第一章  聖女召喚

第1章  1

 階下行きのエレベーターに乗っているような感覚が、私の意識に飛び込んできた。

 ここまで、時間的にはほんの僅かだったが、それは長くも短くも感じる奇妙な体験だった。


 そして、その時はゆっくりと訪れた。体の重さが感じられたのだ。


 まだ周囲にはまばゆい光があふれ、周りの景色を見ることは叶わない。

 だが、床の感触は足の裏を通してしっかりと感じられた。

 ややゴツゴツとしている。

 粗い石畳か何かのようだ。


 周りからは何やら呪文詠唱の声が幾重にも重なり、まるで輪唱のように響いている。


 その時だった。突如、私の頭上に大きな濁声が浴びせられた。


「来たか魔王よ!」


 はい?!

 ま、魔王だぁ?


 ちょっと待て、こんな美女を召喚しておいて何が魔王だ!

 あんたらは勇者か何かを召喚してたんじゃないのかい!


 私は怒り心頭、跪いた姿勢から光龍杖を構え立ち上がった。


 フワッと周囲を包んでいた光が消えた。

 おおよそ十五メートル四方の、石で囲まれた部屋だった。

 声の主の向こうには、木製の扉。

 残り三方には鉄格子がはめられた小窓がいくつか。

 そこから見える空は暗かった。

 もう夜なのだろうか?


 足元には何やらチョークか何かで描かれた魔法陣。

 五芒星や六芒星のような単純なものではなく、もっと細かな模様がびっしりと描き込まれている。

 不思議と不気味さはないものの、なるほど魔王召喚と言われてもおかしくはなさそうだ。


「だ、誰が魔王ですか!」


 怒鳴りながら、私は目の前に立つ中肉中背の中年の男を睨みつけた。


 男はいかにも魔術師です、といった格好でやや禍々しいワンドを右手に持ち、左手には魔導書らしきものを携えていた。

 濁声男はワンドを私に向けていた。私も構えている光龍杖に力を籠める。


「だ、誰じゃお主は!」


 目の前の濁声男も負けじと私に向かって怒鳴り声を飛ばす。


「誰だも何も、あなたたちが私を召喚したんでしょ?

 私はれっきとした人間よ!

 魔王だなんて失礼極まりないわ!」


「こ、こっちだって誰も人間なんぞ召喚しとらんわい!

 これは立派な魔王召喚の儀式じゃ!

 あの方も大丈夫じゃと保証しておったわ!

 さては……そなたサキュバスじゃな?!」


 サキュバスって、おいおいこんな美女とっつかまえて誰が淫魔ですか。

 よりにもよってサキュバスですか。

 『サンクチュアリ3』では実にいやらしい攻撃してくるザコデーモンですよ。

 毎度毎度憎しみを込めて惨殺してましたわ。


「だから人間だって言ってるでしょうがっ!

 それとも何?

 あなたたち魔王なんて召喚してたってことは邪教徒かなにかなのね?」


 言いながら、今度はしっかりと敵意を込めて睨みつけた。

 こちとら端から臨戦態勢ですよ!

 私は光龍杖を軽く二、三度振り回して見せた。

 ふと改めて気付く。

 以前までの私の身体じゃない。

 明らかに鍛えられ、技という技が身に付いた、歴戦のモンクの身体だ。

 瞬時に頭を巡らせると、ありとあらゆる技が思い浮かぶ。

 これなら私でも闘れる!


 周囲もざわめきだした。

 いつの間にか呪文の詠唱は止んでいた。

 周りを見渡すと、ざっと十二人ほど、邪教徒と思しき連中が取り囲んでいる。

 幾人か儀式用らしき短剣を抜いている者もいた。


 目の前の濁声男とは三メートルほど、他の十二人とは五、六メートルほどの距離がある。

 この人数相手なら余裕で立ち回れる、と感じる。


「ええい、召喚は失敗じゃ!こいつを縛り上げるぞ!」


 濁声男がそう叫びながら一歩引いた。

 それとは逆に、周りを取り囲んだ連中が私に対して距離を詰める。


「『龍旋昇』ッ!」


 叫びながら、光龍杖を大きく身体一周回転させながら振り抜くと、私の体が小さな竜巻を纏う。

 竜巻は周囲を囲む連中を巻き込み一気に吸い込む。

 全員が射程範囲に入る。


「『烈風脚』ッ!」


 声と共に、杖を立てて支えにし、全周囲に蹴りを見舞った。

 大丈夫、殺さないように手は抜いている。


 蹴りを浴びせられた周りの連中は、強烈な勢いで壁に叩きつけられた。

 大半は気を失ったようだが、幾人かは苦しそうに立ち上がろうとしている。

 だが構う事はない。

 私は既に濁声男に意識を切り替えていた。


 濁声男は、じりじりと後ずさりしながら、ワンドを私に向け、小声で何やら呟いていた。

 呪文詠唱のようだ。


「これでもくらえ!」


 ゴウ、と音を立てながらワンドの先から蛇状の炎が放たれた。

 大方これで私の体を縛り付け、焼くつもりだろう。

 けれどそんなもの、おいそれと食らうような私じゃない。


 光龍杖を目の前で一閃した。


 気を込めた風圧で、炎の蛇は瞬時に消し飛ぶ。


「ば、馬鹿なっ!」


 目を見開き、濁声男は怒鳴った。


 対する私は左後ろ手に光龍杖を構え、空いている右掌をバンッと突き出した。


 瞬間、濁声男は強風にでも煽られたかのように後ろに大きくよろめく。


「む、無詠唱で呪文じゃと?!」


 違います。

 私の気弾です。

 ただ気を軽く飛ばしただけです。


 そもそも本来私は技名を叫ばなくとも技は出せます。

 格好いいから叫んでるんです。

 特撮ヒーローだって技名叫んでたら格好いいでしょ?

 そういうことです。

 あ、ただ神々への祈りが必要な祈祷術は祈りの詠唱必須ですが。


 私はタンッ、と一歩で濁声男の懐に飛び込む。

 と、慌てふためいてその場にへたり込んだ。


 ゆっくりと光龍杖を相手の眉間へトン、と突き立て、


「はい、これでジ・エンド。まだ抵抗する?」



 と、その時だった。


 バンッ、と大きな音を立て、濁声男の真後ろの扉が勢いよく開かれた。

 ギリギリ、濁声男は扉の直撃をまのがれた格好だが、これはさすがに私でも心臓に悪いと思う。


「ティヌト信徒共、悪魔召喚の儀式はそこま……で……アレ?」


 大声を上げ、銀色の鎧に身を包み、ロングソードとカイトシールドで武装した騎士然とした男が、同様の格好をした数名の部下と思しき連中を引き連れ、部屋に入ってきた。

 その顔は呆気にとられ、更には不思議なものを見るかのような目付きで私を見ていた。


「どうなってるんですか?」


 目の前の騎士が私に問うた。


「えーと……邪教徒と思われる連中に召喚されたので……やっつけました」


 そうとしか言いようがない。

 それ以外に答えようが無い。


「ちなみに私は邪教徒でも悪魔でも、ましてや魔王でもない……です、ハイ」


「そりゃあ見るからに聖職者って人がティヌト信徒を伸していたら、あなたが悪魔召喚を止めたとしか見えませんね。

 私達が一足遅かったということですか」


 違う。

 誤解です誤解。

 私、召喚されたのでってしっかり言いました。

 といっても、さすがに事情は説明しにくい。

 言っても取り合ってくれない可能性もあるなぁ。


 そんなやり取りをしている一方で、騎士の部下たちがてきぱきとティヌト信者と呼ばれた邪教徒達を縛り上げていた。

 間違いない、仕事ができる方々だ。


「申し遅れました、私はプラチナムハートのクエスター・ヴォイド・アリューションです」


 騎士のリーダー格の人がそう名乗った。うーん、何だか長いぞ。


「私は……」


 ふと、思い悩む。私の名前は風間恵里佳。

 多分外国流ならエリカ・カザマになるんだろう。

 でも異世界転生ものなんかだと苗字は貴族階級しか使えないとか、何やら色々あったはず。

 それに、だ。

 そもそも今の私はエリカなのだ。

 だったらエリカでいいよね。

 うん、きっとそれでいいハズだ。


「私は、エリカです」


 何とも間の抜けた自己紹介だ。クエスター・ヴォイド・アリューションさんとは大違いだ。


「クエスター、コレを…」


 部下の一人が、邪教徒が次々連行されていく中、そう呼びかけた。


 ん?クエスターって…呼び捨てじゃないよなぁ。

 役職?


 いやいや気付くべきところはそこじゃない。

 部下の人は濁声男が抱えていた一冊の魔導書らしき本をクエスター・ヴォイド・アリューションさんに手渡した。

 見る限り、人皮が装丁に使われているようでも無ければ、禍々しい雰囲気も無い。

 どちらかといえば正統派の魔術師が使いそうな魔導書だ。

 ただし、見るからに古びている。

 ざっと千年は経っているだろうか?


「失礼」


 クエスター・ヴォイド・アリューションさんは私に向けてそう一言告げてから、魔導書を開く。

 ざらついた羊皮紙の擦れ合う音と共に、パラリ、パラリ、とページが繰られてゆく。


 私にも本の中身がちらりと見える。

 そして書かれてる文字の意味も、『言語理解』スキルで読めちゃったりしている。


 チラ見する限りでも、この本はやはり召喚術が記録されているものに間違いない。

 至る所に何度も同じ言葉が記載されていた。

 中でもある文言が妙に気になった。


 『聖女』。


 この魔導書は、魔王召喚術とは真逆の存在である、聖女召喚術の魔導書だったのだ。


 しかして疑問が一つ。先ほどの邪教徒達もさすがに字が読めないという事は無いだろう。

 なのに、よりによって何故魔王召喚術ではなく、使っていたのが聖女召喚術の魔導書なのだ?

 そして、その召喚術を用いて召喚されたのは……私?!


 ちょっと待て、私ゃモンクだよ、聖女なんて柄でもない。

 いやいや、ちょっと確認させてください。


「ステータス」


 小声でスキルを発動した。


『クラス : モンク

 称 号 : 聖女

 レベル : 七七六五

 STR : 一五七(気門開放時:一〇四二)

 AGI : 三七四(気門開放時:二六四六七)

 INT : 一〇七

 VIT : 一八六(気門開放時:五三九七)

 SPI : 二四一(気門開放時:一四二〇四)

 ATK : 八四八(気門開放時:四九六四五)

 DEF : 五九三(気門開放時:一九七六〇)

 H P : 五〇〇二〇

 M P : 一六七四〇』


 クラスは変わってない。モンクのまま。


 ……て、ちょっと待て。

 なんだこの称号ってやつは。

 しっかり聖女って書かれてるんですが!?

 異世界転生ものでも流行りの聖女もの!?

 私そんな聖女なんて柄じゃないですってば!


 それになんですかこのステータスは。

 名称がアルファベットに変わったのと、精神力系が増えてるのはわかった。

 気門開放時っていうのは、その名の通り気門開放スキルを使った時の数字だろうなぁ、というのも見当が付く。

 でも、通常時?の能力はこれでどのくらいのものなんだろう?

 というか常人がどのくらいかもわからないので比較しようもない。

 まぁ、気門開放時の数字が明らかに異常なのはよくわかる。

 ってかほとんどが『サンクチュアリ3』の数字まんまなんですけど。


 試しに、秘密を探る様で少し申し訳ない気もするが、クエスター・ヴォイド・アリューションさんのステータスを見てみよう。


『クラス : プラチナムハート/ウォリアー

 称 号 : クエスター

 レベル : 三五

 STR : 一○八

 AGI : 七八

 INT : 六九

 VIT : 八九

 SPI : 七一

 ATK : 六五三

 DEF : 三二九

 H P : 八六九

 M P : 七〇』


 は?


 桁違うんですけど。

 クエスター・ヴォイド・アリューションさん結構強そうですよ?

 なのにコレ?


 ステータスほぼ二桁ですよ?

 多分一般で一〇〇が上限とか、そういう感じなんじゃないですか?

 これ、何かの間違いなんじゃないですか?

 それともリライアさんが何か間違っちゃった?


 私、バケモノじゃん!!



 私が召喚された建物は、邪教徒の隠れ神殿だった。

 その名の通り市街地の住宅の合間に隠されるように建てられており、つくりは簡素な教会を思わせた。


 神殿部分は禍々しい意匠があちこちに施され、いかにもな邪教徒感満載だった。


 プラチナムハートと呼ばれる戦士たちに縛られ、邪教徒達は次々と外へ連れ出された。

 幸い私にはなんの嫌疑もかかっていないようで、お縄にはならずに済んだ。

 ただ、できれば話を聞かせて欲しい、とのことで、特に行く当てもない私は一も二もなく承知した。


 外にはもう星が出ていた。


 人の声があちこちから聞こえるから、そこまで遅い時間というわけでも無いようだ。


 時々、街の人とすれ違ったが、その中で驚くことが一つあった。


 なんと、人々がここそこで幽霊と交流しているのである。

 普通に挨拶をし、世間話をし、とまるで親しい隣人として接しているのだ。


「ここは冥界のウルバーンという城塞都市です。

 冥界の一部では、人々と霊魂が分け隔てなく共存している地域がありまして、ここもそんな街の一つなんですよ」


 たまたま隣を歩いていたプラチナムハートの戦士が、そう教えてくれた。


「ここ冥界は、本来は死して肉体を離れた魂が、次の転生までの束の間のひと時を休むための地だったのです。

 入植した人々は、霊魂に敬意を払い、その束の間のひと時をより良いものとして過ごせるように、平和に暮らしています。

 ですが、それを認めない勢力がいることも忘れてはいけません」


 そうか、プラチナムハートの戦士は、そういう連中と闘い、共存している人々を守っている存在なのか。


 すれ違う霊魂からは、微塵も悪意など感じない。

 むしろ、自分の死をしっかりと受け入れ、次の転生をおだやかに待つ崇高さが感じられた。

 彼らは聖なる霊だ。


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