第8章 『それぞれの思惑』         全25話。その3。

        3 それぞれの思惑。



 一月二十五日。時刻は朝方の九時丁度。


 依頼人の如月栄子が事前に準備をしてくれたチケットで飛行機に乗った黒鉄勘太郎と羊野瞑子は北海道の玄関口とも言われる函館空港内の中にいた。

 そんな勘太郎と羊野の後ろに何故か、黒鉄探偵事務所の真下にある黄木田喫茶店で働く大学生の女性、緑川章子が一緒に同行をする。

 彼女の話によれば北海道に住む昔の友達と久しぶりに会うため合流後はそのまま食べ歩きのスキー旅行に行くとの事なので、北海道の函館空港までは一緒なのだ。


 彼女曰く、偶然にも日程の日時や時間や乗る飛行機すらも一緒との事なのでたまたまついて行く形になってしまったとの事だが、そんな偶然もある物かと思いながら勘太郎と羊野はそんな緑川章子と共に空港内にある土産物店を見て回る。


 冬用の衣服を身につけ初々しく歩く緑川章子は割と小柄な体付きをした女性だが、重そうなキャリーバッグを引きずりながら回りの品々に注目する。

 函館空港内にあるショップの品々が珍しいのかバイト先の店長でもある黄木田源蔵や大学の友達になんのお土産を買っていったらいいのかを(まだ来たばかりだと言うのに)本気で悩んでいるようだ。


 その真面目でおとなしそうな純日本風の顔立ちの為か黒縁の眼鏡とお下げ髪がよく似合う緑川章子はお土産品では有名な白い恋人や塩バター飴を見ながら勘太郎に話しかける。


「黒鉄先輩、黒鉄先輩も黄木田店長には帰りにお土産を買って行きますよね。一体何を買っていく予定ですか」


「なにって、まだ決めてもいないよ。なんで北海道に来た早々からそんな事を聞くんだよ?」


「私は黄木田店長には北海道のお土産でも定番で有名な『白い恋人』を買って行こうかと思っているのですが、もしも同じ物を買って行って黒鉄先輩とお土産が被ってしまったら流石に嫌じゃないですか。ですので今の内にお土産を買って帰る品々を予め聞いておこうかと思いましてね」


「いいだろう被ったって別に、二十に貰えていいじゃないか」


「駄目です、同じ物が被るのは私としては許せませんから。そうですよね、羊野さん!」


 そう緑川章子に呼ばれた先には当然羊野瞑子もいたが、その姿形の出で立ちはいつものように回りの人達の声をざわつかせる。

 その姿は精巧に作られた本物そっくりの白い羊のマスクを頭から被り、上半身には白一色の暖かそうなモコモコのロングコートを身に付け、手にはアームカバー、下半身には厚手のロングスカートとロングブーツを履いている。その珍妙且つ怪しげな姿で普通に土産物店にいる物だから他のお客さん達は何かのキャンペーンやイベントでもしているのかと思い、皆遠巻きに羊野の様子を伺っているようだ。

 勘太郎と緑川章子はもう見慣れているせいか特になんとも思わないようだが、羊野の傍を通りかかる他の通行人達は皆羊野のその異様な姿に怪しい目を向けながら通り過ぎて行く。だが中には好奇心の為か立ち止まり写メを取る人も多く羊野が歩く度にちょっとした人だかりが出来てしまう。


 そんな羊野の元に(一体誰が通報したのか)どこからともなく現れた警察が職務質問をしようと警戒しながらもゆっくりと近くまで寄るが、そんな警察官達に勘太郎はなぜ羊野がこんな珍妙な姿をしているのかを、その説明を一から言って聞かせる。


 最初は羊野の体の秘密でもある、先天的なメラニンの欠如による遺伝子欠陥の為に彼女は日差しを敢えて避けているとの話も警察官達には中々伝わらなかったが、警視庁で働く捜査一課・特殊班の名前と白い羊と黒鉄の探偵の名前が勘太郎の口から漏れると北海道県警にも話が伝わっているのか今まで怪しい目を向けていた警察官達は皆一斉に「ああ、あなた達があの白い羊と黒鉄の探偵でしたか。失礼しました。もう話は聞いています。ようこそ北海道へ!」と言いながら何事も無かったかのようにそそくさとその場を後にする。


 割と大人しく帰ったその警察官達の対応に勘太郎は取りあえずは一安心したが、今し方警察官が言った「もう話は聞いています」との言葉がかなり引っかかり、勘太郎は何だか珍妙で不思議な気持ちになる。

 だが多分考え過ぎだと自分に言い聞かせた勘太郎は深く考えるのをやめると、重そうに背負ってあるリュックサックを背負い直しながら羊野と緑川章子の二人を見守る。


「ああ、そう言えばお土産のお話でしたわね。そうですわね、私は特にお土産を買う予定はないので、全て黒鉄さんにお任せしますわ。でもまあ、お土産は被らない方が無難ですよね? 良くは分かりませんが……」


「同じ物を貰うよりも別々の物を貰った方が特別な感じでいいじゃないですか。私は黄木田店長に白い恋人を買って行きますから、黒鉄先輩達は何か別の物を買って行って下さいね。絶対にその方が喜ばれますから、お願いします!」


「そのような事を緑川さんが言っていますが、どうしますか、黒鉄さん」


「ああ、そうだな。なにも考えずに定番の無難な商品を買ったと思われても嫌だからな、俺達は何か別の珍しいお土産を買っていく事にするよ。黄木田店長にはいつも留守番をさせるような形になってしまって大変申し訳なく思っていた所だからな、たまには日頃の感謝を込めて蟹でも買って行ってやるか。ここは奮発してタラバガニなら間違いはないだろ!」


「でましたね北海道の名物と言ったらやはり海の幸のタラバガニですか。蟹好きの黒鉄さんにはナイスなアイデアですが、そのタラバガニは自分が一番食べたいのではありませんか」


「フフフフ、安心しろ。タラバガニやその他の海の幸はこの北海道旅行の道中で必ず食い尽くす予定だからな。なのでなにも心配はないぜ。海産物だけでは無いぞ。函館ラーメンや札幌ラーメンやジンギスカンの羊肉料理もこれを機に食べて行くつもりだ」


「黒鉄さん、こんな事を私が言うのもなんですが、これは旅行ではありませんよ。どんだけ北海道の食べ物に心を奪われているんですか。全くもってみっともないです」


「いいだろう、少しくらい。せっかく北海道に来たんだから食べ物に思いを馳せるくらいは」


 北海道の名産にタラバガニがあることを思い出し何としても食べたいと心の中で誓うそんな勘太郎の服装は言わずと知れた新調仕立てのダークスーツの一式である。

 その上に厚手のロングコートを羽織り、首には青いネクタイを締め、足には黒いロングブーツを履いている。そして背中には大きなリュックサックを背負い、雪山にも対応できるように万全な体制でここまで来たようだ。


 だが雪山に登ると言ってもロープウェイで山荘のホテルまで言ってから、そこから冬用のウエアに着替えて山頂の森に捜索に行く予定なので気を引き締めなくてはならない。

 そう北海道での寒く厳しい雪山での死体探しの捜索の依頼はこれから始まるからだ。

 頭に浮かぶ食べ物の誘惑を一旦片隅に引っ込めた勘太郎はこの場に来るはずの依頼人の如月栄子の事について話し出す。


「そんな事よりだ、依頼人の如月栄子さんはまだ函館空港内には迎えに来てはいないようだな。彼女の話では車で迎えに来てくれるとか言っていたが、その大雪山国立公園の中にあるその山頂のホテルまではここからは遠いのかな?」


「何でも函館空港から札幌を通って旭川市から入るみたいですよ。そのロープウェイもその山頂の山荘ホテルのオーナーが自ら作った民間のロープウェイみたいです。冬場はそのロープウェイ無しにはその山頂のホテルには行けないらしいので全ての物資の運搬やお客さんを運ぶ際はそのロープウェイを使うそうです」


「ならそのロープウェイをもしも破壊でもされよう物なら完全な密室の現場が出来上がってしまうんじゃないのか。それはその雪山に現れると言う白面の鬼女に取っては最良且つ最高の場所なんじゃないのか!」


「まあ、仮にロープウェイが止まっても、固定電話がありますし、もしもそれすらも切断されているようなら恐らくはもしもの為に衛星電話もあるはずですから心配はないと思いますよ」


「ならその衛星電話すらも破壊されていたらどうするんだよ!」


 その勘太郎の問いに数秒の沈黙が流れたが、羊野は物凄く軽い口調で自分の考えを話し出す。


「それは簡単ですわ。その白面の鬼女とやらを半殺しにしてから捕まえて、麓に降りる新たな通路を聞き出せばいいだけの話ですわ」


「半殺しにするってお前な、なに笑顔でサラッと恐ろしい事を言っているんだよ、もっと穏便な解決の仕方があるだろ。それに誰か知らない人がこの話を聞いたら確実に危ない人達と思われるだろ!」


「フフフフ、それにもしもその白面の鬼女とやらが円卓の星座の狂人なら、必ずもしもの為の脱出経路は確保してあるはずです」


「うむ、円卓の星座の狂人か……」


「更には突発的なアクシデントでその山頂に閉じ込められたとしても一週間分の食料は常に置いてあるみたいですから、なにも心配はないと思いますよ」


「そうか、だが円卓の星座の狂人がこの依頼に絡んでいるかはまだ分からないからな、そう結論を急ぐのは早計かもしれんぞ。もしかしたら一年前に起きた現金輸送車強盗のその三人の犯人が現金の分け前のトラブルが原因でただ殺し合いをしただけの事件かも知れんぞ。その証拠にその盗まれた数千万円の現金は今も見つかってはいないからだ。ならその生き残りの犯人がその仲間を殺害後に盗んだ数千万円の現金を独り占めした後に、直ぐにその現金を山頂の森の何処かに隠したとも考えられるな。そうつまりはその生き残ったとされる犯人が白面の鬼女に襲われたと嘘を言っていると言う事だ!」


「お言葉ですがその白面の鬼女の出没は一年前のその事件が初めてでは無く、二~三年前からもう既にチラホラと起きている現象みたいですよ」



「なら他の登山者達が見たと言うその赤いワンピースを着た女の姿だって疑心暗鬼によるただの見間違いや集団催眠的な何かかもしれんぞ」


「また黒鉄さんお得意の集団催眠説ですか」


「そういう可能性もあると言う事だ。それに生き残ったその犯人が二人の仲間を殺害後に二体の死体と共にロープウェイで下へと降りてから、その死体を路上に捨てて急いで山頂のホテルへと戻れば、そのいるはずのない白面の鬼女に襲われたように偽装をする事が出来るんじゃないのか!」


「いいえ、それでは矛盾が生じます。ロープウェイを動かすには下にあるロープウェイの操作室から動かさないとそのロープウェイは動かないらしいのですよ。つまりです、下から誰かが操作をしないとそのロープウェイは全く動かないと言う事です」


「確かその生き残りの犯人の証言では、気が付いたらいつの間にかその山頂にある廃別荘の中にいたと記録がしてあったな。なら夜の内に白面の鬼女が一緒にロープウェイに乗って、何かの薬品で気絶をしている三人を一人一人担いで、その廃別荘の中まで運んだと言う事かな。いくら白面の鬼女が力持ちとはいえ、大の大人を運ぶために雪山の坂の雪道を三往復もしたとは流石に考えにくいぜ」


「その強盗犯の三人が何らかの薬物で眠らされていた夜はその山頂には雪は降ってはいなかったらしいですから、そうなるとその生き残った犯人の話と決定的な証拠が食い違うのですよ」


「なんだよ、その証言と決定的な証拠って?」


「その犯人の証言では目覚めた日中に白面の鬼女に襲われて、そのまま廃別荘から山荘のホテルまでの道中は新雪の上を走って逃げてきたとの事ですが、そうなると絶対に可笑しいのですよ」


「なにが可笑しいと言うんだよ?」


「もしも昨夜の内に白面の鬼女がロープウェイを使ってその熟睡している三人の犯人を山頂まで運んだとしたら、その後は一体どうやって雪山に足跡を残さずにその三人を500メートルくらいまで離れたその廃別荘まで運んだかと言う謎です」


「まあ、白面の鬼女が例え何人いようとその廃別荘に人を連れて行くのなら必ずその足跡は雪道に残るからな。そう考えたらいずれにしろ移動の辻褄が合わないか。やはりその当時はその雪山には雪が降っていて昨夜の内にその足跡を綺麗に消してくれたんじゃないのか。それかやはり先に俺が言ったように全てはその生き残った犯人の偽証……つまりは犯人がついた嘘話と言う事も充分に考えられるぞ。て言うかそっちの方がしっくり来るんじゃないのか」


「いいえ肝心な事を忘れていますわ。そうなるとやはりもう一人が必要なのですよ」


「もう一人だって……?」


「さっきも言ったようにそのロープウェイは操作室がある麓の下からしか動かせないのですよ。つまり白面の鬼女がそのロープウェイに乗った状態で一体誰がそのロープウェイを動かすと言うのですか。それは例えその生き残ったとされる犯人が二人の仲間を殺した犯人だったとしてもその結果は同じです」


 その羊野の言葉に勘太郎は思わずハっとする。


「た、確かにな。もう一人がそのロープウェイを下で操作をしないと白面の鬼女はその三人の強盗犯達を連れて雪山の頂上には行けないと言う訳か。でも仮にロープウェイで上まで行ったとして……その後はどうするんだ。雪道に足跡を残さずに山頂を歩くだなんて不可能な事じゃないのか?」


「それだけではありません。その生き残った犯人の証言によればその白面の鬼女は当時廃別荘から山荘のホテル内に逃げてきた二人を追って、雪道に残る足跡を頼りにゆっくりと山荘のホテルに向かってきていたらしいのですが、犯人が目を離した隙にその姿が消えていなくなったと思ったら行き成りその背後から現れて二人の襲撃犯達を襲ったとの事です」


「外の雪山を歩いていたのに行き成り背後から現れたと言うのか。過去の捜査資料では山荘ホテルの三階の大窓から雪道を下ってくる白面の鬼女の姿を見たとその生き残りの犯人は証言をしているが、その後警察が調べた結果、廃別荘から逃げてきた二人の犯人の足跡は確認されたが、肝心の白面の鬼女の足跡は一つも発見されなかったとの事だ。だから全ては金の欲に欲した犯人がお金を一人占めしたいが為に二人を殺害したが、その罪を全て雪山に古くから伝わる白面の鬼女の伝説のせいにしたと警察はそう睨んでいるようだ。当然その現金も生き残りの犯人が山頂の森の何処かに隠したと疑っているようなので、北海道県警はその威信を賭けて厳しい取り調べを行ったらしいが、結局一年経ってもその現金の行方は謎のままとの事だ」


「まあ、もう一年も経っている事件ですし、その現場を直接見た訳では無いのでその真相は分かりませんが、今は大人しく依頼人でもある如月栄子さんを待つ事にしましょう」


「そんな事よりもお前、荷物はどうしたんだよ。これから二泊三日の雪山での(如月栄子さんの妹さんの)死体の捜索に行くんだぞ。そんな手ぶらで本当にいいのかよ?」


「ええ、私の荷物なら昨日その山荘のホテルに宅急便で送りましたから、私達がその旭川市の近くにある山頂のホテルに着く頃には荷物も届いていると思いますよ」


「その荷物の受け取りって……その山荘のホテルで受け取ってくれる人がいるのか?」


「はい、三日前に電話をして確認をしてみたら荷物を預かってくれると言っていましたから、なので送ったのですよ。その方が楽ですからね。どうやら二泊三日中は特別にホテルの方から管理人が来てくれるそうです。その人がお食事の用意やホテル内の管理や掃除やらをしてくれるとの事です」


「ちょっとまて、なぜその事を俺に言わなかった。もし知っていたらこんな重い荷物を背負って道中を歩く事はなかったのに!」


「だってなにも聞かれませんでしたからね。荷物は敢えて持って行く派だと思ったんですよ」


「うな訳があるかぁぁぁー。羊野、お前、知っててわざと俺に教えなかったな!」


「フフフフ、黒鉄さんったら、また自分の怠惰な失態を人のせいにして自分の正当性を図るだなんて、相変わらずみみっちいですわね」


「そんなみみっちい俺の怒りを見て笑うお前の傲慢なその態度を改めてから物を言えよ!」


「ひょっと二人とも喧嘩はやめて下さいよ。それでなくとも目立つのに、通行人に更に変な目で見られるじゃないですか。そんな事よりです。もう私は友達の所に行きますが、そちらの依頼人は何時に来るんですか。待ち合わせ場所は何処ですか?」


 その緑川章子の言葉に、勘太郎は左の胸ポケットに入れてある鉄製の薄いカバープレートをかぶせてある黒革の手帳を取り出すと、依頼人との待ち合わせの場所やその日時や時刻をもう一度確認する。


「この空港の入り口を出たタクシー乗り場がある通路の所で待っていると言っていたな。待ち合わせの時刻は九時三十分だな」


「もう直ぐ九時半になるじゃないですか。なら急いで下さいよ、依頼人を待たせてはいけませんよ」


「いや、お前がこの空港で何かお土産を買うと思ったからそれに付き合ったんじゃないか」


「来た早々行き成りここでは買いませんよ。ただお土産を品さだめしていただけです」


「そ、そうなのか……まあ来て早々お土産を買う訳がないか」


「ですので黒鉄先輩が依頼を終えた三日後にまたこの函館空港で落ち合う事にしましょう。私も友人と二泊三日ほど遊んだら黒鉄先輩達と同じ飛行機で帰りますから先に帰らないで下さいね。帰りは私も黒鉄先輩達と同じ飛行機の便に乗りますから」


「分かったよ、三日後にこの空港でまた落ち合おうぜ!」


「フフフ、緑川さん、ではまた三日後に……」


「はい、お二人とも、どうかお気をつけて……」


 そう言うと緑川章子は綺麗に編み上げられた長いお下げ髪を揺らしながら勘太郎と羊野の傍を離れていく。そのまま大勢いる人混みに消えた緑川章子を見送った二人は反対方向を向くと函館空港のターミナルの表の入り口へと向かう。



 スタスタスタスタ……ざわざわざわざわざわざわ……ガヤガヤガヤガヤ……。



 人混みに紛れながらもしばらく歩くと空港の入り口が見え、その前で厚い紺色のコートを着た依頼人の如月栄子が勘太郎と羊野の二人を笑顔で出迎える。


 長い黒髪を後ろで縛っただけで特に化粧の類いのような物はなにもしてはいないようだが、質素ながらもその小綺麗な服装から察するに彼女の几帳面さと清潔感さが分かるようだ。

 そして同じ黒縁の眼鏡でも緑川章子のように古典的な眼鏡っ子と言ったような女子学生ぽい可愛らしさではなく、如月栄子が掛ける眼鏡は清楚な大人の女性が醸し出す知的で面持ちのある雰囲気を更に強調しているかのようだ。

 そんな気さくで穏やかな雰囲気を醸し出す如月栄子は優しく勘太郎と羊野に手を振ると少し安堵をしたような声で話かける。


「もしかしたら来てくれないかもと思い内心ビクビクしていましたが、約束通り来てくれて嬉しいです。それに天候にも恵まれて飛行機も函館空港まで飛んでくれたので私の心配事が一つ減りましたわ。もしも悪天候で飛行機が飛ばなかったら、この依頼や山頂での捜索の方も出来なくなってしまいますからね」


 絵顔で話す如月栄子の挨拶に勘太郎もすかさず応える。


「こんにちは如月栄子さん、わざわざ俺達を迎えに来てくれてありがとう御座います。この依頼を曲がりなりにも受けたからにはどんな形であれ最後までお付き合いしますよ。それが黒鉄探偵事務所の掲げているポリシーであり理念ですからね。二泊三日の短い捜索ではありますが、よろしくお願いします。この捜索を機に妹さんに繋がる手掛かりが一つでも見つかるといいですね!」


「こちらこそよろしくお願いします。では来て早々ですが私の車にお乗り下さい。このまま一気に旭川市にある大雪山方面に向かいますので!」


 勘太郎と羊野は進められるがままに車の後部座席に乗ると、依頼人でもある如月栄子は運転席に座りながら二人の方を振り返る。


「ようこそ、北海道へ。今日の夕食は山荘のホテルを特別に貸してくれたオーナーさんの計らいで、この日のために雇われた管理人さんが夕食を作ってくれるそうですから楽しみにしていて下さい。どうやら夕食には海の幸や勿論タラバガニも出るみたいですよ」


「な、なにぃぃぃーそれは本当ですか。やった、やったぞ、これでようやく念願のタラバガニが食べられる。しかもただで。ひゃぁぁぁほい!」


 余りの嬉しさに人目もはばからず大喜びする勘太郎を見ながら羊野は、白い羊のマスク越しに大きな溜息をつく。


「はあーっ、黒鉄さん、それは流石に大人げないし恥ずかしいのでそんなあからさまな喜び方はやめてもらえますか。いくら滅多に食べられない好物とはいえ、我が上司ながら見ていてこっちが恥ずかしくなりますから」


 そんな羊野と勘太郎を乗せた車が、如月栄子の運転でようやく出発する。



 ……。



 如月栄子が運転する車が空港のターミナルから消えてから数秒後、ひとりの女性がタクシー乗り場で待っていたタクシーのドアを軽く叩く。


「あ、乗ります!」


「いらっしゃいませ、どうぞ、中へ!」


 自動でタクシーの後部座席のドアが開く。


「ありがとう」


「お客さんはご旅行ですか?」


「そうですね……半分は遊びで、もう半分は仕事で来ました」


「お仕事ですか、それは大変ですね」


「ええ、とても大変で難しい仕事です」


「そうですか、それでお客さん、行き先はどちらまで行きますか」


「そうですね、では旭川市まで行って下さい。そこで降りますから。後レンタカーを貸している店を教えて下さい」


「分かりました、では出発しますね。旭川市に近づいたら降りる場所を教えて下さい、そこで止まりますから」


「分かりました、その時は教えますね」


 そう言うと緑川章子は黒縁の眼鏡を光らせながら真剣な顔でスマートフォンの中に入れてある追跡ナビアプリを見るのだった。


「黒鉄勘太郎と羊野瞑子は、依頼人の如月栄子の車で真っ直ぐに札幌方面に向かっているわね……」と呟きながら。

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