39. 安住をどうぞ

 ふっと警報音が止んだ。しばらくの間、誰も口を開かずにいた。発するべき言葉を見つけられずにいた、としたほうが適切だろうか。

 やがて、気を取り直したみことが「申し訳ございません」と深く頭を下げると、嗣形は力なく首を横に振り、ぽつぽつと事情を語り始めた。

 幼い頃から家族でよくこのペンションへ泊まりに来ていた奈津は、数年前、当時交際していた恋人を連れ、二泊三日の旅程でここを訪れたのだそうだ。彼らは将来を誓い合った仲だった。しかし滞在中、あることがきっかけで喧嘩になり、それがエスカレートして奈津は彼女の首を絞めてしまった。不幸中の幸いというべきか、彼女が死に至る前に我に返った奈津は自ら救急車を呼んだため、彼女は無事に回復し示談で済むこととなった。しかし、問題はこの後だった。ペンションに救急車やらパトカーやらがやってきたのを見ていた近隣住民たちが、いったい何があったのかと執拗に嗅ぎ回り、奈津が殺人未遂を起こしたことを知ったのだ。この話はすぐさま近所中に広まり、伝聞が悪評を呼び、嗣形はペンションを休業とせざるを得ない状況に追い込まれた。そのうえ、奈津はというと、示談金の支払いの都合で両親との関係が悪化した末、ほとんど絶縁状態となり帰るあてを失ってしまったのだった。

「——それで、私がここに住むよう勧めたんです。どんな事件を起こしても、私にとってはかわいい甥ですし、それに……そもそもの喧嘩の原因は、相手方の浮気でしたから……」

 そう語る嗣形の後ろで、奈津は黙ったままぼうっと突っ立っている。顔こそ沿島たちのほうを向いてはいるが、その目はやはりどこへも焦点を合わせていないようだ。その姿を眺めるうち、沿島はふと例のポスターに感じていた奇妙さの理由に思い至った。そうだ。あのポスターはおかしかった。記載された情報も写真も、被写体の関係者が作成したものにしてはあまりに精度が低すぎた。

「あの、それじゃあ、この辺りに貼り出されてるポスターって……」

 沿島の言葉を聞き、嗣形は苦々しい表情になる。

「『さがしています』のポスターですか。まだあるんですね。見つけるたびに剥がしてはいるんですが」

 そして彼は長いため息をついた。その顔には疲れと諦めがありありと表れていた。

「近所の誰かが貼っているんですよ。奈津のことをやなにかだと思って、指名手配犯を捜すような気にでもなっているんじゃないですかね。まったく、たまったもんじゃない」

 沿島たちは言葉もなくただ嗣形と奈津を見つめる。嗣形は何かを堪えるようにしてわずかに笑ってみせた。

「……まあ、貼っている人の気がわからないわけじゃあないです。きっとここらの治安を守りたいんでしょうから」

 そんなこと、と思わず声をあげた沿島だったが、嗣形は柔和な仕草でそれを遮る。そして壁にかかった時計を見やり、朝食を用意してきますね、と言ってすぐに部屋を出ていった。何か返事をする間もなかった。奈津も踵を返して去っていった。彼が一度も言葉を発さなかったことに沿島が気づいたのは、それからだいぶ経った後だった。

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