31 2対2のスコアレスドローに

 旅行から戻った僕たちは、サッカー男子ベスト4進出でメダルの期待がかかるなど、世間が東京五輪で盛り上がる中、連日の特訓を行っていた。時間はたっぷりある。他のメンバーも学校は夏休みだったり、同じ日数分の有給を取ったりしていたので、多くが顔を揃え練習にも熱が入った。

 夕方は僕の家でミーティング。戦術の確認と対戦相手の研究。ほとんど泊まり込みで合宿状態。旅行後、一度家に顔を出しただけで、あとはずっと一緒というメンバーも多い。栗岡はその最たる例だった。そう言えば栗岡は旅行から帰って以来、いつもの元気がない。顔を合わせても俯いてモジモジしてばかり。便秘だろうか?


 8月10日。月曜日。祝日。曇り。この日の最高気温は35度まで上がった。5回戦を勝ち抜いた14チームに、いよいよ日本のトップであるJ1勢18チームが加わり、参加チームが出揃った。この先再抽選はない。合計32チームによる一発勝負の決勝トーナメント戦が行われる。

 僕たちの6回戦、ベスト32の対戦相手は相模原パライバトルマリン。今年新加入したばかりの大卒ルーキー生駒いこま矢田部やたべの活躍もあり、ここまでリーグ戦は好調。上位につけている強豪だ。ただ、チームの原動力になった二人は五輪サッカーの試合が終わったばかりなので今日の試合には出場しない。リーグ戦再開も近く、その他主力メンバーも大半が欠場している。チームキャプテンで守備の要でもあるDFの山鼻やまはな以外、全員2軍メンバーである。対する僕たちキュー武のスタメンは以下の通り。


  玲人  真壁

 田所    與範

  葉鳥  伊良部

凡平      海老沢

  蔵島  医師

    野心


サブ:FW 古賀 MF 市原 DF 佐藤 上野 野元 GK 中条

マネージャー:栗岡りんね


 右サイドバックの佐藤は、度重なる問題発言によりスタメンから外した。代わって入ったのは、上野ではなく椋也。彼の真面目な練習ぶりや、佐藤とは真逆の謙虚な態度を見て、キャプテンがスタメンに抜擢した。結果的に、これは大失敗に終わる。

 公式戦に出場するのは初めての椋也。強心臓の持ち主だが、さすがに技術が追い付いていない。椋也のサイドを狙われ、再三の突破を許してしまう。伊良部と医師がカバーに入るが、代わりに空けてしまった中央のスペースを使われて、早い時間で2失点。控え組中心とはいえ、トップリーグの上位チームである。全員レベルが高かった。

 さしもの椋也も本番のプレッシャーと、強豪相手の立ち回りで疲労困憊となり、前半で体力の限界。後半頭から上野が出場した。すると、後半その上野が流れを変える。やや強引な突破から中央に折り返すと、クリアが小さくなったところを拾った田所がミドルで1点を返す。更に良いリズムで攻撃を仕掛け、得た左からのCK。医師が競り勝って放ったヘディングシュート、GKが何とか弾いたこぼれ球に、最後は玲人が詰めて同点に追い付いた。

 最後まで激しく攻め立てたものの、その後得点は動かず、試合終了のホイッスルが鳴った。2-2のスコアレスドローになった。


 ……2 対 2 の ス コ ア レ ス ド ロ ー で あ る。


 天皇杯の準決勝、決勝まで行けば延長戦があるが、この試合は延長なし、即PK戦に突入。先攻はキュー武。與範、医師、玲人。順調に決めていくが、4人目のキャプテンが止められてしまう。対する相模原は4人目まで全員が成功。今日は野心が全く当たっていなかった。全て逆を突かれた。5人目、野心がキッカーに立つ。GKに読まれたが、その手が全く届かないパワフルなショットを右隅に叩き込んだ。そして迎えた5人目。これを止めなければ敗退が決まる。


(……頼む!)


 額の前で両手を組んで、ギュッと目を瞑った。ワアーッという大歓声。


(決まっちゃったか……)


 恐る恐る目を開けると、野心がボールを右脇に抱えて立ち上がるところだった。止めたのか? 決まったボールを拾っただけか? 一瞬判断がつかなかった。しかし、6人目のキッカーである田所がボールを持ってポイントに向かうのを見て、野心がセーブしたのだと確信した。ゴールの向こう側で僕たちの方にガッツポーズをしてみせた。……しかし。次のキッカー田所も外してしまう。この大観衆のプレッシャーに負けてしまったか。正確なキックが持ち味のチームの司令塔が、まさか枠を捉えきれないとは……


 再び、決められたら終わりという場面。僕はゲンを担ぎ、もう一度祈るように目を瞑った。頭が真っ白で、もう何も分からない。そっと肩を叩かれ、目を開けると、またしても野心がガッツポーズで「止めたぞ」と、知らせてくれる。


「お前の番だぞ」

「あ、ああ……」

「大丈夫かよ?」


 医師の不安そうな顔が視界に入る。審判から受け取ったボールを手にして、ペナルティスポットまで歩く。僅かな距離が遠い。フルマラソンのゴールを目指すかのようだ。眩暈がする。気持ち悪い。足が重い。鉛の鉄球が足首に付いているのではないか。もはや何が何だか分からなくなった。そこから先は、何一つ覚えていない。

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