第8章 『一年半前に消えた如月妖子の行方』 全25話。その5。

        5 一年半前に消えた如月妖子の行方。



「ここが二泊三日ほど宿泊する山荘のホテルか。まるで石造りで出来た大きな掘っ建て小屋と言った感じの所だな」



 山頂にあるロープウェイ乗り場から凡そ百メートルほど先にある山荘のホテルに辿り着いた勘太郎は、外壁の壁がごつい石造りで作られたその大きな建屋を見る。


 白い雪にさらされながらも堂々と聳え立つその圧巻ぶりはこの過酷な山頂を訪れた人達を安心させ、やっと一息付ける事に心の底から喜びを与える、そんな希望の拠点だ。


 まるで石造りの要塞を思わせるそのホテルは三階建てになっており、如月栄子の話では各階を合わせて六十部屋しかないホテルとの事だが、その少ない部屋数からしてホテルとは名ばかりの古びた山荘とも受け取れる。そんな古びた山荘のホテルを見つめながら勘太郎は取りあえずは中に入ってこれから泊まる自分の部屋を早く確認したいという期待と不安で心を弾ませる。

 長い時間車に揺られロープウェイでここまで来た事もあり、取りあえずは山荘ホテルの中で一息つきたいと思っているからだ。


 勘太郎はまるで古い校舎のような建屋に近づきながらも雪道を歩いてきた山道を改めて見る。


 ここまで来る途中に明らかに人の手で雪かきされた道が綺麗に慣らされているので、この日の為に何日も前からこの山荘のホテルに滞在している管理人の存在を間接的に確認する。

 外から来た客人の為に影ながらに働く他の従業員の存在を知っただけでもその心に安心感が灯る。

 そんな事を考えながら勘太郎は先頭を歩く登山サークルの部員達に着いていき、その重そうな引き戸を開ける如月栄子を静かに見守る。


 ガラガラガラガラ!


「すいません、管理人さんはいますか。今日から二泊三日でこの山荘のホテルに泊まる事になっている者ですが、中に入ってもよろしいでしょうか!」


 その如月栄子の声に奥の廊下から出て来た管理人らしき中年の男性が慌てて受け付けカウンターの中へと入る。


「あ、今回当ホテルに予約をしている如月栄子さんとその一行さんですか。全部で十二人のお客さんですよね。ようこそ、当ホテルにお越し下さいました。ちゃんとお部屋を用意してお待ちしていましたよ!」


 その感じの良さそうな管理人のおじさんは笑顔で頭を下げると、手に持つ宿泊名簿を取り出す。


「ではここに一人ずつお名前と住所と電話番号を記載して下さい。もしも何かが遭った時に必要となるので」


「分かりました。サインをすればいいのね」


 その管理人の言葉に素直に従ったその場にいる人達は皆一人ずつ自分の名前を書き始める。勿論それはその場にいる勘太郎と羊野も例外ではない。


 各々が管理人に言われるがままに宿泊名簿に自分のサインをする。


「みんな書きました。これでいいですか」


「はい、ありがとう御座います。あ、申し遅れました、私はこの山荘のホテルの管理を任されている、雇われ管理人の小林と言う者です。皆さんにお出しする料理の提供やホテルの管理を全て任されていますので何かありましたら何でも言って下さい。二泊三日という短い時間ではありますが、皆さんの疲れと冷えた体を癒やす為のバックアップをさせて貰いますので、どうぞよろしくお願いします。夜のお食事は十九時にこの山荘ホテルの三階の食堂で行いますので、それまでは各々の時間を過ごして下さい。あ、後、当ホテルには自慢の温泉がありますから良かったら入って冷え切った体を暖めて下さい。内の温泉は深い地下にある源泉から直接汲み上げていますから本物の温泉が楽しめますよ」


「温泉か、いいですね。外は天気とは言え外気温は地獄のように寒かったから、体を真まで温める事の出来る温泉は正直ありがたいですね。よし、そう言う事なら我々も各部屋に荷物を置いたら先ずは温泉に入って一息つきますか!」


 その勘太郎の提案を如月栄子はあっさりと拒否する。


「いいえ、各部屋に荷物を置いたら先ずは大石学部長の言っていた、ウチの妹が立ち寄りそうな所をしらみつぶしに探して行くわよ。先ずはこのホテルから500メートルくらいにあるという廃別荘がある所まで行きましょう。昔はどこぞの金持ちが狩りの為の休息場所として使用していた別荘らしいけど、今は誰にも使われていない廃屋になっているとの話よ」


(えぇぇぇぇ、は、廃屋か。外は雪で物凄く寒いのに、わざわざそんな所まで行きたくはないぜ!)と思いながら勘太郎は、自分の意見に賛同してくれそうな味方を探そうとその視線を隣にいる羊野や登山サークルの部員達に向ける。だがそんな部員達も妹の如月妖子の捜索に来ている為か、初日から姉の如月栄子の頼みを断るつもりはないようだ。


 大石学部長は部員を代表して自分達の考えを述べる。


「分かりました。では俺達も荷物を置き次第そちらに向かいますから、三階の食堂フロアで待ち合わせをする事にしましょう。この山頂を捜索するに辺り、まずは細かな説明は必要でしょうからね」


「分かりました、各部屋で準備を整えたら皆さんは三階の食堂フロアに来て下さい。私も直ぐに行きますから」


「黒鉄さんに羊野さんも、それでいいですね」


「は、はい、みんながそれでいいのなら……それに従います」


「私も別に構いませんわ」


「では皆さん、管理人の小林さんから部屋の鍵を受け取り次第、各々の部屋に言って下さい。では三階でお待ちしていますね」


 如月栄子のその言葉を聞いた登山サークルの部員達は皆自分の部屋の鍵を管理人の小林から順番に受け取ると、木製の古めかしい廊下を歩きながら二階へ続く階段へとあがって行く。


「よし、じゃ俺達も行くか、羊野」


「そうですわね」


 仕方が無いとばかりに自分の部屋の鍵を管理人から受け取った勘太郎は、歩く度に木製の床がギシギシと軋む音を聞きながら山荘ホテルの内部の構造に目をやる。


 山荘のホテル内は昭和初期の古い学校を思わせるそんなレトロな作りになっていて、ちょっとした不気味さすら感じる。

 更に少し進んだ左側には小さな売店があり、土産物や食料品、そしてアウトドアに関する雑誌などが売られている。その隣には続いてコインランドリーやトイレが連なり、洗濯や突然の生理現象にも対応している。


「売店があるのか、後で何か買いに来ようかな」


 そんな事を呟きながら勘太郎はこの建屋の真ん中付近にある二階に続く階段へと差し掛かる。


「丁度このホテルの中央に二階に上がる階段があるのか。そしてその階段を挟んだ奥側の各部屋は全てが一階の客室のようだな。両側を合わせて約十部屋ほどの部屋があるのか」


 勘太郎は階段から奥に続く各部屋の大体の数を数えながら一階フロアにある部屋の数を把握する。


 そんな一階フロアの宿泊者には管理人の小林の部屋や依頼人の如月栄子の部屋が割り当てられているようだが、勘太郎や羊野の部屋は登山サークルの部員達と同じように二階のフロアにあるようだ。


「では私も荷物を置き次第三階の食堂に向かいますから、お二人も早めに来て下さいね」


 階段を登る勘太郎と羊野に後ろから言葉を掛けた如月栄子は笑顔を向けながらそそくさと一階にある自分の部屋へと歩いて行く。


 このホテルの内部を少し歩いて分かった事だが、この山荘ホテルの内部はちょっとした学校のような作りになっていて、長方形の形をした建屋のようだ。


 断崖絶壁があるロープウェイ乗り場の方角から見て、ホテルの端の左側が入り口で、右側に長く伸びている。そして建屋の真ん中にある一階の階段から三階まで登ると遙か上空にある山の先端が見え、その山の下には広大な森やかつては別荘だった廃屋が遙か遠くにうっすらと確認する事ができる。

 そしてこの山頂に降り積もる白銀の白い世界がこの山だけでは無く外の世界全てをまるで覆い隠しているかのようだ。

 つまり悠然とそびえ立つ山の方角にホテルの階段があるので、三階にある大窓からは広大な山の景色が一望出来るのだ。

 そんな雄大な景色を早くみたいが為に、勘太郎は二階にある宿泊フロアに辿り着く。


「この二階のフロアが、俺達の部屋のある共同スペースか。それじゃ俺達ももうちょっとマシな冬服に着替えて来るか」


「分かりましたわ、黒鉄さん」


 勘太郎と羊野は更に分厚い冬用の登山ウエアに着替える為、各部屋へと入っていく。



            *



 その十分後。


「遅れて申し訳ありません!」


 階段を駆け上がりながら急いで三階にある食堂フロアに入って来た勘太郎に如月栄子は「大丈夫ですよ、今丁度私も来た所ですから」と言いながら優しげな笑顔を向ける。

 そんな如月栄子の言葉に安堵の息を吐いた勘太郎はもう既に木製のテーブルに付いている羊野の横へと近づき、その隣にある椅子へと座る。


「羊野、お前、早く着替えたんなら一声くらい掛けてからいけよ。当然お前が迎えに来ると思ってちょっとだけゆっくりしてしまったじゃないか」


「私は黒鉄さんがもう既に三階に来ている物と思い、早めに来てしまっただけの事ですわ。どうやら考えがすれ違ってしまったようですわね」


「いや、嘘だな。お前、俺がまだ部屋にいるのを知ってて、ワザと俺を置いてここに来たな」


「フフフフ、またそんな被害妄想を……相変わらず黒鉄さんは根暗で……疑心暗鬼が強くて……そして考え過ぎですわね」


「どうだかな……そんな事よりも登山サークルの部員達はもうみんなこの場に来ているようだな」


 勘太郎はこの食堂フロアにもう既に来ている人達を一人一人観察すると、この捜索に参加をしようとしている大学の登山サークルの人達の人間関係やその性格が何となく見えてくるのを感じてしまう。

 そんななんとも言えない居心地の悪さを感じながら登山サークルの部員達の行動を何となく目で探る。


 大学の四年生でこの登山サークルの部長でもある大石学は、一年半前にこの山頂で行方不明となった妹の如月妖子の消失に責任を感じているのか、その亡骸を探す為に姉の如月栄子と探す範囲を真剣に話し合う。


 その隣では同じく大学四年生の飯島有が、大学一年の佐面真子や田口友子、そして二井枝玄の三人に向けて何やら厳しく文句にも似た注意事を言って聞かせている。そのヒステリックな金切り声に誰もがびっくりし、思わず飯島有の方を振り向いてしまうほどだ。


 ロープウェイ乗り場が見える崖側の方を窓越しに見つめる斉藤健吾は、その下にある旭川市周辺の町並みも視界に入れながら、その手に持つサバイバルナイフをハンカチで丁寧に磨く。その狂気に酔いしれた姿は何とも不気味で、何だか近寄りがたい雰囲気すら感じる。


 また少し離れた別のテーブルでは角刈り頭の陣内朋樹とロン毛の田代まさやが、約二十万もするであろう空撮用のドローンの整備を共にし、色々と部品をいじくっている。どうやらそのドローンを使って上空から撮影をし、山の上や崖の下などを探す予定のようだ。


 そして三階の階段から壁の三メートル上にある大窓を見ていた一ノ瀬九郎は、その大窓から高らかに聳え立つ先端の雪山の景色を楽しむ。その階段の位置から三メートルほど離れる事で初めて山の景色が見えるその光景はとても綺麗で、その遠くに見える旭岳やトムラウシ山がその更なる山の大きさを嫌と言うほど見せつける。


 そんな圧巻的な光景に目を奪われている一ノ瀬九郎を見ながら勘太郎は自分も共にその大窓から外の景色を見てみようと椅子から立ち上がろうとするが、笑顔で見つめる如月栄子と目が合ってしまい、勘太郎は仕方なくまた椅子へと座る。


 そんな勘太郎の行動を何気に見ていた如月栄子は、そろそろ始めるとばかりに勢いよく椅子から立ち上がる。


「今日はこの山頂で行方不明になっている妹の如月妖子の為にわざわざ集まってくれてありがとう御座います。こんな冬の季節に危険も帰り見ずに参加をしてくれた事に心からお礼を申したいと思います。ですが雪山での捜索に辺り絶対に無理だけはしないで下さいね。体の不調や怪我をした時は直ぐにみんなのいる所まで引き返す事。そして絶対に一人での行動は控えて下さい。お願いします。それでは皆さん、せっかくこの山荘のホテルに集まってくれた直後になんですが、これから夕方の十七時くらいまで、軽く捜索をしたいと思います。取りあえずはこの山荘のホテルから坂道に続く上の500メートルほど離れた所にある廃別荘に向けて歩きたいと思います。そしてそこから更に森に入り、森の中の状況や地形を把握するのが今日のあなた達の仕事です。ですので本格的な捜索は明日の朝から始めたいと思います。と言う訳なので余り遠くにはいかないようにして下さいね。では参りましょう!」


 相手を気遣いながらも強い決意で話す如月栄子の激励に、勘太郎は内心思う。


(その廃別荘って、確か一年前に三人の現金輸送車襲撃犯達がいつの間にか連れ込まれたというあの廃別荘の事か。確かそこでその三人はあの赤いワンピースを着た鬼、白面の鬼女と遭遇したんだよな。そして彼らの目覚めを待っていたかのように廃別荘のある近くの森で一人目の犯人が殺され、そしてこの山荘のホテルの三階では二人目の犯人が無残にも鋭利な鎌で斬り殺されている。その中の一つの殺害現場にこれから向かおうとしているのか。しょ、正気の沙汰じゃないぜ!)


 これから廃別荘のある森まで歩いて行くことを告げる如月栄子の言葉に、勘太郎が待ったの声を上げる。


「あ、如月栄子さん、ちょっといいですか。ここには一年半前にこの山で、同じ大学に通い、当時大学一年生だった如月妖子さんの失踪の現場にいた何人かの登山サークルのメンバー達が集まっているのですから、ここは改めて最初から一年半前にこの七月の夏山でいなくなったとされる如月妖子さんの事について当時の知っていることをもう一度最初から話して貰ってもいいのではないでしょうか。俺達も登山サークルの部員達から直接生の証言を聞きたいと思っていた所なので、どうかよろしくお願いします!」


「黒鉄さん……」


「俺達の本当の目的と……その正体をここで明かしてもよろしいですね」


「はい、構いませんわ。黒鉄さん」


 その素人とは思えない勘太郎の会話に、大石学部長は少し怪訝そうな顔を向けながら答える。


「あなた方は如月栄子さんの頼みで妹さんの遺体の捜索に来た便利屋か何かじゃないのですか。あなた方は一体誰なんですか?」


「俺達は如月栄子さんの依頼でこの雪が降り積もる山頂に来た、しがない探偵ですよ。黒鉄探偵事務所という民間の小さな事務所を経営している黒鉄勘太郎と言う者です」


「そして私はそんな黒鉄さんの相棒を務めさせて貰っている探偵助手の羊野瞑子と言う者です。そしてそんな私達の事を人は皆、白い羊と黒鉄の探偵と呼んでいますわ。そんな訳で、よろしくお願いしますね!」


「この可笑しな格好をした奴らが探偵だと……如月栄子さんはこの日の為にあなた達のような探偵を密かに雇ったと言うのか……でも一体何故だ。なぜ探偵なんかを雇ったんだ。ハッキリ言ってこの件に探偵は必要はないはずだ。ま、まさか如月妖子さんの遭難事故に何らかの事件性を嗅ぎ取ったから密かに雇われたんじゃないだろうな。そこの所はどうなんだい、探偵さん!」


 どうやら大石学は探偵でもある勘太郎がここに来たのは妹の如月妖子が本当に遭難事故で亡くなったのかを調べる為に姉の如月栄子に雇われたと勘違いをしているようだが、勘太郎はその本当の理由を恥ずかしくて言えないでいる。まさか本当に死体探しの依頼のために本来の探偵の仕事とは全く関係の無い便利屋のような仕事をしているからだ。なので勘太郎は敢えて本当の理由を曖昧にしながらその訳を隠す。


「我々にも守秘義務と言う物があるので、詳しい話をすることは出来ません。ですが妹の如月妖子さんの死体の捜索は手伝いますし、いろんな雪山での脅威からあなた方を出来るだけ守る事をお約束します」


「き、如月妖子の死体を探し出して……その死に至った不審な点を探そうと言うのか……」


「まあ、そう考えて貰っても結構です」


 死体を探すのは本当の事なので敢えて否定はしなかったが、勘太郎のその言葉に大石学の顔に少し焦りが見えたのを勘太郎は見逃しはしない。

 一体大石学は何をそんなに焦っているのだろうか。それとも勘太郎のただの勘違いなのだろうか。

 だがそうとも言い切れないようだ。何故ならその勘太郎の言葉に反応したのは何も大石学部長だけではなかったからだ。


 その食堂のフロアで話を聞いていた四年生の飯島有・斉藤健吾。三年生の陣内朋樹・田代まさや。そして二年生の一ノ瀬九郎の五人もまた勘太郎にいろんな感情の隠った目を向けていたからだ。


 その五人の眼差しに勘太郎は初めて妹の如月妖子が本当に遭難事故に遭って行方不明になっているのかという話事態を疑り出す。


 勘太郎は心の内にある疑いの思いを押し殺しながら、敢えて知らない素振りを見せる。そんな勘太郎の思いを察したのか、羊野瞑子が代わりに話を進める。


「それでは一週間前に依頼人の如月栄子さんが私達に話してくれた事をもう一度一から話して貰ってもよろしいでしょうか。勿論話すのは一年半前の最後にこの山荘のホテルから如月妖子さんが失踪したその姿を見たという大石学部長……あなたからその時の状況を詳しく聞きたいのですが、勿論いいですよね」


 その思わせぶりな羊野の言葉に大学四年の大石学部長は一息つきながら、一年半前の七月の夏山で行き成りいなくなったとされる如月妖子の行動について語り出す。


「あれは忘れもしない、一年半前の七月頃でした。当時は大学の三年生だった俺、大石学と、同学年の飯島有・斉藤健吾に……二年生だった、陣内朋樹・田代まさや……そして一年生だった一ノ瀬九郎と如月妖子の七人がこの山頂にある夏山を訪れたのは……」


「一年半前の七月に、その七人でここに来たのですね」


「はい、そうです。当時はいろんな事情から四年生の人達は皆その登山合宿には誰も参加をしてはいませんでしたが、もう既にこの山荘のホテルの予約は入れていたので俺達三年生の主宰でこの登山合宿を実行に移しました。俺達はこの山に備え付けられてあるロープウェイは敢えて使わずにこの山頂にある山荘ホテルを目指したんですが、それはもう大変でした。ですが登山の醍醐味をその体で味わう事が出来て充実した気持ちになったのを覚えています。冬と違って夏場はこの山頂まで登るルートが幾つもあり、車でも行ける事から人気の登山コースにもなっています。そんな山荘のホテルに徒歩で到着した俺達七人はその夜は温泉で疲れを癒やし、美味しい山の幸や海の幸を使った料理を食べ、明日の頂上の散策に向けて各々が各部屋で何事も無く皆眠りにつきました。そして二日目の翌朝、朝早くにこの山荘ホテルを抜け出した俺達一行は、廃別荘の近くにある森を探索する為にこの森に自生している高山植物を調べたり、自然の中にいる野鳥を調べる為にバードウォッチングをしたり、スマホで写真を撮ったりと、この山の美しい大自然を楽しんでいました」


「なるほど、二日目の午前までは順調だったようですね。それで、その後はどうなりましたか」


「そしてその後はお昼になったので、持参して来た携帯食料で軽く昼食を取ってからまた近くの森を散策して皆自由行動をしていました。その後は午後の十五時くらいになったのでみんなと相談後に直ぐにその森を離れて、またこの山荘ホテルに戻って来たと記憶しています。確か……あの時の天気予報では、夜には雨が降ると言っていましたからみんなで急いで帰った事を覚えています」


「山の雨……ですか」


「はい、雨です。天候の悪化は登山では命取りですからね、事前に天気予報は調べていましたから、それは直ぐに戻って来ましたよ。山荘ホテルに帰って来てからしばらくして、俺は一人で何気にこの三階の食堂にある大窓から外の様子を眺めていたのですが、目を凝らしてよ~く見てみると、もう既に100メートルくらい先に廃別荘方面に向けて歩く誰かの後ろ姿を発見しました。その赤い服装と姿形からしてどうにか女性だと言う事が分かった俺は午後の十六時に一体何処に行くのかと正直思いましたが、その時点ではその女性らしき人が如月妖子さんだとは分からず、つい楽観視をしてしまいました。その先にある廃別荘でソロキャンプをしようとしているベテランの登山家かも知れないと思いましたからね。後でその女性が如月妖子さんだと知ったのは完全に辺りが暗くなってからです。如月妖子さんは高山植物についてもっと調べたいと言っていましたし、確かその場所についうっかり携帯電話を置いて来てしまったとも言っていましたから、あの後一人で廃別荘のある森に行ってそこで道に迷って遭難したのかも知れません。いくら一度来た事のある場所とはいえ、昼と夜とではその森の風景は全く違って見えますからね。日が沈む闇に気付かずに自身の携帯電話を探していた如月妖子さんが夜の森を歩き回った挙げ句にヒグマにでも出会ってそのまま襲われたか、或いは山の谷にでも落ちたのかも知れません。でもそのいずれでもないのなら、あの広大な森の中で綺麗な状態で亡くなっていたら運が良ければ骨くらいは見つかるかも知れませんね」


「いや、外を見た感じではそれは流石に無理でしょ。だって今の季節、この一帯は一面雪で覆われているんですから、雪が邪魔でどう頑張っても探しようがありませんよ。これじゃ無理です。また夏にでもこの山の山頂まで登って、そこから改めて捜索を開始した方がいいと思いますよ。その方が無難です!」


 そんな当然とも言える勘太郎の言葉に大石学部長は鼻を啜りながら不適に微笑む。


「確かにこの雪が降り積もる大地を雪と一緒に掘り返して調べるのは合理的ではないですし、この山頂周辺をただ闇雲に徒歩で歩き回るのはハッキリ言って自殺行為です!」


「なら一体どうするんだよ?」


「一年半前に地元の捜索隊や警察はこの山頂の森周辺を散々探し回りましたが、結局如月妖子さんはその死体すらも見つかりませんでした。なので俺はてっきりこの辺りにいるヒグマにでも食べられたか、或いは谷やクレバスにでも落ちて行方不明になったとばかり思っていたので今まで気付きませんでしたが、そう言えば森の中にある……ある場所に如月さんと二人で立ち寄ったのを今になって思い出しました。もしかしたら如月妖子さんはあの場所に行ったのかも知れません。そこに自身のスマホを置いて、その森の背景と一緒に自撮りをしていたのを見かけましたからね。なのでもしかしたらそこにスマホを忘れたのかも知れません」


「ある場所だって、それは一体どこですか?」


「森の奥を進み、ちょっとした崖を登り、しばらく行った所にある大きな岩穴です。あるベテランの登山家に聞いた話ではその岩穴は現地に住む登山家の限られた人しか知らず、その穴は地中深くどこまでも滑らかに(天然の道となって)続いているのだそうです。噂では大昔にアイヌの人達が利用していた岩穴だとか、鉱山の採掘の為に掘った穴だとかいろいろと噂はありますが、大昔に地下水が流れていてそのまま長い年月を掛けてそのまま干上がって出来た自然の岩穴なのだそうです。その岩穴は断崖絶壁の真下に自生している珍しい高山植物のある広場まで繋がっていて、下の岩穴から抜ける事が出来るのだそうです。そしてそんな会話をその崖の真下を見ながら如月妖子さんと話していたのを思い出しました。でもたった一人であの暗い岩穴に入る訳がないとも思っていますので、もしかしたらそこではないのかも知れません。ですが当時の警察や捜索隊はその岩穴の存在を知ってはいなかったはずですので、探して見る価値は充分にあると思いますよ。あの岩穴は高い岩場を上らないといけないので警察犬は勿論登れないですし、人にもそう簡単に見つけられる所ではありません。だからこそあの場所は必ず見落としているはずです!」


「なるほど、その岩穴を通ってその高山植物の生い茂る崖下に行ったかも知れないと言うのですね。しかもそこにスマホを忘れたかも知れないと……」


「はい、その可能性は充分にあります。あの崖下の広場はそんなに広くはないですし、俺達十二人で探せばもしかしたら見つかるかも知れません。こんな話を電話で一ヶ月前に如月栄子さんにしたのですが、でもまさか無謀にも一月の雪の降る季節に妹さんの捜索を実行しようとするだなんて正直思いませんでした。捜索をするという話を聞いてまさか如月栄子さんだけを現地に行かせる訳には行きませんからね。何せその岩穴の話をして如月栄子さんをその気にさせたのは、この俺ですからね。それはついて行かないと罪悪感も生まれますよ」


「それで……妹の如月妖子さんが行方不明になって、あなたはどうしましたか」


「それから夜の十九時の夕食の時間になっても姿を現さない如月妖子さんに不安を感じた俺達は、彼女が自分の部屋に帰っていない事が分かると、遭難した事を初めて知ります。その証拠に外履きの靴が無かったので外に出た事は間違いないと思った俺は自力で彼女を探そうと夜の森に行く事を提案したのですが、このホテルの従業員の人達に無理矢理止められてしまいました。朝になったら救助隊が探しに来るという言葉を信じてあの夜は捜索を断念するしかありませんでしたからね」


「まあ、正しい判断ですよね。夜の捜索は非常に危険ですから」


「二次被害を避けるためにもそうした方がいいと回りのみんなにも止められましたが、でもその結果まさかこんな事になってしまうとは正直思いませんでした。今思い返してもその事だけが本当に無念で……無念で……仕方がありません。俺がもっとしっかりと計画を立てて上手くやっていれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに……そう思うと……本当に……本当に……後悔しかありません。如月栄子さん……俺達が付いていながら、本当にすいませんでした!」


 目を伏せ、頭を下げ、言葉を詰まらせる大石学部長に(隣にいる気の強そうな女性)飯島有がまるで彼を庇うかのように話し出す。


「あれは仕方がないと思うわ。あれはどんなに大石学部長が気を付けていたとしてもどうしようも無かった事故だったからよ。それに行方不明になった如月妖子さんには悪いけど、自ら危険な森に一人で入り込んだ彼女にも責任は大いにあると思うわ。あんな夕方も差し迫った午後の十六時に行ったら帰りは真っ暗な夜になるに決まっているじゃない。そんな事も分からなかったのかしら!」


「確かにそうだな。妖子さんは少し山の自然を甘く見ていた節があるからな」


「た、確かに、そうだね、彼女の行動はどう言いつくろっても軽率だったと思うな。大石学部長に比はないよ」


「そうだな、大石学部長は正しいし、特に比はないぜ!」


 それに続いて陣内朋樹と田代まさやが大石学の行動を尊重する用な言い回しをし、その話を聞いていた斉藤健吾もまたそうだと言わんばかりにその話に相づちをうつ。


 その光景を見た勘太郎は『ん?』と思う。


 大体の話の流れからして皆大石学部長を弁護する言葉が多かったからだ。

 まあ、普段からよく知るサークルの部長が責任を感じて思い悩んでいたら同じ登山サークルの仲間としては励まし庇う気持も分からなくはない、分からなくはないのだが、そのあからさまな大石学部長擁護の言葉の数々に妙な違和感を感じた勘太郎は、今度は二年の一ノ瀬九郎と、一年の佐面真子・田口友子・そして二井枝玄の四人の方を振り返る。。


 縁のないすっきりとした眼鏡をかけた二井枝玄。ショートカットの髪型がよく似合う佐面真子。そして肩まで伸びたセミロングの茶髪が可愛らしい田口友子の三人は、隅で固まったまま、ただ黙って先輩達の言う話を黙々と聞いているだけだ。そして無言で厳しい表情を作る一ノ瀬九郎は、拳を握りしめながら感情を押し殺しているかのように勘太郎には見えた。


 捜査の経験上、他にも隠された何かがあると直感的に感じた勘太郎は、頭を掻きながら態とらしく笑顔を作る。


「大石さん、俺達は別にあなたの部長としての失態を非難している訳ではありませんよ、そこの所は誤解しないで下さい。我々はただ正確な真相が聞きたいだけです」


 そんな勘太郎の思惑など知ってか知らずか、すかさず如月栄子も話に加わる。


「そうですわよ、大石さん。あなた達が行方不明になった妖子を必死になって捜してくれていたことはこのホテルで働いていた他の従業員達からも聞いていたので全てを知っています。それに途中で捜索を断念したことだって二次災害を恐れての判断ですよね、それは適切な判断だったと私は思いますよ。妹の為にまた誰かが遭難したのではあなた方のご家族の方々にも申し訳が立ちませんからね。警察や地元の捜索隊の人達が来てくれた時も、捜索隊の人達に行方不明になった大体の場所を教えながら一緒になって捜索に参加をしてくれていたみたいですし、もうあなた方には感謝しかありませんよ!」


「いいえ、とんでもない、そう言っていただけるだけでも俺も幾分か気が楽になります。ですがやはり頭から離れないのです。あの時……夜の森の中に入り周りを捜索していれば、もしかしたら彼女は助かったんじゃないのかとね」


 そんな大石学の涙ながらの話に、勘太郎は如月栄子に確認を取る。


「如月栄子さん、大石学部長さんが今話した話と、如月さんが聞いた話と、違いはありませんね」


「はい、無いと思います。一年半前に登山サークルの部員達が警察に証言をしてくれた話と、一ヶ月前に私が電話で初めて大石学部長と会話をした時の話と、たった今この場で直接話をしてくれた大石学部長の話と、そんなに違いはありませんわ」


 その如月栄子の言い回しに羊野は『ん?』と思わず聞き返す。


「一ヶ月前に電話で初めてお話をしたって事は……如月栄子さんと登山サークルの人達は今日まで一度も面識は無いと言う事ですか。私はてっきりある物とばかり思っていたのですが」


「一年半前、妹が行方不明になった時に警察から電話で事の真相を聞かされましたからね。なのであまりのショックに心を打ちひしがれた私は心の整理がつくまでは誰にも会いたくは無かったので、今日という日になってしまいました。勿論当時は遺体のない妹の葬式にはどうしても出れずに、その状況から立ち直るのに一年もの時間が掛かってしまいましたがね」


「そして一ヶ月前に大石学部長から出た極めて信憑性のある岩穴の証言に居ても立ってもいられなくなったあなたはこの山荘のホテルを貸し切り、妹の如月妖子さんの捜索に全てを掛ける事にしたのですね。それにこの日の為にこの山荘ホテルのオーナーと登山サークルの人達が万応じしてみんなが協力をしてくれるのですから、こんなチャンスを見す見す見過ごす訳には行きませんよね。だからこそあなたは今しか無いと思ったのです!」


「ええ、妹に関わりのある登山サークルの部員達の力を借りる事が出来たらもしかしたら妹の妖子の捜索も上手く行くような気がしましたからね、その皆さんの善意と親切心に甘える事にしたのですよ。そんな登山サークルの部員達と直接会うのは勿論今日が初めてです」


「そうでしたか……今日が初顔合わせですか。なるほど……なるほど……」


 何かを考えながら言葉を閉じる羊野瞑子にではなく、穏やかに笑みを浮かべる如月栄子に向けて、今度は飯島有が何やら不思議そうに口を開く。


「そう言えば……妖子さんのお姉さんって、何かの重い病気で入院をしていたと前に如月妖子さんから話を聞いた事があるのですが、もう病気の方は平気なのですか?」


「び、病気だと!」その思いもしなかった言葉に勘太郎は思わず如月栄子の方に振り向く。その驚きの視線に如月栄子の顔は少しばかり動揺が見えたが、直ぐに笑顔が戻る。


「ええ、もうスッカリ良くなりましたわ。ちょっと肺の方に小さな腫瘍が見つかりましてね、病院で入院をしながら治療をしていたんですけど、幸い発見が早かったので直ぐに摘出手術をして退院をする事が出来ましたわ。その後は抗癌剤のお薬を毎日飲んでいますから恐らくは大丈夫ですわ!」


「そ、そうでしたか。でもまあ早期発見が出来て何よりです。ですがまだ抗癌剤を飲んでいると言う事はまだ完全には治ってはいないと言う事ですよね。本当に大丈夫なのですか」


「はい、大丈夫です。でも別の所に転移した小さな腫瘍がまだあるので油断は出来ませんがね。でも癌の進行速度はかなり遅いので抗がん剤の服用で何とか直ることを期待して飲み続けています。ですがこれはこれで副作用が酷いですがね……」


「そうですね、副作用には合併症が付き物ですので、他の病気には充分に気をつけて下さい。もしも体が辛かったらいつでも行って下さい。直ぐにでも手を貸しますから!」


 その真剣な勘太郎の心使いに如月栄子の顔は思わずほくそ笑む。


「フフフ、そんなに心配しないで下さいよ。そんなに直ぐに癌が悪化する訳ではないのですから。赤の他人の事で親身になって心配して下さるだなんて……黒鉄さんは本当にいい人ですね」


「茶化さないで下さいよ。依頼人の心配をするのは当然のことじゃないですか!」


「当然の事ですか……例え私が依頼人で無くともあなたはそうやって手を貸すのでしょうね。私は人が嘘を言っているのか本当の事を言っているのかが人の汗の臭いで分かるのですよ。黒鉄さんあなたはどうやら嘘は言ってはいないようですね」


 そんな事を勘太郎と如月栄子が語り合っていると、近くでその話を聞いていた羊野瞑子が白い羊のマスクを如月栄子の方に向けながら話し掛ける。


「こんな所でいつまでも時間を潰していると夜になってしまいますわ。話も一段落したみたいですし、そろそろその廃別荘があるという森に行きましょうか」


「そうですわね、羊野さんの言うとおりだわ。では、そろそろ行きましょうか。皆さん、どうかよろしくお願いしますね!」


 如月栄子の掛け声で登山サークルの部員達は皆一斉に立ち上がると、その勢いに釣られるかのように立ち上がった勘太郎は、まだ見ぬその不気味な廃別荘と人の侵入を今も拒む深き森に、どうしようもない嫌な物を感じるのだった。

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