2ー2 コールドケース(2)
『発見当時、市川警部補は目隠しをされた状態で倒伏。自らの手錠により両手は後手に拘束された状態にあった。意識は不明。上半身の着衣は乱れ、主に腹部を中心に二十五箇所の刺傷痕と左胸部に一箇所の火傷痕。両腕には防御創と、思われる裂傷が合計十三箇所。発見時、微弱ながらもバイタルが確認できたため、直ちに緊急搬送される。
市川警部補の二メートル三十センチ窓側には、同じく両手を手錠で後手に拘束された状態の霜村警部補が倒伏。胸部を中心に五箇所の被弾痕あり。現場には市川警部補が携行していた拳銃と、装填されていた銃弾五発分の薬莢が散乱。霜村警部補の体内に残されていた五発の銃弾の線条痕は、市川警部補の拳銃のものと一致した。当該犯人は市川警部補から拳銃を奪うと霜村警部補に発砲、殺害したと思料される。
搬送から三日経過の十月十三日。市川警部補の意識が回復。直後の調書については、市川警部補の記憶錯誤及び精神混乱等、心身ともに不安定であったため聴取は困難と判断した。
十月十五日、容態が安定した市川警部補から事情聴取再開。
通報があり、霜村警部補と現場臨場した市川警部補は、通報があった建物に到着後、突然背後から襲われた。この時、市川警部補は霜村警部補の安否について確認はしていない。
目を覚ました市川警部補は、自らの手錠で拘束されていることを認識。この時少し離れたところで、同じく拘束された霜村警部補が黒い服を着た男と言い争いをしていたのを記憶している。しかし、市川警部補による記憶はそこから曖昧、時折情緒不安定の兆候が見られたことから、十月二十日、市川警部補の事情聴取を終了とした』
コンコン--。
突然にドアが軽い音を響かせ、没頭していた勇刀はハッとして顔を上げた。
(もう、一時間か……)
読み込んだファイルをそっと閉じた。眺めていた証拠品を段ボールに入れると、勇刀はディバッグを背負い、疲れなど感じさせない動きでドアを開ける。
「ありがとう、稲本。助かったよ」
「……合コン、忘れんなよ」
「忘れるわけないじゃん! また連絡するから、期待してまってろって!」
「言ったからな、本当だからな、絶対忘れんなよ」
「はいはーい! んじゃ。またな、稲本」
「……忘れんなよ、緒方」
じっとりと湿った眼差しで勇刀と見る稲本に、勇刀は手を振るとその部屋の重たい鉄扉を開けた。
(思ったより、ハードな……)
ガチャンと、鉄扉が閉まる重たい音を聞きながら、勇刀は頭を掻いた。変わってる、とみんなが言っていた市川警部の隠れた真実。市川の秘密を仕舞い込んでいたコールドケースは、勇刀が思っていた以上に冷たく重いものだった。ある程度は覚悟はしていたものの、市川の過去に触れたことに、勇刀は戸惑いを隠せないでいた。
足元に纏わりつくひんやりとした空気。勇刀は思わず空を見上げた。明るい太陽が支配していた空が、いつの間にか星が瞬く夜空にかわっている。
「……なぁ、父さんなら。どうする?」
星空を見上げ、小さな声で呟いたその時。
〝勇気を持て、刀のように感覚を研ぎ澄ませ〟
と言う父の声が聞こえた気がして、勇刀は目を閉じて深く深呼吸をした。
勇刀の記憶は、いつも同じところから再生される。
幼稚園の送迎バスが家の前で止まると、幼い勇刀は大声で「お父さーん!」と叫んで手を振った。その声に制服に身を包んだ警察官が破顔一笑で手を振って答える。山間の長閑な駐在所。警察官の誇りと使命感である制服は、幼い勇刀にとても眩しくうつった。制服姿の父は、駆け寄る勇刀を軽々しと抱き上げる。父の記憶を遡ると、真っ先に思い出すその時間は勇刀にとって、一番好きな瞬間なのかもしれない。
勇刀の父は警察官であった。今でこそ捜査部門でやっていこうと決めた勇刀だが、本当は父と同じ、交番や駐在所で勤務する地域警察官を目指していた。勇刀にとって警察官と言えば父で、憧れや尊敬も全て父親しかない。それは勇刀が物心つくころから現在まで変わらないのだが、尊敬してやまない父は、今はいない。いるとしたら先刻迄、勇刀がいたあの部屋。特別専従捜査室のどこか。四隅の潰れた段ボールの中にいるはずだ。
十五年前、国賓来県により、駐在所勤務の父までもが招集された警衛警護。そこで起こったのは、不幸な無差別爆破事件--爆破テロだった。爆発物の作りは小さく小規模だったものの、人一人をこの世から消し去るには十分な威力。
--緒方勇海警部、殉職。
爆発物を発見、撤去しようと父が手をのばした矢先の爆発。勇刀の父はこの爆発により、この世から一瞬で消し去ってしまった。遺骨のかけらすら残さずに。父がその時身につけていた物は、全て。コールドケースに保管されている。そのため勇刀の手元には父に関する物がない。警察官だった父の最後の記憶を含む物は、十五年経過した今でも、冷たいあの箱の中で眠っているのだ。
刑事部門の特別研修生を希望したのは、父親の死の真相に近づきたかったから。犯人を見つけて、自分の手で父親をコールドケースから出してあげたいと思ったからだ。
耳元に囁くようにかかる涼しい風。その風はまるで幼い頃、笑いながら勇刀を抱きしめた父親の感覚に近くて。勇刀は、息を吐きながら目を開けた。
「勇気を持て、刀のように感覚を研ぎ澄ませ--か」
我ながら単純だな、と苦笑いする。勇刀の重かった心は、なんだか晴れやかな気分になっていた。
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