第12話 見知らぬ明日 Part2 

本のページを開いたまま過去の妖の歴史に思いをはせているとのぞみは多摩川橋梁を越え東京都に入ろうとしていた。温(ぬる)くなったコーヒーを飲み干しカップを捨てに行くついでに鏡で身だしなみをチェックする。普段には無い憂鬱な顔をした男の姿が映っていた。嫌な相手に会うのにいちいち表情に出るとはまだまだだなと自戒の念を込め、無理に笑顔を作ろうしたが思うような表情にはならなかった。品川駅到着のアナウンスを聞き無理なものは無理と割り切ることにした。ほどなく列車は東京駅に到着した。梅雨が明けたばかりであったが東京はあいにくの小雨模様であったが、桃花流水会本部がある大手町グランデソリドには地下道を通って東京駅から濡れずに移動できる。32階建てのビルの最上部3フロアーに桃花流水会本部が入っている。地下道の大手町C2c出口を出て、高層階用エレベーターに乗り、エレベーターで昇れる最上階の30階で降りると正面に受付がある。「お久しぶりね。大層なご活躍のようね。転身せずに饕餮を2体も倒したのですって。さすがは泰時大公の御嫡男と本部でも話題に成っているわよ。」30台半ばに見える妖艷な美女が艶然と微笑み出迎えてくれる。「元貴船様も相変わらず年齢不詳なれどもご健勝なご様子、お慶び申し上げます。私を話題にするときは皆残念そうにしているのではないですか。」「素直な小鬼ちゃんは何処にいったのかな。」龍神族頭首の妻にして元貴船の巫女静乃はそれまでの微笑みを一転させ真摯な眼差しで語りかける。「貴方の成功を、貴方が生き延びていることを願い、喜んでいる者がいることを、その少なくないことを忘れないで。私もその一人よ。姉様を、あなたのお母様を救えなかったこと、悔やんでも悔やみきれないは。せめて綾乃姉様と泰時様の一粒種であるあなたには幸せになって欲しいの。皆武蔵大公を恐れ声を上げられないだけで武庫大公と姉様に救われたことに、あなたが成そうとしていることに妖のみならず、多くの人も感謝と敬意の念を忘れてはいないは。」「有難うございます。少しひねくれていました。」温かい言葉に少し強張った表情が緩む。「雪乃はどうしたのですか。奥方様御自ら主衛(しゅえい)の任に当たられるとは珍しいですね。」「百鬼の守りは龍族の務めだからね。それに雪乃のような小娘よりも大人の色香に迎えられる方がいいでしょう。雪乃は警視庁に出向いているわ。星辰読みの巫女が8月中頃に有明で現出点が開くと神託を下したのよ。丁度ビッグサイトで大規模な催しが開かれるらしくて、警備の打ち合わせに行っているわ。それより煌輔(すめらのすけ)様との約束は9時15分からでしょう。待たせるのは良くないわよ。」「了解です。お・ば・さ・ま。」「静姉ちゃんとお呼び。」言葉より速く衝撃波が飛んでくる。体を開いてそれを躱すと入口の扉に当たって結構大きな音を立てた。奥から転身した宿直(とのい)の龍士が3人飛び出してくる。静乃が下がるよう言うと怪訝な表情を浮かべ、それでも静乃の指示に従う。一人の龍士が視線で何事かと問いかけてきたが、まさかおばさんと呼んだことに対して龍吼(りゅうこう)を飛ばしてきたとも言えず光時は肩を竦めるしかなかった。桃花流水会専用エレベーターで最上階に上がると煌と煌輔の執務室を守る武蔵大連所属の衛門の鬼士2名が出迎えた。「武庫光時。煌輔武蔵大公閣下と9時15分より面談のお約束をしております。」「伺っております。こちらへ。」一人の鬼士が光時を煌輔の執務室前に案内する。「武庫卿(むこきょう)がお見えになりました。」「お通ししろ。」インターフォン越しに少しかすれたバスボイスが応える。扉を開けるとやせ型長身の中年男性がマホガニー製のライティングデスク越しに光時を見つめていた。切れ長で鋭い眼(まなこ)と固く結ばれた薄い唇が鋭利な知性と強い意志と共に酷薄な印象を与えていた。「煌輔武蔵大公閣下におかれましては、ますますご健勝のご様子お喜び申し上げます。」光時が心のこもらない挨拶を口にする。「卿(けい)のご活躍は本部でも大層話題になっております。卿のような若く有能な鬼士こそが次代の百鬼を導くのでしょうな。大いに期待し、楽しみにしております。」形だけの笑顔をその面持に貼り付けこちらも心のこもらない言葉で応える。案内の鬼士が部屋から出るとお互いに浮かべていた笑顔の仮面をかなぐり捨てる。「穢れ払いの途中での共(むた)の変更申し入れなど未だ嘗てないことだ。いったいどう言うつもりだ。」「具申書に述べた通りです。私では穢れ払いの任を遂行しきれないと愚考します。」「殊勝な物言いは止めろ。通常より大きな星辰見の誤差による現出時間と位置のずれ。それによる穢れの漏出。転身できる鬼士であれば飛行によりずれの影響を最小化できたが封鬼された貴様ではそれも叶わない。そして貴様を封鬼したのは私だ。正式な具申書で共の変更を申し入れたのは背景を文章化すれば私に次のステップへと移らせることの抑止になると期待したのであろう。貴様が何を知り、何を考えておるのか見当は付く。しかし、どのような行動を取ろうとそれは無駄だ。私が何を行おうとしているのかはすべての大公、公が知っている。奴らは己では手を下せぬから私に任せるしかないのだ。貴様の父親もしかりだ。」「父はその状況を良しとはしていませんでした。」「ふん、それで元禄の役の再現か。貴様も知っておろう。愚昧な煌、山背忠勝によって惹き起こされた元禄の役を。1200名の鬼士が命を落とした。その責任を取って忠勝は自害。失われた人口が回復するのに100年が必要であった。忠勝は歴史に汚名をのこしただけだ。まぁ桃花流水会の名も遺したことにはなったがな。貴様の父親はその愚行を再現しようとしておったのだ。」「時代が、技術水準が異なります。人間の工業生産力を使えば結果は異なったものになるでしょう。」「根拠は。それに例え上手く行っても百鬼自らがその軍事的優位が失われたことを人類に告白するようなものではないか。マイノリティとしての生存権の確保さえ危うくなる。」「軍事的優位!そんなものとっくに失われているではないですか。そしてそれは既に人類と百鬼の共通の認識です。現状以上の共助の関係を築くことこそ我々の生存権を確固としたものにするでしょう。」「それで人との対穢れ兵器の共同開発か。鬼士の力をまねた貴様のガラクタはそれなりに穢れに対して効果を発揮しているようだが、それも貴様が運用しているからであろう。反応速度の遅い人が運用しては梁渠でさえも倒せまい。」「戦場が限定される穢れ払いでは高速応答が可能な無人兵器や広域破壊兵器の導入により穢れを無力化できます。」「そして人に百鬼が不要であると、永治の誓文を破棄しても良いと知らしめるのか。」「人に百鬼の有用性を示すために日比谷に現れた現出点に対応せず放置し、日本の国家行政機能の中枢が破壊されるのを眺めようとしたのですか。」「15年も前の話だ。それも貴様の親父と同調する一部の鬼士と人によって邪魔された。」「邪魔された。ではなく正しく処理された。です。」「貴様ら親子はどこまでも私の邪魔をする。だが、覚えておけ。貴様にできることは個々の局面で戦術的最適解を積み上げることだけだ。対して私は戦略的に、例え貴様が戦術的勝利を積み重ねようとも私の思い描く結果に向かって貴様を、貴様たちを突き落とすことができる。貴様が先神宮の姫巫女を掛け替えのないものと思った時点で貴様の行動は大きく制約されている。今回の具申書も公文書化によって私の行動に制約をかけようとするだけではなく今回の件から沙耶子殿を遠ざけることで守ろうとしたのであろう。今日の対面での私への挑発も敵意を貴様に集中させることで彼女を巻き込ませまいとしたのであろう。今回の私の計略で最も不確実な要素が貴様と巫女殿が互いを大事と思えるか否かであったが、そこも私の読み通りに進んだ。貴様の沙耶子殿への思いは私の計画の一部だ。貴様の負けだ。だが貴様と貴様の思い人がともに歩む未来もないことはない。我が足下にひれ伏せ。貴様が持つ技術、人脈、貴様自身の能力を我に差し出せ。さすれば貴様らの未来を祝福しようぞ。10年も経てば貴様も公と呼ばれよう。家庭を持ち、武庫家を再興し、幸福と栄光に満ちた人生を私が与えることもできるぞ。」「私の沙耶子さんに対する気持ちも、私の人生も私自身の物だ。あなたが私に与えられるものは何もない。」「・・・それが貴様の答えか。もう少し利口な奴かと思っておったが。」「未来をすべて読み切ったつもりになっているのか。傲慢だな。」「必ず後悔するぞ。・・・去るが良い。これ以上は時間の無駄だ。」「お互いにな。では、失礼する。」

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