エロ本から始まる神話大戦

マイケル・フランクリン

第一章 偽勇者の命を越えて

第1話 エロ本は捨てるなよ 1

 早朝。

 大平勇はいじめっ子の黒木武を殺して死のうと考えた。

 精神を殺されるほど尊厳を踏みにじられてきたからだ。どうすればよいか考える。       

 部屋は非常に乱れている。

 アダルトな本やグッズや使用済みのティッシュ、

 読みかけの漫画が散らばっていたのである。

 引き籠りの高校生の典型的な部屋の様相だろう。


「こんなもの片づける奴なんていないと思うけどな」

 自分を育ててくれている親戚は勇に全く興味を持っていない。

 死後、アダルトな本やグッズを見つけられるのは嫌だと思ったのでそれらをまとめて近くの山へと出掛けて行った。

 大きな登山用鞄を背負った彼の風体は、

 事情を知らない人間が見れば殺人と自殺を考えているようには見えないだろう。


 町はまだ闇に包まれていた。

 その闇は心の弱った勇にとってかえって心地よい穴蔵のような機能をしていた。

 そのため早く登って準備をしようと活動的なことを考えることが出来た。

 引き籠り生活で衰えた身体を引きずるように動かして山まで辿り着いた。

 山の中腹の辺りで鞄の中から件のものを取り出し、茂みに隠した。


「そう。問題はこれだけなんだ」

 勇は安堵したように呟いた。PCの中のデータは全て消したし、検索履歴も消した。早々探られることはないだろう。

 生きていて一番清々しい朝だなと自嘲気味に考えていた。

「黒木との件はけじめを付けなきゃな」

 背中には荷物の重みは無くなったが、人を殺めた後自分の命も終わらせることの

 精神的な重圧というものはしっかりと感ぜられた。

 額から噴く汗を拭いながら山を降りおうとした。

 その時、彼の視界の端にシルバーのロングヘアーがたなびくのがちらりと見えたのである。

 もう一度勇は素早く振り返った。

 すると、さっき見た女性がこの世のものとは思えない鬼の形相で怒っているのが見えた。

 あんな美人がそんなカンカンになって怒る筈がないよな。

 そう思った勇はそれを無視して帰ろうとする。

「ちょっとお待ちなさい」

「へっ? 声が聞こえる?」

 幻聴までも聞こえた。

 とうとうここまで来てしまったか。心労が見せた幻覚は、美人に叱責されるか。良いものなのか、悪いものなのか、とうとう分からない。

「そうです。私はあなたに話しかけているのですよ。大平勇君」

「その。俺なんかに何の用でしょうか? 俺は何の特技も取り柄もない

男子高校生ですよ」

「性欲が旺盛な、ですね」

「ええ……」


 最後にこの世の女性とは思えない程に美しい女性を見た。麗しい髪に、サファイアの瞳、凛とした顔貌、スレンダーなボディ。

 漫画とかアニメから抜け出してきたとか、俗的な美しさではなくて……

 勇の中で彼女の綺麗さを正しく測ることが出来なかった。

「ふふ。面白い人ですね」

「えっ……すっ、すみません。ずっと顔の方を見てしまっていて」

 恥ずかしくて、顔が熱くなった。顔が赤くなっているんだろうなと

 想像すると益々恥ずかしくなっていく。

「いえ、そうじゃなくて。これから死ぬだけじゃなくて、

人殺しをしようとしているように見えなくて。

なんか、普通の男の子だなって思って」

 女性は楽し気に笑っている。


 だが、その一方で勇は冷や汗をダラダラかいていた。

 なんでだ。彼女には虐められていることのいの字すら話していないのに。

 心でも読んだのか? 

 馬鹿な。そんなファンタジーがあるわけがない。

「いえ。あるんですよ。そういうファンタジーが」

「えっ? あの。その、僕って、考えていることとか顔に出ています?」

「私、心が読めるんですよ。神様なので」

「えっ? 神様? 僕はまだ生きていますよ」

「ここは黄泉の世界ではありませんよ」

「じゃあ、神様はなんでこんなド田舎の何の御利益もない山に

いらっしゃったんですか?」

 それを聞いた女性は、またもや鬼の形相になった。

 怒りのツボが分からずにいた勇は顔を青くして、この場を切り抜けることを考えた。しかし、全く思い付かない。なにせ、怒りのツボというのが分からないのだから仕方がない。

「私はこの伊十尾山の神です」

「えっ? この山の神様なんですか?」

 自分の住んでいる場所を怒られたら怒るのは当然か。

 と勇は納得した後、

「すみませんでした。神様。本当に失礼いたしました。なので、死後の得点を低くすることだけは勘弁してください」

 と言って速攻土下座をした。

「本当に面白い人ですね。

まぁ、あなたの惨めさに免じて少しだけ許してあげましょう」

「ありがとうございます神様」

 ひとまず穏便に済んで良かった。勇は安堵した。

「その。私、大平勇は大事な用があるので失礼いたします」

「いや。私としては自殺はともかくとして、他殺は勘弁して欲しいんですよ」

 俺は死んでもいいのかよ。

「だって、あなたはこの山にエッチぃものを捨てて行こうとしましたからね。そんな奴の命なんて正直どうでもいいです」

「自分ちにエログッズ捨てようとしている奴のことなんてどうでもいいですよね。あはは」

「ふぅ……そう卑屈になられるとなんか嫌ですね」

「なんか、人に対して強く言い返してやろうっていう気になれなくて。疲れてしまったんですよ」


「自己主張を積極的にしていけばよかったのではないのですか?」

 そう言われたが、勇は首を横に振る。

「でも。最後に神様と話せて良かったと思います。ではこれで失礼いたします」

「いやいや。人は殺させませんって。人には死ぬべき時があるのです。それをむやみに狂わせるのは神様サイドから見て非常に迷惑ですから」

「いや。神様。これだけは邪魔しないでください。俺はあいつに心を殺されているんです。それとも神様は心が殺されることは、関係ないとでもいうつもりですか」

「心の死というものは非常に深刻なものです。ですが、それが人を殺めてもいい理由になりません」

「正論ですね。けど、正論を考える余裕なんて俺にはないんですよ」

 頭の中にあるのは、黒木を殺して俺も死ぬ。屈辱の人生に決着を付けることであった。


 勇の頑なな態度を見た女神は溜息を吐きながら言う。

「死にますよ、彼」

「はぁ? 黒木がですか?」

「はい。彼は大木勝にナイフで刺されて死にます」

「えっ? なんで大木が?」

 大木は黒木の虐めを傍観していた同級生である。彼が黒木に付き従うことはともかくとして、殺すことなんてあり得ない。

「あなたと同じように自殺しようと考えています。でも、彼は自殺することを躊躇ってしまいます」

「そんな……」

 勇は歩みを止めた。

 最後に誰かのためにしてやりたいという感情が芽生えたのである。

 大木は黒木に脅されて俺を見捨てざるを得なくなったのだ。

 同じ立場だったらきっと大木を見捨てていたはずだ。

「なので黒木を殺すっていう目的は果たされますよ」

「そんなふざけたことをさせられるわけないでしょう。俺、大木のことを止めてきます」

「人には死ぬべきタイミングがあるのです。黒木武は大木勝に殺される、それが運命なのです」

「あんな屑のために、あいつまで犯罪者になる必要ないでしょう」

「人間の尺度で考えないで下さい」

「俺は人間なんだよ。人間の尺度で考えるに決まってるでしょうが」


「分かりました。しかし条件があります」

「条件?」

「俺が地獄に行けばいいということですか?」

 女神は首を横に振る。

「いえ。異世界に転生して魔王を倒してください」

「えっ?」

 そんなファンタジーなことを言われても困ると勇は思った。


「これが条件です。それを飲めないなら大木勝は黒木武を殺した罪を一生背負っていくことになるでしょう」

 死にたがりには荷が重い。けど、友達が人殺しになるのは放っておけない。

「分かりました。異世界に行くんで、俺にあいつを説得させてください」

「神の啓示として、山に来るように導かせましょう」

 女神はなにかの言葉をブツブツと唱えている。言葉を唱え終わると、女神の身体が神々しい輝きを放ち始める。

「時期に来ます」

「ええ」

 大木が来るまで時間を潰した。


 大木は何も持たずに、山の中腹まで登ってきた。それを見計らい、勇は静かに彼の前に立った。大木は痩せたちびの丸顔の男で、眼鏡を掛けている。かっこいいとも可愛いとも言えない平凡な顔面であるが、自分が唯一気心を許せる友だったのだ。

「よぅ。大木」

「大平。なんでこんな所に」

「山があるから登ったんだよ」

「この山から見る日の出は綺麗なんだよ」

「そのためにわざわざ来るとか殊勝だな」

「えっ? 大平も日の出を見に来たんじゃないの」

「あっ、まぁな……」

「なら、頂上まで行こうよ」

「おお」

 勇と大木は言葉を活発的に交わさずに、黙々と頂上を目指した。

 暗かった街は太陽が昇り始めたことで少し明るくなり始めている。冷えたばかりの空気に、ほんの少し温かみが含んできたかのような錯覚を覚えた。二人は言葉もなく、出始めた太陽を見つめていた。


「ねぇ、大平」

「あん? どうした、大木」

「ううん……なんでもない。気にしないで」

 勇は大木がこれから黒木を殺そうとしていることを打ち明けるつもりかと思い、

「お前。何やるつもりだ?」

「えっ? どうしたのいきなり?」

「殺すつもりだろ。黒木のこと」

 大木は一瞬はっとしたが、すぐにそれを認める。

「うん」

「なんでそんなことをしようと思ったんだ? 俺は現在進行形で

虐められてきたから分かるけど、お前があいつを殺す必要はないじゃないか」

「僕は虐められてないよ。けど、君は虐められてるじゃないか」

「だから、お前自身は傷ついていないだろうが」

「友達を放っておいた自分に腹が立つんだ。あの時、僕が君を庇えていれば、君はあんなに傷ついていなかった。それを考えただけで……」

 大木の眼からは大粒の涙が落ちていた。

 それを見た勇はどういう風に声を掛ければいいのか一瞬考えを巡らせた後、

 彼を抱きしめた。

「すまん。お前もこんなに苦しんでたんだな」

「僕に出来た初めての友達なんだ」

「そうか……お前の初めての友達になれて嬉しいよ」

 大木は内気が災いして上手く友達を作ることが出来ていなかった。

 俺を見捨てたもんだから何も思っていないと思っていたけど、そのことに苦しんでいたんだな。勇は捨てた世界じゃないのかもしれないなと一瞬思った。

「大木。なら、猶更だ。俺はお前に人殺しをして欲しいなんて思ってない。

それに無理して黒木に立ち向かわなくてもいい。

俺のことをひっそり友達だと思ってくれればいい。

俺はお前の気持ちが知れただけで報われた気分だからよ」

「大平はやっぱり優しいね」

「名字で呼ぶの止めようぜ。俺達は友達なんだからよ」

 大木は勇の言葉に嬉しそうに頷いた後、

「分かったよ。勇」

 と返した。


「おう」

「じゃあ。また学校でな」

「うん。じゃあ、また学校で」

 勝は凄く嬉しそうに、山を降りていった。勇はそれを見送った後、太陽が昇っていくのを眺めていた。

「終わりよければ全てよしってか」

 苦笑しながら独り言を呟いた。


「お疲れ様です。大平勇」

「あいつの運命は変わりましたか?」

「禁則事項なので言えません」

「そうですか。まぁ、死ぬ前にあいつの気持ちを知れて良かったですよ。本当に」

「では、早速転生の儀を執り行います」

 と女神が言うと、またもや聞きなれない言葉を唱えている。魔法のようであった。眩い輝きを放つ六芒星の魔法陣が勇の周りに描かれていく。

 それが完成するとより一層輝きが強くなっていく。

 とうとう転生するのか。


「女神様。名前を教えていただけませんか?」

「そういえば名乗っていませんでしたね。私は伊十尾山の女神セレーナです」

「うちの山の女神は舶来ものだった!」

「ちょっ。その言い方は止めてください」

「はははは……セレーナ様。最後に勝と話をさせてくれてありがとうございます。これで俺は心置きなく、異世界転生することが出来ます」

「そうですか。それは良かったです」

 うん? いや、心残りはあるぞ。

「あのっ、セレーナ様。チーっ」

 言い切る前に魔法陣が発動した。

 勇は魔法陣の放つ眩い輝きに飲み込まれていった。

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