雷の軍神

 そいつはある日突然、ラドガ湖のほとりの戦場に姿を現した。そこはこの冬戦争でも最大の激戦地で、フィンランド軍が鉄壁の防衛線を敷いており、ロシア人どもはその場所を「殺戮の丘」と呼んで恐れた。


 それでもロシア人どもは遮二無二突貫を繰り返してきて、フィンランド軍の犠牲も多大なものがあった。そのような場所に、突如として、やつは現れたのだ。


 筋骨隆々の大男だった。そして、ものすごく時代錯誤な鎧を身に着けていた。その上、戦場で名乗りを上げた。


「我が名はトール! オーディンの子、トールである! 義によって助太刀至す!」


 いくら彼らが信仰されなくなって長い年月が経つとはいえこの土地でアスガルドの軍神トールの名を知らぬ者など居はしない。ロシア側にもその名を知る者は多くいたろう。だが、これだけならただの狂人の所業で片づけることもできた。しかし、次に起こったことが本当に問題であった。そいつが手に持った巨大なハンマーを振るうと、そこから雷霆らいていが撃ち放たれ、そして近くにいたロシア側の戦車が一台、吹っ飛んだのである。


 こうなると、なんであれこいつが神なのか狂人なのかなどということはもはや問題ではない。ロシア人どもはそいつに武器を向けた。だが、一発の弾丸もその身を傷つけることはなく、男はひとりで大暴れしてロシア兵たちを撤退に追い込んでしまった。自称トールは呵々大笑し、スオミの兵士たちはまだあっけに取られている。


 それでも三日も経つうちには、我が軍には色々な情報が集まっていた。そいつがミョルニルという名であると説明するハンマーは、彼以外の誰も持ち上げることができなかった。人間だけでなく、例えばトラックの荷台に乗せるとトラックは自走不能の状態に陥った。ペテンとか、何らかのからくりであると考えるには念が入りすぎているし、またあまりにもそれらの現象は神秘的であり過ぎた。つまり、彼が本当に神話のトール神であるかはともかく、事実上の問題として神と呼ぶしかない何者かであることは疑いがなかった。


 もっともだからといって彼は歓迎されなかった。フィンランド軍の側に助勢する意思を持っているのは結構だが、彼は軍人でも兵でも将でもなく、またスオミの軍隊は今さら、投げれば必ず手元に戻ってくる不思議なハンマーを持った英雄を必要としてはいなかった。その上、実に困ったことに彼は神話の性格そのままにどうしようもない乱暴者で、大酒呑みで、短気な暴れん坊であった。


 三日後、酔っ払った彼がちょいとばかり暴れたがためにフィンランド軍の兵士に十数名の死傷者が出るに及び、ついに現地の司令官から密命が下された。あの自称トールを抹殺せよ、と。密命を下されたのはこの私である。


「どうだ、ヘイへ。撃てるか?」


 直属上官のユーティライネン中尉に問われ、私は答えた。


「撃てますよ。ただ、死ぬのかなって思ってます」


 本物のトール神なら、そして神話伝承を信じるなら、彼は神々の黄昏の至る時ヨルムンガンドと戦い相打ちになって滅びるはずだった。ということは、それまでは死なないということになっているのだろう。


 だが、私は奴を撃たなければならない。祖国のために、そしておそらくは、この時代と世界に生きる人類を代表する者として。


 彼は英雄で、勇敢で、そして神であるかもしれないが、であるからこそ、死んで貰わなければならないのである。

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