第14話 見知らぬ明日 Part4

キッチンジロー神保町店は三省堂本店から歩いて1分もかからないところにある。開店は古く、神田一帯が反安保を叫ぶ学生によって占拠された1968年よりも前から営業している。半人半蛇の邪神を主人公にしたアニメにも登場していた。11時半開店と同時に店内に入るとさすがに他の客の姿は無かった。光時が席について水が運ばれてくる前に日向が現れた。「スタミナ焼きとメンチカツ。両方単品野菜抜き。ごはん大盛りで。」声を合わせて同じメニューをオーダーする。「初めて穢れ払いに出る前に、泰時様に頼んでここで昼飯を奢ってもらったのを昨日のように感じるよ。」「どうせ奢ってもらうならもっと高級なものを頼めば良いのに。」「そりゃ、今のお前と同じさ。値段より食いたいものを食うに限る。しかし、その泰時様の息子と同じものを食いに来ることになるとはな。人生は本当に分からんものだ。」「たかがメンチカツで大袈裟じゃないですか。」「食うものより、俺が未だに鬼士でいることが感慨深いのさ。」「邦親(くにちか)さんが鬼士であり続けていることが不思議だとでも。」「あぁ、当時は、今でもか、鬼士の戦い方の主流は高速格闘戦だ。機動性と剣技に優れた鬼士が尊敬を集める。閃雷と呼ばれた泰時様や瞬光と呼ばれたお前のようにな。練所で俺達重鬼士は愚鈍と嘲られ穢れ払いでは絶対に躓(まが)うだろうと、長くは鬼士を務めることはできないだろうと陰口をたたかれていたものさ。そんな俺たちに重装甲、大出力鬼吼砲の利点を徹底的に鍛え上げて現出点開口直後に重砲斉射による現出点破壊の戦法を編み出したのが当時練所の教官だった泰時様だった。まぁ、最初は泰時様の構想を机上の空論とあざ笑うやつも多かった。実は俺たち自身も半信半疑だったんだが日比谷事件で超特急現出点と現れた穢れの半数を一気に吹き飛ばした後では誰も泰時様を、俺たちをあざ笑うものはいなくなった。泰時様がいたから俺は鬼士に成れた。鬼士を続けることが出来た。」決して大きな声ではなかった、むしろ巨体に似合わぬ小声ではあったが力強く、熱のこもった言葉であった。「お待ちどう様でした。」先にスープが運ばれてきた。「まぁ、昔話はこれぐらいにして食うか。」「えぇ。」「スタミナ焼きとメンチカツです。」「いや、いつものように野菜抜きで一皿に盛ってもらえれば良いのだが。しかもこれ野菜大盛りだろ。」「ええ、これが単品の正しい盛り付けですから。」「いや、野菜はいい。」「そう。野菜は良いですよ。昨日奥様が見えられて。今日日向さんが若い方と一緒に食べに来られるので野菜を大盛にして正規の盛り付けでお出しするように仰せつかりました。野菜を残したら出禁にするようにとも。ご飯大盛2皿分は一皿に盛り付けておきました。」光時の前にも野菜大盛りのスタミナ焼きとメンチカツが2皿に分けて置かれた。「さすがは冨子様。由緒正しい陰陽道の大家、勘解由小路(かでのこうじ)家の姫君にして元警視庁公安部外事第5課の腕利き捜査官ですね。夫の立ち回り先は調査済みですか。」「陰陽師じゃなく巫女様を嫁にしときゃ良かった。」「今の台詞も奥方様に筒抜けと考えるべきですね。」「今のは取り消しな。聞かなかったことにしてくれ。しかしさすがは公安部陰陽課、恐るべしだな。」「沙耶子さんも俺にやたらと野菜を食べさせようとするんですよ。何か野菜を信仰する宗教でも流行っているのですかね。」二人の男が文句を言いながらもキャベツ一切れ残さず食べたのは健康を気遣う奥方様の優しさに打たれたからであって、決して奥方様が怖かったからではなかった・・・のであろう。「ごちそうさまでした。」「おう。東京に来ることがあったら声をかけてくれ。また飯でも食いに行こう。次は先神宮様も紹介してくれ。沙耶子さんを連れてきてもらうためなら何でもするぞ。今度ばかりは俺も腹を括る。」日向は泰時との思い出を語った時以上に熱のこもった視線で光時を見つめた。「では早速ですが、資金集めに協力してもらえませんか。」「それが本題か。」「福原成実(しげざね)卿に連絡を取ってこのリストのものを換金し、ここにある口座に振り込んで欲しいのです。」「確かに俺やお前が動くと武蔵大公の監視に引っかかるが福原卿ならばノーマークだが、奴は能登卿の親友だぞ。お前を練所で半殺しにした一人だ。確かに能登も福原も大津も武庫大連の中心メンバーだったが、今じゃすっかり変わっちまった。そんな奴に頼んでいいのか。能登が知れば必ず武蔵大公の知るところとなるぞ。お前のことだ、何か根拠はあるんだろうが。」「半殺しにされた件は卒試でやり返していますのでチャラです。それに福原卿は大丈夫です。」少し不安気な様子を浮かべたままであったが日向は光時からリストを受け取りそれに目をやった。「おい、これは武庫家と飛鳥家の財産目録じゃないのか。それにこの特許リストは泰時様が利根川会長や筑波陸将と一緒に開発したものじゃないのか。X線レーザー共振器の特許まで入っているぞ。」「買い手はもう決まっています。それに核心技術は特許化していません。」「お前はとっくに腹をくくっていたんだな。分かった。資金調達は任せろ。まあ、俺よりも冨子の方が上手くやれそうだが。」「ぜひ。お願いします。私は寄るところがありますのでこれで失礼します。」この後光時は木曜の午後と金曜日を使って霞が関の警察庁と警視庁、市ヶ谷の防衛省、立川の極地研、柏の東大、つくばの産総研、大手町の常総電機本社を回った。この時光時が面談した相手を武蔵大公が知れば、光時の力を過小評価していることに気付いたであろう。警視監、参事官、陸将補、防衛審議官、所長補佐、副研究科長、領域長、常務執行取締役、それぞれの組織でトップに近い独自の裁量で相当のリソースを動かせるポジションにいる者ばかりであった。10代の少年がこれらの職位にあるものと面談できること自体が稀有なことである。光時は新神戸までの最終ののぞみ115号のグリーンシートに身を沈めると今回の一連の訪問の成果を反芻していた。まだ具体的な話ができる段階ではなかったが、黙って武蔵大公の言いなりになるつもりはない事、それなりのネットワークを構築していること、時が来れば起つので協力してほしい旨を暗に匂わせるに留めたが皆真意をくみ取ってくれた。また委託研究の進捗もみな満足のいくものであった。最後の訪問先であった産総研では技術的ディスカッションに熱が入りこの時間になってしまったが研究の実担当者との議論は心地の良いものであった。しかしながら今後のことを考えるとまだ為すべきことは多くあった。沙耶子と生き延びるためにやっておかなければならないことは多岐にわたる。その後のことにも備えておかなければならない。神戸に戻ってからのToDoリストを頭の中で素早く再整理する。学校が夏休みに入るのは幸いだ。穢れ払い以外の時間を予定に割り振っていく。人であればPC上でスケジュール管理ソフトを使って行う作業を脳中だけでこなす。気が付けば列車は六甲トンネルに入っていた。トンネルを抜けるとすぐに新神戸駅に到着する。下車の準備をしながら沙耶子のことを考える。沙耶子には産総研を出た直後に帰りが0時過ぎになる。夕食は不要、先に寝ておいてほしいと連絡は入れていたが、直ぐに夕食を作って待っているとのメッセージが返ってきた。帰宅した光時を待っていたのは水着にエプロンを付けて「ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ・た・し。」のベタなコントと鶏肉と野菜がたっぷり入ったラタトゥイユだった。水着にエプロンは誰かの入れ知恵なのだろうがタンキニにショートパンツではアウターと変わらないが、当人は大胆なことをしているつもりなのか半分自爆気味に恥ずかし気にしていた。かなり空腹感を覚えていた光時は3kgほどあったラタトゥイユを決して上品とは言えない勢いで一気に平らげていた。そんな光時を満足げに見つめる沙耶子に声を掛けた。「その水着可愛いな。お社に居た頃から持っていたのか。」「へっへー。今日智さんと三宮で買ったんだ。」腰に手をやり胸を張って自慢する。バストラインが強調されて乳房がエプロンを押し上げる。「ねぇ、明日海に行こうよ。御日供(おにっく)済ませたらすぐ出よう。朝ごはんも海岸で食べようよ。」「あぁ、海か。いいなぁ。そうしよう。」光時が快諾すると沙耶子は満足げに空になった皿をキッチンに下げていった。鼻歌を歌いながら食器を洗う後ろ姿にさらに愛おしさが募ってくる。武蔵大公に啖呵を切ったものの不安が胸を覆う。「海に行こう。」不安を振り払いように光時は小さく呟いた。

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