲本が発する力強い言葉。勇刀は言葉に反応するように、下唇をグッと噛んだ。

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